カテゴリ「Thinking」のエントリ

「情熱プログラマー」を読んだ

ある朝、気まぐれにいつもより早く家を出ようとしたら、覚えのない郵便物が届いた。何かなぁと思ったけれど、宛先は確かにボクだったので受け取った。中身は「情熱プログラマー」だった。差出人の記載はなく、とにかく「自分はこれを読むべきなんだな」と理解した。よし、読もう。

情熱プログラマー

飢えと乾き

働き始めて、給料をもらいながら生きるようになって、もうすぐ丸2年になる。この2年でボクは何を成しただろうか。足が前に出ている実感はある。少なくとも、同じ場所に留まり続けてはいない。じゃあ、その足はどこに向かっているんだ。自分の向かいたい場所に向かっているだろうか。自分がたどり着きたい場所に近付いているだろうか。

ときに自分を見失うことがある。

ボクの能力は、ある方向には伸びていても、別のある方向には伸びていない。そんな風に感じることがある。そして身の回りの何人かから「君の力じゃ物足りない」と立て続けに言われ、悔しいけれど返す言葉もなかった。美味しい料理とお酒では癒せない飢えと乾きに襲われた。

「もっと成長したい。自分を上へと押し上げるだけの力が欲しい」

もちろん、祈るだけでは何も手に入らない。この「情熱プログラマー」には、すぐに実践できる戦術がたっぷり載っていて、今の自分には大変ありがたいものだった。

内容メモ

特にグッときたのは「19: 今すぐに」「21: デイリーヒット」「24: 今日どれだけうまく仕事ができるか?」「25: 自分にどれだけの価値があるか?」「27: 保守作業の真価を知る」「28: 8時間燃焼」「32: 言って、成して、示す」「52: 昨日よりよく」あたり。

ボクが身を置いている労働環境は、この本の中で言われている「システム開発」の文脈から見ると少し特殊なので、これらを書いてある通りにそのまま実践すると効果が低そうだ。自分の環境において考慮しなければならないことはなんだろう、ひとつの工夫を取り入れれば自分の環境にも取り入れられそうだ、なんて適応を考えるのは、それ自体に価値が宿るように思えた。

日単位でも週単位でもいいから自分にとって適切な単位で目標を設定し、その達成状況を追跡調査するだけで、自分の行動を大きく変えることができる。目立った成果を調べ始めると、自分の行動をビジネスにおける価値に基づいて評価し、優先順位をつけられるようになる。

21: デイリーヒット (P.72)

うむ。目標を設定することと、目標が達成されたかを明確にすること。

退屈な仕事を同僚との競争に変えよう。そして誰がうまくできるか確かめる。

24: 今日どれだけうまく仕事ができるか? (P.80)

毎日の仕事が退屈だって言っているんじゃあない。仕事の中には、自分が退屈に感じてしまうものもある。そいつすら楽しくこなせるようになれば、仕事の質が上がるはずだ。

僕がこんなふうに考えるようになった頃のことを今でも思い出せる。最初の頃は、寝ても覚めてもそのことしか考えられなかった。1ヵ月くらいすると、こう思うようになった。「今月、僕は何を生み出しただろう?」そのうち1週間とか1日の単位で考え始めるようになった。「今日、僕には価値があっただろうか?」

(途中略)

給料の2倍を忘れるな。年間で少なくともこの数値を上回るまで決して逃げちゃいけない。

25: 自分にどれだけ価値があるか? (P.82)

仮に僕が君に10万円を手渡してコーヒーを1杯持ってくるように頼んだとしよう。君が10万円を使ってしまって、しかも手ぶらで戻ってきたら、僕はがっかりするだろう。本当においしいコーヒーをたっぷり持って帰ってきてくれた場合でも、戻ってくるまでに2時間かかったとしたら、やはりがっかりするだろう。逆に、お金を全く渡さずにコーヒーを1杯持ってくるように頼んだとする。そしたら実際にコーヒーを持って帰ってきてくれただけで心底感謝するだろうし、そのまま戻ってこなかった場合でも仕方ないって理解を示すはずだ。プロジェクトの仕事は、この例でいえば前者だ。保守作業は後者に似ている。

27: 保守作業の真価を知る (P.87)

「メンテナンスだって自由で創造的にやれる」とも書いてあった。これも改めて教訓。「これは退屈な仕事だ」と感じてしまうのは自分であって、仕事の内容がすべて悪いわけではない。逆に、他のみんながやりたがらないような作業に積極的に臨み、そこに創造性を与え、言われなくともコーヒーを持ってくるような仕事ができれば、価値を生み出せるはずだ。

Bob Martin の8時間燃焼の考え方は、開発者に制約を課すとともに、その制約に対処する方策を示している。毎日、職場に着いたら、使える時間はわずか8時間!やって、やって、やるしかない!という気構えで作業に取りかかる。開始と終了の時刻に厳しく制約が課されていると、時間をきちんと管理して、より有効に活用する習慣が自然と身に付いてくるだろう。

28: 8時間燃焼 (P.91)

計画に組み入れるすべての項目には、その後どうなったかを書き込めるようにする。これは絶対に忘れないでほしい。どの項目についても、完了したか延期されているか削除されたか別な項目に置き換わっているかが目に見えるようになっていないといけない。どうなっているかわからない項目を残さないこと。

32: 言って、成して、示す (P.104)

今の自分のやり方に、よくないところがひとつ見つかった。計画を示し、完了したものはリストにしているが、「やる!」と言ったけどうやむやになったものは可視化されていない。自分の弱点を知る機会を逃していたと言える。今日からは、計画時のリストと、実際にどうなったかのリスト、常に2つを持つようにしよう。

小さな改善で満足することも大切だ。「単体テストへの取り組みの改善」という目標に近づくには、昨日より1つ多くテストを作成するだけで十分。初日がゼロだとしたら、毎日昨日より1つ多くテストを作成するくらいなら続けられる。そして、これ以上は無理というところまでくれば、「単体テストへの取り組みの改善」は達成しているはずで、もう改善を続ける必要はない。

52: 昨日よりよく (P.163)

仕事における「成果」と「満足度」は必ずしも正比例の関係にはならないと、今のチームで過ごす日々の中で体験として学んだ。「目標を10にした日の成果10」と「目標を50にした日の成果10」は、成果の大きさが同じでも満足度は同じにならない。目標設定はとても大切だ。そして、満足度はバカにしてはいけない。心を健全な状態に保っていないと、単調な作業はこなせるかもしれないが、創造的な仕事はできない。

思考メモ

著者の Chad は、本書の中で、しばしば彼自身の「ジャズミュージシャン」としての体験談を語り、その度に「ミュージシャンとプログラマのキャリアには似ている点がある」と主張する。ボクもプログラマってのはアーティストやアスリートに似た性質があると感じていて、つまりボクらは、コードを書いている間だけプログラマってわけじゃないってこと。きっと他の多くの職業でもそうだと思うんだけど、仕事とそれ以外を「完全に」切り離すのは難しい。

日々を楽しくしようと思ったら、仕事を楽しくするってのはひとつの方法だ。だけど、ただただ「楽しくなるようにがんばれ!」と言うのでは、1冊の本にはならない。

本書のひとつひとつの項目を、自分は「動機付け」の話として理解した。今の自分の立ち位置、明日の居場所、将来の到達点。それぞれに与える意味と、そのときに体現されることと、プログラマとしてのキャリア。そしてどこに向かうにしても、ボクらの体を前に進めるのは「情熱」であると。

これからを生きる自分に、熱いものを与えてくれる本でした。ありがとうございました!

foursquareで遊びながらここ数年のソーシャルなんちゃらを想う

foursquare を利用する日本人ユーザが急速に増えている。きっかけは2010年1月18日の、このエントリでしょう。

Twitterの次はこれじゃね?今一番イケてる(と僕が思っている)『foursquare』について調べてみた - IDEA*IDEA ~ 百式管理人のライフハックブログ

ボクは例によって「とりあえずアカウントだけ取得した」状態だった。確か TechCrunch Japan の「位置情報サービスってなにそれおいしいの?」に答えてみるを読んで foursquare に登録したのだったと思う。

foursquare

「自分のまわりにユーザがいないと何も楽しめない」のは「他のユーザを友達登録して遊ぶ」ソーシャルなんちゃらの常で、しばらく放置していた。そして、この数週間の大流行だ。一気に foursquare 上での Friend が増えて、見える景色もずいぶんと変わった。

よくある「ソーシャルなんちゃら」の特徴を持ち、誰もが難なく思い付く「モバイル端末からの位置情報ポスト」ができ、かつ「ゲームっぽい」要素が散りばめられた foursquare に触れていると、ここ数年に体験してきたソーシャル系アプリのことを想わずにはいられない。

このエントリでは、各サービスや各アプリケーションの批評をしたいのではなくて、それらによって自分の生活、行動、思想にどういった影響があったのか、思い出しながら記録してみたい。きっと1年後には、ボクはまた別の新しいアプリケーションで遊んでいて、昔の気持ちを思い出したくなるはずだ。そのときのために記録する。

ゲームとしての foursquare

foursquare は「ゲーム」である。ボクが抱いている印象だ。

他の多くのソーシャルなんちゃらと区別するために「ゲーム」と呼ぶのは、foursquare 上でユーザに何かを与えるのは「他のユーザ」だけではなく、foursquare そのものだからである。具体的には「Point」や「Badge」や「Mayor」によってそれらは目に見える。

序文の中で「自分のまわりにユーザがいないと何も楽しめない」とは書いたものの、使い始めたときに実際にそう思ってはみたものの、実は foursquare はそうでもない。ひとりで使っていても、システムがそれなりに相手をしてくれる。foursquare を使えば使うほど Point が貯まるし、「おめでとう!あなたはこの地の Mayor (代表ユーザ) になりました!」とか「ついに Superstar の Badge (称号) を獲得しました!」などと、ユーザを「乗せて」くれるのだ(といっても今のところ Point をお金などに交換できそうな気配はない)。

だからボクは foursquare を「ゲーム」と呼ぶ。

付け加えて、foursquare の iPhone アプリには Point のランキングを見せてくれるビューがあって、これまた上手にユーザを煽ってくれるので、ソーシャルゲームと呼ぶのもいいかもしれない。

The stats

さぁ、ボクと一緒にこのソーシャルゲームで遊ぼう!なーんて!

foursquare :: june29

brightkite と foursquare

brightkite

ボクは brightkite.com がとても好き。2008年11月21日に invitation を受け、ちょくちょくポストするようになったのは2009年の5月。かれこれ半年以上も愛用している。

brightkite は「Twitter + 位置情報 + 写真」って感じで楽しむアプリケーションで、普段は行かない場所に行ったときとか、写真付きで何かを言いたいときは、brightkite の iPhone アプリからポストを楽しんでいる。

foursquare を楽しむようになって、brightkite へのポストは減った。「位置情報で遊ぶ」「iPhone で遊ぶ」あたりの特徴が重なるので、当然と言えば当然かも知れない。自分にどんな変化が起こったかを観察してみると面白い。

最初に foursquare に触れたときは「foursquare はソーシャルゲーム、brightkite は他のソーシャルなんちゃらの流れを汲むライフロギングアプリケーション」と感じた。

普段の生活の中で身を置く場所。たとえば自宅や勤務先、通勤経路となる駅などに Check in したくなるのは断然 foursquare だ。foursquare には Mayor という「その場所を代表する人」の仕組みがあって、同じ場所に頻繁に Check in するとユーザに Mayor の称号が与えられる。brightkite においては、同じ場所に繰り返し Check in するモチベーションを見つけられなかった。

brightkite を使い始めた頃から気付いていたことで、ボクらは「今いる場所の住所や緯度経度をポストしたい」わけではなく、「今いる場所を代表するような呼び名をポストしたい」のだ。ほとんどの人は「東京都新宿区新宿3丁目38-1なう!」ではなく「新宿駅なう!」もしくは「新宿なう!」と Twitter にポストする。さて、ここで問題なのは、その「呼び名」が検索しても見つからなかった場合のフローだ。

brightkite も foursquare も、ユーザが「場所」を新規登録できる仕組みがある。brightkite では「場所」の登録時に「住所」の入力が必須であり、これがユーザを新規登録から遠ざけているように感じる。ボクは何度か「あ、検索しても出ない。住所も分からないからあきらめよう」となったことがある。一方、foursquare では、検索で所望の場所が見つからなかった場合、検索語をそのまま「呼び名」として登録できるフローがあって、住所の入力は省略できる(気が向いたときにブラウザから編集してもよい)。さらに、新規登録したユーザには Point まで与えられて、登録が「歓迎される」つくりになっている。

brightkite を使っていて、「そもそも、登録されている場所に偏りがある」と感じることもあった。たとえばとちぎRuby会議02に参加するために西那須野公民館に行ったときのこと。公民館自体は brightkite で見つけられないのに、公民館のトイレはすぐに見つかって、仕方がないから、みんなでトイレに Check in した。

トイレにチェックイン!

公民館よりもトイレの存在が重要視される「場所のデータベース」と考えると、「カーナビ用データベース」が裏側にはあるのかもしれない。余談でした。

Twitter と foursquare

foursquare は Twitter と「完全連携」している。なんと、ユーザページの URL (ボクでいう http://foursquare.com/user/june29 のこと) のユーザ名部分は、Twitter のユーザページの URL と同じものになる。

これが何を意味するかというと、foursquare にアカウント登録して、Twitter のアカウントと統合すれば、「Twitter の following で foursquare を使っている人」をいきなり一覧できるってことだ。いわゆる Social Graph、考え方自体は何年も前から存在しているけれど、foursquare は思い切って Twitter を密な連携先に選んだ。これは2010年初頭においては極めて効果的な現実解かもしれないな。最強かもしれない。DataPortability.org が理想的な設計を行って、理想的な実装が登場するのを待つよりも、不安定ながらとりあえず元気に動いている Twitter の蜜を吸うのは妥当な戦略だと思う。Twitter ジュース美味しいです!

その上でひとつ分からないのは、なぜ foursquare 上の表示名に Twitter の screen name を採用しないのか、ってこと。First name と Last name で表示名を作るの、そんなに大事だろうか。Twitter で知りあって、実名を知らないような Friend さん、screen name で表示してもらわないと誰か分からなくて困ること多し!

Tumblr と foursquare

Tumblr は優しくて、とても好き。

「Tumblr は、自分さえ楽しければ他に何も要らないってことを教えてくれた」って声を以前にどこかで見聞きしたような覚えがあって、ソースは見つけられなかったのだけれど、とにかくボクはこの声に共感している。

foursquare の Mayor の仕組みは面白くて、新宿駅の Mayor になろうと思ったら(Mayor はひとつの場所にひとりなので)競争率が高くて相当な労力が必要になるけれど、誰もいないところを狙えば誰でも簡単に Mayor になれる。Friend の最近の Check in を眺めていると、みんなけっこう Mayor な場所を持っていて、画面に「王冠のアイコン」が踊っていて楽しい。ユーザのプロフィールページに Mayorship として表示されるのは、「最も頻繁に Check in している場所」ではなく、そのユーザが Mayor な場所である。頻度で場所をピックアップしてしまうと、多くのユーザのプロフィールページに「新宿駅」等のメジャースポットが並んでしまうが、そうではなく、より強くそのユーザを特徴付ける場所がプロフィールとして表示される。上手い。

foursquare

地方ユーザの brightkite や Twitter に対する反応で「近くに他のユーザがいないとつまらない」という声を聞くことがある。foursquare にも同様のことが言えるかもしれないが、Mayor 制度がそういったユーザにも楽しみを与え得るんじゃないかな。「この地域に関しては俺が誰より詳しい!」を示せるユーザプロフィールページになっている。

この「俺は俺で楽しいんだよ!」と、ユーザごとに自分の楽しみ方ができて、他のユーザの楽しみ方に大きく干渉しない仕組みは、Tumblr の楽しさを思い起こさせてくれた。

成長期として見る foursquare

foursquare を brightkite と比較したときは、foursquare に有利なように書いた。けれども、foursquare に写真を投稿することはできないし、他のユーザのポストに対してコメントを書いたりもできない。brightkite にしかできないこともあるので、現状、ボクは両者を使い分けている。

今後、このパワーバランスがどうなっていくかは分からない。どちらか一方が、もう一方の特長を取り入れて成長していくことは大いにあるだろう。それにしても、foursquare のバランス感覚というか、決断の背景に強い意志がありそうな感じ、ただならぬ覚悟を感じる。

「あれ、他のユーザのタイムラインって見れないのか」「コメントできないんだっけ」などと感じていて、ボクが「あっても良さそうと思う機能」がいくつもなかったりする。機能に優先順位を付けて、今は「本質のみを最速で」創ることに注力しているんじゃないかと予想している。「そんな機能は不要だから実装しない」と中の人が判断しているのだとしたら、きっと今のボクが想像もしていないような世界を彼らは描いている。今後、追加されていく機能、変化していく様子を見ながら、foursquare が実現しようとしている世界の姿を知っていきたい。

ところで、今の foursquare が最優先していることとはなんだろう。試しに考えてみる。それは「ひとつでも多くの位置情報付きデータをポストしてもらうこと」じゃないだろうか。それ以外に何かあるだろうか。

ゲーム要素を持たせてユーザを乗せるのも、ポスト数を増やすため。Point 制も、Mayor の仕組みも、場所の新規登録を歓迎する仕掛けも、ポスト数が多くなるようにデザインされている。とにかくたくさんのデータを集める。膨大な数の位置情報付きデータを集める。その思惑に向かって、今のところ順調に進んでいるようだ。

foursquareの1週間でのチェックイン回数が100万回を突破。成長規模は1ヵ月で2倍

じゃあ、データが集まったあとはどうしようか。たとえば、iPhone から位置情報に応じたデータを閲覧できるビューアを用意してみようか。そこに広がる景色は、セカイカメラが目指した世界なのかもしれない。ボクはまだ試せていないのだけれど、ビューアとして使えそうな FoursquareX という Mac OS X 用の foursquare クライアントもすでに存在している。「何か」が一気にひっくり返る瞬間は、そう遠い未来ではないだろう。

ソーシャルなんちゃらは「便利なもの」か「楽しいもの」か

このブログで、これまでにも何度かソーシャルなんちゃらの「便利さ」と「楽しさ」について書いてきた。

2010/02/11 22:45

ユーザが生成するデータから「便利さ」につながるような「価値」を捻出するためには、ある程度の「量」が必要となる。では、その量をどのようにして集めるか。「あなたがデータを生成してくれさえすれば、これだけ便利になるんです」と懇願するか、「楽しんで使ってもらう」ことでデータが生成される仕組みを作るか、大きく2つの方法がある。そんな風に考えることもある。

だけれども、今のボクは「楽しんで使ってもらう」そのこと自体に大きな価値があるととらえている。そして、楽しそうにしている人がいる「場」には、自然と人が集まってくるものだ。成功しているソーシャルなんちゃらは、例外なくそういった「場」を生み出している。

ボクが研究室に在籍していた頃、2004年ぐらい。「Web をもっと便利にしよう」みたいな大きな流れがあった。Web を研究対象として見ていたらから、そう感じていたのかもしれない。当時、「集合知」という言葉をよく見聞きした。また、「衆愚」という言葉も同じくらい見聞きした。

それが「賢いもの」であれ「愚かなもの」であれ、どちらも「人がたくさんいる状態」のお話をしている。ソーシャルなんちゃらってのは、つまりはそういうことか。人をたくさん集める、人から生み出されるデータをたくさん集める、それが根幹だ。そうして集まったデータを活かすか殺すか、それは次のフェーズのお話だ。

まずは何より人をたくさん集めること。そのためには「楽しさ」が不可欠であること。「楽しさ」が宿る場を用意すること。「楽しさ」そのものに価値があること。foursquare で遊びながら、ボクが考えたこと。

「集合知」の体現例として挙げられることのある Wikipedia もソーシャルブックマークも、便利であるより先に「楽しい」ものだとボクは思う。Wikipedia の上で適当にハイパーリンクをたどっていて「こんなことまで書いてあるのか!」と笑ってしまうことは少なくない。

今の foursquare には「楽しさ」がある。これから状況は変わっていくだろう。さらに人が増えれば「Mayor の私に断りも入れずに Check in だなんて、非常識だと思いませんか。この Venue は無断 Check in 禁止です」なんてネタが飛び出すかもしれない。向かう先にある「便利さ」や「お金の匂い」を嗅ぎつけて人が増えると、空気は変わってしまう。それを悪いと言うつもりはない。ただ、個人として、ひとりのユーザとして、悲しいと思ってしまうことは、ある。

Twitter はまさに今、人が集まってきたところだ。最近読んだ記事の中で、グッとくる表現があった。

すごろくやの「フォロワーの数×1円割引」キャンペーンは、1回きりで終わる見通しだ。「初めてだからこそ面白がってもらえた。あまり続けると悪用する人もでてくるし、フォロワー数の意味が変わってしまう」ため。今後もまた、別の形でTwitterを活用していきたいと丸田さんは話している。

「フォロワー数×1円割引」——太っ腹な“Twitter割り”はなぜ可能だったのか - ITmedia News

「フォロワー数の意味が変わってしまう」と言っている。この表現に込められているであろう意味に、強く共感した。

ボクはソーシャルなんちゃらを「場」だと捉えている。この「場」を「ツール」だとみなすと、途端に世界の見え方は変わってしまうのだ。このことを忘れたくない。このエントリで今の気持ちを記録しておきたい。

謝辞

テキストチャットを中心に、いつも「ソーシャルなんちゃら」に関する議論の相手となってくれている @darashi さん、@snoozer05 さん、@kei_s さん、どうもありがとう!みんながいなかったら、ここまで考えを整理できていません。このエントリには、みんなの言葉がたくさん含まれています。みんなの言葉は示唆に富んでいて素晴らしい。

2010年のテーマ

新年,明けましておめでとうございます!無事に2010年を迎えることができてホッとしています.

今年の自分のテーマは「Presence」に決めました,これから1年,自分の存在意義を探しながら,社会の中で,集団の中で,チームの中で,存在感を示せるように日々を過ごしていこうと思います.

寅 Tiger

2009年は,先を行く人たちの背中を追いかけて,いくつも新しいことにチャレンジできました.「自分らしさを発揮するために,ここは押さえておこう」という「自分なりの戦い方」も見つかりました.

しかし,ふと,自分よりあとからきた人たちの活躍に目をやってみると,ものすごい勢いで成長している人たちばかりで,うかうかしていると自分の居場所なんてあっという間になくなるなぁなんて感じたのでした.

だから,揺るがない「Presence」を見つけたい.そうそう,初詣の行きと帰りに見た月は,とても大きくてキレイで力強かった.願わくば,あのとき見た月のような存在感を.

Fullmoon

そんなわけで,今年もよろしくお願いします!

2009年をふりかえって

去年は,12月の前半からふりかえりを始めていて,ゆっくり寝かせた文章をエントリに起こした気がする.今年はこの文章を書き始めたのが12月31日の夕方.年を越してしまう前に書き上げて投稿するよ.

4つのトピック

今年はどんなことがあったかなーって考えながら,浮かんだキーワードを MNEMOSYNE につらつらと書き出してみた.書き留めておきたいトピックは4つ見つかった.

  • メンタル
  • プログラミング
  • コミュニティ
  • 写真

メンタル

公私問わず,精神的にきつい時期が2回ほどあって,そのときに学んだことがある.

ここで引用を.

私は「反省会」(ちょっとネガティブな感じ)と訳さずに、「ふりかえり」と訳すことにしている。 「ふりかえり」が、従来の「反省会」や「問題分析会議」と違うのは、それが全員参加で、かつ、参加者の「感情」部分の働きかえるものであり、建設的だ、ということ。誰かを非難したり、問題を抽出することが目的ではない。メンバーが、次のステージへ向かうための勇気を得ることが目的だ。

プロジェクトの「ふりかえり」 — Retrospectives by Norm Kerth:An Agile Way:ITmedia オルタナティブ・ブログ

1年前,ボクは「ふりかえり」という語彙を持たなかった.「反省」という言葉は知っていて,何か一仕事終えたときに,自分やチームの「よくなかったこと」を列挙することはしばしばあった.そうしたやり方を捨てるように教えてくれたのは先輩だ.「じゃあ,次に何をしようか」を考えられるようになったとき,ボクがネガティブなイメージを伴って行っていた「反省」は,次にもっと上手に振る舞うための「ふりかえり」に姿を変えた.

そんな風に意識が変わってから改めて手に取ったのが「アジャイルレトロスペクティブズ」で,この本の「日本語版へのまえがき」の中に,先に引用した平鍋さんの言葉がある.

4274066983 アジャイルレトロスペクティブズ 強いチームを育てる「ふりかえり」の手引き
角 征典
オーム社 2007-09

by G-Tools

今年,ボクは「日々のふりかえり」を始めた.もちろん,明日をより力強く生きるためのものだ.このとき,大事にしている言葉は「悪いことにはならない」です.ふりかえりを行って,自分のやれることをすべてやったからといって,何もかもが上手くいくわけではない.だけどきっと「悪いことにはならない」って,それだけは心から信じてよくて,いつも勇気づけられている.

アジャイルレトロスペクティブズ

学んだことは「前への進み方」です.今度また,きつい時期が訪れたとしても,前を見て足を出し続けたい.

プログラミング

これまでの人生の中で,最もプログラミングを楽しんだ1年だったんじゃないかと思う.活動の成果はほとんどすべて属する会社の内部にしかなくて,外に向けてアウトプットできていないのはちょっとした心残り.

最近になって「プログラマの種類」みたいなことを考えていて,自分が取り組みたいことも少しずつ的を絞れてきた.これについては年明けに改めて書くつもり.一口にプログラミングといっても,プログラミングってのは手段でしかなくて,なんのためにプログラミングするかは,プログラマによって異なっている.それが面白い.

コミュニティ

去年に続き,コミュニティ活動に精を出した1年だった.

まず運営.1年を通して,高専カンファレンスの運営全般と,それから g1983ers の立ち上げとイベントの開催に注力した.

RubyKaigi2009にスタッフとして参加できたのも大きい.さらに,終了直後には運営委員長の角谷さんにインタビューする機会に恵まれたこともあって,色んな人たちがそれぞれに想いでコミュニティに関わり,コミュニティの全体像が形成されていくのだと,実体験を通して感じることができた.これらがボクのコミュニティ活動に多大なる影響を与えている.

発表者としてイベントに参加することも少しずつ増えてきた.発表はするのも見るのも聴くのも好き.発表は,人が「壇上と客席」に分かれはするけれど,人と人との会話であることに変わりはないと気が付いてから,ボクの取り組み方も変わった.発表者は,何か伝えたいことがあって発表の場に立っていて,そのときのために準備してきていて,会話を大いに盛り上げてくれる.発表の場の「みんなでひとつの話題を共有できる」感じがすごく好きだ.大切なのは空気を共有すること.

発表に関する本「プレゼンテーション Zen」の P.32 から紹介されている「セス・ゴーディン」の「プレゼンテーションとは、感情を伝えることである」などの言葉にはグッとくるものが多い.

4894713284 プレゼンテーション Zen
ガー・レイノルズ
ピアソンエデュケーション 2009-09-07

by G-Tools

コミュニケーションとは、他人に自分の観点を取り入れさせることである。自分がなぜわくわくしているのか(あるいは悲しいのか、楽観的なのか、など)を相手に分かってもらうことである。正確な資料を作成することだけが目的なら、会議をキャンセルして報告書を提出すればいい。

プレゼンテーション Zen

コミュニティ活動について,もうひとつ.いくつかのイベントに参加して「楽しい!」と繰り返し叫んでいたら,新たにイベントを初めようとしていた友人から声が掛かった.イベントのコンセプトに共感して,キックオフミーティングに参加した.そこで出会ったメンバーたちがこれまた熱い人たちで,その場の雰囲気もよくて,嬉しくなって写真をバシバシと撮っていたら,イベントのカメラマンとして彼らをお手伝いさせてもらえることになった.

とても良いポジティブフィードバックだった.「嫌いなもの・苦手なもの」よりも「好きなもの・得意なもの」を態度でアピールしていこう.小さなところからでも,自分の明日は良い方向に傾く.

コミュニティ活動に「幅」も「深さ」も出てきた1年だった.

写真

最後のトピックは写真です.とてもとても写真が楽しかった.この1年で,数え切れないくらいの写真を撮った.

「写真の雰囲気が変わったよね」と友達に言われて,照れくさかったけど心から嬉しかった.自分でもなんとなく感じられるくらい,自分の撮る写真が変わってきた.写真のことだから言葉にするのは難しいのだけれど,なんというか,1枚1枚の写真に表情が出てきた感じがする.

写真を撮るってのは,この世界に無限に存在するカットの中から,あるひとつだけを選んで抜き出すことだ.無限の中からひとつを選ぶ行為.その無限分の一は,無限分の一の価値しか持たないものだろうか.二度とは訪れないその瞬間を想って写された写真には,人の心を豊かにする確かな力が備わっている.

今年の後半から「もっともっと写真を撮ろう」と思うようになった.ちなみに,ディケイドを見て感化されたわけではない.

友人たちが撮ってくれる「自分の写真」にもお礼を言いたい.自分のブサイクな顔はなかなか好きにはなれないのだけれど,みんなが撮ってくれる写真のおかげで,ずいぶんと愛着を持てるようになってきた.思い切り楽しそうにしているボクの写真を撮ってアップロードまでしてくれる友人たちは,きっとボクのことを嫌ってはいないだろう.どうもありがとう.



写真を撮って感謝されるってのも気分が良いものだ.カメラ好きの友人たちの中に身を置いていると忘れがちだけれど,一眼レフのカメラを持っている人はなんだかんだで少数派であって,友達の結婚式なんかに行くとよく撮影をお願いされる.ボクの腕でよければ,と快諾して,イベント終了後に写真一式を贈ると,これがすごく喜ばれる.ああ,写真撮影をライフワークにしていてよかったなあ.

まとめ

この年末は,あまり人に会うことなく独りで過ごしていて,実はこの文章を書き始めたときには気分がけっこう落ちていた.ネガティブなエントリになったらイヤだなぁと心配していたけれど,ちゃんと前向きなふりかえりエントリになって安心したよ.ゆっくりじっくり1年を思い返してみたら,楽しいこと,ステキなことをいっぱい思い出せるじゃないか.

4つのトピックに分けて書いてみて気が付いたこと.すべてのトピックは,自分の中で「コミュニケーション」につながっていた.「日々のふりかえり」は自分とのコミュニケーション,「コミュニティ活動」は出会いと意思伝達を加速するコミュニケーション,「写真撮影」は友人たちとのコミュニケーションを豊かにしてくれる媒体であり,そしてボクはコミュニケーションの改善に貢献できるプログラマでありたい.2009年は,よりよいコミュニケーションを考え続けた1年だったと言える.

ところで,去年の締めくくりエントリにはこんなことを書いていたよ.

目の前に迫った来年,2009年は,2008年に蒔いたたくさんの小さな種に,水をあげる年にしたいなぁと思っています.人々との「出会い」を「人脈」に,得られた「知識」は「応用」に,この身を巡った「想い」は「感性」に,それぞれ発展させて,日々をますます充実させていきたいです.今年とは,少し立ち回り方が変わるかなーと思っています.

2008年を振り返る! - 準二級.jp

んんー,なかなか上手くいっているようだ.去年から継続して積み重ねたものも,今年新たに見つけたものも,確かにここにある.成長も実感できた.本音を言えばやり残したことはいくつかある…けれど!うん,いい1年だったよ!来年もどうぞよろしくお願いします.

最後に,1年をふりかえるために眺めた,今年書いたエントリたちです.このエントリを入れて63エントリ.毎週ひとつ,ぐらいのペースでは書いてこれたのだなあ.しみじみ.

連絡先としてのTwitterアカウント

今から10年前といえば,ボクは16歳(若い!)で,生活する上で大切なものの上位に「PHS」があった.その2〜3年後には「PHS」から「携帯電話」に変わり,電話番号に加えて「電子メールアドレス」を伴うようになった.10代後半の交友関係においては「メールアドレスの交換」が極めて重要なイベントであった.

一方,ボクがここ1年くらいの間に出会った人たちとは,それほどメールアドレスの交換はしておらず,お互いに「Twitter のアカウント名が分かればよい」と無言の了承が取れる場合が多い.ほとんどの場合において,Twitter のアカウント名はメールアドレスよりも短く,覚えやすく,そのまま呼び名に使えることも多いので,コミュニケーションの媒体としては優れていると言える.

実際のところ,ボクは個人名刺にメールアドレスを記載してお渡ししているが,そのアドレスにメールが届くよりも,Twitter で reply をもらうことの方が圧倒的に多い.

携帯電話のメールアドレス

携帯電話のメールアドレスというものは,昔からあまり好きではない.「メールアドレス」は,個人のアイデンティティを表現するものとしてかなり強力で,重要な役割を担っている.にも関わらず「機種変更したのでメールアドレスが変わりました」なんてメールが大量に送信されなければならないのはおかしい.メールアドレスが「個人」よりも「端末」や「キャリア」に紐づいてしまっていて,個人が使用するあらゆる端末からの自由なアクセスもできない.

ボクが au の端末と,ezweb のメールアドレスをアクティブに使用していたときは,受信するすべてのメールを Gmail に転送するように設定し,受信メールの検索や整理は,PC 端末から行っていた.そうでもしなければ,とてもじゃないが所望のメールを素早く見つけたりできなかったし,「携帯端末が水没したら受信メールも消えてなくなってしまう」という不安がつきまとうのもイヤだった.

ただ,「定期的に交友関係を整理したい」欲求を満たしたり,「メールアドレスが変わった友人から連絡があった」安心を得るためには,こうした「リセット」の仕組みが上手く働くだろうとは思っている.

ボクらが求めるもの

それは結局のところ「コミュニケーション」だ.別に,携帯端末の小さな画面で大量のメールアドレスを管理したいわけじゃないし,堅苦しいご挨拶のメールを送りたいわけでもない.コミュニケーションを楽しみたいだけだろう.

もちろん,メールでやり取りされる内容と,Tweet の内容は同じものではない.メールでしか伝えられないものもあるだろう.だけれど,その逆もまたしかりで,わざわざ宛先を設定してメールで送ったりしない内容のものが Tweet としてポストされたりする.

何より Twitter は日常のコミュニケーションツールとして「十分」である.待ち合わせのシーンで,相手の Twitter アカウントしか分からずに,上手く連絡が取れずに苦労した経験は何度かあるが,それは特殊ケースであって,日常ユースにおいては十分である.ボクらはメールをしたかったのではなく,コミュニケーションを楽しみたかったのだと気付く.きっと,10年前のボクも,そうだったんじゃないだろうか.

Web ネイティブな,今の若い子の感覚も聞いてみたいものだ.