ニコニコ動画を毎日のように楽しんでいます.ボクはTVで放映される以外のアニメはほとんど見ないし,ゲームもプレイしないので,最近は元ネタが分からないものが多くて寂しかったりしますが,空耳ものはよく見ています.PCモニターの前で声を出して笑ってしまうことも多々あります.
お気に入りの動画ともなると,1日に5回以上再生することも珍しくありません.そんな状態が1週間ほど続きます.
長く同じ動画を見ていると,コメントの変化が気になります.初めてその動画を見たときに爆笑させられたコメントが古くなって消えてしまうと,何とも言えない残念な気持ちになりますね.ニコニコ好きの方なら,1度は味わったことのある感覚ではないでしょうか.
ボクはもっぱら再生オンリーユーザで,コメントはほとんどしません.自分のコメントが書かれたことで誰かのコメントが消えて(表示されなくなって)しまうかと思うと,ついつい遠慮してしまいます.「字幕うざい」とかいう類のコメントを見ると,字幕をOFFにすればいいのになぁと思いつつ,そうしてコメントを書くとこれまた不毛な争いにしかならないので,心に留めています.
空耳系動画の初期段階においては,同じフレーズに数種類の空耳がつきますね.人によってどの空耳が好きかは分かれるところですが,次第に最も支持を得た(と思われる)空耳に収束していく様は,見ていてとても面白いです.Aitsu koso ga Tennis no Oujisamaの空耳は,もはや芸術の域に達していると言っていいぐらいに完成されています.空耳保守職人さんたちの陰の努力に感謝です.
ある程度,空耳が収束してくると,YouTube や字幕.inに完成版のようなものがアップロードされます.ある個人によって空耳以外のコメントが省かれたものです.だけど,ボクは結局,ムダなコメントが多いと分かりつつもニコニコ動画の方を見てしまいます.なぜでしょうか.
ひとつは,コメントの変化自体を楽しんでいるからだと思います.そして大事なのは,空耳が特定個人の制御下にないということです.上手く表現できませんが,コメントの多様性を大事にしたいというか,淘汰が激しい中でも最後に残るものは,やっぱり良いものなんだと思います.コメントが最新200件までしか表示されない仕組みは,もちろん画面がコメントで埋まらないための仕組みでしょうが,よく出来たシステムですね.
あまり不用意にこの言葉を使うのは避けたいのですが,これも一種の群衆の叡智なのかなと,スペイン語のドラゴンボールOPを見ながら思いました.