2008年.小学校6年間,中学校3年間,高専5年間,大学2年間,大学院2年間,計18年間の学業を終えて,4月から働く予定です.
小学生は児童,中高生は生徒,大学生は学生って,なぜ呼び方はこうも細分化しているのだろう.この定義のせいで,地獄先生ぬ〜べ〜が「俺の生徒に手を出すな!」って言うたびに「生徒じゃなくて児童だよ」って突っ込まれなきゃいけなかったんだ.まったく,やるせないよ.
さて,大きな節目のタイミングなので,半生を振り返ってみるよ.
幼少時,ボクは極度のヒトミシラーだった.親は相当に心配したらしい.だって,知らない人が1人でもいたら公園に入っていけないんだもの.だから公園で遊ぶときは,いつも1人だったんだ.そんなボクだったから,転校は本当に拷問のようなイベントだった.転校に関して親父は責任を感じている節があるから,親の前では絶対にこの話はしないんだよ.
小学校で2回,中学校で1回の転校を体験した.小学校2年生のときの転校では,転入した日に堪えきれずに泣き出してしまったよ.守くん,ゴメンね.君はみんなに「謝りなよ!」って責められていたけれど,泣いたのは君のせいじゃないんだよ.人に囲まれたのが怖かっただけなんだ.
小中学校時代のボクは,親に言われたことには逆らえなかった.ひたすら言われたことを守るのが「いい子」の条件だと思って生きていたよ.だからテストで100点を取って誉められるとか,そんなことが喜びだったな.どこにでもいる子供だ.自分から「こんなことをしたい!」って言い出す子ではなかったと記憶している.
「個性」について考えるようになったのは中学校時代かな.他の誰でもない自分でありたいと思った.だけどずば抜けた才能や特技なんてないことは分かっていたから,変わり者であろうとしたよ.敢えて少数派を選んでみたり,突拍子もないことをしてみたり.今思えば笑っちゃうようなことなんだけどさ,当時のボクは真剣そのものだったと思う.
「ロボコンが好きで」と言って高専への進学を決めた.「数学や理科も好きだし」せいぜいそれくらいのことしか考えていなかった.また家族の転勤のときが訪れることは分かっていたから,高専入学時に高専寮に入った.今でも寮時代の仲間とは仲が良いよ.
高専の入学式で,校長先生が「君たちは立派なエンジニアになるためにこの学校に入ってきたのですから」とか何とか言っていたような気がする.何となく覚えている.でもあのときのボクは,エンジニアの言葉の意味すら分かっていなかったから,まるで他人事のように「大変なところにきてしまったなぁ」と思ったんだ.
専門学校に入学して,寮にも入ったことで,「もう転校しなくてもいいんだ.入学した学校を卒業できるんだ」って喜びがすごく大きかった.そう思ったら,人見知りはすぐに治って,たくさんの人に自分から話しかけるようになった.人見知りする自分は大嫌いだったから,その反動だね.この学校で,友達をたくさん作って,願わくばステキな恋もして楽しく過ごそう.そんな進研ゼミみたいなことを考えていたんじゃないかな.全部は書けないけれど,今になって振り返ってみても,高専時代はボクが思い描いていた以上に順調だったよ.途中,挫折も味わったりして,失ってしまったモノもたくさんあるけれど,確実に大人の階段を昇る日々だった.
高専生活も後半になると,ちょっとずつ将来のことを考えるようになる.インターンシップに行き,バイトもいくつか経験して,少しだけ社会というものに触れつつ,学校では進路希望調査があったりする.
ボクはとても不安だった.幸い,高専での成績はよかったから,進級や卒業に問題はないと感じていたし,真面目に就職活動に取り組めばどこかには引っかかるだろう,推薦を貰えば大学に進学することもできるだろう,そう思っていた.だけど,とても不安だった.
授業で技術について学んで,演習で技術に触れて,身に付いたものは確かにあると感じていた.だけど,それらの技術が何のためにあるのか全然分からなかったし,これらの技術を持って社会に出て行くというイメージがちっとも沸かなかった.高専3年生の終わりに,中学の同級生なんかは,みんな高校を卒業して進学するなり就職するなりしていた.ボクは焦っていたよ.まわりが変わろうとしているのに,自分は3年生から4年生になるだけだったから,焦っていたよ.このままじゃいけないと思って,そのとき片思いをしていた彼氏持ちの子に改めて真っ正面から突撃して見事にフラれた.とてもスッキリしたのを覚えている.後悔はひとつもなかった.新年度から自分は変われると思った.
高専4年生になってから,実際に色んなことが変わり始めた.髪型も髪の色も着る服も意識的に変えたのがよかったかもしれない.一人称は「俺」から「ボク」になった.この頃から「自分」というものについてよりよく考えるようになって,そんなこんなしていたら,気の合う仲間も見つかった.ボクの人生の中に青春時代があるとすれば,19歳〜20歳のこの時期だろうな.仲間の前では本音の自分でいられたよ.
それでもね,不安は消えちゃいなかったんだ.毎日はめちゃくちゃ楽しかったけれど,卒業後のことを考えるのは怖かった.分かっていたのは,自分には純粋に技術だけを愛していくのは難しいということ.もっと広い世界のことを知りたいと強く思っていた.学校では,将来の理想的なプランとして,「手足としてのプログラマで終わらず,段々とプロジェクトを管理する立場に上っていく」そんなことが語られていた.よく分からない世界だなぁと思いつつも,それがこの業界なんだろうなと思っていた.
卒業後の進路は,大学進学に決めた.高専ですっかり技術系の空気に浸かってしまったボクは,もっと違う分野の人と交流しなきゃ自分はダメになると思って,総合大学に行こうと決めた.工業大学や技術科学大学なら推薦で行くこともできたんだけど,試験を受けずに大学に入るのは癪だとか,よく分からないことを思ったんだよ.あの試験勉強がなかったら,ボクの英語力は今よりもっとひどかったわけだから,結果的には正しい判断だったね.
大学の3年次に編入学して,たくさんの人たちと出会った.他の学部の人たちと会ったり,販売員の仕事を始めると,さらに人脈は広がった.実は,高専時代にもいくつかのアルバイトをこなしていたんだけど,ほぼすべて接客系だった.それが自分には合っていると感じていたし,何より,接客は楽しかった.お客さんに「ありがとう」と言われると,学校のテストで満点を取ったときよりずっと,自分がこの世界に生きているという実感を得られた.
ようやく気付いたよ.ボクは,人と関わっていたいんだ.
だとすれば,人と人をつなげられるような技術者になりたい.ボクがソーシャル化が急速に進むWebに強く惹きつけられたのは,今になって思えば当然かもしれないな.人見知りがひどかった幼い日のボクを心配してくれていた親から見たら,信じられないことかもね.
それから研究室に配属されて,価値観が大きく変わった.ボクの代は,ボクの他に同期が4人いて,卒業論文では,ボク以外の4人全員がWebから収集したデータを使った研究をしていた.多大なる影響を受けたよ.このときに初めて「Webにはボクが知らない世界がたくさんあって,すごく面白そうだな」って思った.2004年のことだから,ちょうど日本でもWeb2.0なんて盛んに言われていた頃だ.
指導教官や,研究室の先輩から学んだことも多かった.ボクは何となく「大人になればなるほど,我慢することが増える」と思い込んでいたんだけど,そうじゃないって思わせてくれたのが彼らだった.やりたいことがあるならやればいい.「やりたいことができない」と環境に対して文句を言うのなら,やりたいことができるように,環境の方を変えていく努力をすればいい.やりたいことをできる場所がないのなら,自分で作ってしまえばいい.そんなスタンスで生きる人たちを間近で見ることができて,すごく刺激を受けた.
学外で活動するようになったのも大学院時代.趣味で書いたプログラムをブログで公開したら,反応があった.プログラミングのコンテストに出場して,たくさんのことを学んだ.フリーランスの技術者さんに会って話を聞かせてもらうと,自分の知らなかった世界が見えてきた.自分より若くても,素晴らしい技術を持って活躍している人たちもたくさんいる.時間はかかったけど,やっと,技術者として生きるっていうイメージが沸いてきたよ.
大学に編入学して今の研究室に在籍して,何かと人生について考える機会を持ててよかった.高専を卒業して,そのまま就職していたら,どんな人生になっていたか,想像も付かないな.
今月末には,生まれ育った北海道を飛び出して,新しい土地で,新しい生活が始まる.楽しみだよ!