10日くらい前に,Tumblr にこんなことをポストした.
自分の表現を持たない人にも、Tumblr は優しい。
その数日後に,自己表現としてのゲームを読んで,また色々と考えさせられた.いくつか引用を挟む.
インターネットで自己表現が可能になったといっても、それは高々25%程度にすぎない。 四分の三の人々は未だに自己表現をすることができていない。
プロフなんかも、質問に答えるだけで、自分のアイデンティティを誇示できるというシステムで、 アイデンティティを表現することができない層に馬鹿あたりだ。 僕らはそれくらいにアイデンティティを表現したいし、しかし表現するための能力がない。
ここで指摘されているプロフに近いものを,Tumblr に感じている.Tumblr は,便利なツール群の存在もあって,本当にお手軽に Web 上に何かを発信できる.ひとまずここでは,ブログっぽく,メモっぽく使っているユーザは想定外として,クリッピング用に活用しているユーザを思い浮かべてほしい.
自分の表現ってなんだろう
じゃあ,自分の表現ってなんだろう.少なくとも,ボクにとっては Tumblr よりもこのブログの方が,自分の表現をする場所と感じられる.でもこれは本当に自分の表現だろうか.
今日,LT 用の発表資料を作っていて,自分がこの1年くらいの間に見たプレゼン資料に強く影響を受けていると実感した.もちろんパクったつもりはない.すべて自分の中から出てきたものだと思って作っている.
日々,目にするものが100あったとして,そのうち一握りの1から5ぐらいは,心に残る.それはやがて自分の感覚に溶け込み,自分のものだと思うようになるのだろう.素通りしていった95ぐらいは,そのまま忘れてしまう.
Tumblr は,こんな風に繰り返される出会いと別れの,分かりやすい例えだ.
誰かの Tumblr を見るのは楽しい
新しく知り合った人が Tumblr ユーザだったならば,その人の直近の200ポストくらいを見て,自分との共通点がないか調べたくなる.知り合ってから一緒にゴハンを食べにいくほどに仲良くなって,「俺,こういうのが好きなんだよね」を聞き出せるようになるまでは,早くても数週間は要する.Tumblr は,そこまでの時間を,少しだけ縮めてくれる.
ブックマークなんかとはまた違って,嫌いなもの/苦手なものは,滅多にポストしないものね.見ていて楽しい.
他人の表現を借りて自分を表現する
Tumblr は,それが歓迎される文化を生み出したよ.自分の表現を持たない人にも,Tumblr は優しい.