#june29jp

自分の価値観の輪郭を探る

2018-12-22

はじめに

このエントリは Pepabo Managers Advent Calendar 2018 の参加エントリです。ぼくは 22 日を担当します。きのうは @igashima さんの ストレスとの向き合い方 | 人間万事塞翁が馬 でした。

ぼくはマネージャという立場ではないのですが、ペパボの本社事業部のチーフテクニカルリードになりました に書いた通り 2017 年 1 月からチーフテクニカルリードという職位でお仕事しています。チーフテクニカルリード歴が、もうすぐ丸 2 年になると気付いて驚きました。チーフテクニカルリードはカタカナ 11 文字で長いので、以降は CTL と略語で書きます。

(弊社における CTL についての詳細は 技術組織をスケールするためのCTL = チーフテクニカルリード - Kentaro Kuribayashi's blog が詳しいです)

CTL は、2018 年の我々の業界の語彙でいう「エンジニアリングマネージャ」と呼ばれるロールの成分を多く含みます。そういう意味では、ある面ではマネージャであり、管理職でもあるわけです。そんなこんなで Pepabo Managers Advent Calendar 2018 にも参加しています。

マネジメント、あるいは管理

一般的に、マネージャっぽい役割であればマネジメントのスキルを習得しておくと役に立ちそうです。また、管理職ということであれば、物事を上手に管理できるようになっておくとよさそうに思えました。

実際、CTL になった頃は「あらためてマネジメントについて勉強しよう」と思い、Amazon.co.jp を「マネジメント」で検索したときに出てくるよさげな書籍を適当に選んで読んでみたりもしました。2017 年初頭から 2018 年の春あたりまで、june29 のブックマーク には management タグのついたブックマークがたくさんあります。

しかし、そうやってまるまる 1 年間くらい過ごしてみて、どうにも「マネジメント」「管理」という語彙に対してテンションが上がり切らない自分がいると自覚するようになりました。これは言葉に対する好き嫌いの話でしかないのですが、とにかくぼくはそういう状態だったのです。テンションの上がらない語彙を中心においてがんばるよりは、もっと自分の好きな言葉をふんだんに活用して思考を整理していった方がよいだろうと思い、代わりに「チーム」「組織」「文化」といった語彙を通じて CTL の役割やお仕事を自分なりに考えていくことにしました。

いっしょに楽しく活躍したい

前述したような思考の過程を辿ったぼくは、「マネジメントを上手にやりたい」というよりは「関わるみんなといっしょに楽しく活躍したい」と考えるようになりました。これなら気分が乗ってきます。自分の心の声に近いメッセージを選べているからでしょう。

この観点を出発点として、あれこれを勉強してみたり、試してみたり、取り入れてみたり、捨ててみたり、先輩に相談してみたり仲間と議論してみたり、うまくいくこともあればぜんぜんうまくいかないこともあったりしながら、だんだんとわかってきたことがありました。

それは「自分の価値観をより深く理解することが大事」ということです。もし、自分の価値観がよくわかっておらず、自分や同僚や友人たちの中にどのような価値観が存在するのか・存在し得るのかに意識を向けられなければ、それを受け入れて尊重することも難しいはずです。自分が、関わるみなさんの価値観を尊重できていないとしたら、それはとても怖いことのように感じます。いっしょに楽しく活躍するだなんて、叶いそうにもありません。

だからまず、自分自身の価値観と向き合うことから始めて、整理できてきたものから順に明記していくことにしました。明記したものをもとに「ぼくはこういう考えだけど、あなたはどう?」と対話をはじめて、相手の価値観を引き出して聞き出せたら万々歳です。そこまで進めたら、お互いを尊重しながらいっしょに楽しく活躍していくためのスタートラインに立てたと言えそうです。

自分の価値観の輪郭

さて、それではここから、ぼくがこれまでに自覚してこれた価値観を順に書き出していきます!

認知のパラダイムは「オレンジ」と「ティール」の間くらい

詳しくは 書籍「ティール組織」を読んで、自分の価値観を見つめ直してみた に書きました。図もそこに載せたやつの再掲です。

がんばって自分をなるべく客観的に見るつもりで考えてみて、ぼくの思考のパラダイムは「アンバー : オレンジ : ティール」の比でいうと「1 : 7 : 2」くらいかな、と感じます。ベンチャーやスタートアップでのお仕事を経て、成人して以降の多くの期間をオレンジの傾向が強い組織で過ごしてきたので、思考のパターンもオレンジに強い影響を受けているように思います。

ぼく自身はアンバー的な価値観をほとんど有していないのですが、アンバーのパラダイムが重視しているものがなんなのかわかったのは収穫でした。

アンバーのパラダイムに従って暮らしている人は「規則や規律こそが組織を守る、だから私たちは規則や規律を守ることがとっても大事なのだ」という価値観を持っているので、その価値観においては「みんなで幸せになるために規則を守る」のは理にかなっているのです。そこは否定されるべきものではないのだな、と納得しました。

ティール組織 ― マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現

ティール組織 ― マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現

損得で物事を考えがち

判断に迷ったら、だいたい「お得だと思う方」を選びます。なるべく損をしたくないからです。

お得を構成する要素はいろいろあって、経済的なお得のように定量的にわかりやすいものもあれば、心理的には「うれしい」「たのしい」もお得だと思いますし、社会的な観点での「この人にはお世話になっているから、この機会に恩返しできるとよい」のようなお得もあります。

こうして書き出してみるとそりゃそうだなという内容ですが、実際の語彙としても、日常的に「お得」という言葉を言ったり書いたりしています。

未来に対する希望的観測

これはサピエンス全史を読んだことで認知できたことです。下記は「サピエンス全史 下巻」からの引用です。

近代以前の問題は、誰も信用を考えつかなかったとか、その使い方がわからなかったとかいうことではない。あまり信用供与を行なおうとしなかった点にある。なぜなら彼らには、将来が現在よりも良くなるとはとうてい信じられなかったからだ。概して昔の人々は自分たちの時代よりも過去のほうが良かったと思い、将来は今よりも悪くなるか、せいぜい今と同程度だろうと考えていた。

こう書いてあって、意外に思いました。ぼくは常々「これからもどんどん新しいテクノロジやプロダクトが登場して、現在のぼくを悩ませていることの大半は未来には問題ごと消えてなくなっているのだろう」と想像しています。科学の力を信じることで得られる楽観ですね。人類というスコープで見ても、ぼく個人というスコープで見ても、10 年後や 20 年後には今よりもっと生産しているし、消費もしていることでしょう。

ぼくらが取り合うパイは拡大を続けているんだ、という捉え方をしています。

サピエンス全史(上) 文明の構造と人類の幸福 サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(上) 文明の構造と人類の幸福 サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福

  • 作者: ユヴァル・ノア・ハラリ
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2016/09/16
  • メディア: Kindle
サピエンス全史(下) 文明の構造と人類の幸福 サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福

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ゼロサムゲームに参加しない

先の「損得」と「未来に対する希望的観測」の両方に強く結びついた考えとして、なるべくゼロサムじゃないゲームを選んで参加している、というのがあります。そのおかげで「自分にとってお得な方を選ぶ」を躊躇せずに実践できています。

もし、社のお仕事における成果がゼロサムゲームだったら、ぼくがたくさんパイを取ったらその分だけ他の人が取れるパイが減ってしまうので、ぼくには遠慮の気持ちが少なからず生じることでしょう。もう 10 年以上も昔の話ですが、売り場に立つお仕事をしていたときはまさにパイの奪い合いという感じがあり、ぼくは苦手でした。今後もゼロサムっぽいゲームには極力関わらないで生きていくと思います。

ぼくが全力で得をするとぼくのまわりにいる人たちも得をする、そんなゲームだったら最高じゃん、と。そんな世界観をもって生きています。

世界の富はどんどん増える、みんなでバンバン稼いでジャブジャブ使っていきましょ〜という資本主義と消費主義の時代に生まれたぼくだからこんな価値観になったのでしょう。

全体主義よりは個人主義

ここでは「個人主義」という概念の詳細に立ち入ることは避けて、全体主義よりは個人主義に寄った考え方を持って暮らしているぞ、ということだけを表明しておきます。

Wikipedia の「個人主義」のページ には大事なことが書いてありました。

個人主義と「利己主義」は同一ではない。個人主義は個人の自立独行、私生活の保全、相互尊重、自分の意見を表明する、周囲の圧力をかわす、チームワーク、男女の平等、自由意志、自由貿易に大きな価値を置いている。個人主義者はまた、各人または各家庭は所有物を獲得したり、それを彼らの思うままに管理し処分する便宜を最大限に享受する所有システムを含意している。

ぼくは個人主義的ではあるけれど、利己主義的ではないつもりです。自分のお得のために行動するけれど、他の人に損をさせたいとは思っていないからです。あなたもぼくも得をする方法を選びましょう、というスタンス。利己主義は、ぼくの損得のモノサシでいうと「損」の色が強いです。そっちを選びたくない気持ちがあります。

人類という種は、種としての存続を目指す特性を有しているけれど、各個体の幸福についてはまったくの無頓着です。人類はぼくを守ってはくれません。全体や集団も、それら自身の発展を望みはするけれど、ときとしてそこに属する個体を犠牲にします。集団はぼくを守ってはくれません。なのでせめて、自分のことは自分で守っていく気概があった方がいいだろうな、と思い、ぼくはぼく自身を存続させるために個人としての権利や主張を使えるだけ使ってやろうと思っています。

成果主義

なんにせよ、質と量の両面で「成果を出している人はすごいな〜」と思って見ています。

自由主義

各位、自分の望む結果を得るべく各位の自由を最大限に活用してやっていきましょう、という考えがベースにあります。自分ひとりで戦う自由も、まわりの協力を得ながらやっていく自由もあります。もちろん、自分からは行動を起こさずに、流れるように結果をただただ受け入れるという自由もあることでしょう。

誰かがぼくの人生の面倒を見てくれるとは思えないので、いつだって後悔しないように、自由の範囲を広げつつ自由を行使して結果を勝ち取っていくぞ、という気持ちです。

楽観主義

そう簡単に死にはしないよな、と思っています。なるようになるさ。

ここで エミール=オーギュスト・シャルティエ の著書「幸福論」からの引用です。

悲観主義は気分に属し、楽観主義は意思に属する。

ぼくは、自分には自由意思があると信じておきたい人なので、気分に負けない意思としての「楽観主義」をスキルとして身につけておきたい気持ちがあります。身近な人が悲観に飲まれそうなときこそ、ぼくはそれを笑い飛ばしていたいんです。なんでって、その方が成果を出せると思うし、なにより幸せな生き方だと思うからです。悲観に暮れて生きるなんてごめんだ。

経験主義

2018 年の日本でプロダクト開発に関わっていると、とにかく不確実性の高さを感じて止みません。ありとあらゆる物事の変化のスピードが早すぎます。

だいたいにして複雑系を相手にすることになるので、事前にすべての情報を揃えて完璧な予想や計画を打ち立てることは不可能と感じています。その時点で考えられることを考え尽くしたら「ちょっとやってみましょうか」で経験を得るための行動を始めます。このとき、なるべく小さいコストでなるべく多くの気付きを得られるようにやり方を工夫します。

ぼくと同じようにプロダクト開発に関わっている人、特にプロダクトマネジメントを学んでいる人にとっては釈迦に説法な内容だよな、と思いながらこの節を書いています。というのも、ぼくにとっては「そうするしかないよな」と思うくらいに確信に近い考え方ではあるものの、世の中を眺めていると、不確実なことに最初から大きなコストを投じて盛大に空振りする例をちょいちょい見かけるので、現段階ではまだまだ何度でも言った方がよい内容なのかな、と思って書きました。

「ザ・不確実性本」という感じで、不確実性については「エンジニアリング組織論への招待」が詳しいです。

おわりに

他にも書けるようなことはありそうですが、あまり長く書きすぎてもしょうがないので、今回はこのあたりにしておきます。今年はさまざまなインプットと試行錯誤を経て、これまでクリアに捉えられていなかった自分自身の輪郭をたくさん発見した 1 年でした。これをもとに、接点のある人たちとの相互理解を深めていけるといいな… ここからがんばっていきます。

ここに書いたのは、2018 年 12 月時点での自分の価値観のスナップショットです。今から 1 年も経つころには、まるきり別のことは言わないまでも、今日と同じ価値観のまま過ごしているということもないでしょう。これからも随時、価値観は更新されていくと確信しています。

今年、こうして自分の考えをまとめていくにあたって、5 月くらいから少しずつ書き溜めていった june29 の Scrapbox がとても役に立ちました。特にそうですね、#言葉 というタグをつけたページたち には、今回書いたような内容の断片がいくつも記録されています。これからも事あるごとに記録していくことになりそうです。

このエントリは Pepabo Managers Advent Calendar 2018 の参加エントリです。22 日を担当しました。明日は @tnmt さんの CTL一年目のまとめ - hack in 3 minutes です。

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ぼくとウェブログの平成も過ぎゆく

2018-12-22

はじめに

今年 2018 年も、ほとんど毎日をウェブとともに過ごし、ウェブについて様々な想いを巡らせた年でした。ぼくの個人サイトであるここ june29.jp も、いちおうは「ブログ」という体裁で運用しています。ブログブームだなんて言われていた時代はずいぶんと遠く、ブログという概念はそれなりに社会に定着したように思えて、それがウェブログの略語であることはどれほどの人に意識されているのだろうかと、ふと考えてみたりもしました。

このエントリは 2018 Advent Calendar 2018 の参加エントリです。個別の記事のことをエントリと呼んじゃうあたりがウェブログっぽい、と自分では思っています。

かなしい気持ち

こんなことを書き始めちゃう自分がなにより悲しいのだけれど、2018 年はウェブを眺めていて悲しい気持ちになることが多かったように思います。楽しいことやうれしいことはこれまでと同じようにたくさんあったものの、悲しくなったりつらくなったりすることがだんだんと増えてきてしまいました。

さて、せっかく 2006 年 6 月 29 日からウェブログを続けてきたぼくなので、過去のぼくがウェブに対してどんなテンションだったかを見てみましょう。

たとえば 2008 年、今から約 10 年半前に書いた もっとWebにデータを! を読んでみると、テンションが若い感じがしてちょっと恥ずかしかったりもするんですがそれは置いておいて、当時のぼくは「もっと多くの人が、もっと多くの種類のデータを、どんどんウェブに記録しようよ!」というテンションでいたようです。たしかにそんなテンションだった気はします。記録がなかったら思い出せなかったでしょうから、記録は便利ですねぇ。

そいで、今年のぼくはどんなテンションだったかというと先述の通りで、具体的には「なんでそんなことをわざわざ言うんだ、わざわざ書くんだ」「不毛な争いは終わりにしましょ〜」と思うことが毎週のようにありました。ちょいと疲れ気味なときなんかは「人間がたくさん集まるとロクなことにならんね…」「こういう隙だらけな迂闊な発言をしちゃう人は、ウェブで発信しない方がいいと思う、トラブルにしかならんよ」と思うこともありました。

こんなぼくを 10 年前のぼくが見たら、きっとすごく悲しい気持ちになると思います。なんか、ごめんね。

観測範囲の話

「そういう感想を持っちゃうのは、お前がそういうものを見ているからだろ」というのは、その通りだと思います。

今年の夏くらいに「あー、気落ちするとわかっていながらそういう情報を見に行ってしまっているな」と明確に自覚した瞬間があって、一度、自分が日常的に活用している情報チャンネルの整理をしたり、情報収集のやり方を変えたりしました。それでいくらかマシになった部分もあるのですが、まだまだ毒を吸ってしまうタイミングがあるので難しいところです。

基本的に、情報チャンネルはホワイトリスト方式で運用しています。Twitter でいうと「この人たちからは毒素の強い情報は流れてこない」と安心できる人たちのリストがいくつかあって、それらのみを見るようにしています。

「この人の発言は見ない」としてブラックリストを育てる方式もありますが、ぼくにとっては「ブラックリストをメンテナンスしている」こと自体が精神衛生上うれしくないことなので、人生において一切のブラックリストを保持せずに済むようにがんばって暮らしています。

傷ついたって認めてもいい、傷つきたくないって主張してもいい

友人である @hmsk くんのエッセイに 「傷つくなぁ。」 という話があって、これにはハッとさせられたんですよね。ぼくも彼と同じようなことを思いました。

ウェブで発信していくにあたって「ひどいことを言ってくる人がいるのは仕方ない」「無視するのが得策ですよ」「気にしたら負けです」といったアドバイスというか心構えというか、そういうのがあるのは知っています。けど、あらためて考えてみて「ウェブだからしょうがない」と認めてしまうのはよくないのかもな、と考え始めました。ウェブを利用している全員と心からわかりあえるだなんて思っていませんが、だからと言って傷つけ合うのもオッケーとはなりません。わかりあえない相手がいても、互いを尊重しあえるウェブがあっていいじゃないか。ぼくはそういうウェブをあきらめきれないんだな、と思えたのも 2018 年です。

「ウェブは傷つけられる場所なので我慢しましょう」なんて、そんな紹介文は書きたくないもんなあ。

ウェブの父は、なにを思う?

@sot528 さんが書いていた Decentralizationについて語る時に僕の語ること | ALIS をふむふむ〜と読んで、そこからリンクをたどり、ウェブをつくった Tim Berners-Lee さんの最近の問題意識について知りました。

ぼくは「Web 2.0」というフレーズがバズワード化していた頃にウェブに夢中になっていったクチで、ここ june29.jp だってその頃に立ち上げたものだし、あれから 10 年以上を経て「ウェブには次のメジャーバージョンアップが必要かもしれない」という機運が高まっているのだから気にせずにはいられません。いったい「Web 3.0」はどんな姿形をしているのでしょうか。これを考えるのはとても楽しいです。

それでもぼくらは発信していきたい

10 月には 日本人ITエンジニアの90%に記事を書いてほしくない という記事が話題になりました。言わんとしていることはわかるけれど、ぼく個人は「書くな」「書くべきではない」という主張には明確に反対です。「プロリーグで活躍できる実力がある人だけサッカーをやるべき」みたいなお話として捉えました。それだと後進が育たないので、サッカー少年たちも楽しくプレイできる場があった方がいいとぼくは考えます。技術記事のライティングも同じ。書きながら読まれながら上達していくのが効率的なので、安心してそれができる環境があった方が結果的に質の高い記事がたくさん生まれることになると思います。

問題は「マッチング」ですよね。プロの試合を観にきた熱烈なサッカーファンに少年サッカーを見せたら満足してもらえないのは仕方ないと思います。ウェブの歴史をふりかえると、Google のおかげで欲しい情報が見つかるようになったとよろこばれた時代がありました。ぼくらは Google の次を求めているのかもしれません。もちろん、Google の検索エンジンが進化してぼくらが満たされるという展開もあり得るでしょう。

いずれにせよ、情報を発信する人がいなくなれば情報が無になって検索も探索も意味をなさなくなってしまうので、発信を咎めるのには反対です。発信された情報を必要な人とマッチングさせるところをがんばっていきたい考えです。そこを上手くやれるプレイヤーがいたら、次の 10 年の覇者になるのかもな〜とも思います。

おわりに

今年見た中で印象に残っているウェブページたちへのリンクを絡めながら、ちょっと意識して「ウェブログ」っぽい調子で書いてみました。ぼくはやっぱりウェブやブログが好きなんだ、ということをたしかめながら。ウェブとブログがある惑星に生まれてよかった。そして平成も過ぎゆく。

2018 Advent Calendar 2018 の 22 日を担当しました。きのうは @o_ti さんの ベストオブ2018 - dskd でした。明日の担当は @tyore さんです。

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一時的なチャンネルを作っては捨てて Slack をもっと活用する

2018-12-21

ぼくの勤務先であるペパボの Slack での「これはうまいやり方だな」という活用方法をツイートしたら反響があったので、ここに簡単にまとめておきます。

人によっては「チャンネルというのは、気軽に増やしたり減らしたりするものではない」と思っているかもしれませんが、チャンネルを増やしたらオフィスが狭くなるというわけでもありませんし、作っては捨てて、それで快適にやるべきことを進行できるならいいじゃん、というお話です。使い捨ての発想。

たまたまうちでは Slack を使っているので Slack を対象として書きますが、チャットアプリケーションであればだいたい同じお話が適用できると思います。

組織における、全員が済まさなきゃいけないやつ

たとえば、具体的にはこういうチャンネル名になります。

  • #Slackの2要素認証設定のお願い
  • #セキュリティ研修を受講してください

うちのようにせいぜい数百名規模 (2018 年 12 月現在) の組織においても「全員に 5 分ずつ使ってもらって、これを完遂させる」って、なかなか大変です。今回紹介した工夫がなかった場合、

  • 全体チャンネルのような場所で「いつまでにこれを済ませてください」と周知する
  • 期日まで、担当者が定期的に完了状態をチェックして、未完の人のリストを出す
  • 未完の人のリストをもとにそれらの人々の上長に「そちらに未完の人がいるので促してください」と声かけする

のような進め方になり、全員が完了するまで「リストづくり」と「上長とのやりとり」を繰り返すことになりがちでした。全員がシュッと完了させられるならそれでよいのでしょうが、周知のタイミングでおやすみしていて見逃したり、あとでやろうと思っていたけど他のことをやっていたら忘れちゃった、なんてことはよくあります。かくいうぼくも締切の日に「あっ、これやらなきゃじゃん」となったのは一度や二度ではありません。

Slack のチャンネルを使うと、

  • それ用のチャンネルを用意する
  • チャンネルの説明欄やトピック、ピン留め発言などの目立つところに「これを済ませたら抜けてね」と書いておく
  • 全員をそのチャンネルに招待する
  • 期日まで、毎日の適当な時間に「@channel やってね!」と発言する

こんな感じになります。未完の人リストはチャンネルのメンバーそのものになるのでリスト作成の手間がゼロになるのと、未完の人だけを対象にリマインドするのが簡単になる点がよいです。

ほいで、無事に全員が完遂できたら「ご協力ありがとうございました〜」と言ってそのチャンネルはアーカイブするなり捨てるなりするだけです。

突発的な対応をやるやつ

代表的なのは障害対応です。少なくとも数年前から、いろんなソフトウェア開発の現場で「障害対応のときはそれ用のチャンネルを用意して情報をそこに集約させると便利」というのは言われてきたと認識しています。

弊社において、今年はこれをうまくやれたな〜という感触があります。だいたい「発生日」「プロダクト名」「障害要因」を情報としてチャンネル名に含めて、たとえば hogehoge というサービスでデータベース関連の障害が発生したら、

20181221-hogehoge-db

みたいなチャンネルを作ってそこに集まって復旧を目指す感じです。トピックが限定されるので関係ないお話や通知が流れてこなくて集中しやすいのと、いつなにが起こったかを時系列で追いやすくなるのがよいですね。対応完了したらこのチャンネルはアーカイブするわけですが、自分が参加しているチャンネルの一覧にこの手のやつがあると「これアーカイブしたいな」「残りのタスクってなんだっけ」という気持ちになり、ちゃんと Done に向かうという副次的な効果も感じます。

まとめ

社で使うようなチャットアプリケーションにおいては「各プロダクトのチーム」や「部署」「職種」ごとにチャンネルが用意されることが多いでしょう。それらは永続的なチャンネルです。すでに存分に活用されています。

一方で、今回紹介したような「期限付き」「一時的な」「役目を終えたら捨てる」性質のチャンネルは、まだまだ人々に知られていない活用方法がありそうです。そんなことを思って、ぼくが見かけたうまいやり方を紹介しました。

道具にふりまわされることなく、柔軟な発想で道具を活用して、楽しく便利に暮らしていきたいですね!

あわせて読みたい

弊社における、別の Slack の活用方法や遊びについても紹介しておきますね。

「800 個越え?多すぎでは…?」と思って弊社の Slack を確認してみたら 5,000 を越えていました… はい………。

追記

すばらしや〜!

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漫画「テセウスの船」がおもしろい

2018-12-06

これは 2018年オススメのマンガ Advent Calendar 2018 の参加エントリです。12 月 6 日を担当しています。きのうは @adarapata さんの WEB漫画「魔法使い」が完結するまで死ねない でした。

いちおう「12 月 6 日です〜」という体裁で書いていますが、これを書いている今は 12 月 16 日です。めちゃくちゃ遅れました。でも書きます。

今回ぼくがおすすめするのは東元俊哉さんによる 「テセウスの船」です。週刊モーニングで連載中の作品です。

テセウスの船 / 東元俊哉 - モーニング公式サイト - モアイ

テセウスの船

ちなみに「テセウスの船」というのはパラドックスのひとつとして知られる概念です。

テセウスの船(テセウスのふね、英: Ship of Theseus)はパラドックスの1つであり、テセウスのパラドックスとも呼ばれる。ある物体(オブジェクト)の全ての構成要素(部品)が置き換えられたとき、基本的に同じであると言える(同一性=アイデンティティ)のか、という問題である。

テセウスの船 - Wikipedia

どんな漫画か?

公式サイトに記載されている紹介文がこちら。

1989年6月24日、北海道・音臼小学校で、児童含む21人が毒殺された。逮捕されたのは、村の警察官・佐野文吾。その息子・田村心は冤罪の可能性を感じ、独自に調査を始める。

事件現場を訪れた心は、突如発生した濃霧に閉じ込められ、気が付くと1989年1月にタイムスリップしていた。

「殺人犯の息子」が真実を求め、辿る、哀切のクライムサスペンス。

タイムリープもののクライムサスペンスですね。ちなみに作者の東元さんは北海道出身のようです。ぼくは、北海道出身の人が描く北海道のシーンが好きなので、この作品のそういう部分も好きですね。

この作品を考える上でどうしても頭を過ってしまうのが三部けいさんの「僕だけがいない街」です。無論、これらふたつの漫画を比較してどっちがどうだとか論じるのは野暮だと思うのでそんなことはしませんが、雑におすすめすると「僕街が好きな人は、ぜひテセウスの船も読んでみてくれ!きっと楽しいぞ〜」になります。タイムリープもののクライムサスペンスで、北海道出身の作者さんが北海道のことも描いているのでね。

ただ、要素で見ると共通点は多いものの、作品としてはぜんぜん別のものなので、別物としてバッチリ楽しめます。

ネタバレしたくないけど、少し紹介したい

この作品を構成する重要な要素のひとつに「加害者家族」があります。ウェブ時代を生きる私たちにとって、もっと言えば、こんな辺鄙なところにある個人ブログをわざわざ読んでくれているあなたのような人にとって、加害者家族の生活については、なにかしら思うことがあるのではないでしょうか。なのかしらの事件の犯人とされた人が実名で報道されたとき、その家族の生活にはいったいどんな変化が生じるのか。事件とはまったく無関係だったとしても、家族というつながりがあるというだけで様々な影響を受けてしまうというのは、想像に難くないというか、実際にその手をトラブルをウェブ上で見かけたこともあるんじゃないでしょうか。

そういったところから物語が始まるので、ぼくは 1 巻の冒頭からグッとひきつけられてしまいました。主人公の田村心は、殺人犯の息子です。父親は本当に人を殺したのか。もしこれが冤罪だったとしたら、殺人犯の息子というアイデンティティとともに生きてきた自分の人生は、どうなってしまうのか。これが「テセウスの船」というタイトルとリンクするわけですね。

12 月 21 日に、最新 6 巻が発売!

冒頭で書いた通り、これを書いている今は 12 月 16 日なので、12 月 6 日のエントリにも関わらず 12 月 9 日に投稿されたツイートを平気で貼っちゃいます。

この記事を読んで少しでも興味を持ったあなた、まだ 5 巻までしか出ていないので今からでもすぐに追いつけます。6 巻が出るまでに、5 巻まで読んじゃいましょう!親切心で、Kindle のまとめ買いのためのリンクを置いておきますね。

テセウスの船 まとめ買い Kindle版

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書籍「サピエンス全史」の下巻を読んだ

2018-12-05

上巻を読み終えて、下巻はどうしようかな〜と思いながらそのまま半年くらいを過ごし、そのあと「読書が捗らない期」に突入して、それが明けて「またなにか読みたくなってきた!」と思ったときに手に取ったのが下巻でした。手に取ったというのは比喩で、実際は電子書籍ですけどね。

書籍「サピエンス全史」の上巻を読んだ から、ちょうど 1 年くらいが経ちました。

上巻では「認知革命」「農業革命」「貨幣の登場」「帝国の登場」のお話がありました。下巻には「宗教」「科学革命」「資本主義」「超ホモ・サピエンス」などが出てきます!中世から現代、そして未来に向けてお話が進んでいきます。

以下、読書メモです。

宗教について

「宗教」といったときにぼくらが想像するような、いわゆる特定の神サマ的なやつに祈る「ザ・宗教」とは無縁の生活を続けてきたので、宗教というものがなぜ世の中で必要とされるのか、自分にはよくわかっていませんでした。言葉で説明されたら「なるほど」くらいの感覚は得られるのですが、自分の感覚で心からは理解できていないな〜という感触がずっとありました。

サピエンス全史を読み終わって認識は少し更新されて、今のところは「宗教の存在に必然性は別にない」に落ち着きました。無数に存在していた人類の可能性のうち、宗教によって人類が存続した世界線にぼくが生まれたのだ、くらいに捉えました。

たとえば、100 年後の人類が「お金」をやりとりせずに生きているとしたら、その時代に生まれた人々は歴史の教科書に登場する「お金」というものの意味はよくわからないはずです。「お金のトラブルで人間たちが殺し合った」という事件のことを聞かされても「なんで、そんなよくわからないもののために…」となるでしょう。ぼくにとっての宗教はそんな感じ。

ただ、それが存在したことで世界は大きく動いたのだ、という過去があるというだけのこと。

もし宗教が、超人間的な秩序の信奉に基づく人間の規範や価値観の体系であるとすれば、ソヴィエト連邦の共産主義は、イスラム教と比べて何ら遜色のない宗教だった。

うむうむ、今のぼくには納得できるロジックです。

私たちは信念を、神を中心とする宗教と、自然法則に基づくという、神不在のイデオロギーに区分することができる。

ぼくは「神サマではない、別のナニカ」を信じて生きていると思います。

仏教徒がヒンドゥー教の神々を崇拝できたり、一神教信者が悪魔の存在を信じられたりしたのと同じように、今日の典型的なアメリカ人は国民主義者である(歴史の中で果たすべき特別な役割を持ったアメリカ国民の存在を信じている)と同時に、自由市場主義の資本主義者でもあり(自由競争と私利の追求こそが、繁栄する社会を築く最善の方法であると信じている)、さらに自由主義の人間至上主義者でもある(人間は奪うことのできない特定の権利を造物主から授けられたと信じている)。

ハイブリッド信念や〜!

文化は一種の精神的感染症あるいは寄生体で、人間は図らずもその宿主になっていると見る学者がしだいに増えている。ウイルスのような有機的寄生体は、宿主の体内で生きる。それらは増殖し、一人の宿主から別の宿主へと拡がり、宿主に頼って生き、宿主を弱らせ、ときには殺しさえする。宿主が寄生体を新たな宿主に受け継がせられるだけ長く生きさえすれば、宿主がどうなろうと寄生体の知ったことではない。それとそっくりな形で、文化的な概念も人間の心の中に生きている。そうした概念は増殖して一人の宿主から別の宿主へと拡がり、ときおり宿主を弱らせ、殺すことさえある。雲の上のキリスト教徒の天国という信念や、この地上における共産主義の楽園という信念をはじめ、文化的な概念は、人間を強制して、その概念を広めるのに人生を捧げさせることができる──たとえ命を代償に差し出さなければならない場合にさえ。人間は死ぬが、概念は広まる。このように考えれば、文化は他者につけ込むために一部の人が企てた陰謀(マルクス主義者たちはそのように文化を捉える傾向がある)ではなくなる。むしろ、文化は精神的な寄生体で、偶然現れ、それから感染した人全員を利用する。

それを「文化」と呼ぶ、と。

この考え方は、ミーム学と呼ばれることがある。それは、生物の進化が「遺伝子」と呼ばれる有機的情報単位の複製に基づいているのとちょうど同じように、文化の進化も「ミーム」と呼ばれる文化的情報単位の複製に基づいているという前提に立つ。成功するのは、宿主である人間にとっての代償と便益に関係なく、自らのミームを繁殖させるのに非常に長けた文化だ。

ミームだ。

ゲーム理論だろうが、ポストモダニズムだろうが、ミーム学だろうが、何と呼ぼうと、歴史のダイナミクスは人類の境遇を向上させることに向けられてはいない。歴史の中で輝かしい成功を収めた文化がどれもホモ・サピエンスにとって最善のものだったと考える根拠はない。進化と同じで、歴史は個々の生き物の幸福には無頓着だ。

なるほどねぇ。これは生物の自然淘汰と同じだ。優れているから遺る、というわけではない。たまたま遺ったものがぼくらの歴史になった、というだけか。

科学革命について

過去五〇〇年間に、人間の力は前例のない驚くべき発展を見せた。一五〇〇年には、全世界にホモ・サピエンスはおよそ五億人いた。今日、その数は七〇億に達する。一五〇〇年に人類によって生み出された財とサービスの総価値は、今日のお金に換算して、二五〇〇億ドルと推定される。今日、人類が一年間に生み出す価値は、六〇兆ドルに近い。一五〇〇年には人類は一日当たりおよそ一三兆カロリーのエネルギーを消費していた。今日、私たちは一日当たり一五〇〇兆カロリーを消費している(これらの数字を見直してほしい。私たちの人口は一四倍、生産量は二四〇倍、エネルギー消費量は一一五倍に増えたのだ)。

直近約 500 年間って、すごいんだなあ。書籍は縦書きだからこういう数字の表記になっているけれど、横書きにするとめちゃ読みづらいッスね。

科学革命はこれまで、知識の革命ではなかった。何よりも、無知の革命だった。科学革命の発端は、人類は自らにとって最も重要な疑問の数々の答えを知らないという、重大な発見だった。

これはやばい。革命だ。「無知の知」を得たのはわりと最近、ということに驚きました。それまでは「◯◯に聞けばわかる」と特定の地位や役職の人を尊敬するか、あるいは「全知全能の神がすべてを知っている」という認識だったんですねぇ。

とはいえ、近代の文化は以前のどの文化よりも、無知を進んで受け容れる程度がはるかに大きい。近代の社会秩序がまとまりを保てるのは、一つには、テクノロジーと科学研究の方法とに対する、ほとんど宗教的なまでの信奉が普及しているからだ。この信奉は、絶対的な真理に対する信奉に、ある程度まで取って代わってしまった。

ぼくなんかは、全身がこの信奉に染まっていると言って差し支えないでしょうね。

とくに注意を向けるべき力が二つある。帝国主義と資本主義だ。科学と帝国と資本の間のフィードバック・ループは、過去五〇〇年にわたって歴史を動かす最大のエンジンだったと言ってよかろう。今後の章では、その働きを分析していく。まず、科学と帝国という二つのタービンがどのようにしてしっかり結びついたかに注目し、続いて、両者が資本主義の資金ポンプにどのようにつながれたかを見てみることにする。

このあたりの物語の紡ぎ方はおもしろかったです。

コロンブスは、無知を自覚していなかったという点で、まだ中世の人間だったのだ。彼は、世界全体を知っているという確信を持っていた。そして、この重大な発見さえ、その確信を揺るがすことはできなかった。

コロンブスは前時代の人、という主張はおもしろい。アメリカ大陸を「インドだ!」と思って原住民をインディアンと呼んでしまったんだねぇ。かわいい。しゃかりき。

世界の陸地面積の四分の一強を占める、七大陸のうちの二つが、ほとんど無名のイタリア人にちなんで名づけられたというのは、粋な巡り合わせではないか。彼は「私たちにはわからない」と言う勇気があったというだけで、その栄誉を手にしたのだから。

匿名イタリア人はコロンブスとちがって現代的だ〜!

アメリカ大陸の発見は科学革命の基礎となる出来事だった。そのおかげでヨーロッパ人は、過去の伝統よりも現在の観察結果を重視することを学んだだけでなく、アメリカを征服したいという欲望によって猛烈な速さで新しい知識を求めざるをえなくなったからだ。彼らがその広大な新大陸を支配したいと心から思うなら、その地理、気候、植物相、動物相、言語、文化、歴史について、新しいデータを大量に集めなければならなかった。聖書や古い地理学の書物、古代からの言い伝えはほとんど役に立たなかったからだ。

未知の大陸において聖書や言い伝えがほとんど役に立たないと気付くの、現代を生きるぼくからすると痛快なストーリーと思っちゃうな。

これ以降、ヨーロッパでは地理学者だけでなく、他のほぼすべての分野の学者が、後から埋めるべき余白を残した地図を描き始めた。自らの理論は完全ではなく、自分たちの知らない重要なことがあると認め始めたのだ。

いい話だな〜。そしてお話はここから「資本主義」へと続いていく。

資本主義について

人類は何千年もの間、この袋小路にはまっていた。その結果、経済は停滞したままだった。そして近代に入ってようやく、この罠から逃れる方法が見つかった。将来への信頼に基づく、新たな制度が登場したのだ。この制度では、人々は想像上の財、つまり現在はまだ存在していない財を特別な種類のお金に換えることに同意し、それを「信用」と呼ぶようになった。この信用に基づく経済活動によって、私たちは将来のお金で現在を築くことができるようになった。信用という考え方は、私たちの将来の資力が現在の資力とは比べ物にならないほど豊かになるという想定の上に成り立っている。将来の収入を使って、現時点でものを生み出せれば、新たな素晴らしい機会が無数に開かれる。

ふだん何気なく使っている「信用 (クレジット) カード」の源流を見た気持ちになりました。この発見、だいぶ最近の出来事なんだなあ。クレジットの起源について、真面目に考えたこともありませんでした。

近代以前の問題は、誰も信用を考えつかなかったとか、その使い方がわからなかったとかいうことではない。あまり信用供与を行なおうとしなかった点にある。なぜなら彼らには、将来が現在よりも良くなるとはとうてい信じられなかったからだ。概して昔の人々は自分たちの時代よりも過去のほうが良かったと思い、将来は今よりも悪くなるか、せいぜい今と同程度だろうと考えていた。経済用語に置き換えるなら、富の総量は減少するとは言わないまでも、限られていると信じていたのだ。したがって、個人としても王国としても、あるいは世界全体としても、一〇年後にはより多くの富を生み出すなどと考えるのは、割の悪い賭けに思えた。ビジネスはあたかもゼロサムゲームのように見えた。もちろん、あるベーカリーが繁盛することはあるだろうが、その場合には隣のベーカリーが犠牲になる。ヴェネツィアが繁栄するかもしれないが、そのときはジェノヴァが窮乏することになる。イングランド王が富を増すには、フランス王の富を奪うしかない。パイの切り方はいろいろあっても、パイ全体が大きくなることはけっしてありえないのだ。

これにもびっくり。自分は当然のように「より豊かな未来」を想像するけれど、これも現代的な発想だったのか〜!大昔の人も「工夫してやっていけば自分たちの生活は楽になる」と考えて行動していたのだと、勝手に思っていました。

過去五〇〇年の間に、人々は進歩という考え方によって、しだいに将来に信頼を寄せるようになっていった。この信頼によって生み出されたのが信用で、その信用が本格的な経済成長をもたらし、成長が将来への信頼を強め、さらなる信用への道を開いた。

なるほどねぇ。

資本主義は「資本」をたんなる「富」と区別する。資本を構成するのは、生産に投資されるお金や財や資源だ。一方、富は地中に埋まっているか、非生産的な活動に浪費される。非生産的なピラミッドの建設に資源を注ぎ込むファラオは資本主義者ではない。スペイン財宝艦隊を襲い、金貨のぎっしり詰まった箱をカリブ海のどこかの島の砂浜に埋めて隠す海賊は資本主義者ではない。だが、自分の収入のいくばくかを株式市場に再投資する勤勉な工場労働者は資本主義者だ。

資本ってのがなんなのか、理解が深まりました。

資本主義の第一の原則は、経済成長は至高の善である、あるいは、少なくとも至高の善に代わるものであるということだ。

自分はすっかり染まってしまっているなあ。別にこれがすべてというわけではないのに、1983 年生まれの自分は「世界とは、そういうものだ」と思い込んでしまっている節があると気付きました。これは時代に押し付けられた価値観だったのか。

資本主義と消費主義の価値体系は、表裏一体であり、二つの戒律が合わさったものだ。富める者の至高の戒律は、「投資せよ!」であり、それ以外の人々の至高の戒律は「買え!」だ。

ハッとしますねぇ。我々の多くは資本主義の傀儡であり、消費主義の奴隷なのかもしれませんな。

個人のありかたについて

資本主義からつながる話として、「個人」についてのお話もありました。

産業革命は、人間社会に何十もの大激変をもたらした。産業界の時間への適応は、ほんの一例にすぎない。その他の代表的な例には、都市化や小作農階級の消滅、工業プロレタリアートの出現、庶民の地位向上、民主化、若者文化、家父長制の崩壊などがある。  とはいえ以上のような大変動もみな、これまでに人類に降りかかったうちで最も重大な社会変革と比べると、影が薄くなる。その社会変革とは、家族と地域コミュニティの崩壊および、それに取って代わる国家と市場の台頭だ。私たちの知りうるかぎり、人類は当初、すなわち一〇〇万年以上も前から、親密な小規模コミュニティで暮らしており、その成員はほとんどが血縁関係にあった。認知革命と農業革命が起こっても、それは変わらなかった。二つの革命は、家族とコミュニティを結びつけて部族や町、王国、帝国を生み出したが、家族やコミュニティは、あらゆる人間社会の基本構成要素であり続けた。ところが産業革命は、わずか二世紀余りの間に、この基本構成要素をばらばらに分解してのけた。そして、伝統的に家族やコミュニティが果たしてきた役割の大部分は、国家と市場の手に移った。

うわあ、直近 2 世紀くらいの話だったのか。

そこで国家と市場は、けっして拒絶できない申し出を人々に持ちかけた。「個人になるのだ」と提唱したのだ。「親の許可を求めることなく、誰でも好きな相手と結婚すればいい。地元の長老らが眉をひそめようとも、何でも自分に向いた仕事をすればいい。たとえ毎週家族との夕食の席に着けないとしても、どこでも好きな所に住めばいい。あなた方はもはや、家族やコミュニティに依存してはいないのだ。我々国家と市場が、代わりにあなた方の面倒を見よう。食事を、住まいを、教育を、医療を、福祉を、職を提供しよう。年金を、保険を、保護を提供しようではないか」

「人それぞれ、個人が個人であれることが大事」って価値観も、めちゃくちゃ最近のものなんだな〜。

ロマン主義の文学ではよく、国家や市場との戦いに囚われた者として個人が描かれる。だが、その姿は真実とはかけ離れている。国家と市場は、個人の生みの親であり、この親のおかげで個人は生きていけるのだ。市場があればこそ、私たちは仕事や保険、年金を手に入れられる。専門知識を身につけたければ、公立の学校が必要な教育を提供してくれる。新たに起業したいと思えば、銀行が融資してくれる。家を建てたければ、工事は建設会社に頼めるし、銀行で住宅ローンを組むことも可能で、そのローンは国が補助金を出したり保証したりしている場合もある。暴力行為が発生したときには、警察が守ってくれる。数日間体調を崩したときには、健康保険が私たちの面倒を見てくれる。病が数か月にも及ぶと、社会保障制度が手を差し伸べてくる。二四時間体制の介護が必要になったときには、市場で看護師を雇うこともできる。看護師はたいてい、世界の反対側から来たようなまったくの他人で、もはや我が子には期待できないほど献身的に私たちの世話をしてくれる。十分な財力があれば、晩年を老人ホームで過ごすこともできる。税務当局は、私たちを個人として扱うので、隣人の税金まで支払うよう求めはしない。裁判所もまた、私たちを個人と見なすので、いとこの犯した罪で人を罰することはけっしてない。

わはは。とんだ皮肉ですね。国家と戦う個人ってのは、タイムマシンで過去に行って自分が生まれる前に親を消す、みたいなパラドックスを生じさせるのか。これも考えたことがなかったなあ。自分は「個人」というのは自然発生的なものだと思っていた節があるな、と気付くに至りました。

消費主義と国民主義は、相当な努力を払って、何百万もの見知らぬ人々が自分と同じコミュニティに帰属し、みなが同じ過去、同じ利益、同じ未来を共有していると、私たちに想像させようとしている。それは噓ではなく、想像だ。貨幣や有限責任会社、人権と同じように、国民と消費者部族も共同主観的現実と言える。

まさにそうですね。今日もぼくらはハッシュタグでつながってしまうし、そのつながりに居心地のよささえ感じてしまう。ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへ。

この二世紀の変革があまりに急激だったために、社会秩序の根幹を成す特徴にまで変化が起こった。社会秩序とは元来、堅固で揺るぎないものだった。「秩序」は、安定性と継続性を含意していた。急速な社会変革は例外的で、社会の変化はたいてい、無数の小さなステップを積み重ねた結果として生じた。人間には、社会構造を柔軟性のない永遠の存在と見なす傾向があった。家族やコミュニティは、秩序の範囲内において、自らの立場を変更しようと奮闘するかもしれないが、私たちは自分が秩序の基本構造を変えられるとは思いもしなかった。そこで人々はたいてい、「今までもずっとこうだったし、これからもずっとこうなのだ」と決めつけて、現状と折り合いをつけていた。

歴史を鑑みると、今の人類に対して「変化を受け入れろ」と強要するのは、なかなか厳しいことなのかもしれませんね。とはいえ変化は決してぼくらを待ってはくれないけれど。

人類の幸福と、超ホモ・サピエンスについて

サピエンス全史の上下巻を通しての「締め」という雰囲気が濃厚になる、終盤へ。

ざっくりいうと、人類史において「革命」と語られる変化もいくつかあったけれど、我々の幸福度はさほど上がっていないようだ、と書いてありました。ほいじゃあ、ぼくらはいったいなにを追い求めてここまでがんばってきたんでしょうね…?

そのうえ、人間には数々の驚くべきことができるものの、私たちは自分の目的が不確かなままで、相変わらず不満に見える。カヌーからガレー船、蒸気船、スペースシャトルへと進歩してきたが、どこへ向かっているのかは誰にもわからない。私たちはかつてなかったほど強力だが、それほどの力を何に使えばいいかは、ほとんど見当もつかない。人類は今までになく無責任になっているようだから、なおさら良くない。物理の法則しか連れ合いがなく、自ら神にのし上がった私たちが責任を取らなければならない相手はいない。その結果、私たちは仲間の動物たちや周囲の生態系を悲惨な目に遭わせ、自分自身の快適さや楽しみ以外はほとんど追い求めないが、それでもけっして満足できずにいる。

これだけ読むと、はちゃめちゃに悲しい生き物に思えてきますね。

なのでまぁ、ぼく個人の目線でいえば「人類の幸福」なんていう大層なことは考えずに、自分と、奥さんと、北海道にいる親と兄弟と、日常的に接点のある数え切れるくらいの人たちの「日々の、ちょっとした楽しい感じ」を大事にして、毎日を過ごして、ゆっくりゆっくり死を目指して歩いていくという、どこかで聞いたことのあるような人生観でやっていくのがちょうどいいんだろうなって思いました。

サピエンス全史と題された長編を読んで「楽しく生きていこう、っと」という感想になっちゃうんだから驚きますよね。まごうことなき小並感です。

書籍にはちょっとした未来予想も書いてあって、それこそ 2045 年のシンギュラリティとか、超人類みたいなところまで言及がありましたが、それについてこのエントリで言っておきたいことは特になかったので省略します。

まとめ

サピエンス全史の下巻を読み終えたので、読書メモを書きました。

サピエンス全史(下) 文明の構造と人類の幸福 サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福

上巻と同様、人類の歴史を知ることで「自分はいったい何者なのか」「自分のこの価値観は、どこからきたものなのか」を見つける手掛かりをたくさん提供してくれる書籍でした。ぼくが「これが自分だ!」と感じてきたことの大半は、別に自分のものではなくて、時代に属するものが多いのだなぁと感じて、ちょっと虚しくなったような、でも肩の荷が下りたような、不思議な感覚を覚えました。

けっこう長いんで自分のように読むのが遅い人にはオススメしにくいですが、中身がおもしろいよ、というのはこうして明記しておきます。興味がある人はぜひぜひ。

…と、ぼくがのんきに読んでのんきにオススメしているけれど、もうホモ・デウスの日本語版も出ています。レビューとかを見て、いちばんいいやつを選んでください。

おもしろかったら、いいジャン!してね

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漫画「ワールドトリガー」を2018年に語る

2018-12-03

このエントリは 2018年オススメのマンガ Advent Calendar 2018 の参加エントリです。まずは、素敵なカレンダーを用意してくれた @gamu1012 さんに敬意を表したいと思います。@gamu1012 さんは素晴らしい、おれのサイドエフェクトがそう言ってる。ありがとうございます!

ちなみに去年は2017年に読んだ漫画たちというエントリを書きました。今年もリストアップするエントリを書くかもしれませんが、本エントリはひとつの作品を選んで語る形式でいきます。おすすめの漫画はたくさんあるのでなにについて書こうかはいろいろと迷ったのですが、最近は「多くの人にこの漫画を知ってもらいたい…!」というテンションよりも「この漫画について語りたい…!」というテンションの方が強かったので、後者で行くことにします。

というわけで、2018 年に連載が再開されてファンたちが歓喜した「ワールドトリガー」について語っていきましょう。

(以降、若干のネタバレ成分を含みますので、これからワールドトリガーをまっさらな気持ちで楽しみたいという方は、ここで引き返すことをおすすめしておきます)

ご多分に漏れず、ぼくもワールドトリガーは大好きです。なので、体調不良による休載の報を受けたときはとても悲しくなりました。集英社さんにおかれましては、漫画家という職業がブラックな労働環境に陥らないように、少しずつでも改善を続けていってほしいと願っております。ひとりの漫画ファンとして。

さて、悲しい話題からスタートしてしまいましたが、なんとか連載が再開され、このエントリを書き終えて日付が変わるころには 19 巻がぼくの Kindle に降ってくるはず。とってもウキウキしながらこの時間を過ごしています。

(2018-12-05 追記) このエントリを書いた翌日に発売となったワールドトリガーの 19 巻を読むと、集英社の編集さんは葦原大介さんの体調をだいぶ気遣っていたように感じられましたので、集英社さんが悪いみたいに書いたぼくの文章はフェアではなかったな、と思いました。ごめんなさい。

ワールドトリガーの世界の居心地の悪さと居心地のよさ

今年の 10 月に、ワールドトリガーに言及したいくつかの文章がウェブ上で話題になりました。

上記 3 つはぼくもじっくり読みまして、じゃあ自分はワールドトリガーをどんなふうに捉えているかな〜と考えることになり、ひとりで楽しめました。こういうことをひとりで考えてひとりで楽しめるのは、オタクの便利なところですね。

もやもやした居心地の悪さというのが長らく自分の中で言語化出来なかったのだが、最近それが「登場人物がしっかり思考して動いている」ことに起因するのではないかと思い当たり、少し愕然としている。

なるほど〜。

暴走したキャラクターによって足を引っ張られるように展開していく物語が好きかと問われればむしろ苦手と言ってしまうタイプで、シン・ゴジラなんかはむしろゴジラ版お役所緊急事態お仕事もののノリでかなりのめり込めたしよく出来た映画だと思ったのだが、思春期の少年少女もそろって「物分りの良い」「良く出来た」キャラクターとして描かれてしまうと、ストレスの無さが行きすぎてむしろ居心地の悪さを感じてしまうのかもしれない。自分自身中学生や高校生の頃はおろか、一応の社会人になった今でも彼らのように理性的に動くことができる自信は全く無い。

そうですね、登場人物たちを見て「みんな、年齢のわりにはずいぶんと大人だな」というのはぼくもそう思います。同時に、自分は彼ら彼女らの相対的な年齢 (誰が先輩で誰が後輩か等) には確固たる意味を感じつつも、絶対的な年齢にはそれほど意味を感じていないのだな〜と気付きました。たとえば、すべての登場人物に +5 歳しても物語は成立しそう、と感じているということです。極端な例で +30 歳してしまうと、40〜50 代のおじさんおばさんが跳んで舞う画になってしまうのでズレてきてしまうでしょうけどね。彼ら彼女らに中高生が多いというのは、少年ジャンプの漫画だからじゃん、くらいに軽く捉えているところがありそうです。

逆の意見も見てみましょう。

俺がワールドトリガーが好きな理由は、主人公を含めて主要登場人物が論理的に、頭を使って戦いを展開して、無駄な事、馬鹿気た事、愚かな事は基本的にしないからだと言える。多少の浮き沈みや、大きな失敗があっても、前を見てロジカルに状況に対処し自分を成長させていくキャラクタが多いほどいい。

ふむふむ。

感情が赴くままに、最悪の判断をしては味方をピンチに追いやったりすると、かなりメンタルゲージが下がる。精神的に弱すぎる奴も同じ理由でダメ。典型的な絶対にダメな主人公が、幕ノ内一歩(はじめの一歩)。突出するな退けと言われてんのに突っ込んで味方の犠牲を増やす奴とか、死んで主人公が変わんねーかなと思うし、考えなしの脳筋とか生きてる価値あんの?って感じになる。

ぼくはどちらかということこっちに近くて、ワールドトリガーの登場人物たちは「見ていて共感できる、安心できる」ところがあります。ぼくは日本の地上波で放映される恋愛ドラマのうち 8 割くらいは「まっったく共感できない」という感じで、そういうシーンが一度でもあるとその作品はもう楽しむことができなくなっちゃうという感じでなかなか困ったものなんですが、その点、ワールドトリガーはありがたいです。

こうして、ある意味で「両極端な感覚」が散見されたわけですが、これって各人が「自分のまわりの環境になにを求めるか」に依るんじゃないかな〜という仮説を持つにいたりました。周囲に対して「論理的であってほしい、行動には理由があってほしい」と潜在的にでも顕在的にでも思っている人と、「理屈とかじゃなくて、そのときの気持ちを大事にしてほしい、直情的であってほしい」と思っている人と。どっちのタイプかによって、ワールドトリガーを読んだときに居心地が悪く感じるか、居心地がよく感じるか、わかれるんじゃないかな〜と。これはつまり、ワールドトリガーの登場人物たちが同僚になったらどうか、みたいな話なんじゃないかと思ったわけです。

ワールドトリガー界の感情的なキャラ

とは言ったものの、感情的なキャラというか、理屈で動いているわけではないキャラというのもいて。「ガロプラのレギーの暴走」については、作者の葦原大介さんも「こういうキャラがいると展開をつくりやすい」と明言しています。「落ち着いたキャラが多い」というのも作者が認めていますね。

同じくガロプラ侵攻のときの「林藤陽太郎の疾走」についても、実力派エリートの迅さんは「やれやれ」という顔をしてはいますが、葦原さん的にはヨシヨシという感じなんじゃないでしょうか。

他にも、子どもっぽさを残しているキャラとして香取、緑川、木虎たちもいて、あらためて見てみるとみんな感情自体は豊かなのかもなあ。それをそのまま行動に移して場を乱すってことを避けているだけであって。まあ、それが冷静ってことなんですけれど。

難しいことへの挑戦

感情的なキャラがいると展開をつくりやすい、と作者も認めた上で、だけれどもそれに頼らない展開を作ろうと挑戦しているように見えて、ぼくにはそれがきっと痛快なのだと思います。大規模侵攻の最中の緊張感と、きれいにまとまったあとの爽快感。あれは、キャラがはちゃめちゃに暴れて短期的な盛り上がりをつくっただけでは得られない感覚でしょう。

それを支えているのは迅悠一のサイドエフェクトだろうなぁと感じて、実力派エリートは作品の中だけではなく外においても活躍していて、さすがのエリートだと納得するわけです。

まとめ

ワールドトリガーについて思っていることを散文形式で書いてみました。ふだん、あまりこういう形式の文章は書かないので、自分としても楽しかったです。ワールドトリガーは大好き!とあらためて確認できたのもよかった。

2018年オススメのマンガ Advent Calendar 2018 には、まだ空きがあるのでぜひあなたの漫画トークもお聞かせください。それでは、よい漫画ライフを〜。トリガー起動!

おもしろかったら、いいジャン!してね

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書籍「NETFLIXの最強人事戦略」を読みました

2018-11-21

NETFLIXの最強人事戦略~自由と責任の文化を築く~がおもしろそうだったので読みました。ちなみにぼくは Netflix のサービスは一度も利用したことがないので、完全に組織のお話として読みました。

2018 年 9 月にはぼくの身近なところから「読んでいる」「読み終わった」という声が聞こえてきていて、どうしよっかな、自分はこれはスルーでいいかな…とか思っていたはずなのですが、なにかの拍子に「よっしゃ、読む!」となって読みました。購入日は 10 月 9 日。たしかそれから 1 週間くらいで読み終わったはず。ぼくにとってはスイスイと読み進められる本でした。

ぼくといっしょにお仕事をする人へ

現在の同僚たち、あるいは未来の同僚向けと言ってもいいかもしれません。この本を読み終わって「ぼくは、こういうつもりだな」というのをいくつか確認できたので、明記しておきます。

  • ぼくが真に向き合うべきお仕事がなくなったら、すぐに退職を勧めてほしい
    • 「じゅーんさんの次のポストを用意しなきゃね」みたいな、介護的な扱いになるくらいだったらすぐ解雇されたい
    • 解雇する、ってお話になったらぼくは冷静にまともに受け止めることを約束するので、遠慮なくきてください
  • 同僚たちひとりひとりを、自立した大人としてリスペクトして接していきたい
    • 気を配りはするけれど、変に気を遣ったりはしない
    • 相手を過少評価して情報や権限を制限したりしてチームの生産性が下がっていたらダサすぎる
    • 親子関係における過保護もけっこうダサいと思うのに、同僚に対して過保護になっちゃったらもうダサすぎる
    • 自分の心配や恐怖を最小化するより、組織としてのパワーを最大化する方針でやっていきたいんだ
  • ひとりひとりに「問題を解決できる力」があると信じて、自力での解決を促していきたい
    • 協力できることがあったらやります、でも代わりに解決してあげる〜みたいなことはしません
  • フィードバックをして、フィードバックされる習慣を日常に取り入れていきたい
    • いっしょに練習したいので「上手になりたい」と思っている人は話しかけてください、いっしょにやりましょ〜
    • 単方向ではなくて双方向のフィードバックでやっていけるとさらによい
    • フィードバックがうまく伝達しなくなった系は、ゆるやかに死んでいくと思っています
    • うまくまわっていない場合は「いつでもどうぞ」よりもっと踏み込んで、自分から回収しにいくくらいでちょうどいいのかも
  • 境界を活用できるところでは活用して、足枷になりそうなときには無視して働いていたい
    • 「部署がちがうから」「職種がちがうので」「文化がちがうから」系の言い訳をしない縛りプレイで
  • これを書いている今、本当に思っていることだけを書いていますが、時間が経ったら気持ちは変わると思います
    • 安全に立ち止まることよりも、転んでもいいから前進を続けることを好みます
    • なので、せっかく読んでもらったことも期限切れになっているかもしれない、そのときはごめんなさい!

読書メモ

多くの企業がいまだにトップダウンの指揮統制方式にしがみつきながら、「従業員エンゲージメント」を高め「エンパワメント」を促すための施策でうわべを飾り立てている。

ふむふむ。

言葉倒れの「ベストプラクティス」がまかり通っている。たとえば人事考課連動型のボーナスと給与、最近流行りの生涯学習のような仰々しい人事施策、仲間意識を育むための楽しい催し、業績不振の従業員に対する業績改善計画(PIP)など。こういうことをすれば従業員の力を引き出し(エンパワメント)、やる気を促し(エンゲージメント)、仕事に対する満足度と幸福度を高めることができ、それが高い業績につながるという思い込みがあるのだ。

なるほど。刺激的。

私は血気盛んなスタートアップの世界に足を踏み入れてから、人にもともと力があることを、以前とはちがう視点から深く理解するようになった。従業員に力を与えるのではなく、あなたたちはもう力をもっているのだと思い出させ、力を存分に発揮できる環境を整えるのが、会社の務めだ。そうすれば、彼らは放っておいてもめざましい仕事をしてくれる。

「あなたたちはもう力をもっているのだ」これはモンテッソーリ教育っぽい成分を感じるな。

ネットフリックスでは、規律をもって実践してほしいと経営陣が思う行動を、全員にあますところなく繰り返し伝えた。まずマネジャー全員から始めた。会社の哲学と経営陣が実践してほしいと望む行動を、一人残らずすべての人に理解してもらいたいとの強い思いから、リードはそれを説明するためのパワーポイント資料をつくり始め、私とほかの経営陣が一緒に完成させた。これが、ネットフリックスの「カルチャーデック」(略してデック)という名で知られるようになった資料だ[ Deck は甲板の意味。甲板にすべてを並べるように全項目を列挙した資料]。読んでくれた人も多いだろう。

「マネジャー全員から始めた」ってところがいいと感じた。デックは読んだよ。それで興味を持って本書も読んだんだよ。

またこの資料は経営陣が従業員に求める行動であるとともに、従業員が経営陣に求めるべき行動でもあることを、はっきり説明した。

ぼくは単方向より双方向性のあるものが好きなので、これも好き。

これから経費規定を廃止します。旅費規定も廃止します。適切に判断して会社のお金を使って下さい。もしも弁護士のいう通りまずいことになるようなら、もとの方式に戻します」。このときも、従業員は自由を乱用することはなかった。従業員を大人として扱うとよい成果が得られること、また従業員もそれを望んでいることがわかった。

管理コストが激減して、失うものが別にないっていうなら、それはいいね。

コミュニケーションは双方向でこそ成り立つ。従業員は質問をするだけでなく、自分の意見や考えを述べることができなくてはならない。CEOを含むすべてのマネジャーを相手にそうできるのが理想だ。 新入社員大学では、本題に入る前に参加者に念を押した。「今日は自分から働きかけなければ何も学べません。質問をしなければ、答えは得られないわよ」。今から思えば、これがネットフリックスの初期の成功の布石だった。このひと言で、あらゆるレベルの従業員が、自分に期待されている行動についてであれ、経営陣の下した決定についてであれ、誰に対しても遠慮なく説明を求めることを許されたのだ。従業員がよりよい情報や知識を得ただけでなく、やがて社内全体に好奇心の文化が生まれた。そして従業員の鋭い質問が重要な発見につながることも多かった。

組織にフィードバックの組織を持たせることができるかどうか。フィードバックを受けられなくなった生命は死に向かうとぼくは考えているので、フィードバック器官の設計は重要視したい。いつでもなんでも聞ける、ってのはいいなあ。今の自分は必ずしもそういう状況にないな、と少しうしろめたい気持ちになる。ごめんなさい。

若い人たちにビア樽からビールを注ぐ方法を教える代わりに損益計算書の読み方を教え、オンラインのコラボレーション講座を受けさせる代わりに本物の協働プロジェクトを与えれば、一生もののスキルを身につけ、生涯にわたる学習の何たるかを理解するだろう。

こういうの、職種に依るんですかねぇ。たとえば取引先との飲み会の機会があるようなお仕事だったら、宴会マナーみたいなやつを身につけておいた方がいいの?や、お話が横道に逸れてしまったな。

ネットフリックス文化の柱の一つに、「同僚や同僚の仕事のやり方に不満がある場合、当人同士で、できれば直接顔を合わせて話をする」というルールがあった。陰で批判をしてほしくなかった。私は人事部長だったから、マネジャーが部下などの文句を私のところにしょっちゅういいにきた。私の答えはいつも同じだった。「本人とはもう話したの?」

これも耳が痛い系だなあ。もし、自分が誰かの代わりに問題解決のために走り回っていたら、それは、彼ら彼女ら自身のセルフマスタリーに向かう機会を奪ってしまっているかもしれない。だとしたら、今後はナシにしたい。

ネットフリックスで私たちはエリックが話してくれたような、徹底的に正直なフィードバックが重要だという信念を広めることに努め、マネジャーたちが自信をもってフィードバックを与えられるように指導した。私が主に時間をかけていたとりくみはこれだった。

「フィードバック」はキーファクターという感じだなあ。ぼくがお仕事でいっしょになるような人たちと、いっしょにフィードバックの送受の練習をしたい。

ネットフリックスの経営陣はあの手この手で、正直な姿勢を率先して示した。その一環として、チームミーティングで「スタート・ストップ・コンティニュー」と呼ばれるエクササイズを行った。各人が誰か一人の同僚に対して、始めてほしいことを1つ、やめてほしいことを1つ、とてもうまくやっていて続けてほしいことを1つ伝えるのだ。私たち経営陣は透明性の価値を固く信じていたから、経営会議でみずからこれを行った。そしてそれぞれが自分のチームに戻り、経営会議の「スタート・ストップ・コンティニュー」で誰がどんなことをいわれたかを全員に話して聞かせた。そうするうちに、オープンな姿勢が大切だという認識が、社内中にさざ波のように広がっていった。

これめっちゃいいな…。KPT に似ている印象もある。やってみたい。小さく始められる方法はないか、と考えてみる。

最初システムでは匿名でコメントを送る方式にしていたが、例のごとく、エンジニアから反対の声が上がった。経営陣はオープンで正直であれといいながら、透明性を欠くツールを提供するとは何事か、というのだ。彼らはコメントの本文に自主的に署名し始めた。

痛快で、ちょっと笑った。そういやぼくも、匿名アンケートに「おつかれさまです june29 です」って書いたことあるな。

経営上層部は、事業に関する問題を従業員に知らせると不安が高まると考えがちだが、知らせない方がずっと不安を煽ることになる。

これも「大人扱い」「子ども扱い」の話に帰結しそう。

「直感に基づいて行動することも多いから、データを読みとれるほどスマートで、データを無視できるほど直感力に優れた人材を探すようにしている」

番組制作チームの話。めちゃくちゃ高度なことをさらっと言っていてすごい。

スティーブ・マクレンドンはオープンな議論の利点について、もう一つすばらしい指摘をしてくれた。多くのマネジャーが扱いに悩む若者たち(あの厄介なミレニアル世代)は、こうした透明性や、自由に質問できる機会を好むのだという。

「厄介」とか、冗談でも言うなよな〜。失礼でしょうが。

それはそれとして、言っている内容には「なるほど」と思うものがある。経営上の難題についての議論がオープンになされるというのはどういう状況なのだろう。ぼくもいろんな会社のそういった議論を観劇してみたい気持ちがあるぞ。楽しそうじゃん。

スティーブは上司に、従業員の面前で議論するのはよくない、「親の喧嘩を見せられるようなものだからだ」と諭されたが、「若い社員を管理するには、旧態依然のトップダウン方式より、ネットフリックス文化の方がずっと適していますよ」と反論したそうだ。彼らが興した会社では、スタートアップによくあるように、とても若い人材を多く採用している。若者たちが事業の全貌を学ぶことにとても熱心で、透明性の高い文化を好むことにスティーブは気がついた。未来をつくるのは若者であり、彼らの知識欲を活用する方法を考えることは、すべてのビジネスリーダーの利益になる。

自分の心配を最小化する方針より、後輩たちの成長を最大化する方針を選ぶ、ってことと理解した。そうありたい!今まで、完璧にそのようにはふるまえていなかったと思う。今日からそういう先輩になりたい。なっていこう。

ネットフリックスでは、自分の成長には自分で責任をもち、輝かしい同僚や上司から学ぶ多くの機会を活かして、社内で昇進するなり、社外のすばらしい機会をものにするなり、自分の道を切り拓いてほしいと促した。

なるほどなあ。機会はあるぞ、と。それに手を伸ばすかどうかは任せるから、手を取って引っ張るようなことはしない、って感じなのかな。またしても「大人扱い」成分。

草創期の成功を支えた柱は大事にすべきだし、会社が順応し成長してもそうした要素をもち続けることはできる。だが変化への抵抗感を生むノスタルジアは、不満をかきたて、成長を阻むことが多い。

へぇ、そうなんですね。これは自分にはあまりピンとこなかった。これについて感じるものがある人は教えてほしい。

ネットフリックスでは人材管理に関して3つの基本方針があった。一つ、優れた人材の採用と従業員の解雇は、主にマネジャーの責任である。二つ、すべての職務にまずまずの人材ではなく、最適な人材を採用するよう努めること。三つ、どんなに優れた人材でも、会社が必要とする職務にスキルが合っていないと判断すれば、進んで解雇すること。

「解雇」の話はいっぱい出てくるんだけど、この点について日本企業に勤める自分はそれなりの受け止め方をした方がいいよな。そんなにカジュアルに解雇、ってできないんじゃないの。

ただ、ぼく個人が雇い主であるところの勤務先に宣言しておくとすれば、ぼくの能力が組織に必要ない状態になったらいつでも「辞めてほしい」と言ってきてほしい、ということです。「じゅーんさん用のポジションを用意しなきゃな」みたいに、介護みたいな状態になるくらいならぼくは退職したいので、そういう状況になったら、ぼくのためだと思ってすぐに「辞めてくれ」と言ってください。冷静にお話に応じることを約束します。

その意味で、従業員定着率はチームづくりや文化のよしあしを測る指標に適さないと、私は考える。

これは読者がドキッとするとわかって書いていそうですね。鋭い発言に思う。

最適な人材を探すうえで大切なのは、「カルチャーフィット(文化の適合性)」ではない。カルチャーフィットがよい人とは、一緒にビールを飲みたい相手だというくらいの意味しかない。この方法で人材を探すのは、往々にして激しくまちがっている。会社が必要とする仕事に合致したスキルをもつ人材には、じつにさまざまな個性をもった人がいる。

多様性の話だ。これもけっこうドキッとするなあ。カルチャーフィットを重視している現場は多いと思う。もうちょっと注意深く深掘りしてみたいトピックですね。

組織はいろんなスタイルの人に合わせることができる。カルチャーフィットは双方向に働くのだ。

なるほどなあ。そこにいる人に合わせて、会社も変われるのだなあ。

でも「カルチャーデック」と呼ぶものがあり、それを超重要視しているところを見るに、ここで言っているのは「ノリ」みたいなものなのかな、と思ったりした。

私たちがめざしたのは、面接に来てもらったすべての候補者に、その職務に就きたいと思ってもらうことだ。たとえ私たちが彼らを気に入らなくても、彼らにはこう思ってほしかった。「いやあ、すばらしい面接だったなあ。効率的で、効果的で、時間通りで、質問は的を射ていて、担当者はスマートで、尊厳をもって扱ってもらえた」と。部下にはいつも、「たとえその人がうちに合わなくても、その人の隣人はうちにぴったりかもしれないでしょう」といっていた。

さて8か月後、私たちはWiiへの配信を祝う盛大なパーティーに出ていた。ベサニーは私の隣に立っていた。彼女が涙ぐむのを見て、どうしたのと聞くと、彼女はいった。「ううん、私があのチームをつくったんだなと思って。今日のWiiへの配信に、私も一役買ったのね!」そしてチームは挨拶を求められると、こういった。「ベサニー・ブロツキーに感謝します。君がいなければ、僕らが今日ここに立つこともなかった!」これぞ私がリクルーターに自分の貢献について感じてほしかったことであり、すべてのマネジャーにリクルーターの価値について理解してほしかったことだった。

「パーティーとか別にどうでもいい」みたいなスタンスはあるんだけど、それはきっと「交友のためのパーティー」のことを指していっていて、一方で、みんなで偉大な仕事に向かっていって、偉業を成し遂げたときにはみんなでそれを祝う、みたいな空気はすごい感じる。中心に「挑戦」や「価値」を置いている感じで、なれあいとかコンフォートゾーンを嫌っているんだろうな。

「こういう人財が必要だ!」と明確にして、そういう人を雇うところからプロジェクトが始まり、うまくいったときには採用担当さんもいっしょにプロジェクトの成功を祝う。ぼくはこれまでの人生の中でこれほど一体感を感じられそうなプロジェクトには関わったことがない。体験してみたいな。

解雇しようとしている従業員に、私はこんなことをいった。「さて、あなたがチームリーダーのタイプではないということを確認したわね。でもそれは問題ない、あなたはとても優秀なエンジニアだから。あなたの技術力については喜んで推薦させてもらうわ。ただ、人材管理能力の推薦状がほしければ、ほかの人をあたってちょいだい」

組織を去っていく人を推薦状や転職活動用の資金を添えて明るく送り出す、ってのは「ティール組織」にも見られた習慣のはずだ。同僚を家族と捉えてしまうと「今生の別れ」みたいな感じになっちゃって悲しいけど、そうじゃない雰囲気になるのはぼくは好みだな。

従業員が力をもっていることを忘れてはいけない。あなたの仕事は、彼らに力を与えることではない。彼らの力を認め、時代遅れの方針、手続き、制度を廃止して、力を解放することだ。それさえ行えば、彼らはパワフルになる。

うむ!みんなでパワフルになりたい!

まとめ

NETFLIXの最強人事戦略~自由と責任の文化を築く~を読みました。ぼくは頭からお尻まで楽しみながら読みました。

自分のところの組織文化について、ここまで勇敢に語れる人がいるってのは素晴らしいですねぇ。ぼくが気軽に会いに行ける人で、これくらい語れる人って誰かいるかなあ。メルカリの組織は達成型?ティール型?これからの社会における組織開発とは - メルミライ - 未来を見るメディアに登場する唐澤さんはすごいな、と思いました。こういう人とお話してみるとおもしろそう。

ひとつの未来に向かって、すべてをその軸に照らし合わせて判断して、勢いよく進んでいく。そんなチームは、今日までの自分が作れたことはないので、もし達成できたらすごく楽しいのかなって思いました。そういうことをできる人間になれたら、自分を誇らしく思えたりするのかしら。なんてことを思わされる本でした。

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書籍「進化的アーキテクチャ」を読みました

2018-11-20

オライリー本がひとつ、「進化的アーキテクチャ」を読みました。実際に読み進めていたのは 2018 年 10 月の下旬で、ようやっと落ち着いて読書記録を書ける状況になったので書きます。

書籍の公式サイトに加えて、翻訳を担当された Koji Shimada / 島田浩二 (@snoozer05) さんによる紹介記事にもリンクしておきます。熱の感じられる紹介文で、紹介したくなるからです。

多かれ少なかれ、やっていること

ぼくが現職の同僚や、これまでにお仕事でごいっしょさせてもらったソフトウェア・エンジニアを思い浮かべると、本書に書かれているような考えは、誰しもが多かれ少なかれ実践していることだな〜と思いました。「最初にしっかり設計したから、あとはもう安泰!余生を楽しみましょう」なんてスタンスで継続的なソフトウェア開発に携わっている人を探す方がむつかしい。

ふだんぼくらが考え、実践しているようなこと。そのロジックを整理して突き詰めるとこういう話になるのだろうな、という印象を持ちました。

自分にはけっこう難しく感じられた

それでいうと、ぼくは「チョット ヤッテイル」という現状なのだと思います。たとえば本書の内容に倣って、なにかしらのプロジェクトで「とりあえず、騙されたと思って 1 から 10 までこの本の通りにやってみよう」と決意したとしても、実際になにをどこまでやったらよいかは自明ではありません。

継続的インテグレーション、あるいはダッシュボードのような

適応度関数の話を読んでいて、ぼくはずっと「継続的インテグレーション」っぽい話かな、と感じていました。もし、自分たちのシステムが満たすべき「◯◯性」と呼ばれるような性質をすべて列挙できて、かつ、ひとつひとつを定量化できたとして。そうすると、ソフトウェアに変更を加えようとするたびに、もしくは毎日の決まった時刻に、CI を走らせて Green か Red かを判定できるはずですよね。これはたしかにおもしろいと思います。

あるいは、チームの視界に入りやすいように目立つところにディスプレイを置いて「今月の売上」「目標まであと◯◯円」と示すような感じで、ビジネス上の KPI と同列に「デプロイ回数 / 日」だとか「セキュリティ的観点から見た望ましさ」「耐障害性」「パフォーマンス」などが表示されていたら。なんとなくの雰囲気で語られがちな「最近、技術的負債が牙をむいてきたね」「開発スピードが落ちている気がする」「開発効率が〜」「コードの質が〜」といった類のことも、もうちょっと科学的に扱えるようになるのかもしれません。

まとめ

書籍「進化的アーキテクチャ」を読みました。自分の、ソフトウェア・アーキテクチャに関する見識は、まだまだこのレベルまで深化していないし整理もできていないな、と思いました。

適応度関数を設定した先の未来についてはワクワクするものは見つけられたものの、じゃあその適応度関数ってどうやって設定したらいいんだろうなぁというのは自分にはわからなかったので、今日からなにをすべきか〜というのは宿題となりました!

自分の中で「アーキテクチャとは」「設計とは」というのをもっともっと整理できてから読むと、また違った感じ方になるのかもしれません。

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大和田防災会議 2018 を開催しました

2018-10-07

先日、家族全員で集まって「大和田防災会議 2018」というイベントを開催しました。つまり @june29@mamipeko でおしゃべりしたということです。その名称からわかる通り、防災をテーマにした催しです。

ぼく個人は、正直なところこれまで防災を強く意識して過ごしてきたわけではありません。自然災害について完全に他人事と思っているわけではないけれど、具体的に備えるような行動はしておらず、実際に起こってみないとわからないから起こってから考えよう、くらいのスタンスでここまで生きてきたと思います。

そんなぼくが、なぜ防災会議を開催するに至ったのか。

ぼくと自然災害

具体的な自身のエピソードを伴って思い出せる大きな自然災害は、これまでの約 35 年間の人生の中で 4 つくらいでしょうか。

2000 年、ぼくが 17 歳のときに有珠山噴火がありました。ぼくは有珠山の近くの地域に住んでいなかったため直接の被害は受けていません。ただ、夏に漁師さんの家に住み込んでアルバイトをしていて、その家の女将さんの妹さんが被災者だったのです。もともと住んでいた地域には住めなくなってしまったため、姉のところに避難してきて、ぼくと同じように漁のお仕事を手伝っていました。ぼくは「隊長」と呼んで慕っていて、隊長は 50 歳くらいだったかな、今にして思い返してみるといつも笑顔でいたように思います。隊長はぼくの前では悲壮感を出さなかったので気付きませんでしたが、考えてみると、とても大変な状況だったのでしょう。

2003 年、ぼくが 20 歳のときには平成十勝沖地震がありました。記録によれば早朝 4:50 の発生です。当時ぼくは釧路高専の寮に住んでいて、たしかこのときは試験期間中だったはずです。試験前日の夜はだいたい深夜まで起きて試験対策のための時間を過ごす習慣があり、この地震の前日も 3 時か 4 時くらいまで起きていました。前日というか直前ですね。そろそろ寝るか〜、と、横になってから少し経ってからの大地震です。近くだったアベくんのお部屋にいってみると、水槽の中の水が大きく揺れて、金魚が放り出されて床に落下していました。かわいそう。たしか試験は延期になりました。お昼が近くなった頃だったかなあ、アルバイト先の店舗から電話がかかってきて「大和田くん、今日は出勤できる?」と店長に聞かれました。その時期のぼくはレンタルビデオショップで働いていました。出勤すると、お店は散らかってぐちゃぐちゃになっており、お片付けは本当に大変でした。

上京から丸 3 年が経とうかという 2011 年 3 月 11 日、東日本大震災がありました。この日は平日だったから、勤め先のオフィスにいましたね。ぼくは自転車で通勤していたので、電車通勤組の人たちがよさげなタイミングで退勤していくのを一通り見送って、最後に退勤して施錠を担当しました。テレビの画面に映る東北の津波の映像はまるで現実味がなくて、それでも、ひたすらに怖かったのを覚えています。地震の翌朝だったかな、自動停止が作動していたようで自宅のガスが使えないことに気がついて、マンションの廊下に出て、どこかに電話して元栓の開け方を教えてもらいながら開けました。そしたら隣のお部屋の人が出てきて、初対面だったのでごあいさつして、そのお部屋の元栓もいっしょに開けました。

そして今年の北海道胆振東部地震です。ぼくは東京都内にいたためまったくと言っていいほど影響を受けませんでしたが、家族や友人たちが大変な目にあっている様子を見聞きして、胸が苦しくなるのを感じました。北海道に対する思い入れは強く、生まれ育った地と身近な人たちの身に起きたことは、他人事として済ますのはむつかしかったのです。

北海道全域の大停電という衝撃

防災会議の開催のきっかけと言えば、やっぱりこれですね。大停電。

極端な話をすると「住んでいる家が隕石で破壊される」となると、備えようがないじゃないですか。どうしようもない。最悪ケースでは死ぬし、たまたま別の場所にいて命は助かったとしても、家と家に置いてあったものはすべて破壊されるので、あきらめるしかないはず。

しかし「人体も家屋も無事だけど、電気がこない」というのは、備えがモノをいうタイプの事態だと思ったんです。近い将来に「関東大停電」みたいなことが起きたとして、そのときに「備えておけばよかった〜」と後悔したくないな、と思ったんですよ。それで、奥さんと相談して、どこまで備えておくか決めて、行動に移すことにしました。

防災会議で想定した状況

  • 住居は無事、引き続き暮らしていける
  • 2 泊 3 日程度の避難所生活がある
  • 1 週間程度の大停電がある

雑にこれくらいの状況があったとして、という想定で会話していきました。壊滅的な状況よりもイメージしやすいかと思いまして。最近の日本の被災状況を鑑みて、これくらいだったらけっこうありそうだな〜とぼくらが感じられる内容になっています。ほどよいリアリティで危機意識を高める作戦。

備えることにしたもの

これらをひとつにまとめて収納してあります。

  • 防災ラジオ (まだ届いていないので写真には写っていない)
  • LEDランタン 2個セット (まだ届いていないので写真には写っていない)
    • 人数分あるとよい、と聞きました
  • 箱ティッシュ
  • ウェットティッシュ
  • ペーパータオル
  • サランラップ
    • お皿を使いつつお皿を汚さずに食事できたり、なにかと便利と聞きました
  • マスク
  • 絆創膏
  • カセットコンロ
    • お湯を沸かせるかどうか、というのはけっこうな分岐になると思います
  • 非常食とお水
  • ペーパーパンツ
  • 折り畳み式ウォータータンク
  • 歯みがきセットと洗口液
    • 口の中が気持ち悪いと QoL が下がりそうなので、水いらずのモンダミンを買ってみました
  • 綿棒
  • 防寒アルミ
  • 単 3 式充電池 (エネループ)
    • もともと何本かありましたが、ランタンにも使うので買い足しました
  • 東京防災
    • 無料で Kindle 版を買いつつ、紙版も買って防災グッズ中に入れておこうと思います

非常食についてはまだまだ精査中で、まずは平時である今のうちに試食会などやってみて、なるべく自分たちの口に合うものを揃えていきたいと思っています。ビスコはよく知っているおいしい味で最高っぽいですね。しんどいときも心を癒してくれそう。

これからやること

  • 非常食の試食会
  • 初心者向けキャンプでアウトドア入門
    • 趣味でキャンプをする人たちの備えは停電時にもおおいに役立つということで、家族の趣味にアウトドア系のアクティビティを加えるはよさそう
    • 楽しみながら防災するのも大事だと思っています
  • 大和田防災会議 2019
    • 2019 年 10 月に予定を入れておきました
    • 単発で開催して終わり、ではなく、忘れないように意識し続けるようにしたい
    • 消費期限のあるものは年次で「消費して、買い直す」サイクルにしたい

参考にしたもの、謝辞

しっかりと考えるきっかけをくださって、ありがとうございます。役立てたいと思います。

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Rejectcon 2018 で Hi-Ether の話をしてきました

2018-09-30

2018 年 9 月 29 日 (土) に開催された Rejectcon 2018 に参加し、Hi-Ether と Ethreum 関連のお話をしてきました。

もともと builderscon tokyo 2018 に応募したものの採択されず、行き場を失くして成仏できずにいたトークでしたが、Rejectcon 2018 の準備を進めていた @yoshi_hirano さんが声をかけてくれて登壇に至りました。ありがたやありがたや…!

自分のトーク

DAO を目指す Ethereum 技術者コミュニティ「Hi-Ether」の挑戦 - builderscon tokyo 2018

builderscon は個別具体的な技術要素に特化せずに包括的に様々な技術ネタを扱うとされているけれども、実際の参加者のみなさんとお話してみると、なんだかんだでウェブ業界の人が多いな〜と感じます。というわけで「ウェブ業界に身を置いているソフトウェアエンジニア」を想定聴衆像として、ウェブ業界の人に向けてぼくが Ethereum や Hi-Ether について感じている興奮を共有するぞ、という内容にしました。

そういう意味では 2017 年 12 月にこのブログに投稿した Web アプリケーション開発者のための Ethereum 入門 - #june29jp に近い内容で、さらに最近になって興味をひかれている Cryptoeconomics の話題を盛り込みつつ、30 分におさまるようにパッケージングした感じですね。

実は、イベント前の 2 週間くらいの期間に「どんな話をしようかな〜」と情報と思考を整理しているときがいちばん楽しかったかもしれません。登壇機会を利用して自分の頭の中を整理しちゃうやーつ。本当にありがたい機会をいただきました。

ここで話したような内容をたっぷり扱う「Hi-Con 2018」というイベントをやるんで、興味が出てきたぞ〜という人はぜひご参加くださいな!

Hi-Con 2018 を開催します!|Hi-Ether Blog

ひとりの参加者として

はじまりからおわりまで参加させてもらって、すべてのトークを聴くことができました。どれもおもしろかったのですが、ひとつだけ挙げるとしたら ROLLCAKE Inc. の @7gano さんによる「新しい技術書出版サービスの作り方」です。めちゃおもしろかった。

PEAKS(ピークス)|それ知りたい!が本になる、技術書クラウドファンディングを題材としたプロダクトマネジメントの話として聴きました。ストーリーがあまりにも美しかったので、本当にそんなにうまくいったのかよ〜と思わなくもないのですが、世の中に対して価値を生んでいるプロダクトが実在しているわけですから野暮なことは言いっこなしですな。

ぼくもそういうプロダクト開発がしたい、と思わされてしまって。「ROLLCAKE 流」みたいなものは、引き続きウォッチしていきたいです。

まとめ

Rejectcon 2018 に参加してきました。

持ち前の強運によってトークの機会をいただけたのはよかったものの、やっぱり Reject は悔しいので、次は Rejectcon じゃなくて本編でトークするぞ!と決意をあらたにしました。応募したこと自体はよかったと思っています。Reject した犯人であるところの @lestrrat さんのトークを聞いて、ちゃんと採択されるプロポーザルを書こう、もっと言えば、そういうプロポーザルを書けるような実のある日々を過ごそう、という気持ちになりました。

運営のみなさん、発表者のみなさん、参加者のみなさん、ありがとうございました!

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