ペパボの本社事業部のチーフテクニカルリードになりました

2017年1月1日付けで、勤務先であるGMOペパボ株式会社の本社事業部のチーフテクニカルリード(通称CTL)になりました。各方面から「おめでとうございます」と言われがちなので「ありがとうございます」とお返事しています。

ここでCTLの先輩たちのエントリを紹介。このおじさんたちは2016年9月1日からCTLで、本社事業部はいろいろと事情があって半年遅れでのスタートです。

半年遅れている分だけ「追いつかなきゃ…!」という気持ちもありますが、先輩CTLたちがこの半年の間にやってきたことがぼくにとっては道標になるので、後発のアドバンテージを活かしてババーンとやっていきたいところです。

2016年12月の某日にCTOのあんちぽさんと面談していて、なにかの話の流れで「来年はCTLをやってもらうわけですが、」と急に聞かされる形になったので、一瞬、キョトンとしてしまいました。ですが、ぼくがもともと本社事業部でやっていたこと・やろうとしていたことがあって、それは別にCTLにならなくてもやっていただろうと思うので、そういう意味では「もっとバーンとやってくれ」という追い風なのだと捉えて、しっかりと「やらせてください」とお返事できたのはよかったです。こうして、こじんまりとやっていく理由はなくなったので、盛大にやっていきたい気持ちで今年を過ごしています。

きのう2017年1月10日(火)に「本社事業部エンジニア決起集会」というものを開催し、関係各位とやっていきを確認し合えたので、ようやく自身のブログでも報告できる状態となりました。

解決したい課題

本社事業部は「いくつかのサービスを束ねて管理する事業部」という実状があって、EC事業部やホスティング事業部と比べてみても、あまり名が体を表していないんですよね。東京本社に拠点がある、ということくらいしか言っていない事業部名です。そんなところもあって、管理下にある各サービスごとにチームがあり、計画があり、目標があり、開発プロセスがあります。これだと、ともすれば「各サービス、がんばるように」となってしまい、同じ事業部といえどもサービス間の連携が弱くなりがちです。

他の職種は除いたエンジニアのみの配置図を描いてみると、事業部の組織構造によって「各自、がんばるように」となりがちな構図が浮かび上がってきます。この構図は様々な問題を引き起こし得るでしょう。

(画像は、決起集会に向けて用意した資料の一部を公開用にマイルドにしたやつ)

CTLとして、まずはこの構造上の課題と向き合うことにしました。「本社事業部エンジニアーズ」という単位で仕事に当たり、各個人のパフォーマンスを最大まで引き出せる体制を目指します。そしてもちろん、エンジニア以外の全スタッフとも連携できる組織になり、本社事業部の全サービスの成長に貢献していきます。全員成長で、全サービス成長だ!

とはいえ、いきなりエンジニアを乱獲して今日から各サービスに配属させることもできませんし、常に「人手不足」となりがちなサービス開発の現場にどのようにアプローチしていくのか?ここがひとつ、悩みどころではあります。いろいろと手を尽くしていこうと思っている中で、今週からはじめてみるのが「番長制度」です。

各サービスごとにチームがあって計画を立てて進んでいく以上、各サービスのコアなところはサービスのチームメンバーにしかわかりません。他のサービスチームの人に相談するにはハイコンテキストすぎることが多々あります。それでも幸いなことに、ぼくらはエンジニアです。一般化・抽象化されたエンジニアリングについて言えば、サービスに依らず適用可能なことがあります。エンジニアリングは共通言語です。共通言語があれば話ができる、やりましたね!

というわけで、エンジニア各位におかれましては、各自の得意なこと、あるいは、これから得意にしていきたいことについて、番長になってください。みんながみんな、なにかしらの番長であるのがよいと思います。あなたが、フロントエンド番長ならば、フロントエンド関連のIssueやPRを見つけては、番長から見て技術水準が充分かどうかレビューしていってほしいと思います。それを苦手とする人がいたら、ぜひともあなたの得意で助けてあげてください。得意なことを持ち寄って全員で成長していきましょう。各自の「自分としてはがんばりました」の水準ではなく、業界の水準を意識して仕事していけるようにがんばっていきましょう。

ぼくが大きな声で「自分の担当サービス以外のことにも関心を持ってくださいね」と叫び続けたとしても、精神論にしかならず、あまり実際の行動は誘発されないだろうと悪い予想をしました。番長という役割を置くことで、サービスや事業部の目に見えない境界線を越えてエンジニアたちがオラオラとやっていけるような、そんな取り組みに育てていきたいと思います。さっそく、番長の名乗りあげが相次いでおり、ひとりひとりの存在を本当に心強く感じています。他の事業部からも番長が次々に現れて、もう一触即発です。

今日、決済番長が「決済番長なので、新年会のお金を集めます!」と元気に声をかけてくれましたが、それはただの集金係だと思いました。ん?

あらためまして

立場も新たにしながら新年を迎えたので、今のお気持ちを表明しました。あわせて、やっていく取り組みの一部を紹介しました。

今年は、自分ひとりで奮闘してもほとんど成果にならないゲームに挑戦するので、これまで以上に周囲のみなさんの力を借りながらがんばっていく1年になることでしょう。あらためまして、本社事業部のみなさん、ペパボのみなさん、そして関わってくれているすべてのみなさん、どうぞよろしくお願いいたします!めちゃんこ頼りにしています。

自分の言葉で書かれたコミットメッセージが好き

140文字には納まらないな、と思ったのでちゃんとエッセイを書く人間になろう!

たとえばぼくがレビューを担当させてもらって「ここはAの方がよいと思いました」とコメントしたとして、そのときに「レビューで指摘された箇所を修正」というメッセージ付きのコミットが追加されたとする。そのあとぼくが思い直して「いや、他の箇所も考慮すると、やっぱりBの方がよさそうです」とコメントしたとする。また「レビューで指摘された箇所を修正」というコミットが追加される。

こういうやりとりだと、「レビュー」というプロセスというよりは「指示」を出している感じになっちゃって、レビューをしているつもりの身としては少し悲しい。そういった感情は抜きにしても、レビュー内容を理解して「うん、その方がよさそうだ」と思っているならそれを言葉にしてほしい。言葉になって出てくれば、レビューで伝えたかった内容がきちんと伝わっているか確認することもできてお得。もし悪さをした中学生を叱ったときに「怒られたのでやめます」と言ってきたら「なにが悪かったのか、理解してもらえたのだろうか…?」と心配になることだろう。あと、指摘されたので修正しました〜というメッセージはあとから見たときに有益になることは少ないと思う。「より意味のある名前に変更する」と書いてあったら有益だ。もし、コミットメッセージを自分の感覚と自分の言葉で書こうとしたときに指が止まってしまうとしたら、その変更の意義をしっかりと理解できていない可能性がある。そうだとしたら、レビューしてくれた人ともう少し丁寧に会話を重ねるのが筋でしょう。

ところで、さっきのツイートをしたら、過去にお仕事でいっしょになったことがある後輩からメンションがきた。ぼくは言ったことを覚えていなかったのだけれど、彼は覚えていてくれてうれしくなった。彼には、ぼくのレビュー内容の意図がしっかり伝わっていたのだと感じられてうれしい。

「WEB+DB PRESS Vol.96」に寄稿しました

本日、2016年12月23日(金)発売の WEB+DB PRESS Vol.96 に寄稿しました。特集1の「レビュー実践研修」ってやつを書きました。ソフトウェア開発の現場における「レビュー」というプロセスについて書いています。

4774185787 WEB+DB PRESS Vol.96
大和田 純 池田 翔 佐伯 孝尚 山口 智宏 武井 悠人 山本 幸生 尾川 順子 岡田 達明 栗林 健太郎 卜部 昌平 藤本 真樹 藤井 太洋 伊藤 直也 久田 真寛 のざき ひろふみ うらがみ うさみ けんた わかめ まさひろ 久保 達彦 星野 将 遠藤 雅伸 ひげぽん 海野 弘成 はまちや2 竹原 粕谷 大輔 倉岡 洋義 WEB+DB PRESS編集部
技術評論社 2016-12-23

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2012年12月22日(土)、今からちょうど4年前に発売の WEB+DB PRESS Vol.72 には、今では同僚になった @udzura さんによる「コードレビュー実践入門」という特集記事があります。これがとてもよい内容で「さすが、うっくん」という感じなのですが、あれから丸4年が経って業界の状況も変わっており、次の春には次の新卒さんたちが入社してくることもありますし、2016年〜2017年にあわせた内容で「レビューをはじめるなら、これを読んでくれ!」と言って手渡せるようなものを目指して書きました。

ぼく自身のレビューに対する考え方は、就職して上京した2008年4月以降になにかしらのプロジェクトでいっしょにわいわいさせてもらったみなさんの影響を大きく受けていることでしょう。みなさんと共に過ごす日々の中で「このレビューはよかったな」「今回のレビューはなんかうまくいかなかったな」と蓄積してきたものを、ふりかえって整理しながら文章にしていきました。そうした日々がなければ書くことはできなかった内容なので、この場で感謝の言葉を述べておきたいと思います。めちゃんこありがとうございました!!!

そして、3〜4ヶ月間ほど執筆に取り組んでいたぼくを笑顔で応援してくれた妻にも感謝させてください。ありがとう。ラブリー。

こうしてみると、あらためて「ずいぶんお世話になっているなあ」と感じます。いつもありがたいお誘いをいただいて感謝です。

そうそう、今回おそらく WEB+DB PRESS の原稿としては初の試みとして、本文中に Emoji を使わせてもらいました。ご紹介ツイートにも Emoji がついていてニコニコしてしまいます。

ではでは、WEB+DB PRESS Vol.96 をどうぞよろしくお願いいたします!弊社 CTO の @kentaro さんのエッセイも読めてお得なので買ってください!!天皇さまおめでとう!!!

2016年と言葉

今年の後半は執筆をがんばっていて、お仕事では当然のこととして読みやすい文であるとか、テーマにそったまとまりのある文章を書くことばかりだったので。今回こうして、もうなんのつながりなのかわからないまま10年くらいウェブ上での交流を続けている @taizooo さんから声をかけてもらって 2016 Advent Calendar というよくわからないものに参加できて光栄です。せっかくのフリーテーマなので、指の赴くままに散文を書いてみることにしました。読みやすさは度外視です。ごめんね。今風のアイキャッチ画像もありません。ひたすら、ぼくの脳から零れ落ちるテキストたちです。ごめんね。

言葉

好きなことを書いていいんだ!と思ったら、言葉をテーマにしようと思った。

それは、ここ数日の間に話題になった「無線LANケーブル」の影響があるかもしれない。言葉というのはおもしろい。これには「Facebookに写メできる」と似た匂いを感じて、ぼくはうれしくなってしまう。最近の若い世代には「巻き戻し」という表現がピンとこないというのもおもしろい。記録メディアとしてのテープを知らないから、巻いて戻したことがないと聞いて納得する。ところで「踊り場」が通じない世代、っていうのはどういうことなのか詳しく知りたい。

あるいは、放送中のアニメ「舟を編む」を楽しく観ている影響があるかもしれない。映画を観たのは去年だっただろうか。アニメ化すると知って、映画がとてもおもしろかったのでアニメの方も観てみようと思えた。「言葉は生き物、時代とともに変化する」といった言説が多くて、おおいに共感するのでうれしい。JK流行語大賞や腐女子流行語大賞を離れたところから眺めて「これは間違った日本語だ」というのは簡単だ。とはいえ、それで意思疎通できている人たちがいるわけで、言葉としての機能は満たしていて、よく使う言葉がどんどん短くなっていくのは言語特性として全うだ。よく使う操作のキーボードショートカットは覚えられることが多いし、JKが「マ!?」と言うとして、それはぼくがgitコマンドにgというエイリアスを割り当てるのと同じことなんだろう。

ある中学校の先生が「最近の若い人たちが気軽に写真を撮るのは、昔の人たちが俳句や和歌を詠んだのと同じ、だからどんどん写真を撮るといい」と言っていたらしい。果たして本当にそんな先生がいるのかはぼくにはわからないけれど、そういう捉え方があると知ってうれしくなった。ぼくらは今も昔も毎日を生き、なにかを感じてはそれを表現したいと願い、言葉を発し、ときには歌い、ときには踊り、でも自分の言葉や感性ではうまく表現できないことも多くて、拙い言葉を並べてみたり、語彙の無さを呪ってみたり、言葉の代わりに写真に頼ってみたり、音楽に乗せて体を揺らしてみたり、自分の感覚にぴったりの言葉を誰かが並べてくれているのを見つけてそれを拡散したり、またリブログしたり、西野カナに共感したりする。ぼくはTumblrが大好きなので、アメブロの「リブログ機能」はなんか違うと思っているんだ。

ふぅ。久しぶりに散文を書いてみたら、ちょっと疲れちゃった。けどいいね、気分は上々。140文字っていう制限を気にせず文字を打ち込めるtextareaってのはいいもんだ。

さて続き。

漫画「BLEACH」が完結してしまった。作者のkubotiteさんがこれまた、言葉を紡ぐじゃないですか。iOSの「BLEACH」のアプリであらためて第1話から順に1日1話のペースで真面目に読み進めているわけですが、言葉選びのセンスが独特で、こっちとしては挿絵が豊富に入った詩集を読んでいるような気分がする。そういう意味では楽曲に近いというか、音に乗せて耳に届く言葉に力が宿るように、物語と絵画とともにやってくる言葉だから力強く感じるのかもしれない。言葉好きなぼくとしてはちょっと寂しくもあるけれど、物語として、漫画としてみれば、いい形で終わったのだと思う。おつかれさまでした。

ぼくはけっこう、言葉に頼っちゃうなあ。もっとこう、態度であるとか、表情であるとか、他にもチャンネルはいろいろあるとはわかっていても、ついつい言葉に頼ってしまう。特に、いくぶん歳の離れた後輩になにかを伝えなきゃいけない役割になったとき、言葉をね、矢継ぎ早に浴びせてしまうことがあるなぁと思う。ちゃんと伝わっているかな、大事にしたいことを共有できるといいな、って思ってちょっと不安なとき、間を言葉で満たしておかないと不安に負けそうになってしまう。そうして空間を言葉で満たそうとして、短い時間で同じことを何回も言ってしまう。なぜだか、言葉で満たされていると少し安心する。

たぶん1年前は「自分のブログを持つとして、スマートフォンから更新できることは大事」と思っていたはずで。要件のひとつとして数えていた。でも実際に日々を過ごしてみてはっきりとわかって、ぼくはスマートフォンでたくさんの言葉を入力することができない。どうしても、商売道具でもあるQWERTY配列のフルキーボードってやつの入力速度と比べてしまって、スマートフォンで文字を打ち込んでいると「ああ、なんでこんなに遅いんだ」と思ってつらくなって手が止まっちゃう。もう古い世代ってことになるんだろうね。スマートフォンで大学の卒業論文を書ける世代の子たちはすごい。ぼくから見ると新人類。そういや、おじさんたちが「花金!!!!1」みたいにビックリマークをたくさん並べたあとに数字の1をつけるの、スマートフォン世代の人から見たら意味不明だろうと思う。「なんでそこに1をつけるんです???」って感じだと思う。あとは「くだしあ」も同じかな。QWERTY世代の人たちにだけ通じる一過性の文化という感じがする。遠い未来に2000年代〜2010年代のデータが発掘されて読み取られたら、言語学者にとっては非常に貴重なデータになりそう。

「文脈」についても書いてみよう。今年はクソリプを死ぬほど見かけた年でもあったな。クソリプ。都内の路上に落ちているゴミくらい、クソリプは簡単に見つけることができる。クソリプもおもしろい。眺めている分にはおもしろい。クソリプは文化。なにかとってもおもしろい、良質のコンテンツであるツイートを見つけたとして、そこにクソリプが大量にぶらさがっているのを見ると一瞬で気持ちを冷ますことができる。クソリプとはよく言ったもので、おいしい料理にクソを添えるみたいなもので、文脈を完全に無視して言葉を投げ付けるとあらゆるものが死滅する。どうしてクソリプが生じるのか?と考え始めると帰ってこれなくなりそうなので、あんまり考えないようにしている。世界のクソリプ展ってのがあったら行ってみたい。気絶するほどのクソリプに出会ってみたい。

あとは絵文字。今年は、ぼくが生きてきた中で最も多く絵文字を使った1年だったと思う。絵文字はすごい。PHSを持ち始めて楽しくて仕方なかった16歳のぼくも、まさか33歳の自分がもっともっとたくさんの絵文字に囲まれて暮らしているとは思っていない。絵文字も、2016年に「言葉」を語る上で無視できない存在。絵文字はとてもよいもの。人と人の関係をちょっぴりよいものにしてくれる、いいやつ。絵文字関連の人的トラブルって見たことがない。絵文字は平和をもたらす。データベースと文字コードまわりのトラブルはよく見かけるけれど…。

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さてさて、思う存分に散らかすことができたので、大満足でエントリの公開ボタンを押そうと思います。2017年も、きっとまたおもしろフレーズがたくさん生まれて、ぼくはにこにこしてしまって、言葉と、人々と、この世界のことを想うのでしょう。来年もきっと、素敵な言葉に満ちた年でありますように。

「かさなり」と「ひろがり」を大切にする

これは【その2】妻・夫を愛してるITエンジニア Advent Calendar 2016の12月18日の担当エントリです。

12月17日は、laprasdrum さんによる非エンジニアな妻を支える疑似スクラムゲームでした。高校の部活きっかけのお付き合いで14年の付き合いになるベテラン夫婦のお話、たいへんおいしく頂戴いたしました!自分たちの状況に合わせてツールや手法を選んでいて、素晴らしいなあと思います。

今回、【その2】妻・夫を愛してるITエンジニア Advent Calendar 2016を作成された ikkou さんが「書きましょう!」と誘ってくれたので、登録してみました。ここまでノロケ話がいっぱいで、世の中に仲のよい夫婦や家族がたくさんいるんだなぁと感じてうれしくなります。ぼくもなにか書いてみますね。

これ系だと、2014年の「家庭を支える技術 Advent Calendar」に参加したときのものや、2014年の春頃に書いたエントリがあります。

「こんなツールを使っています」「こんな工夫をしています」ってのはだいたい書き終えていて、2016年も終わりを迎えそうな今も内容はあまり変わっていないので、あらためてこれ系を書くのは控えようと思いました。なので今回は、ぼくのスタンスというか考え方のようなものを書いてみましょう。

「かさなり」と「ひろがり」

家庭においてもそうですし、それが以外の場所でも同様に、ぼくは「かさなり」と「ひろがり」の両方を大切にし、また、それらをバランスよく持ちたいと考えています。

「かさなり」がなければ、共通の話題がなかなか見つからなかったり、価値観を共有できなかったりして、いっしょにいてストレスを感じやすくなります。共通認識であったり、共有できる趣味であったり、そういったものは大事です。

それと同じくらい「ひろがり」も大事です。いっしょにいる相手が、自分となにもかも同じ考えだったら、ぼくは「つまらない」と感じてしまいます。自分からは出てこないような発想や言葉を飛ばしてくる人といっしょにいると、刺激的で楽しいです。

ぼくはいっしょにいる相手との間には「かさなり」と「ひろがり」の両方をバランスよく持ちたいなぁと思っています。

奥さんと過ごした2016年

幸い、奥さんと過ごす時間には「かさなり」も「ひろがり」も感じられます。というか、そういう人だから結婚したいと思ったのでした。

特に今年はとてもバランスよく過ごせた実感があります。お互いの専門領域や趣味嗜好を尊重し、共感しあいながら、相手にあって自分にないものをうまく取り入れながら過ごしてくれたと感じています。お互いの後輩をひとりずつ誘っていっしょに函館旅行に行ったりだとか、お互いの知り合いをお互いに紹介しあったりとか。

大枠では「日本のウェブ業界」に身を置いているぼくらなので、言葉は通じるし、流行りの話題も難なく通じて助かっています。一方で、人間的なパーソナリティの部分ではずいぶん違う2人で、奥さんの発想や言葉選びにはよく驚かされるし、なんだかおもしろく笑ってしまうこともしょっちゅうです。

最近は、奥さんの発想がぼくに似てきたな〜と感じる瞬間がちょいちょいあって、それはうれしいことではあるけれど、ぼくの大好きな奥さんはぼくの大好きな奥さんのままでいてほしい気持ちもあるので、あんまり影響を与えすぎないように注意したいな、と思います。

来年に向けて

今年、特に終盤に運気が向いてきた感じて、とってもいい感じに2017年に突入できそうです。来年も、毎日なかよく楽しみながら暮らしていきましょう。ぼくはぼくでがんばるので、奥さんは奥さんでがんばって、これからも楽しい話を持ち寄ってワイワイ過ごしていきたいです。

極上の日々をどうもありがとう。これからもよろしくね。

次回予告!

明日、12月19日の担当は @kyoro353 さんです!どんなお話が出てくるか楽しみ。チャンネルはそのまま〜!