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「ウェブ×ソーシャル×アメリカ」を読んだ

最初から最後まで、不思議な刺激を受けながら読みました。読書メモです。まずは、プロローグの一部を引用します。

構想力が大事になるというのは、このような文脈においてだ。遠からずかつての夢の完成形を目撃してしまう以上、50年前の夢=ビジョンに代わる新たな夢=ビジョンを、私たちはこれから構想していかなければならない。ジョブズやシュミットからバトンを受け取らねばならない時に備えなくてはならない。それはそう遠くない将来に生じることだ。

ウェブ×ソーシャル×アメリカ (P.9) プロローグ「構想力、想像力」

この本が世に出たのは、2011年3月のことでしたが、ぼくがこの本を読み進めている途中に、その「バトンを受け取らねばならない時」をリアルに感じる瞬間が訪れました。2011年10月5日、スティーブ・ジョブズが亡くなったからです。

点と点がつながっていく感じ

本書を読んで、自分の中に「点」として存在していたいくつかのものが、意味のあるつながりをもって感じられるようになりました。この感覚は「パターン、Wiki、XP」を読んだときに感じたものと似ていました。「それと、それと、それが、つながるのか」という感覚です。どちらも書名が「3つの名詞の羅列」であることも共通していますね。おもしろい。

パーソナルコンピュータ、カウンターカルチャー、宇宙船地球号、Whole Earth Catalog、全体性、グローバル・ビレッジ、インターネット、複雑系科学、ネットワーク科学、アソシエーション、コミュニティ、コミューン、Google、Apple、ソーシャルウェブ、デザイン思考、フリーミアム、Twitter、Facebook、人間讃歌。これらのキーワードで、あったり。

スティーブ・ジョブズ、エリック・シュミット、クリス・アンダーソン、ティム・オライリー、ローレンス・レッシグ、アラン・ケイ、スチュアート・ブランド、ケヴィン・ケリー、アルバート=ラズロ・バラバシ、リチャード・ワーマン、ドナルド・ノーマン、マルコム・グラッドウェル、クレイトン・クリステンセン、マイケル・ポーター、ティム・バーナーズ・リー、ビズ・ストーン、ラリー・ペイジ、セルゲイ・ブリン、マーク・ザッカーバーグ。といった人物たちで、あったり。

ひとつひとつ、ひとりひとりは、なんとなく「知っている」くらいのものだったりするけれど、本書の中では、これらの間にある「関係」や「つながり」までを含めて立体的に描かれていて、とてもワクワクしながら読みました。

ところで、余談ではありますが、著者の池田純一さんは「あとがきに代えて」と冠した「ウェブ時代に本を書くということ」の中で「本にしちゃうと立体的に書けない」といった旨のことを言っているのですが、それでも読者であるぼくが立体感を感じ取ることができたのだから、ストーリーってのはおもしろいと思います。

ウェブの情報構造はハイパーリンクが前提であるため、その構造は立体的だ。(中略) ウェブ時代に本を書くということは、この3次元以上の繋がりからなる情報構造をいかにして平面に射影するか、最も効率的な射影方法はなにか、その切り口を作ることなのだろう。そして、この本の場合の切り口は「アメリカ」であった。

ウェブ×ソーシャル×アメリカ (P.309) ウェブ時代に本を書くということ

読書メモ

ユーザーからのフィードバックが常識となった現代から見れば当たり前のことだが、サイクル=循環に基づいたビジネスの見方はそれほど古い歴史をもつものでもない。

ウェブ×ソーシャル×アメリカ (P.36) 第1章 ウェブの現在「複雑系科学」

自分の感覚とはギャップがありました。古くからあるものだと思っていました。

ネットワーク科学の第一人者であるアルバート=ラズロ・バラバシは、パタンではなく「ライム(音韻)」という表現を好む。パタンは視覚的なものを連想させるが、人々の行動類型は不可視であるがゆえに、たしかにライムと呼ぶほうが適切かもしれない。ライムという表現は、また、重ねあわせによって異なるライムを生み出すことも想像させる。

ウェブ×ソーシャル×アメリカ (P.39) 第1章ウェブの現在「ネットワーク科学」

おお、バラバシ先生の考え方、おもしろい!パタンじゃなくてライム。ライム・ランゲージ!セッションできそう!

その協働のあり方に次代の生産様式をベンクラーは見出す。継続する協働である以上、人々の参加動機は、全くの利己的動機でもなければ、全くの利他的動機でもない。互いに得するwin-winの関係を期待するところにある。そして、その期待が実現することを参加者が実際に経験することで、協働関係は社会的事実として強固なものになっていく。

ウェブ×ソーシャル×アメリカ (P.46) 第1章 ウェブの現在「アーキテクチャ法学者たち」

「Wikipedia」や「Linux」の発展を身近なものとして感じている自分にとっては、すんなりと受け入れられる記述でした。すでに強固なものになってきた、と過去形で感じているくらいです。ところで格差と若者の非活動性について (内田樹の研究室)というエントリは、

今の日本社会に致命的に欠けているのは、「他者への気づかい」が「隣人への愛」が人間のパフォーマンスを最大化するという人類と同じだけ古い知見です。

格差と若者の非活動性について (内田樹の研究室)

と、締め括られていましたが、こういった感覚が「次代の生産様式」なのか「古い知見」なのか、どっちなんだろうって興味を持ちました。考え自体は古いけれど、行動に落ちるまでになってきたのが近年、という整理になるのかな。

一方、ブランドは、そうした意匠ではなく、意匠を含む文化現象を生み出した装置、いわばカウンターカルチャーの「精神」の方により強く関心を寄せた。

ウェブ×ソーシャル×アメリカ (P.72) 第2章 スチュアート・ブランドとコンピュータ文化「歴史的場面の目撃者」

LSDやテレビのように、何であれ、精神的拡張や一体感をもたらすようなツールにブランドは強い関心を示すようになった。

ウェブ×ソーシャル×アメリカ (P.94) 第3章 Whole Earth CatalogはなぜWhole Earthと冠したのか「宇宙から見た地球」

66年には、「宇宙から見た地球の写真」の公開をNASAに求める運動を起こした。これは、ブランド自身がLSDのトリップ経験から地球の丸さを鋭敏に感じてしまったことが発端だった。この運動は「宇宙船地球号」を提唱した、デザイン科学者であるバックミンスター・フラーの発想に触発されたもので、地球が球として一つであることを知れば、人々は惑星レベルで物事を捉えるようになると思ってのことだった。

ウェブ×ソーシャル×アメリカ (P.94) 第3章 Whole Earth CatalogはなぜWhole Earthと冠したのか「宇宙から見た地球」

うまく言えないのだけれど、ここ、すごく引っかかりました。ブランドが「意識の拡大」にずっと興味を持っていた、というのが気になります。おもしろい。自分の場合を考えてみると、2004年くらい、研究室に配属された直後に、この世界の「べき乗則」を知ったり、mixiをクローリングすれば社会の形を把握できるのでは、と考えたりできるようになって、確かに、自分にとってまったく新しい視座を手に入れて、軽く狂ったように興奮気味であったことを思い出します。その感覚に近いのかもしれません。

当時の若者の典型的な不安は、大量生産/大量消費を支える大企業という官僚制の中で一つの部品として生きることに対する不安であり、冷戦の進行の中で徐々に現実味を帯びてきた核戦争による人類の破滅への不安であった。

ウェブ×ソーシャル×アメリカ (P.87) 第3章 Whole Earth CatalogはなぜWhole Earthと冠したのか「ヒッピーカルチャー」

自分は2011年の日本に身を置きながら核のこととか心配していないし、そもそも考えないようにしているけれども、前半の半分には強く共感します。ヒッピーの人たち、そうだったのですね。

フラーは、comprehensive designという考え方を提出し、デザイン=設計の際には、全体を見渡した上で、最小資源で最大の効果を得るものが最良のデザインであるとする見方を提唱した。デザインを、単なる意匠と捉えるのではなく、最終的な制作物が利用者に与える効果まで見越した上で行う行為と捉える、より包括的な考え方だ。

ウェブ×ソーシャル×アメリカ (P.97) 第3章 Whole Earth CatalogはなぜWhole Earthと冠したのか「全体を見渡したデザイン」

これも、どちらかというと当たり前だと思っていたので、割と新しめの考え方なのだと知って、少し驚きました。

サイモンは、バックミンスター・フラーとは別の文脈で、最適化過程としてのデザイン、システム設計としてのデザイン、という見方を明確にした。これは、フラーのところでも記したが、彼らのデザイン発想は、個別具体的な意匠の制作、というデザイン対象に接近した視点だけでなく、その制作物がどのような文脈でどのように利用されるのかを全体を俯瞰して考えることを優先する。

(中略)

技術も制度も経済も総合的に検討される、一種の総合科学のポジションを持っている。だから、政治科学を専攻し、集団の組織行動に関心をもつサイモンが、コンピュータという人工物の設計を研究対象にするうちに建築的な発想に近づいたのも全く自然なことだ。コンピュータの特質は汎用性=総合性にあったからだ。

ウェブ×ソーシャル×アメリカ (P.125) 第4章 東海岸と西海岸「ハーバート・サイモン」

ひゃー。サイモンさん、めちゃくちゃおもしろい。ノーベル経済学賞を受賞しているのか。好奇心に対して素直なタイプの人を想像しました。おもしろい。この流れからドナルド・ノーマン誰のためのデザイン?に代表されるような認知工学的デザインに注目が集まるんだとか。おもしろい。

ソーシャル・ネットワークの動きを見ていく上で、常に気にかけておきたいことがある。それは「ソーシャル」という言葉が何を意味するのか、ということだ。

(中略)

しかし、ここからは、このソーシャルという言葉に拘っていきたい。というのも、ソーシャル・ネットワークという言葉も他の数多のウェブサービスの呼称と同じくアメリカで最初に使われた言葉であり、ソーシャルという表現も自ずからアメリカ社会における意味を帯びているはずだからだ。

ウェブ×ソーシャル×アメリカ (P.142) 第5章 Facebookとソーシャル・ネットワーク「ソーシャルという言葉」

本書のタイトルにも触れる部分ですね。確かに、2011年の日本では「ソーシャル」って言葉の使い方には慎重になった方がよさそう、と感じます。何を指しているのか、分からなくなりがちなので。

実際、ザッカーバーグは、『アエネーイス』の一節の、「境界のない世界・国家」という表現を特に好むようで、何度か社内会議でも引用しているという。ひたすらに世界中の人々を「繋げる」ことに駆られているザッカーバーグが『アエネーイス』に惹かれているのは興味深い。

おそらくオープンやトランスペアレンシーをザッカーバーグが主張するのも、彼からすれば、その二つの価値はローマの多民族融和のようなものだからだろう。この原理によってローマ人が創設されたように、オープンやトランスペアレンシーという価値を内面化した人たちが、いわば「Facebookユーザー」という新たな民族を形作ることに期待しているように思われる。

ウェブ×ソーシャル×アメリカ (P.151) 第5章 Facebookとソーシャル・ネットワーク「方向転換を支えた参照点」

参照点、おもしろい。加えて、マクルーハンのグローバル・ビレッジも参照しておくとよさそう、とのこと。

「連合主義」とは、「同志」からなる人々が状況に応じて可変的に組み合わさり、ことにあたることで、多様な人々が多様なまま結集できるとしている。連合主義も同志も直接的にはホイットマンの言葉だ。

ウェブ×ソーシャル×アメリカ (P.175) 第6章 アメリカのプログラム「兄弟社会のアメリカ」

通常、コミュニティ(共同体)は地縁を前提に伝統的に形成された集団とされる。そして、その地縁から解放され、個人の自由な意思によってある特定の区域に作られた相互扶助的な集団がコミューンとされる。

しかし、基本的に移民の入植者によって作られたアメリカの街は、コミュニティといっても必然的にコミューンの性格を帯びる。

ウェブ×ソーシャル×アメリカ (P.176) 第6章 アメリカのプログラム「集団を作り替える」

トクヴィルのいうアソシエーションとは、形はどうあれ、人々がある共通の目的を実現するために自発的に集まった組織のことをいう。そして、アメリカ人ほど、このアソシエーションという技術の活用に長けた人々はいないと評価する。トクヴィルは、アソシエーションの技術は「母なる知識」だとまで言う。アソシエーションの技術とは「手段を尽くして共通の目標の下に多数の人々の努力を集め、しかも誰をも自発的に目標の達成に向かわせる」ような「工夫」の総体として説明される。誰に指図されるでもなく自由に助けあう技術を誰もが習慣として身につける。そのことによって、誰もが原則的に平等であり、その限りで確定した権威が長期にわたり存続することはないデモクラシーの社会的不安定さを取り除くことができる。「母なる知識」というのはそういうことだ。

アメリカは「平等」を是とし、かつ、欧州に比べれば遥かに因習からの圧力のない状態から社会が始まった。そして、何より19世紀の、国土が拡大していくアメリカでは、自発的に自らの街を作っていくことが全米で試みられた。その過程でアソシエーションの技術は全米で実践され、活用されたことになる。

ウェブ×ソーシャル×アメリカ (P.183) 第6章 アメリカのプログラム「アソシエーションの技術」

フランス人であるトクヴィルが見たアメリカという新大陸、の描写がとてもおもしろかったです。なにかというと、これは「日本人である大和田純が見たウェブという新大陸」という写像をまさに想起させるからです。長年に渡って積み上げられてきた因習のある日本と、まだまだ整備の途中であって、これから様々な国や街が創られ形を変えていくであろうウェブと、その対比があるわけですね。「みんな、パソコンは持っていないけれどモバイル端末は持っていて、無線LANのアクセスポイントは整備されていて、日本とはぜんぜん違うルールでのゲームになるからアジアはおもしろいよ」と話してくれる友人は、ネットワークインフラという観点から見たアジア諸国という新大陸の姿を視ているのかもしれませんね。

インターネットはおおよそ1965年頃に構想され95年頃に民間利用への舵を切った。この間約30年間だ。インターネットがいかに私たちの生活に不可欠なものになったかはもはやいうまでもないだろう。30年=ジェネレーションとはそれだけの変化の厚みを持つ。であれば、今この瞬間に思案され、考案されたものが30年後にはリアルなものになる。そう想定するところから始めてみる。そして、そうした「ジェネレーションからの発想」の実践者としてウェブ企業の創始者=ビジョナリたちが存在する。

(中略)

茫洋とした未来ではなく、一里塚となる未来を設定することが具体的な想像力をもたらすことに繋がっていく。

ウェブ×ソーシャル×アメリカ (P.233) 第7章 エンタプライズと全球世界「ジェネレーションで構想する」

本書の主題である「次を構想しよう」の振りとなる部分。30年、という単位はなるほど、と思いました。

ここから先は「第8章 Twitterとソーシャル・メディア」「第9章 機械と人間」と続いていくのですが、終盤にかけて、一気に駆け足になった印象を受けました。ひとつひとつの節には面白味を感じるものの、全体とのつながりはうまく読み取れなくて、ここにメモとして残しておきたいものは拾えませんでした。中には様々な問いかけもあったりして、ちょうど今、事業をつくる日々を過ごしている自分にとっては、触れることができてよかったな、という文章はたくさんありました。よく噛んで消化したいと思います。

「ウェブ×ソーシャル×アメリカ」は、おもしろい本でした。

ウェブ×ソーシャル×アメリカ <全球時代>の構想力 (講談社現代新書)
ウェブ×ソーシャル×アメリカ <全球時代>の構想力 (講談社現代新書) 池田 純一

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Simon Sinek の「How great leaders inspire action」を見て

Simon Sinek: How great leaders inspire action | Video on TED.com

このトークがとっても刺激的で面白かったので、これを聴いて感じたことをメモしておきます。


(日本語の字幕付きです)

「Why」「How」「What」

Why, How, What

彼は、物事を説明するときに「What、How、Why」の順番 (上の図でいうと、外側から内側へ) でお話するのはよくない、と論じています。大事なのは中心にある「Why」である、と。「これは、私の意見ではなく、生物学がそう言っている。心理学でもなく、生物学が」と強調しているのがとても面白かった。どういうことなの、と思った方はトークを聴いてみてください。具体例もあって、分かりやすい内容です。

この「Why、How、What」の3層構造のお話と、例となるエピソードを聴いて。自分は、あることを思い返していました。それは、ある町の駅前通りに掲げられた「暴力追放」の文字です。人の目につく、大きな看板に、大きな文字で、その4文字が書いてありました。

自分は、それを見て、なんだか悲しい気持ちになったのですね。こんな平和な町の、駅前の、人がよく通る場所に、「暴力」だなんていう、平和を遠去けるような意味の、平和を脅かしてしまいそうな字面の言葉が、どうして掲げられなきゃいけないんだ。いやいや、後ろに「追放」と続いているのは知っていますよ。その、忌むべき対象を「追放」するための運動だってこと、頭では理解できていますよ。

そうそう、これはきっと「What」を全面に押し出した看板なのでしょう。「なにをするのか」に対して「暴力を追放する」を示した看板なのでしょう。だけれども、Simon Sinek の主張に共感して言うのならば、ここには「Why」が掲げられるべきです。住人のみんなは「暴力を追放したい」のではなくて「平和に暮らしたい」のではないでしょうか。もし「あなたは暴力を追放したいですか」なんてアンケートがあったとしたら、そいつはもはや暴力的だと思います。

本当に「暴力」をなくしたいのならば、その2文字を一切つかわずにやるべきことを話し合う、というワークショップでもやってみたらどうかしら。

明文化しやすいのは「What」

これもトークの中で言われていることで、明文化しやすいのは「What」です。「Why」に比べると圧倒的に明文化しやすい。

ぼくは、いくつかのコミュニティの運営に関わっているのですが、いわゆる「開催ノウハウ」的なものを明文化するのには、少し反対しています。反対しているというか、懸念があって、あまり積極的に取り組めずにいます。

なぜかというと、開催ノウハウみたいなものを書くとき、油断すると「What」ばかり書いてしまうのですよね。「これをやりました」「これもやりました」「それもやりました」と書くのは、簡単です。やったことは、列挙しやすいです。一方で「Why」を書くのは、とてもとても大変です。どんなことを考えて「How」や「What」に落としていったのか。想いを巡らせている時間は長く、思考は行ったりきたりするし、自分が考えていたことを順番に思い出すことさえ、ままなりません。それを人に伝えられる形で書くなんて、想像もつかないくらい大変な作業だと感じます。

そうして「What」だけを書き出してしまうと、肝心な「Why」が抜けるんですよね。まるで「これをやれば必ずうまくいく」みたいな「What」のリストに見えてしまったとしても、それは大きな誤解です。問題なきところに、解決策なし。

今のところの考えとして、自分が「Why」を誰かに伝えるには、短くない時間を一緒に過ごし、同じ問題と向き合い、一緒に考えていくしかないんじゃないかなぁと、思っています。少なくとも「文章だけ」で伝えるのは不可能だと感じていて、大事なお話のときほど、文章ではないモノを通じて、伝えるようにします。これも、Simon Sinek のトークの内容と矛盾しません。

余談

こういうかっこいい「トーク」を見ていると、自分も「プレゼンテーション」じゃなくて「トーク」をしたいなって思ってしまいます。身体の外に用意してきたものをお披露目するのではなく、自分の内にあるものを伝えるために、話す。発表資料とか呼ばれるものは、内にあるものを伝える補助装置として活用するに留める。

これもきっと、トークの中に出てきた生物学のお話で説明できるんじゃないかな。

来週末も、ありがたい登壇の機会があるので、自分のトークをできるように、がんばってみようと思います。意気込みジューブン!

まとめ

Simon Sinek の How great leaders inspire action を聴きました。生物学の観点から、物事について話すときは「Why、How、What」の順番がよい、という主張に共感しました。身のまわりの例を持ってきて、その主張をどう捉えるべきか、考えてみました。自分が誰かに何かを伝えるときに、ちゃんと「Why」を伝えられているだろうかって、あらためて考えました。

彼の主張の体現になっている「彼のトーク」はとてもかっこいいので、自分もあんなふうにトークしてみたいなって思いました。

WebデザイナやWebクリエイタなんて言葉が指すもの

先日、未経験からWebデザイナー、Webクリエイターを目指す人のためのWordPressとTwitterをつかった就転職活動のすすめというエントリを読みまして、以下のようなコメントを添えて、はてなブックマークに保存しました。

うまく言語化できないのだけれど、この人が見ている業界とぼくが見ている業界には、けっこうなズレがあるように感じる。ニュートラルな位置でこのエントリを読んだ人は、他の人のお話も聞いてみるといいかも。

はてなブックマーク – june29の食べたパン – 2011年9月4日

とにかく「んんー」という気持ちを抱えていたのですね。それで、ブックマークしたあとも、なんだろうなって少し考えていて、そもそも「Webクリエイタ」って、どんな人のことを指して言っているか、差異がありそうだなぁと感じました。

それから丸1日くらい経ったときに、先のエントリの中の人から、次のようなメンションをいただきまして、お返事を書くことにしました。それが、このエントリです。

はじめまして。はてブのコメントをみました。感じた業界のズレ、もう少し詳しく教えていただけないでしょうか?興味があります。

Twitter / @designmap_info

立ち位置の違い

自分は、先のエントリで言われていた「Webデザイナ」とか「Webクリエイタ」ってよりは、「Web系プログラマ」に近い立ち位置だと思います。自分のまわりにいる人たちも、プログラマが多いです。

試しに見てみると、ぼくのはてなブックマークには、お気に入りユーザに登録している人が (現時点で) 187人います。だいたい、この人たちがブックマークしているような情報をぱくぱくとつまみ食いしながら、日々を生きていることになります。ところで、件のエントリは (現時点で) 700人以上にブックマークされているにも関わらず、ぼくのお気に入りユーザの中には、これをブックマークしている人はひとりもいません。

つまり、おおよそ「プログラマ」的な立ち位置の人は、件のエントリと関わっておらず、そうではない「Webナンチャラ」の人たちか、または、そうなりたい人たちが、件のエントリをブックマークしているということでしょうか。

語彙の違い

「Webデザイナ」は、ひとまず置いておくことにして。ここでは「Webクリエイタ」に絞って、考えてみます。はてはて。「Webクリエイタ」って、どんな人のことでしょうか。

自分は、肩書きを気にしなきゃいけない瞬間ってのは、あんまりないのですが、状況によっては「Webクリエイタ」と名乗るときもあります。これまでに関わってきたプロダクトは小さいものばかりとはいえ、Webアプリケーションをつくって動かせるスキルを持っていて、アイディア出しやプロダクト設計にも手を出しますし、実際に「Web上で動作するプロダクトをクリエイションしてきたから」というのが、自分が「Webクリエイタ」を名乗る理由です。

自分の身近にいて、自分が勝手に「この人はWebクリエイタって感じがするなー」と思っている人と言えば、@yusukebeさんや@ruedapさんを思い浮かべます。今までに見たことがないようなものをクリエイションし、届けてくれるからです。

さて、件のエントリに戻ってみましょう。よくよく読んでみると「Webデザイナは〜」という記述はたくさんあって、一方で「Webクリエイタは〜」という文章はほとんど見つからないのであった… だとすると、ああ、これは自分のよく知らない「Webデザイナ」についてのエントリなんだな、と思えば、最初に感じた違和感とはおさらばできそうです。

Webデザイナって?

それでも、まだ、考えてみたいのは「Webデザイナ」って、どんな職業のことを指しているのだろう、ってことです。少なくとも「絵描き」としてのデザイナさんと「設計者」としてのデザイナさんと、2種類は、いそうな気がしています。

それこそ件のエントリで言われている「Webデザイナ」という存在も、いると思いますし、他には、LL Planets での mala さんの貴重講演の中で描かれる「UIエンジニア」ってのも、自分の感覚では「これぞデザイナだ」と感じられるものでした。

でも、それぞれに語られている「こういうことを身につけよう」「こうやって学んでいこう」というお話は、なんていうか、ぜんぜん違うものなんですね。だから、もし、件のエントリを盲目的に読んで「なるほど、こうやっておけば間違いないんダナー」と信じすぎてしまうのは、望ましくないと思いました。決して「間違ったことが書いてあるから信じるな」と主張したいのではなくて、他にも、色んなお仕事があるし、色んな現場があるし、色んな肩書きがあるはずだから、多面的に多様な考えに触れて、その中から、自分に合うと感じるものを選んでいったらよいのではないか、と考えました。

なんだか、むつかしいのですよね。自分が「プロジェクトを手伝ってくれるデザイナさんを探しています」と言わなきゃいけないときに、探している人が、アンビエント・ファインダビリティ検索と発見のためのデザインを読んでいるような「情報デザイン」のスキルを持っている人なのか、そうではなくて Adobe の Illustrator や Photoshop を自分の手足のように操作できるような人なのか、とにかくイラストを描かせたら上手な絵描きさんなのか、上手に区別できている気がしません。

そういったモヤモヤを、ブックマークコメントという、文字数の制約が厳しいところにぶつけようとしてしまって、ふにゃふにゃしたコメントになってしまいました。

まとめ

一応、まとめます。

未経験からWebデザイナー、Webクリエイターを目指す人のためのWordPressとTwitterをつかった就転職活動のすすめというエントリを読みました。「Webクリエイタ」ってなんだろうな、誰みたいな人のことだろうな、って思いました。「Webデザイナ」ってなんだろうな、誰みたいな人のことだろうな、って思いました。

自分が見ているのは「Webアプリケーション開発」で、件のエントリで扱っていたのは「Webサイト制作」である、とふたつに整理すれば、色んなことに納得がいくな、と思いました。

ザ・インタビューズのモチベーション構造を分析してみた

「Business Model Generation」を読み、Business Model Canvas を描きながら世の中で成功しているビジネスの構造を理解しようとするうちに、思考のフレームワークがあると、物事の理解や整理がスムーズになる、と感じるようになりました。

そして先日、チームメイトの @kei_s と、ある Web サービスについて「モチベーション構造は、どうなっているかねぇ」とお話をしたときに、チームの共通言語として「モチベーション構造を図示する」というフレームワークの雛形をつくったのです。

今日は、そのフレームワークの適用実験として「ザ・インタビューズ」 のモチベーション構造を分析してみました。

これまでにも、ぼくが気になった Web サービスや、ソフトウェア、コミュニティ、イベント等々について、誰がコストを払って誰がハッピーになって、どのようにして「まわる」仕組み、つまり継続させられる構造になっているか、なんとなく、考えてはいました。でもきっと、理解できているなら構造を画に描けるはずだし、チームで会話するときに大事にしている「それを指させる状態にすること」に乗っかる意味でも、これからは積極的に、脳内にあるものを描き出していこうと思います。

ザ・インタビューズのモチベーション構造分析

ザ・インタビューズのモチベーション構造分析

登場人物

  • (1) : インタビューする人
  • (2) : インタビューされる人
  • (3) : インタビューを横で聞いている第三者
  • (4) : デフォルトの3つのインタビュー

モチベーション

  • (A) : (1) として、普段はなかなか聞き出せないような話題を振ることができて、楽しい
  • (B) : (2) として、他でもない「自分」にインタビューがきて、嬉しい
  • (C) : (2) として、遠慮なく自分語りができて、満足できる
  • (D) : (1) として、普段はなかなか聞き出せないようなことを聞けて、楽しい
  • (E) : (3) として、面白いエピソードを読めて、楽しい
  • (F) : (3) として、面白いエピソードに「いいね!」できて、楽しい
  • (G) : (2) として、自分のお話を楽しんでもらえて、嬉しい

時系列を意識して「モチベーションフロー」として順序付けて書いてみました。

考察

うん、楽しい人や嬉しい人がいっぱい現れて、素敵なサービスだと思います。ぼくも (2) の人として、ずいぶん楽しく自分語りさせてもらっています。最初にログインしてみたときに、自分は (2) の人としてハッピーになりたいと思ったので、(1) の人が自分にインタビューしてくれるようにと、(4) には一生懸命に答えました。

さて。もし自分が、ザ・インタビューズの中の人だとしたら。懸念するのは (A) の収集が上手くいくだろうか、ってことです。

たぶん、潜在的に「自分語りしたい」って人はたくさんいて、そのおかげで (C) を目指してアクションするユーザは、多いように見えます。それと、コトノハアバウトミー (もう終了してしまいましたけれど…) に慣れ親しんでいた自分は、(B) に気付けていなかったと思うので、ちゃんと (B) を担保していて、すごいなぁと感じています。だから (B) と (C) は今のところよさそうで、そこから派生する (D) (E) (F) (G) も、大丈夫そうです。

そうなると (B) の源となる (A) をいかにして集めるか、に尽きるのではないでしょうか。

人から人への興味は、無尽蔵に沸いてくるわけでもないでしょうから、そこをどうやって支えるかが、直近の勝負になると感じます。第三者が偉そうにすみません… 的外れなこともあるでしょうし、素人の思考実験と思って読んでいただけると助かります。

それと、実は上には書かなかった登場人物として、

  • (5) : インタビューされない人

がいますよね。自分が中の人だったら「これはスケールするの?」と誰かに問われてしまったときには (5) について考えると思います。そういった問いとは無縁であれば、登場人物に含めなくてもよいかもしれません。

比較対象としては、Twitter のハッシュタグのうち「お題っぽいもの」を考えてみました。古典的なところでは #threewordsaftersex とか、最近になって日本語ハッシュタグが許容させるようになったので、色々な「お題を提起するハッシュタグ」があって、多くのユーザがそれに回答する形で Tweet を投稿しています。

でもこれだと (B) の気持ちは、生まれないんですよね。答えたかったら答えればよくて、もしうまいこと言えれば (G) は満たされることでしょう。そうでなかったとしても、そんなに落ち込むこともなさそうなので、期待も低く、利得も低い、といった位置付けでしょうか。

まとめ

思考のフレームワークとして、モチベーションの構造とフローを図示する方法を育てています。その練習として、ザ・インタビューズを題材に、整理に挑戦してみました。Twitter は (5) のような人を生み出しにくく、スケールするモチベーションモデルになっていると感じました。

さて、こんな記事を書いている大和田純さんに興味のある人は、インタビューをしてみてください。ぼくが幸せになりますし、ぼくが何か書けば、他の誰かにも楽しい気持ちをお裾分けできるかもしれません。なーんつって。

Interview29 – june29インタビュー

補足 (最初の投稿から数時間後)

このエントリをパブリッシュしてからも、色々と考えたので追記します。

まず、上に書いてあることは、とても定性的で、定量的なお話をぜんぜんできていないので、分析というには、ちょっと不誠実なところがあります。本来ならば、定量的な指標を用いて論ずるべきところで、じゃあ何を数値化しようか、というお話の前段階として、整理をしました、というところ。「分析」よりは「整理」に近いかもしれませんね。

中の人は、ぼくより定量的なお話をしやすいポジションにいるはずなので、ぜひぜひ定量的に「分析」して、ザ・インタビューズをもっと面白くして欲しいと願っています。ひとりのユーザとして、応援しています。素敵なアイディアの具現化、ありがとうございます!

ユーザインターフェイスの勉強をするために過去に撮ったスクリーンショットを掘り起こすなどしていました

Twitter の Direct Message に仕込んだ JavaScript が動作していた頃

Twitter の Direct Message に仕込んだ JavaScript が動作していた頃

Twitter が文字化けしていた日

Twitter が文字化けしていた日

すべての文字を画像に

すべての文字を画像に

Twitter の follow 通知メール

Twitter の follow 通知メール

Tweet のページ

Tweet のページ

Twitter ユーザのタイムライン

Twitter ユーザのタイムライン

We’re sorry, but buzztter is over capacity.

We're sorry, but buzztter is over capacity.

excite翻訳

excite翻訳

Twitter で絵文字が使えた日

Twitter で絵文字が使えた日

Twitter の follow 通知メール

Twitter の follow 通知メール

ある日の buzztter

ある日の buzztter

Tweet の投稿が何重にも重複した日

Tweet の投稿が何重にも重複した日

Favstar

Favstar

同時発音の表現

同時発音の表現

mention の展開

mention の展開

まとめ

ここに貼ったのはほんの一部ですが、こうしてみると、Twitter が本当にすごいスピードで進化してきたんだな、って思いました。スクリーンショットをいっぱい撮っておくと、あとから見返して変化に気付くことができるので、よいですね。人類はもっとスクリーンショットをたくさん撮るべきだと思います。