3D mode!

Entries in 2011/09

ぱみゅぱみゅしてみた

とある講演の準備のためにどうしても必要だったので、ぱみゅぱみゅしてみたのでした。

メイクに関して色々とアドバイスしてくださったコスプレイヤーさん、どうもありがとうございました!休日に呼び出されてメイキャッパー業を強制されたぞあみちゃん、お疲れさまでした!

アラサー男性ふたりが密室の中で一言も発さずに顔に触れ合ったりしている構図ってのは、そう意識してしまうと致命的におかしくて、笑いをこらえるのが本当に大変だったので、ぼくは、なるべく小難しいことを考えるようにして笑いの波をやりすごしていました。目をつむるのもなんだか恥ずかしいなぁと思って、最初は、ずっと目を開けていたのですが、真剣な眼差しでこちらを見ているアラサー男性を見ていると笑えてくるので、途中からは目をつむることにしました。

沈黙も笑いを誘ってしまうので、BGMにはきゃりーぱみゅぱみゅの曲を流し続けました。

ぱみゅ

無事にぱみゅぱみゅの撮影が終わってからは、せっかくだから、ということで、さらなる遊びを目指し、時間が許す限りの試行錯誤を繰り返しました。

ミサワぱみゅぱみゅ

ミサワぱみゅぱみゅ

カイジ

Misawazon

Misawazon

彼岸島

ぱみゅ うま

おすすめ

1時間もあればメーキャップも完了するので、かわいい女の子の皆さんは、どんどんぱみゅぱみゅしてみたらよいと思います!

「LDD’11/Fall in KUSHIRO」に参加してきました

2011年9月17日(土)、ぼくの「地元」のひとつである北海道釧路市で開催された LDD’11/Fall in KUSHIRO に参加してきました。参加記録エントリです。

前日の夜のこと

開催前日に、羽田から釧路まで飛行機で移動しました。釧路空港に降り立つのは、去年の母校での講演のときに続いて、2回目です。関東から北海道に移動したときにお約束の「えっ、なにこれさむい」は、今回は言わずに済むくらい、意外とあたたかい日でした。

空港に着くと、今回のぼくの講演に関する手続き的なところ (?) を担当してくれた方がお車で迎えにきてくれていて、宿泊先のホテルまでとても快適に移動できました。空港までお迎えとか… こんなことばっかりしていたら、バチがあたってしまいますね。身の丈に合わない (とてもありがたい) 対応を受けて、自分にできることは、講演を成功させること、きっと講演を最高のものにしようと静かに決意したのでした。

ホテルにチェックインしたあとは、えはらさん、いけださんと「お打ち合わせ」と称したお食事会です。「釧路生まれではないけれど、今は釧路に身を置いて活動している」人たちのお話は、なんとなく飲みながら交わす雑談としては、それはとてももったいないくらいに密度が濃く、前日の夜からこんなペースで大丈夫かなーと自分を心配してしまうくらいの感情の起伏をもたらしました。会の後半には、すべての首謀者であるさいとうさんも駆け付けてくれて、明日はよろしくお願いしますと挨拶をし、ぼくは次の予定へと向かいました。

お食事のあとは、お友達のジャスミンと釧路市内の「思い出の地巡り」に出かけました。ジャスミンは、約10年前に、お友達がセッティングしてくれた「同数の男女が集まって歓談するお食事会」で知り合った子で、今でもたまに連絡を取ったりしています。今回、釧路に行くよ、と話すと、講演を見にいくと行ってくれて、前日の夜も、車で迎えにきてくれました。こんなことばっかりしていたら、バチがあたってしまいますね。

ジャスミンと一緒に、お互いに思い入れのある場所を順番に巡っていきました。だんだんと、気持ちが釧路の空気に入り込んでいくのが分かります。この釧路に7年間ほど住んでいたということ。7年の間にこの身を通り抜けていった様々なできごと。そこで出会った人々、その人たちが教えてくれたこと、その人たちと一緒に見たもの、聞いたもの、感じたもの。それらすべてをまとって、ぼくが釧路の人たちとお話したいことはなんだろうかって、ずっと考えていました。講演イヴは、ゆっくりと時間が流れる、優しくて長い夜でした。

実際の会話は、もっとギャーギャーワーワーとした、品のないものでしたけどね!

釧路川
釧路川の夜景は、とてもキレイでした。

これは完全に余談ですが、公園の遊具に乗ってお話しているとき、女子高生がこちらに寄ってきて、話しかけてくるイベントがありました。「このあたりで、小学生くらいの女の子を見かけませんでしたか…?」と尋ねてきたその子は、行方が分からなくなった女の子を探しているとのことでした。

「じゃあ、ぼくらも探してみるね。なにかあったら連絡するから、差し支えなければ、連絡先を教えてもらえるかな」「あっ、はい、赤外線で…」「ごめんね、赤外線ないんだ…」「ああっ、大丈夫です。それソフバンですか?」「ソフバン…?ああ、そうです、ソフバンです!」「じゃあ、こっちでかければよかった…」「(2台持ちかあ)」

数時間後、無事に見つかったとの連絡があって、ほっと一息、安心しました。よかったー。

ちなみにこの夜、ぼくは「車の中」「居酒屋の中」「公園の遊具の下」と、合計で3回、鞄や財布を置き去りにして忘れていきそうになっていて、今回の来釧 (という言葉があるそうです) の気持ちの浮かれっぷりを表しているようでした。ふわふわ〜。

よし、せいいっぱい、講演をがんばろう。

いま、ここから見える釧路。

「もしもし釧路 / じゅーんぱみゅぱみゅ」という題で講演しました。すみません、嘘です。

いま、ここから見える釧路。 on Vimeo (約40分の動画)

(録画からアップロードまでを引き受けてくれたしだらさん、どうもありがとう!)

今回のイベントのテーマ「ITで釧路をデベロップする」を受けて「釧路をデベロップする」に対しての自分の考えや想いをドーンとぶつけてみる内容となりました。

講演の準備をはじめるとき、まずは「釧路の皆さんとお話したいこと」を考えました。そうして思考を整理していくうちに「自分からお話できること」「自分にはお話できないこと」があると、分かってきました。「お話したい、けれど、お話できない」そんな内容について、じゃあどうしようかな、って悩んだときに、それをお話できそうな人にインタビューしてみようと思いました。

それで、jig.jp福野さんに、インタビューをお願いしたのです。

2009年の2月に福井に行ったときに、ぼくは、とんでもない衝撃を受けてしまいました。そこには、自分から見てとても羨しい「鯖江市と福井高専のおいしい関係」があって、色々と考えさせられました。「このおいしい関係が、自分が釧路高専に在学していた頃の釧路にもあったらなあ…」なんて思ってしまったのですね。その「嫉妬」の気持ちを種として、今回の講演の準備を進めていきました。

講演中に「嫉妬」という、ちょっと強力な言葉を発したことについて、参加者の皆さんから、いくつかのフィードバックをいただきました。懇親会の「全員一言ずつ自己紹介タイム」のときに、たくさんの人が「嫉妬」という言葉を混ぜてトークしてくれたのは、なんだか嬉しかったです。言ってみれば「嫉妬カンファレンス」の輪郭がありました。

たしかに「嫉妬」という言葉には、ネガティブな成分がふんだんに含まれていると思います。嫉妬の気持ちを爆発させて、気に入らないあの子のバレエシューズに画鋲を仕込むこともできてしまいます。ですが、ネガティブな感情から引き出されるポジティブな行動、というのも、いっぱいあると思います。自分は、鯖江市を「いいなあ」と素直に羨んで「どうやってその状況をつくったのですか」と、福野さんに聞くことができました。そうして得たものを、釧路の皆さんに届けることもできました。福野さんの上履きに画鋲を入れようとは思わなかったのです。

福野さん、突然のお願いにも関わらず、快く応じてくださり、本当にありがとうございました!おかげで、自分ひとりでは伝えることのできなかった自分の想いを、釧路の人たちにぶつけることができました。また、講演の様子にも目を通してくださって、重ね重ね、ありがとうございます。心強いです。

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福井には福野さんがいて、原宿にはきゃりーぱみゅぱみゅがいて。釧路を離れてしまったぼくは、じゅーんぱみゅぱみゅにはなれないけれど、釧路にいる誰かをぱみゅぱみゅさせることはできるかもしれない。大和田ヤスタカとしての活動を開始するべきでしょうか。

講演力の高まり

今回の講演と、その準備期間を通じて、自分の「講演」に対するスタンスが大きく変わったように感じています。これまでと比べると、自分が「かっこいい」と感じる「トーク」に、だいぶ近付いた感じがします。講演の準備のために「誰かにお話を聞いてくる」とか、講演の舞台となる土地に気持ちを染み込ませて意識を高めていくフェーズとか、試してみて、すごくよかったです。自分が「実現したいこと」に対して、実に素直にアプローチできました。「やれること」をやったんじゃなくて、「やりたいこと」をやれた感覚があります。

パネルでご一緒した副市長の小松さんは、ご自身のブログにぼくの講演のことを熱っぽく書いてくれるくらいに気に入ってくれたみたいで、講演終了直後には色々と話しかけてきてくださって、とても嬉しかったです。手応えを感じました。

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ただ、いつもの自分のスタイルは、一部の人たちには、もしかしたら刺激が強すぎたのかもしれないなー。主婦の方からは「ショッキングでした」とメッセージをいただいたりもして、あまりスタイルばかりに意識が向いてしまったのだとしたら、肝心の内容を伝え切れなかったかもしれません。改善の余地あり。

メモとして、今回、自分が講演の準備のためにやったことをリストしておきます。今の自分がやれることは、すべて実践できたと思います。

  • どういった経緯で自分にお話がやってきたのか、運営の人たちに聞いて、お話してみる
  • 去年のイベント ldd10f に関するエントリをすべて読む
  • 運営チームの議論に参加して、イベントが目指すべきところを探る
  • イベントのテーマ「ITで釧路をデベロップする」と向き合う
  • 自分の中にある「釧路は…」という感覚と向き合う
  • 「釧路の皆さんに」ではなくて「釧路の皆さんと」お話したいことはなにか、と考える
  • 「お話したいこと」「お話できること」「お話できないこと」を整理する
  • 福野さんにインタビューして、お話をまとめる
  • Flickr から見つけてきた好みの写真を Keynote にビターンビターンと貼り付ける
  • 釧路市内の思い出の地を巡る
  • トークの背景画像に使う釧路市内の写真を撮ってまわる
  • 釧路の名物料理を食べる
  • これまでのトークのときにつけていた名札たちを、お守りとして首から提げておく
  • 直前は、入念にストレッチする

Keynote と向き合う時間なんて、全体のほんの一部でしかなかったのだと気が付きます。

ひとりの参加者として

とっても楽しかったです!噂には聞いていた「参加者用名札」がキュートでよかったです。ゆかりのある対象のシールをペタペタと貼って名札をつくりました。

自分の講演とパネルが無事に終わってからは、穏やかな気持ちでりあふちゃんの Facebook のトークを聴いてみたり、釧路高専の現役生の Lightning Talk をニコニコと聴いてしまったり、楽しませてもらいました。

なんていうか、自分の講演の中で強調した「プレイヤー」が揃っている感じが、素晴らしかったですね。釧路市の規模がちょうどいいのかもしれません。これは地方ならではだな、という熱気のあるイベントだったと思います。あの場から何かが始まってもおかしくない、そんな気配を感じていました。

また来年も参加したいと思います。いいタイミングで、母校の先生や、母校の現役生ともお話することができて、こりゃあ来年はいよいよ母校を絡めた取り組みを進めていきたいよ、と思っているところです。来年は運営チームに参加させてもらって、今年感じた楽しさをもっと増幅できるように、なにかお手伝いさせてもらうつもりです。覚悟しておけー!

まとめ

(朝まで続いた激しいコミュニケーションのことは、心の中のキレイな思い出として留めておきますね)

「LDD’11/Fall in KUSHIRO」に参加してきました。ありがたい講演のお誘いをいただき、今の自分が感じていることをぶつけて、釧路の皆さんといっぱいお話してきました。これまでなかなか上手に連携することができなかった母校との縁を、これから大事に育てていきたいと思いました。釧路のみならず、道内各地から集まった先輩たち・後輩たちの姿を見て、北海道はもっともっとおもしろくなりそうだなぁと思いました。特に現役学生のおもしろい子たちは、大きな期待を抱きました。今回のことを通じて、講演力も一気に高まった気がするし、なにからなにまで楽しいイベントでした。

来年もまた参加したいです。ldd11f でお会いしたすべての皆さん、どうもありがとうございました!またお会いしましょー!

米町公園から
米町公園から眺める夜の釧路の街並み。

心機一転

今日は、いつもよくしていただいている皆さんに、ちょっとした報告があります。

大和田純は、サイジニア株式会社を退社することになりました!

入社するまで

ぼくが学生であった最後の年の、夏。ぼくは東京に滞在して、当時はほとんど「人がいて、机と椅子と夢があるだけ」くらいのサイジニアのオフィスで、ワーワーと騒いだりしていた。立ち上がったばかりの頃の会社のお手伝いをしていた。年齢がひとまわりくらい上の、創業メンバー6人を相手に「お前らウェブの最先端だのなんだの言っているけれど、ぜんぜんウェブのことを分かってねーじゃねーか」みたいなプレゼンをして、その場にいた、日本語が分からない Martin が、資料にあった「Get Real!」だけを覚えていて、ぼくのことを「狂った若者」だと認識していた。

流しそうめん
(そのとき、オフィスのベランダで流しそうめんを楽しみました)

さらにさかのぼって、大学の学部生のときの、研究室見学。特にコレと決めた分野がなかった自分は、とにもかくにも「いちばんおもしろそうな研究室に入りたい」と思って、自律系工学研究室を選んだ。そこには、後にサイジニアの事業となるシードがあって、そのときはそんなことなんて想像もしなかったのだけれど、今こうして思い返してみても、自分の直感ってのは大事にしなきゃなぁって思う。

気が付けば、代表や、それから、研究室の同期である @kei_s との付き合いは、まるまる6年以上のものになっていた。本当に多くのことを学べる時間を過ごしてこれたこと、心から感謝しています。

入社のとき

入社する先が、研究室の延長線上にある、というのが、とても誇らしいことだった。それまでの活動の延長線上にある、というのが、嬉しかった。

研究活動や、それ以外の趣味のアプリケーション開発なんかも含めて、自分の「こんなことができます」を理解してくれている環境でのお仕事だったので、入社してすぐに戦力として数えてもらえるのは、喜ばしいことだった。どこからか「入社したけれど、研修がつまらん」という声が聞こえてくるたびに、時間の使い方がもったいなぁと感じていた。

川と桜
(春に桜、という体験があった上京して最初の4月)

入社してから

最初の2年くらいは、メインの業務として「レコメンデーションシステムの開発・運用」を担当させてもらった。自分も含めてプログラマが3人のチームで、社の事業そのものであるレコメンデーションシステムを育て、止めることなく動かし続ける、というお仕事だ。

チームで過ごす日々から、実に様々なことを学んだ。

運用とフィードバック

まずは「運用」について。自分が「よくない設計」をして「よくないコード」を書くと、それはすぐに形になって現れて、チームを苦しめた。その「よくない」は、先輩社員に「よくない!」と怒られながら教えられるでもなく、チームで議論して「これはよくないね」と結論を出して定められるでもなく、次々に襲いくる「よくない」出来事によって身に刻まれた。レコメンデーションシステムの肝は「データ」だ。毎日、大量のデータを滞りなく処理することが求められた。データを壊してしまったり、データの流れを止めてしまうと、システムの命に関わる。

起動オプションが分かりにくいプログラムは、しばしば起動方法を間違えてデータを意図しないように書き換えてしまう。コンソール出力が分かりにくいプログラムは、異常終了したときにどこまで処理が進んだのか分からず、問題調査の時間を長くする。結合を密に作成してしまったプログラムは、変更に弱く、機能追加のスピードを鈍らせた。

また、ここでいう「システム」はソフトウェアだけを指すのではなく、それらを運用する人々も含めた広義の「システム」である。これを、何時に動かして、問題が発生したときには、誰が何を調査し、どういった対応を取るべきか、まで含めての設計が必要であった。自分の作ったプログラムの挙動や、そこに関わる人々の表情が、自分がシステムをどのように改善していくべきかを教えてくれる環境があった。

努力目標よりも確かなアクションを

操作をミスして問題を生じさせてしまったとき。運用に問題点が見つかったとき。チームでは「以後、気を付けます」「これからもっとがんばります」といった努力目標を単体で口にすることは許されなかった。なにか問題が起きたときには、概念としては、

  • その状況が再現するテストを書く
  • テストを実行し、失敗させる
  • どうすればテストが成功するか考え、設計し、実装する

の一通りをこなし、実際のコミットによって「同じ問題は発生させません」を示す姿勢が求められた。

たとえば、よくあったのは、メンテナンスのために一時的に無効化した「定期実行ジョブ」を、無効化したまま帰宅してしまって、次の日にジョブが動いていなくて涙目、という状況が続いたとき。「無効になっているジョブがあったら Skype に通知する」ボットを書いて動かすことにした。こうして、無効化の戻し忘れはほぼゼロになった。

それでも、すべての些細な問題に対してアクションを考えて実践するのはなかなか現実的ではないので、3人のチームで「2人以上が、合計で3回、同じミスをしたら」というスリーアウト制をなんとなく持っていて、そろそろ我慢ならないね、というタイミングを迎えた問題から順に対処していった。そのとき、今は「対処しない」と決めた問題についてはきっぱりと頭から捨て、未解決の問題を想って気を病みすぎることのないよう、気持ちも変えていった。問題は常に存在している。ゼロにはならない。「あぁ… 問題が残っている…」とぼやくだけぼやいてアクションを取らないのは、まったく生産的ではない。それなら考えない方がマシだ。一病息災でもないけれど、問題との上手な付き合い方も覚えていった。

「自分たちの日々を、自分たちでデザインしなさい」は、ぼくの好きな教えのひとつ。それを実践できる環境とチームがあった。こういったアクションを1年も2年も積み上げていくと、自分たちのシステムは、段々と、人に優しく、堅牢なものに育ってゆく。体験として学べた。

「船乗り」としてのお仕事

ぼくは、プロジェクトは「航海」のようなものだと捉えている。

だとしたら。「船の底に穴が開いて水が入り込んでしまっている」ことが分かったときに、最初に取るべき行動はなんだろうか。決して「誰かを感情的に非難する」ではないはずだ。そんなことをしている間に、乗組員の全員が溺れて死ぬ。つまり、プロジェクトが失敗する。とにもかくにも水を船外に出して、穴を塞ぐことに尽力するしかない。

20人にも満たない小さな規模のチームで過ごす日々は、そういったことを分かりやすく教えてくれる。

ぼくはこれからも、航海のようなプロジェクトに関わり、乗組員としてのコミットを約束し、そこにいる人たちと協調することを是として、お仕事していきたい。

それと。船に乗るのは、旅人ばかりだ。小さい会社から、色んな人たちが色んな航海図を持って旅立っていく姿を見てこれたのも、今の自分のマインドに影響を与えてくれているように思う。そもそものはじまりは、当時、ぼくの指導教官だった代表が「会社をつくる」と言って大学を飛び出したことだったわけで、遠慮せずに「やりたいことをやればいい」「やれる場所がなければつくればいい」と気が付いてハッとしたのは、他でもなく、サイジニアが誕生したときだった。

船乗りとしての日々は、とても楽しい。世界はどこまでも広がっているように感じられるし、自分もどこか遠くに行けるんじゃないかって勘違いできる。

退社のとき

書類仕事がしんどかった…

これから

さて!ほいで、会社をやめて、これからどうするの、というお話です。

この9月に新しく誕生した会社に加わって、これから新しく事業を創っていくことにしました。メンバーは3人、プログラマは自分1人だけ、という、まったく新しい環境です。不安がない、といったら嘘になっちゃいますけれども、今はとてもワクワクしていて、アレもやりたいなーコレもやりたいなーと考えている時間がすごく楽しいです。

ぼくは、プログラマのコミュニティが大好きです。プログラマの世界観や価値観に、共感することが多いです。プログラマで集まってワイワイと遊ぶの、楽しくてすごく好きです。

でも、それはそれで大事にしつつ、そうじゃない人たちとも一緒に何かを成し遂げて、プログラマってすごいんだなぁって感じてもらいたい。今よりもっと、プログラマがちゃんと評価されて、プログラマが重宝されて、プログラマがのびのびと生きていける場所を増やしたいって思っています。他分野の人と共同で何かする機会に恵まれるようになってきてですね、段々と、その想いを強めてきました。

結局のところ、組織に守られながらその組織に対して文句を言い、自分という人間を認めてくれる人たちの中で夢を語るのは、ものすごく居心地がよく、楽なことでした。でもそれは、中学生が小遣いをもらいながら自分の母親をけなし、仲間内でギターを弾いて悦に入っているのと変わらない。「じゃあそれ、路上で、知らない人の前で胸を張って弾けるの?それで金を稼げるの?」

SIを仕事にするということ – Digital Romanticism

この引用は、頭に GAT-TUN ときますね… いや本当に、仲間内で気持ちよくなっているばかりじゃダメだなぁって思ってしまいます。これから、ちょっくら、この身ひとつで勝負してみますよ。幸い、最近は、手応えもあって。なんとかなるんじゃないか、とも感じますし、なんとかするしかない状況で、がんばってみます。

ぼくも格好つけたい気質なもので「こういうことをやろうと思っています」より「こんなのやりました!」と言いたいので、具体的にどこの会社でどんな事業を、ってのは、今回は書きません。なにか成果を出せたときに、ドヤ顔で「やってやったぜー」と書きたいものです。

方向性としては「そこにいる人々の日々の営みを支え、そこにある価値を育て、人々と共に成長するものづくり」を目指します。

RubyKaigi の実行委員のお仕事を通じて気付いたんですけどね、会場を下見して、そこに参加者がいる場面を想像し、そこで必要とされるものは何か、とか、ここで困る人はどんな人か、とか、ここにこれがあったらテンションが上がる、とか、そういうことに想いを巡らせてものをつくるのって、本当に楽しいんですよ。自分には向いていると思いました。生きている人のことを考えて、ものをつくる。とっても当たり前のことですけれど、それを突き詰めたものを、自分のお仕事にしたいです。

もし興味があれば、ぼくまで話しかけてください。喜んでお話します。

まとめ

3年半ほど勤めたサイジニア株式会社を退社しました。大学時代からこれまでの間に、本当に多くのことを学べる環境があったこと、とても感謝しています。どうもありがとうございました。最終出社日に事業の成果報告を聞いて、ただただ感心しました。サイジニア社員の皆さん、ずっと応援しています。大成功を目指してがんばってください。これからもちょくちょくお会いする機会はあるでしょうから、お互いに、いつ会っても胸を張って話せるように、カッコイイ日々を過ごしましょう。ありがとうございました。これからもよろしくお願いします!

これから、心機一転、新しいことに挑戦します。とはいえ、サイジニアでの日々と、それ以外のコミュニティ活動から得たものを、存分に発揮できる、やりがいのあるお仕事を見つけられたので、これまで通りに、自分が大事だと思うことを大事にして、マイペースの全力で前進を続けます。1日も早く、皆さんの目にも見えるような成果を出して、ドーンと自慢したいと思っています。

オレはようやくのぼりはじめたばかりだからな。このはてしなく遠い「ものづくり」坂をよ…

〜未完〜

「LDD’11/Fall in KUSHIRO」に登壇します

ありがたいご縁がありまして、2011年9月17日(土)に開催される LDD’11/Fall in KUSHIRO に登壇することになりました。講演をひとつ、と、パネルディスカッションにも、パネラーとして参加します。釧路にいた頃の自分は、釧路市の副市長さんと並んで登壇する機会が巡ってくるなんて、想像もできなかった。

お話したいこと

タイトルは「いま、ここから見える釧路。」としました。いつも通りの、直前まで内容を変更しても大丈夫な、ふわっとしたやつです。

釧路で過ごした時間が、約7年間。釧路を離れてから今日までの時間は、気が付けば、釧路で過ごした時間よりも、長くなっていました。釧路を離れてからの活動の中で「あっ、これは釧路時代の自分に教えてあげたい」というものを、いくつか見つけました。今回は、それをお土産にして、釧路の皆さんに会いにゆきます。

いま、ここから見える釧路。

釧路はね、市内町内の景色を眺めているだけで色々なことを思い出してしまって、涙腺が忙しくなるのだよー。万全の体調で臨みたい。楽しみにしています。それでは、よろしくお願いしますー!しゃきーん!

Simon Sinek の「How great leaders inspire action」を見て

Simon Sinek: How great leaders inspire action | Video on TED.com

このトークがとっても刺激的で面白かったので、これを聴いて感じたことをメモしておきます。


(日本語の字幕付きです)

「Why」「How」「What」

Why, How, What

彼は、物事を説明するときに「What、How、Why」の順番 (上の図でいうと、外側から内側へ) でお話するのはよくない、と論じています。大事なのは中心にある「Why」である、と。「これは、私の意見ではなく、生物学がそう言っている。心理学でもなく、生物学が」と強調しているのがとても面白かった。どういうことなの、と思った方はトークを聴いてみてください。具体例もあって、分かりやすい内容です。

この「Why、How、What」の3層構造のお話と、例となるエピソードを聴いて。自分は、あることを思い返していました。それは、ある町の駅前通りに掲げられた「暴力追放」の文字です。人の目につく、大きな看板に、大きな文字で、その4文字が書いてありました。

自分は、それを見て、なんだか悲しい気持ちになったのですね。こんな平和な町の、駅前の、人がよく通る場所に、「暴力」だなんていう、平和を遠去けるような意味の、平和を脅かしてしまいそうな字面の言葉が、どうして掲げられなきゃいけないんだ。いやいや、後ろに「追放」と続いているのは知っていますよ。その、忌むべき対象を「追放」するための運動だってこと、頭では理解できていますよ。

そうそう、これはきっと「What」を全面に押し出した看板なのでしょう。「なにをするのか」に対して「暴力を追放する」を示した看板なのでしょう。だけれども、Simon Sinek の主張に共感して言うのならば、ここには「Why」が掲げられるべきです。住人のみんなは「暴力を追放したい」のではなくて「平和に暮らしたい」のではないでしょうか。もし「あなたは暴力を追放したいですか」なんてアンケートがあったとしたら、そいつはもはや暴力的だと思います。

本当に「暴力」をなくしたいのならば、その2文字を一切つかわずにやるべきことを話し合う、というワークショップでもやってみたらどうかしら。

明文化しやすいのは「What」

これもトークの中で言われていることで、明文化しやすいのは「What」です。「Why」に比べると圧倒的に明文化しやすい。

ぼくは、いくつかのコミュニティの運営に関わっているのですが、いわゆる「開催ノウハウ」的なものを明文化するのには、少し反対しています。反対しているというか、懸念があって、あまり積極的に取り組めずにいます。

なぜかというと、開催ノウハウみたいなものを書くとき、油断すると「What」ばかり書いてしまうのですよね。「これをやりました」「これもやりました」「それもやりました」と書くのは、簡単です。やったことは、列挙しやすいです。一方で「Why」を書くのは、とてもとても大変です。どんなことを考えて「How」や「What」に落としていったのか。想いを巡らせている時間は長く、思考は行ったりきたりするし、自分が考えていたことを順番に思い出すことさえ、ままなりません。それを人に伝えられる形で書くなんて、想像もつかないくらい大変な作業だと感じます。

そうして「What」だけを書き出してしまうと、肝心な「Why」が抜けるんですよね。まるで「これをやれば必ずうまくいく」みたいな「What」のリストに見えてしまったとしても、それは大きな誤解です。問題なきところに、解決策なし。

今のところの考えとして、自分が「Why」を誰かに伝えるには、短くない時間を一緒に過ごし、同じ問題と向き合い、一緒に考えていくしかないんじゃないかなぁと、思っています。少なくとも「文章だけ」で伝えるのは不可能だと感じていて、大事なお話のときほど、文章ではないモノを通じて、伝えるようにします。これも、Simon Sinek のトークの内容と矛盾しません。

余談

こういうかっこいい「トーク」を見ていると、自分も「プレゼンテーション」じゃなくて「トーク」をしたいなって思ってしまいます。身体の外に用意してきたものをお披露目するのではなく、自分の内にあるものを伝えるために、話す。発表資料とか呼ばれるものは、内にあるものを伝える補助装置として活用するに留める。

これもきっと、トークの中に出てきた生物学のお話で説明できるんじゃないかな。

来週末も、ありがたい登壇の機会があるので、自分のトークをできるように、がんばってみようと思います。意気込みジューブン!

まとめ

Simon Sinek の How great leaders inspire action を聴きました。生物学の観点から、物事について話すときは「Why、How、What」の順番がよい、という主張に共感しました。身のまわりの例を持ってきて、その主張をどう捉えるべきか、考えてみました。自分が誰かに何かを伝えるときに、ちゃんと「Why」を伝えられているだろうかって、あらためて考えました。

彼の主張の体現になっている「彼のトーク」はとてもかっこいいので、自分もあんなふうにトークしてみたいなって思いました。