ボクは自分を客観視できない.だからアウトプットを出すしかない.
こうやって文章になったり,友達に届いたりした言葉は,その瞬間にボクから緩く切り離されて,ようやく客観視できる対象となる.何か悩みがあって,誰かに聞いてもらおうと思って話し始めたら,その途端に自己解決したりする.これは自己の切り離しと客観視の好例だ.特に,時が経ってから振り返る文章は,まるで他人が書いたもののように捉えることができる.このブログの過去のエントリを読み返してみると,「こんなこと思ってたんだなー」と思えるときがある.良い客観視ができている.
そしてもうひとつ,パブリックな場所にアウトプットすることで,第3者の視点を得られる.自分を知る上で,自分以外の存在は欠かせない.自分の中に閉じないことも大切だ.
Web にどっぷり浸かるようになって,それに比例して自分の表現のチャンネルがどんどんと増え,自分を知る機会が増えたことを,とても嬉しく思っている.それでも一方で,まだまだチャンネルは増やせそうだと感じている.Twitter や Tumblr のおかげでかなり細かい粒度で自分の趣味趣向が表現されるようになったけれど,頭の中に浮かんだままどこにも生まれず消えていく思考の欠片を,もっと多く自分から切り離してみたい.もっと深く自分を知れるだろうか.どこまで深く自分に潜れるだろうか.
どんな生命も,生まれたときにただひとつ「自分の世界」を持って生まれてくる.そして生きることは,自分の世界を知ることだと言える.もっと色んな視点から自分を見つめ,理解を深め,この人生を,この世界を,より良きものにしていきたい.