3D mode!

Entries tagged with "g1983ers"

「1983お花見!2011」を開催しました

去年に続き、今年も g1983ers 主催のお花見を開催しました!去年の反省も活かして、楽しいお花見ができました。参加者の皆さん、ありがとうございました!

会場がよかった

会場班、ありがとー!地図で見たときは「なにこのリング… お花見デスマッチですか…」と思ったものの、駐輪場も死ぬほど広くて、とてもよい会場でした。去年は電話がつながらなくて、トイレは1時間待ちで失禁寸前にまで追い込まれるし、色々と大変だったのですが、今年はほとんど問題なく(犬のレオの件はあった)楽しむことができました!

この広い会場を貸し切ったので、騒いで怒られることもナシ!バトミントンやらキャッチボールやら縄跳びやらシャボン玉やら、やりたい放題で楽しかったです。

バトミンターZoAmichi - 04

Beluga がよかった

参加者同士の連絡ツールとして、Beluga を使ってみました。けっこうよかったです。

Beluga / g1983ers

ブラウザとスマートフォンから使えるグループチャット、ってことで、出発前はブラウザから、移動中は iPhone から書き込んでいました。日本のケータイ電話からだと、恐らくアクセスする手段がないのですよね…?あと、すべての発言が、グループの全メンバーにブロードキャストで、なおかつスマートフォンにプッシュ通知が飛ぶので、下手に使うとすごい勢いでバッテリーを減らすので、そのあたりは認識しておいた方がよさそうです。

Color はどうだったのか

Color の面白さに気が付いてみたい!お花見なんて相性バッチリでしょうよー!

あたしが会場に到着したときにはすでに「Color は終わコン」と言われていてビックリしました。みんなでワーと使ってみて、すぐに飽きたそうです。「Color よりバドミントンの方が楽しいで FA」ですか。

(結局、あたしは試せなかった。またの機会に)

お料理が楽しかった

これは完全にあたし個人のお話。舞茸の炊き込みごはんと、肉団子と、ナメタケをつくって持って行きました。肉団子はみんなに tarball と呼ばれ、お皿の上に展開されました。みんなに食べてもらうことができて、嬉しかったです。「彼氏ごはん」の体得に少し近付けた気がします。

20110402_006

まとめ

g1983ers の運営は、おかげさまで、ようやく分担の体制が整ってきて、自分が動けない時期にもちゃんと進められるようになってきて、本当に嬉しいです。動いてくれるみんな、どうもありがとう!こんな感じで、今年は、去年より回数を増やして遊べるといいね。楽しみにしています。

20110402_023

いつものみんな、今回から参加してくれた人、今回から参加予定だったけれどこれなくなっちゃった人もいるけれど、今後も g1983ers のイベントで楽しく遊びましょう!ありがとうございました!

g1983ers がありがたいなぁと思うのは、この手の「お花見」とか「忘年会」とか、季節がやってきたら、みんながちょっとずつ「やろうぜ」って思う類のイベントを、ちゃんと実現してくれるってことですね。定期的に集まる親戚の集まりみたいに、これからもちゃんと顔を合わせてよろしくやっていけたらいいな。

童心に帰って

デジタルネイティブじゃない1983年生まれのわたしの話

世代感がとても面白かったので、自分も乗っかりで書いてみましょう。どうも、1983年6月29日に北海道で生まれました、アラサー婚活男子のじゅーんと申します。

わたしは自分を「デジタルネイティブ」だなんてこれっぽっちも思ってないけど、 上も下もほんの5歳違うだけでずいぶんデジタルな世界との付き合い方が違うだろうとは思う。

デジタルネイティブじゃない1989年生まれのわたしの話 – はみだし

あとから書いてくれた人の分を追記。

話題としては「メディア」「デジタル」「インターネット」を中心として、ちょいちょい、そのときどきの流行や印象に残っている出来事を挟んでいく感じになります。

先に補足しておくと、自分は、園児・児童・生徒・学生時代を、ずっと北海道で過ごしました。なので、特に「インターネット以前の、流行のモノ」については、たとえば東京で育った同い年の人とは、少し時間がずれてしまうかもしれませんね。北海道の田舎の市町村に流行のモノがやってくるのは、発信源で流行してからようやく1年後、だったりしましたから。

年度 年齢 学年
1983年度 00歳
1984年度 01歳
1985年度 02歳
1986年度 03歳
1987年度 04歳
1988年度 05歳 幼稚園 年中
1989年度 06歳 幼稚園 年長
1990年度 07歳 小学校1年生
1991年度 08歳 小学校2年生
1992年度 09歳 小学校3年生
1993年度 10歳 小学校4年生
1994年度 11歳 小学校5年生
1995年度 12歳 小学校6年生
1996年度 13歳 中学校1年生
1997年度 14歳 中学校2年生
1998年度 15歳 中学校3年生
1999年度 16歳 高等専門学校1年生
2000年度 17歳 高等専門学校2年生
2001年度 18歳 高等専門学校3年生
2002年度 19歳 高等専門学校4年生
2003年度 20歳 高等専門学校5年生
2004年度 21歳 大学3年生
2005年度 22歳 大学4年生
2006年度 23歳 大学院1年生
2007年度 24歳 大学院2年生
2008年度 25歳 社会人1年生
2009年度 26歳 社会人2年生
2010年度 27歳 社会人3年生

この表は、それぞれの年度にボクが何歳になり、そのときどんな学年だったかをまとめたものです。この手のお話をするとき「2001年っていうと、自分が何年生のときだっけ…」と分からなくなることがしばしばあるので、まとめておきます。

それでは、はじめましょう。

わたしが生まれた年

1983年 – Wikipedia

4月15日、「東京ディズニーランド」開園。7月15日、「ファミリーコンピュータ」発売。9月1日、ロッテ「チョコパイ」発売。11月1日、花王「バブ」発売。11月11日、劇団四季のミュージカル「キャッツ」開始。

チョコパイちゃんもバブくんも同い年だったのか… 勝手に年上だと思っていて敬語を使っていました。

幼稚園まで

親父と妹とボク

とっても懐しい写真。

ファミコンは家にあった。よく親父と「ドクターマリオ」で対戦していて、ずいぶんと鍛えられたので、友達に負けることはなかった。いつだったかな、熱を伴った風邪の治りかけのときに、食欲が快復したことで調子に乗って苺をアホみたいに食べていたら、オエーって戻しちゃってファミコンの本体に赤を塗ってしまったのだったかな。なので、うちのファミコンはちょっと赤いです。

プラレールで遊ぶのが大好きだったのは、幼稚園のときだろうか。そういや、小さい頃は、家に「トム&ジェリー」のトムの、自分より大きいぬいぐるみがあった気がするよ。トム&ジェリーは、テレビで放送されていたと思います。それと、ミッキー様もいらっしゃったはず。ドラえもんの目覚まし時計もあった。

小学校

初代ゲームボーイが我が家にやってきたのは、1年生のときだった気がする。最初は、テトリスと、スーパーマリオランドがあって、どっちも数え切れないくらいプレイしました。テトリス、スコアが10万点をこえると、ロケットが打ち上がるんだっけね。スーパーマリオランドは名作です。またキョンシーと戦ったり、洞窟ステージで上に登ったり、シューティングゲームで遊んだり、したくなったよ。

スーパーファミコンは、2年生のときだったっけ。最初に手に入れたカートリッジは「スーパーマリオワールド」(俗称: マリオ4) です。ストリートファイター2を買ったときは、ぜんぜん話したことのないお友達がスト2目当てで遊びにきてびっくりしたことを覚えています。

他に夢中になったゲームと言えば、「ロックマン」や「ロックマンX」のシリーズかな。ファイナルファンタジーは5や6が世を賑わしていました。ドラゴンクエストでいうと5の時代。そうそう、週刊少年ジャンプの他に「Vジャンプ」を買って応募券を集めて応募すると、ファイナルファンタジーが発売日前日に届く、とか、そういうキャンペーンがあったよ。Vジャンプは、ちょっと裕福な家のお友達しか買えないイメージがありました。

たまに行くことがあったボーリング場のゲームセンターには「ぷよぷよ」がありました。親父はもともとパズルゲームが大好きで、ぷよぷよも好んでプレイしていました。好きになりすぎて、ぷよぷよのために「メガドライブ」のハードを買っちゃったんですよ。自分にとってはラッキーで、「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」を中古で安く買ってきて遊んでいたなあ。そのあと、ぷよぷよがスーパーファミコンに移植されるんですけどね。あはは。

「Jリーグ」が開幕したのは、小学校4年生くらいのときです。みんな熱気に包まれていたように思う。初期のヒーロー外国人は、アルシンド、ビスマルク、ストイコビッチ、リトバルスキー、シジマール、ラモス瑠偉。テレビ CM にもよく出ていましたね。「Jリーグカレー」も懐しいや。日本人では、三浦知良選手が人気でした。キング・カズ。カズダンスは日本中のサッカー少年が真似をしたんじゃないかなあ。自分も例外じゃなく。

漫画は「ドラゴンボール」。家族でごはんを食べに行った定食屋さんの本棚にドラゴンボールがあると、喜んで読んでいたな。フリーザの圧倒的な強さに絶望した世代です。それと、これなしに語れないのは「スラムダンク」でしょう。これを呼んで中学校からバスケットボールを始めた子は数知れず。少女漫画では「セーラームーン」「ママレードボーイ」のアニメが放送されていました。あとは、そうだなあ。「おぼっちゃまくん」「きんぎょ注意報」「南国少年パプワくん」「魔方陣グルグル」なんかを覚えています。

あ、そうそう。サザエさんのアニメは、週に2回の放送でしたね。日曜日だけじゃなくて、火曜日も放送されていた。「火曜日の方のサザエさんのオープニングテーマ」と聞けば、同年代の子たちはピンとくるはず。

「どうとく」の授業では、NHK 教育の「さわやか3組」を見ました。自分は、ちょうど3年生4年生のときに3組だったので、なんか嬉しかったですね。親しみを持って見ていました。

バラエティ番組。志村けんさんと、田代まさしさんが、大好きでした。「志村けんのバカ殿様」のシリーズは、欠かさずに見ていましたね。録画して、兄弟みんなで何度も繰り返し見て、そのたびに笑っていました。地上波でおっぱいを拝見できたのも、この時代の大きな特徴です。「ボキャブラ天国」の放送がはじまったのも、小学校のときでした。

親父が週刊少年マガジンを買っていたので (今も買っている)、その頃にマガジンで連載していた漫画は愛着を持って読んでいました。「湘南純愛組」「カメレオン」「破壊王ノリタカ!」などなど。「金田一少年の事件簿」の全盛期ではないでしょうか。

自分は、おもちゃが好きな子でした。ミニ四駆。ビーダマン。ハイパーヨーヨー。だいたい手を出していたように思います。ミニ四駆は、「ダッシュ!四駆郎」よりも「爆走兄弟レッツ&ゴー!!」に近い世代です。「アバンテJr.」に憧れる気持ちも分かりつつ、「トライダガー」の新種に何より胸を踊らせていました。レゴも大好きだったな。レゴのカタログの最後の方にある、パーツのバラ売りのところを見て、どれをどれだけ買ったらいくらになるかって、見積りを出してはおこづかいと相談し、ワクワクしていました。

高学年になった頃、次世代ゲーム機「セガサターン」「プレイステーション」が登場しました。ずいぶんと衝撃を受けました。「バーチャファイター」や「鉄拳」の最初の作品を楽しみました。確か、「バイオハザード」の1作目も、小学校の卒業間際に発売されたんじゃなかったかな。旅館の息子がクラスにいて、その子の家に泊まりにいって、旅館のお部屋みっつをぶち抜いて大きなお部屋を作り、3台のテレビを設置し、スーパーファミコンとプレイステーションとセガサターンを一晩中プレイするようなお泊まり会を開催していました。詳細は省略するけれど、当然、性的な映像の鑑賞タイムもありました。

事件としては「地下鉄サリン事件」を覚えています。あれは小学校の授業時間中だったと思うんですけど、先生がテレビの電源を入れて「なんちゃらサティアンで逮捕されました」みたいな報道を見守った、そんな覚えがあります。

小学校時代は、パソコンなんて言葉は耳にすることもなくて、親父の持っていたワープロ、東芝の「ルポ」をたまに触っていました。思えば、小学生時代にルポのキーボードを叩いたのが、自分のタイピング童貞喪失のタイミングだったわけですね。なんだっけな、ルポで、クラスの座席表を作って、学校に持っていって、先生に褒められたんだっけな。うろ覚えだけれど、そんなことがあったと思います。「均等割付」は「すごいなあ、便利だなあ」と思って使っていました。

年賀状は「プリントごっこ」で作っていました。親父がプリントごっこで作業する姿を見るのは、なんだか好きでした。

中学校

女の子の友達から家に電話が掛かってくるようになりました。携帯電話がない、どころではなく、我が家の電話はコードレスですらなく、子機もなく、でした。リビングの壁に設置されている電話機を壁から外し、電話線をめいいっぱい伸ばして隣のお部屋に持っていき、受話器のコードもめいいっぱい伸ばして、とにかく家族から1cmでも離れた位置で通話しようとしていました。恥ずかしいですからね。これは、日本人が失ってしまった体験かもしれません。

土曜日の夜に放送していた「めちゃめちゃモテたい」の最終回、今でも少し覚えているなあ。後の「めちゃめちゃイケてる」である。めちゃモテを見た次の日の朝に部活の練習があると、眠くてつらかったっけ。

ボクが1年生のとき、学校内でトップクラスに女子の人気があった3年生の先輩は、3階から階段を降りてくるときに、テトラーで遊んでいました。キーホルダー型のテトリス専用機。異常に流行っていて、本当にみんな持っていた。値段は1000円くらいだったと思う。

中学校1年生のとき。ある日、隣の席の女の子が、帰りの会のときに思い切りそわそわしていて、ポケットに手を入れたり、机の下で何かしていることに気が付いたことがあって。ちょっとして「たまごっち」を操作していると分かりました。次の日に「たまごっち、ちゃんと育っているかい」と聞くと、「えっ、なんでバレたの…」と返ってきました。たまごっちが入手困難だった時期です。うちの妹も欲しがっていて、母親が、どこからか入荷情報を仕入れてきて、おもちゃ屋さんに並んで買ってきたっけ。

Nike の「エアマックス」、カシオの「Gショック」。このあたりも大流行しました。自分が通っていた中学校でも「エアマックス狩り」がありましたよ。今にして思えば、なんなんだろう、という感じですが、当時は、真剣でしたねえ。校内でエアマックス95の燃えカスが見つかって、全校集会が開かれて、校長先生が怒鳴る。あっはっは、本当に懐しいや。

中学校1年生のときに好きだった子が、教室掃除のときに、モップをかけながら「パフィ」の「アジアの純真」を歌う姿がかわいらしかったのを、なんとなく覚えている。広末涼子が歌手デビューしたのも中学生のときです。「MajiでKoiする5秒前」ですよ。ちょっと怖い (でも、かわいい) 女の子が「大和田のTシャツの〜」という替え歌を大声で自分に向かって歌ってきて、盛大にとまどったのでした。

アイドルと言えば「モーニング娘。」でした。それから、ビジュアル系バンドの最盛期を迎えます。中学校の合唱コンクール、4組は「河村隆一」の「Glass」を歌っていましたよ。すごい時代です。

音楽メディアは、カセットテープから「MD」へと、次第に移っていきました。お金持ちの家の子から順番にね、MD コンポとか、手に入れちゃうんだよね。CD をレンタルしてきて、MD に録音する。生活の中にある、基本行動でした。

男子のほとんどは、夜更かしして「トゥナイト2」を楽しもうと一生懸命でした。「ワンダフル」との間でチャンネルを行ったりきたりさせた夜が、どれだけあったことでしょうか。友達の通っていた中学校の野球部では、オフィシャルに「トゥナイト2禁止」という規則ができた、と聞きました。だいぶ面白いです。

中学校3年生のときかなあ。ようやく「パソコン」と出会う機会が、このあたりであったはずです。恐らく親父が買ってきた Windows 95 のインストールされた、今にして思えば貧弱なノートパソコンが家にあって… あんまり思い出せないなあ。自分はとにかく「パソコンのゲームをやりたい!」と思っていて、だけど、パソコンをおかしくして親父に怒られるのはイヤだったから、控え目にパソコンと接していた気がします。それでも、何度か、本当に冷や汗をかくような事態には陥って、OS のリカバリ手順は覚えましたね。

活躍するプログラマのインタビューでよく読む「プログラムのソースコードを打ち込んで、動かして…」みたいな少年時代のエピソードは、自分にはまったく存在しないのです。

ひといき、ついて

さーてさてさて。よくぞ、ここまで長文を読んでくれましたね。お疲れさまです。ひといき、つきましょうか。

やあやあ、まったくもって「インターネット」が登場しません。このままだと、ただの思い出話エントリになってしまいますね。続きもお付き合いいただける人、ありがとうございます。もう少しで「インターネット」が登場します。

高等専門学校

高等専門学校1年生。ここでようやく「PHS」が登場します。自分は学校の寮に入っていて、大義名分は「親との連絡用」として買ってもらいましたが、実際のところは、ほとんど、恋人や友人との連絡に活用していました。コミュニケーションが劇的に変わりました。持っている人と持っていない人の比率は、どれくらいだったかなあ。6:4くらい、でしょうか。新機種の目玉機能は「着メロ16和音」とか、ね。和音戦闘力時代。

「Pメール」「PメールDX」の時代。ひゃあ。一時期、ボクの機種の1行当たりの表示文字数が6文字で、恋人の使っている機種が8文字だったとき。恋人の機種で見たときにキレイに見えるように、脳内で1行8文字な状況を想定しながらメールを打っていたなあ。絵文字を横1列に並べるために8個連続で使ったりしたんだよ。懐かしい。「時間を費やす」そのことが愛情表現だったんですね。ふふー。

Pメールも、PメールDXも、宛先の指定は電話番号なんですよね。それと、自分の番号を非通知にして送信できました。そこでチェーンメールですよ。学年の誰かの悪口を書いたチェーンメールとかなあ、あったなあ。うわあ。

070に続く適当な電話番号を宛先にしてPメールDXを送る遊びもありました。そのまま「メル友」になって、メル友の女の子に会いに行ってみたこともあったな。若い。Twitter の following の人と会うのとでは、ドキドキの種類が違うと思います。ひゃあ。懐しい。

写真は、最初に持った PHS から、iPhone のふたつ前の携帯電話まで。ボクの交友を支えてくれた歴代の機種たちです。

歴代のPHSと携帯電話

1999年。ノストラダムスの大予言。当時の恋人と「死ぬのかなあ」なんて話していました。恥ずかしい。あっはっは。どっこい生きている。

「ポルノグラフィティ」のデビュー、「嵐」のデビュー、がこの時期です。ラルクは、アルバムを2枚同時リリースしていて、ノリノリでした。女の子とカラオケに行くと、ほとんどの子が「浜崎あゆみ」を歌っていたのです。「ゆず」も人気で、自分のまわりでも、ストリートライブがずいぶんと流行っていたと思う。夜、ギターを持って駅の地下道のところに行く子、学年に何人もいましたよ。

3年生くらいの頃かな、PHS じゃなくて携帯電話を持つ子が増え出して、そうそう、DoCoMo の i-mode が出た頃ですね。友達はフクロウのキャラクターのストラップをつけていたっけな。i-mode に3種類のキャラクターがいて、そのうちのひとりがフクロウだったと思うのだけれど、当たっているかしら。

ACIDMAN、HY、モンゴル800、ロードオブメジャー、BUMP OF CHICKEN、BEAT CRUSADERS、GOING STEADY、ASIAN KUNG-FU GENERATION、ELLEGARDEN。2002年くらいかな。仲の良かった友達の影響で、メロコアをよく聴いていた。

学校の演習室にはパソコンがずらっと並んでいて、気が付いたら、いつの間にか「Google で調べ物をする」って行為は当たり前になっていて、最初がいつだったかなんて、まったく思い出せないなあ。はじめて Google にアクセスしたのは、いつなんだろう。どういったキッカケでアクセスしたんだろう。今みたいに、電車の中のテレビモニターで Google を紹介くれるわけじゃなかった当時、自分はどうやって Google を知ったのだろうか…。

学校の友達の多くは、自分よりずっとずっとパソコンやインターネットに精通していた。高等専門学校の同期で、同じ寮で生活していたまぐろちゃんのお部屋におじゃましては、パソコンのお話をよく聞かせてもらっていた。ハードウェアのお話も面白かったし、ディスプレイに映る種々のソフトウェアのウィンドウも分からないものだらけで、いつも「難しいことをしているなあ」ぐらいの感覚で見ていた。

卒研の進捗日誌はね、HTML で書いて研究室の Web ページに載せることになっていたんだ。だから、ちょっとだけ、HTML を書いたりしていました。たぶん br とか hr を多用していたなあ。きっと当時は p の使い道を分かっていなかったと思う。同じ学科の女の子で、すごくキレイな Web ページを作る子たちが、何人かいたっけな。「きれいだなあ」って思って眺めるくらいで、それ以上の詳細を調べようとか、当時は思わなかった。今の自分につながる道は、このときにはまだ、拓けていないのですね。

大学

高等専門学校を卒業して、大学の3年次に編入しました。

初めてパソコンの自作に臨んだのが、大学3年生のときでした。パーツを一式揃えて、組み立てて、電源を入れる。プラモデルみたいな感覚でね、安く済むからってことで挑戦して、成功しました。そこからハードウェアに興味を持つ、ってこともなく。すっと挑戦してすっと終わりました。

インターネットは「調べ物のためのもの」として、すっかり日常に定着していて、色んな Web サイトを見て回ったり、オンラインゲームに夢中になったり、興味本位で「Winny2」を試してみたりしました。当時は Windows 2000 を使っていたのかな、何度もウィルスに感染して、何度もリカバリしましたね。「何かあったらリカバリすればいい」と思っていたので、恐怖がだんだんとなくなっていって、色んなものを踏みました。

ちょっとずつ、ちょっとずつ、パソコンやインターネットに関する知識が身に付いていったのが、この時期です。21歳くらいのとき。

大きな転機が訪れるのは、大学4年の、研究室配属のときでした。今も一緒に活動している @kei_s さんと同じ研究室に配属され、多大なる影響を受け、そこから一気に「Web が面白すぎる…!」と感じるようになり、Web にのめり込んでいくのです。

このときようやく、自分にとっての Web が「便利な図書館」から「面白い人がいて、面白いことが起こる場所」に変わっていきました。

大学4年生の、卒業論文。研究室の同期が4人いて、みんな、Web から収集した実データを解析するような研究内容でした。今までに見たこともなかったようなデータがそこにあり、今までに考えたこともなかったようなことについて議論し、本当に刺激的な日々でした。データには「世界の形」が見えました。2005年くらいのことです。ちょうど日本でも「Web 2.0」というフレーズがバズワードになり、業界には独特の熱気がありました。

mixi が大好きでした。友達からの招待を受けて、登録しました。ID は 849530。つまり、849530番目に登録したんですね。この頃は、今みたいに Web 業界に知り合いがいるわけでもなかったので、なかなか遅めの登録です。やっぱり昔から、自分の興味対象は「人」だったので、人がいる Web ってのが面白くて仕方なくて、たくさんの友人を mixi に招待しました。登録から半年くらいは、1日も欠かすことなく日記を更新していました。

卒論の完了を待たずして、「Web で面白いことをしたい…!」という気持ちがどんどんと強くなっていきました。

大学院

卒論発表会が終わった直後に、レンタルサーバを借りました。Web アプリケーションを作って動かしたいと思っていて、まずはできることからということで、一気に準備を進めました。

大学院1年生のとき。そのサーバに WordPress をインストールし、このブログの前身である「cameraLady」というブログサイトを、自分の誕生日にオープンしました。2006年6月29日のことです。

もう、とにかく Web のことを考えて日々を過ごしていました。

はてなブックマークの人気エントリをひたすらチェックし、面白いブログを見つけては RSS リーダに登録する。当時は Web アプリケーションを「個人で作りました」と言うだけで、けっこう注目されたんですよ。「だけ」と書きましたけれど、自分にはその能力はなくて、強い憧れを抱きながら変わりゆく Web の景色を眺めていました。自分も面白いものを作りたいなぁと、いつも思っていて。

そんな自分にとってありがたかったのが、Greasemonkey でした。ちょっと JavaScript を書くだけで、面白いことを実現できる。ぜんぜん JavaScript のことを理解できていないのに、とにもかくにも、動くモノを作ることに対して必死でした。そうしていくつか Userscript を作って、そのたびにブログに書いて、たまに誰かから反応をいただいては、身を震わせて喜んでいた。

この頃になると、もう、今とそう変わらない日々を過ごしていたんですね。

そうして、いつだったか作った Userscript のことをブログに書いて、初めてはてなブックマークの人気エントリに入って。たくさんの人から反応をいただいて。ボクは、Web を自分の活動の場所にしようと静かに決心しました。

写真は、今の会社の、立ち上げ時期の頃のものです。オフィスにはまだ何もなくて、それぞれが想う未来だけがあって。

今日まで

大学院を卒業して、上京しました。東京にくると、自分のブログを読んでくれているたくさんの人に会えました。「東京にきたばっかりで、友達がいなくてつまらない」なんて時期は、自分にはなかったのです。Web に感謝しています。

それから、Web にも色々ありました。Twitter、Tumblr、Ustream が登場して。iPhone が世に出てからは、Foursquare なんてものも登場しました。Dropbox や Evernote のような便利な同期ツールも、すっかり日常に溶け込んでいます。

だけれども、ちょっとずつ興味の向き先が変わることはあっても、Web に身を置こうと決心した大学院時代から、大きくは変わっていません。スキルは少しずつ身に付きました。知識も少しずつ身に付きました。簡単なモノなら、作って動かすことができるようになりました。自分の日々の生活のけっこうな部分を Web に記録しながら生きています。毎日が刺激的で、とても楽しいです。

この時代に生まれてよかったと思っています。Web に、とても感謝しています。Web を通じて出会えた人たちに、とても感謝しています。Web がなかったら… と考えると、ちょっと気が重くなることがあって。Web があってくれて、よかったな。今の自分の生き方が許される時代に生まれて、よかったな。どうもありがとう。

まとめ

冒頭では「メディア」「デジタル」「インターネット」を中心に書く、と言いました。だけれども、そもそもインターネットに触れるのが、20歳近くになってから、なんですよね。こうして改めて思い返してみると、小中学校の頃は、テレビ番組やテレビゲーム、漫画や J-POP が教室の話題の中心にあったのだと、再確認できました。

うちの次男ちゃんが1989年生まれなもので、オリジナルのエントリの @haruna26 さんのお話、雰囲気は、ちょっとだけ分かるんですよ。「カクレンジャー」は、次男ちゃんと一緒に見ていて、自分も大好きだったなあ、とかとか。

1989年生まれの人に、話を聞きたいなって、最近はずっと考えています。 教えて教えて。

デジタルネイティブじゃない1989年生まれのわたしの話 – はみだし

ボクも、@haruna26 さんと同じように、同年代の人のお話を、いっぱい聞きたいなって思っています!

教えて教えて。

そんな自分だから、g1983ers のみんなと過ごす時間は、上手く説明できないんだけど、とにかく心地良くて楽しいのだろうな。また遊ぼう。


「専門学校」との表記は不適切と判断し「高等専門学校」に書き換えました。ご指摘ありがとうです。

1983忘年会!2010を開催した

IMG_0780

参加者さんの写真のアップロードを待ってからじゃないとエントリを書けない病を患っているじゅーんです!1983忘年会!2009から1年も経ったのですね。今年も g1983ers の忘年会を開催しました!

1983忘年会!2010 : ATND

今回はほとんど告知や宣伝を行わなかったにも関わらず、去年より多い33名が集まりました。とても楽しい忘年会でした。参加者のみんな、どうもありがとう。

g1983ers

ボクらの2010年

2010/04/03 1983花見 - 227

今年の g1983ers の活動は、お花見忘年会のふたつだけになっちゃったんですね。

d20100403_g1983_g873_46

g1983ers のメンバーに会うと「次は何やるのー?」「集まろうよ!」という話はよく出ますし、もっと遊びたいって連絡をもらうこともあります。そうですね、3ヶ月に1回くらいのペースで、がんばりすぎない規模で、ちょこちょこ集まれたらいいなぁって、2009年のときから思っているし、そんなお話もしてきました。実際にそれくらい開催するには、ボクが「やります」って言い出さなくてもイベントが開催されるようにならないと難しそうですねぃ。とはいえ、今回の忘年会は「やろうよ!」とまわりからつっつかれたところから動きが始まったので、少しずつそういった形になってきたことは確かで、ありがたいことです。

また考える会でもやりましょうかね。2011年の活動について考えを持っている人と、まったり飲みながらお話してみたいですよ。

IMG_7049

Taken by colspan on Zooomr

まとめ

さてさて、今年のことは忘れ、さっそく2011年のことを考えてみたりもしましたが!忘年会、とっても楽しかったです。運営を手伝ってくれたみんな、参加してくれたみんな、笑顔であの場にいてくれたみんな、どうもありがとう!今年も楽しい時間をどうもありがとう。

g1983ers

2010年をあと何日か残しながら、g1983ers の1年はこれにておしまいです。来年もよろしくお願いします。よいお年をー!

これまでの g1983ers 関連のエントリは、g1983ers タグを含むエントリから。

ぞあみちっくないと9

1983忘年会!2009を開催した

2009年12月26日(土),g1983ers 主催のイベントである1983忘年会!2009を開催しました!27名の同年代の方々が参加してくれて,とっても楽しい集まりとなりました!参加者の皆さん,どうもありがとうございました!

1983忘年会!2009

初めてのイベントのときに作ったウェルカムボードは,今では愛着のある頼もしいアイテムになった.

もうすぐ1歳

思い返してみると,ボクらが「1983年(ぐらい)に生まれた人たちの集まりを創ろう!いざハチサン!」と息巻いたのは,2008年12月30日のこと.

品川駅

れーー

年も暮れゆく品川で「れーー」とか言いながら飲んで,楽しい未来に想いを巡らせながらいい感じに酔っ払っていた.立ち上げを決意したあの日からもうすぐ1年が経とうとしている.今日まで,たくさんの面白い g1983ers に会えたことを,心から嬉しく思っています.どうもありがとう.

忘年会の運営

今回の運営は,立ち上げメンバーの3人で行いました.皆さんには,ボク以外の2人の活躍をしっかり伝えておきたいです.

当日の会の状況をシミュレーションし,2次会をアレンジしてくれたのは kei-s さん.参加人数の予想がつきにくい中で,スムーズに1次会から2次会までの流れを作ってくれてありがとう.素晴らしかったです.

前日までに名札を作り,今回の参加者さん全員にと用意してくれたのは ZoAmichi くん.おかげで会がとても賑やかになりました.自己紹介タイムを用意しなかった今回だけど,名札効果でコミュニケーションが促進されたと思います.どうもありがとう.

2人は g1983ers の「会計チーム」として,今回もバッチリお仕事してくれました!助かります!

(Taken by ZoAmichi)

そして,会を大いに盛り上げてくれたすべての参加者の皆さん,どうもありがとうございました!アピールタイムで,ムチャ振りに見事に応えてくれた高見知英さん,kyuns さん,ありがとう.自ら名乗りをあげてくれた os0x さん,kyo_ago さん,ありがとう.

よく知った顔がくれば安心して楽しくなるし,初めての方がくればワクワクして楽しくなるし,ボクも参加者として思い切り楽しませてもらいました!古参メンバーを含む10名ほどのキャンセルがあったのはとても残念だったけれど,また次の機会に遊びましょうってことでよろしくお願いします.

1983忘年会!2009

1983パーリィ!#2のときは,運営もチームを組んで,事前準備もいっぱいして,当日の段取りも決めてと,そんな運営でした.今回は割とゆったりした運営にしてみたんだけど(そうせざるを得なかったのもあって),これぐらいの運営がボクらには丁度いいかもなーと思いました.「がんばりすぎない集まりをちょくちょく開く」形にしていけると,みんなが楽しめてよさそうです.

まとめ

1983忘年会!2009

今年の最後にとっても楽しいイベントでした!見つけたものもいっぱいだ.2010年も g1983ers をよろしくお願いします!どうもありがとうございました!


集合写真

(Taken by pen2)

1983パーリィ!#2を開催した

去る2009年6月27日,1983パーリィ!#2を開催しました.

1983パーリィ!#2 : ATND

1次会の参加者が34名となり,前回の22名と比べて1.5倍ほどになりました.「規模を大きくすること」それ自体を目的にしているわけではありませんが,こうしてたくさんの人が集まって楽しい場を作ってくれたこと,本当にありがたく思います.主催者として,また,一参加者として,関係するすべての皆さんにお礼を言いたいです.どうもありがとうございました.

1983

こぼしたジュースが偶然「1983」の形に! (Taken by t_ashula)

ふりかえり

Keep

  • 会場としてお店を貸し切りにできた!おかげでめいいっぱい騒げた!ikkou++
  • 自己紹介タイムを設けることができた!みんなの個性に触れることができた
  • #1 と比べて、多方面から参加者を集めることができた
  • 自己紹介写真、集合写真を撮ることができた!撮影班++
  • Ustream による映像配信を行い、リモート参加が可能になった
    • リモートの higeorange さん、tomoya さん、ぜひ感想を!そして次回は現場で!
  • 「ロマンティック浮かれモード」を打つ姿を見ることができた!(3次会)
  • 大きな事故もなく、無事にパーリィを終えることができた

Problem

  • お店に伝えた予約の人数と、実際の参加人数に差が出てしまった
    • 差分が会計にまで影響して、皆さんに負担をお願いしてしまった
  • 一部のスタッフに過負荷をかけてしまった
    • もう少し上手に分担できるといいなー
  • 参加者全員に同時連絡する仕組みがなく、連絡コストが高くつく
    • 参加登録の仕組み、連絡の仕組みを整備したい
  • 自己紹介タイム中に写真掲載の可否を確認できなかった
  • 当日運営のコストを抑えられず、みんなとのコミュニケーションが疎かになった

Try

  • パーリィよりもっと気軽に参加できる小規模なイベントを開催してみたい
    • 小さいイベントの数をこなして、もっとみんなとじっくりお話したい!

こうしてみると,Problem が膨らんで見えますが,ほとんどがイベント規模の増大に起因するものなので,2回目のイベントとしては成功と言っていいだろう,と,前向きに捉えています.

1983のこれから

ふりかえりに書いた問題の他に,メンバーからいくつかの問題提起もありました.次の「1983パーリィ!#3」を上手に開催できるかどうかは,目の前にある問題をクリアできるかどうかにかかっていそうです.

というわけで,まずはできるところから始めます!

参加者リスト

なんといっても Web 界隈の人が多いイベントなので「続きは Web で!」となりがち.だけど「パーリィでお話ししたあの人の ID なんだっけ…」もよくある話ですよね.なので今回は参加者リストを作りました.

1983パーリィ!#2 参加者リスト

自己紹介

(Taken by hkn)

自己紹介のときの写真で,顔と ID をセットで覚えられるようにしてみました.

コミュニケーションツール

これまで手探りで運用してきた各種ツールでしたが,そろそろ本格的に機能してきたので,改めて「これです!」と紹介しておきます.

まずはメーリングリストとして活用している Google Group の g1983ers です.今後のイベントに関するディスカッションや情報共有もここで行われているので,今回の参加者の皆さんだけでなく,興味を持っていただける方は,ぜひぜひ参加してくださいね!お待ちしています.

IRC は,#g1983ers@chat.freenode.net があります.IRC の利用者自体が多くないようで,現状で10名程度しか参加者はいませんが,レスポンスはとても早いので,直接話したいことなどあれば,どうぞ顔を出してみてください.

また,過去のイベントについては,タグ「g1983ers」を含む新着エントリー – はてなブックマークを見ると,みんながブログに書いてくれたイベントレポートや,フォトアルバムなどがまとまっています.

まだまだ情報がまとまっているとは言い難い状況ですが,少しずつ,コミュニティに合った形を見つけていけるとよいですね.

まとめ

1983パーリィ!#2 集合写真

Taken by ikkou

#1 のときとはまた違った顔ぶれが集まって,雰囲気も変わって,たくさんの刺激をもらいました!欲を言えばもっと皆さんとゆっくりお話したかったんだけど… それはこれから,少しずつ叶えていくことにします!

今回も楽しい時間をありがとうございました!また会いましょう!