foursquare を利用する日本人ユーザが急速に増えている。きっかけは2010年1月18日の、このエントリでしょう。
Twitterの次はこれじゃね?今一番イケてる(と僕が思っている)『foursquare』について調べてみた – IDEA*IDEA ~ 百式管理人のライフハックブログ
ボクは例によって「とりあえずアカウントだけ取得した」状態だった。確か TechCrunch Japan の「位置情報サービスってなにそれおいしいの?」に答えてみるを読んで foursquare に登録したのだったと思う。
「自分のまわりにユーザがいないと何も楽しめない」のは「他のユーザを友達登録して遊ぶ」ソーシャルなんちゃらの常で、しばらく放置していた。そして、この数週間の大流行だ。一気に foursquare 上での Friend が増えて、見える景色もずいぶんと変わった。
よくある「ソーシャルなんちゃら」の特徴を持ち、誰もが難なく思い付く「モバイル端末からの位置情報ポスト」ができ、かつ「ゲームっぽい」要素が散りばめられた foursquare に触れていると、ここ数年に体験してきたソーシャル系アプリのことを想わずにはいられない。
このエントリでは、各サービスや各アプリケーションの批評をしたいのではなくて、それらによって自分の生活、行動、思想にどういった影響があったのか、思い出しながら記録してみたい。きっと1年後には、ボクはまた別の新しいアプリケーションで遊んでいて、昔の気持ちを思い出したくなるはずだ。そのときのために記録する。
ゲームとしての foursquare
foursquare は「ゲーム」である。ボクが抱いている印象だ。
他の多くのソーシャルなんちゃらと区別するために「ゲーム」と呼ぶのは、foursquare 上でユーザに何かを与えるのは「他のユーザ」だけではなく、foursquare そのものだからである。具体的には「Point」や「Badge」や「Mayor」によってそれらは目に見える。
序文の中で「自分のまわりにユーザがいないと何も楽しめない」とは書いたものの、使い始めたときに実際にそう思ってはみたものの、実は foursquare はそうでもない。ひとりで使っていても、システムがそれなりに相手をしてくれる。foursquare を使えば使うほど Point が貯まるし、「おめでとう!あなたはこの地の Mayor (代表ユーザ) になりました!」とか「ついに Superstar の Badge (称号) を獲得しました!」などと、ユーザを「乗せて」くれるのだ(といっても今のところ Point をお金などに交換できそうな気配はない)。
だからボクは foursquare を「ゲーム」と呼ぶ。
付け加えて、foursquare の iPhone アプリには Point のランキングを見せてくれるビューがあって、これまた上手にユーザを煽ってくれるので、ソーシャルゲームと呼ぶのもいいかもしれない。
さぁ、ボクと一緒にこのソーシャルゲームで遊ぼう!なーんて!
brightkite と foursquare
ボクは brightkite.com がとても好き。2008年11月21日に invitation を受け、ちょくちょくポストするようになったのは2009年の5月。かれこれ半年以上も愛用している。
brightkite は「Twitter + 位置情報 + 写真」って感じで楽しむアプリケーションで、普段は行かない場所に行ったときとか、写真付きで何かを言いたいときは、brightkite の iPhone アプリからポストを楽しんでいる。
foursquare を楽しむようになって、brightkite へのポストは減った。「位置情報で遊ぶ」「iPhone で遊ぶ」あたりの特徴が重なるので、当然と言えば当然かも知れない。自分にどんな変化が起こったかを観察してみると面白い。
最初に foursquare に触れたときは「foursquare はソーシャルゲーム、brightkite は他のソーシャルなんちゃらの流れを汲むライフロギングアプリケーション」と感じた。
普段の生活の中で身を置く場所。たとえば自宅や勤務先、通勤経路となる駅などに Check in したくなるのは断然 foursquare だ。foursquare には Mayor という「その場所を代表する人」の仕組みがあって、同じ場所に頻繁に Check in するとユーザに Mayor の称号が与えられる。brightkite においては、同じ場所に繰り返し Check in するモチベーションを見つけられなかった。
brightkite を使い始めた頃から気付いていたことで、ボクらは「今いる場所の住所や緯度経度をポストしたい」わけではなく、「今いる場所を代表するような呼び名をポストしたい」のだ。ほとんどの人は「東京都新宿区新宿3丁目38-1なう!」ではなく「新宿駅なう!」もしくは「新宿なう!」と Twitter にポストする。さて、ここで問題なのは、その「呼び名」が検索しても見つからなかった場合のフローだ。
brightkite も foursquare も、ユーザが「場所」を新規登録できる仕組みがある。brightkite では「場所」の登録時に「住所」の入力が必須であり、これがユーザを新規登録から遠ざけているように感じる。ボクは何度か「あ、検索しても出ない。住所も分からないからあきらめよう」となったことがある。一方、foursquare では、検索で所望の場所が見つからなかった場合、検索語をそのまま「呼び名」として登録できるフローがあって、住所の入力は省略できる(気が向いたときにブラウザから編集してもよい)。さらに、新規登録したユーザには Point まで与えられて、登録が「歓迎される」つくりになっている。
brightkite を使っていて、「そもそも、登録されている場所に偏りがある」と感じることもあった。たとえばとちぎRuby会議02に参加するために西那須野公民館に行ったときのこと。公民館自体は brightkite で見つけられないのに、公民館のトイレはすぐに見つかって、仕方がないから、みんなでトイレに Check in した。
公民館よりもトイレの存在が重要視される「場所のデータベース」と考えると、「カーナビ用データベース」が裏側にはあるのかもしれない。余談でした。
Twitter と foursquare
foursquare は Twitter と「完全連携」している。なんと、ユーザページの URL (ボクでいう http://foursquare.com/user/june29 のこと) のユーザ名部分は、Twitter のユーザページの URL と同じものになる。
これが何を意味するかというと、foursquare にアカウント登録して、Twitter のアカウントと統合すれば、「Twitter の following で foursquare を使っている人」をいきなり一覧できるってことだ。いわゆる Social Graph、考え方自体は何年も前から存在しているけれど、foursquare は思い切って Twitter を密な連携先に選んだ。これは2010年初頭においては極めて効果的な現実解かもしれないな。最強かもしれない。DataPortability.org が理想的な設計を行って、理想的な実装が登場するのを待つよりも、不安定ながらとりあえず元気に動いている Twitter の蜜を吸うのは妥当な戦略だと思う。Twitter ジュース美味しいです!
その上でひとつ分からないのは、なぜ foursquare 上の表示名に Twitter の screen name を採用しないのか、ってこと。First name と Last name で表示名を作るの、そんなに大事だろうか。Twitter で知りあって、実名を知らないような Friend さん、screen name で表示してもらわないと誰か分からなくて困ること多し!
Tumblr と foursquare
Tumblr は優しくて、とても好き。
「Tumblr は、自分さえ楽しければ他に何も要らないってことを教えてくれた」って声を以前にどこかで見聞きしたような覚えがあって、ソースは見つけられなかったのだけれど、とにかくボクはこの声に共感している。
foursquare の Mayor の仕組みは面白くて、新宿駅の Mayor になろうと思ったら(Mayor はひとつの場所にひとりなので)競争率が高くて相当な労力が必要になるけれど、誰もいないところを狙えば誰でも簡単に Mayor になれる。Friend の最近の Check in を眺めていると、みんなけっこう Mayor な場所を持っていて、画面に「王冠のアイコン」が踊っていて楽しい。ユーザのプロフィールページに Mayorship として表示されるのは、「最も頻繁に Check in している場所」ではなく、そのユーザが Mayor な場所である。頻度で場所をピックアップしてしまうと、多くのユーザのプロフィールページに「新宿駅」等のメジャースポットが並んでしまうが、そうではなく、より強くそのユーザを特徴付ける場所がプロフィールとして表示される。上手い。
地方ユーザの brightkite や Twitter に対する反応で「近くに他のユーザがいないとつまらない」という声を聞くことがある。foursquare にも同様のことが言えるかもしれないが、Mayor 制度がそういったユーザにも楽しみを与え得るんじゃないかな。「この地域に関しては俺が誰より詳しい!」を示せるユーザプロフィールページになっている。
この「俺は俺で楽しいんだよ!」と、ユーザごとに自分の楽しみ方ができて、他のユーザの楽しみ方に大きく干渉しない仕組みは、Tumblr の楽しさを思い起こさせてくれた。
成長期として見る foursquare
foursquare を brightkite と比較したときは、foursquare に有利なように書いた。けれども、foursquare に写真を投稿することはできないし、他のユーザのポストに対してコメントを書いたりもできない。brightkite にしかできないこともあるので、現状、ボクは両者を使い分けている。
今後、このパワーバランスがどうなっていくかは分からない。どちらか一方が、もう一方の特長を取り入れて成長していくことは大いにあるだろう。それにしても、foursquare のバランス感覚というか、決断の背景に強い意志がありそうな感じ、ただならぬ覚悟を感じる。
「あれ、他のユーザのタイムラインって見れないのか」「コメントできないんだっけ」などと感じていて、ボクが「あっても良さそうと思う機能」がいくつもなかったりする。機能に優先順位を付けて、今は「本質のみを最速で」創ることに注力しているんじゃないかと予想している。「そんな機能は不要だから実装しない」と中の人が判断しているのだとしたら、きっと今のボクが想像もしていないような世界を彼らは描いている。今後、追加されていく機能、変化していく様子を見ながら、foursquare が実現しようとしている世界の姿を知っていきたい。
ところで、今の foursquare が最優先していることとはなんだろう。試しに考えてみる。それは「ひとつでも多くの位置情報付きデータをポストしてもらうこと」じゃないだろうか。それ以外に何かあるだろうか。
ゲーム要素を持たせてユーザを乗せるのも、ポスト数を増やすため。Point 制も、Mayor の仕組みも、場所の新規登録を歓迎する仕掛けも、ポスト数が多くなるようにデザインされている。とにかくたくさんのデータを集める。膨大な数の位置情報付きデータを集める。その思惑に向かって、今のところ順調に進んでいるようだ。
foursquareの1週間でのチェックイン回数が100万回を突破。成長規模は1ヵ月で2倍
じゃあ、データが集まったあとはどうしようか。たとえば、iPhone から位置情報に応じたデータを閲覧できるビューアを用意してみようか。そこに広がる景色は、セカイカメラが目指した世界なのかもしれない。ボクはまだ試せていないのだけれど、ビューアとして使えそうな FoursquareX という Mac OS X 用の foursquare クライアントもすでに存在している。「何か」が一気にひっくり返る瞬間は、そう遠い未来ではないだろう。
ソーシャルなんちゃらは「便利なもの」か「楽しいもの」か
このブログで、これまでにも何度かソーシャルなんちゃらの「便利さ」と「楽しさ」について書いてきた。
ユーザが生成するデータから「便利さ」につながるような「価値」を捻出するためには、ある程度の「量」が必要となる。では、その量をどのようにして集めるか。「あなたがデータを生成してくれさえすれば、これだけ便利になるんです」と懇願するか、「楽しんで使ってもらう」ことでデータが生成される仕組みを作るか、大きく2つの方法がある。そんな風に考えることもある。
だけれども、今のボクは「楽しんで使ってもらう」そのこと自体に大きな価値があるととらえている。そして、楽しそうにしている人がいる「場」には、自然と人が集まってくるものだ。成功しているソーシャルなんちゃらは、例外なくそういった「場」を生み出している。
ボクが研究室に在籍していた頃、2004年ぐらい。「Web をもっと便利にしよう」みたいな大きな流れがあった。Web を研究対象として見ていたらから、そう感じていたのかもしれない。当時、「集合知」という言葉をよく見聞きした。また、「衆愚」という言葉も同じくらい見聞きした。
それが「賢いもの」であれ「愚かなもの」であれ、どちらも「人がたくさんいる状態」のお話をしている。ソーシャルなんちゃらってのは、つまりはそういうことか。人をたくさん集める、人から生み出されるデータをたくさん集める、それが根幹だ。そうして集まったデータを活かすか殺すか、それは次のフェーズのお話だ。
まずは何より人をたくさん集めること。そのためには「楽しさ」が不可欠であること。「楽しさ」が宿る場を用意すること。「楽しさ」そのものに価値があること。foursquare で遊びながら、ボクが考えたこと。
「集合知」の体現例として挙げられることのある Wikipedia もソーシャルブックマークも、便利であるより先に「楽しい」ものだとボクは思う。Wikipedia の上で適当にハイパーリンクをたどっていて「こんなことまで書いてあるのか!」と笑ってしまうことは少なくない。
今の foursquare には「楽しさ」がある。これから状況は変わっていくだろう。さらに人が増えれば「Mayor の私に断りも入れずに Check in だなんて、非常識だと思いませんか。この Venue は無断 Check in 禁止です」なんてネタが飛び出すかもしれない。向かう先にある「便利さ」や「お金の匂い」を嗅ぎつけて人が増えると、空気は変わってしまう。それを悪いと言うつもりはない。ただ、個人として、ひとりのユーザとして、悲しいと思ってしまうことは、ある。
Twitter はまさに今、人が集まってきたところだ。最近読んだ記事の中で、グッとくる表現があった。
すごろくやの「フォロワーの数×1円割引」キャンペーンは、1回きりで終わる見通しだ。「初めてだからこそ面白がってもらえた。あまり続けると悪用する人もでてくるし、フォロワー数の意味が変わってしまう」ため。今後もまた、別の形でTwitterを活用していきたいと丸田さんは話している。
「フォロワー数の意味が変わってしまう」と言っている。この表現に込められているであろう意味に、強く共感した。
ボクはソーシャルなんちゃらを「場」だと捉えている。この「場」を「ツール」だとみなすと、途端に世界の見え方は変わってしまうのだ。このことを忘れたくない。このエントリで今の気持ちを記録しておきたい。
謝辞
テキストチャットを中心に、いつも「ソーシャルなんちゃら」に関する議論の相手となってくれている @darashi さん、@snoozer05 さん、@kei_s さん、どうもありがとう!みんながいなかったら、ここまで考えを整理できていません。このエントリには、みんなの言葉がたくさん含まれています。みんなの言葉は示唆に富んでいて素晴らしい。