#june29jp

M5Stack の世界に入門して簡易な天気予報ガジェットをつくりました

2019-05-12

今年は 大和田家スマート化計画 2019 というのを進めていて、そんなに大それたことは実施していないものの、堅実に少しずつ生活の中のちょっとした困りごとを技術で解決しながら過ごしています。既製品を導入して便利にする、ってのは一段落したので、次はガジェットの自作に取り組んでみようかな〜と思って M5Stack を買ってみました。

ぼくが「買うぞ〜」となった 2019 年 4 月 21 日には スイッチサイエンスM5Stack Basic の在庫が切れていたので、Aliexpress で購入しました。

M5Stack を選んだのには同僚たちの影響もあり、特に 技術書典6 にて販売された M5Stack入門01 という入門書があったのは大きかったです。こちらを購入して中身をざっと見て概要を把握し、M5Stack でどんなことができるかイメージがついたので購入に踏み切れたと思います。あとは 10 連休の存在も大きかったですね。新しいことを始めるにはうってつけでした。

やったこと

  • otenki-kun という簡易な天気予報ガジェットをつくった
  • otenki-kun を自宅のトイレにデプロイした

トイレにデプロイというと脱糞を想起させますね!

なぜこれをつくろうと思ったか

  • M5Stack の習作として「ウェブ上のどこかから情報を取ってきて表示する」というガジェットをつくってみたかった
  • 天気予報はちゃんと見た方がいいな〜と思いつつなかなか見なくて、そのせいで服選びに失敗することがあるので、生活導線上に天気予報を表示させてみたらどうか?と考えていた

ぼくは最初はお着替えをするお部屋にある姿見のところに設置するとよさそう、と考えていたのですが、奥さんと相談した結果、トイレに設置するのがよさそうと思い直しました。起床してトイレに行かない日はまずないのと、ぼくは座ション派ってこともあり、便座に着席したときに見やすい位置に情報が表示されていたら確実に見るのでは〜!と思ったのですね。

かくして我が家にも Internet of Toilet の流れがやってきました。

実装について

環境構築の手順なんかは、丁寧に解説している他の文献がたくさんあるので省略します。それこそ M5Stack入門01 をおすすめしておきますね。

  • 最初は Arduino で Hello, World! を動かしてワイワイしていた
  • 想像していたよりもライブラリが洗練されていて簡単に Hello, World! できたので、このまま Arduino で開発を進めていくか〜と思った
  • HTTP リクエストを発行したりそのレスポンスを JSON でパースしたりしようとすると、途端に面倒になって MicroPython 環境に乗り換えようと決める
  • m5stack-20180516-v0.4.0.bin というファームウェアを入れる
  • Wi-Fi のアクセスポイントに接続する処理が思うようにいかなくてハマりまくった
  • M5Cloud のファームウェアだと Wi-Fi 接続はいい感じにやってくれるっぽいと気付いて、そっちに乗り換えようと決める
  • m5cloud-20180516-v0.4.0.bin というファームウェアを入れる
  • Python の文法自体はすぐに馴染んだものの、不慣れな MicroPython で HTML のスクレイピングをやるのはなかなか大変と気付く
  • 「コードを書く、M5Stack に反映させる、動かす、なにが起きているか確認する」というサイクルを素早くまわす方法がわからん、という気持ちになる
  • JSON を受け取って M5Stack の画面に表示する、ってのはできそうな手応えがつかめてきたので、必要な情報を揃えるところはどこか別の場所でやろうと決心する
  • AWS Lambda で Ruby 2.5 の環境を使って必要な情報を揃えて JSON にして返すエンドポイントをシュッとつくる
  • 天気予報 JSON を受け取って画面の表示をつくるところを淡々とこなす
  • 一定時間ごとに画面が最新の情報に更新される仕組みをつくる

こんな感じでした!ふだんと違う環境での開発で、思わぬところでハマりまくったりしながらも、楽しく取り組めてよかったな〜という感想です。

よくわかっていないこと

  • M5Stack でなにかをつくるとき、みなさんはどのようにデバッグされているんですか…?
    • 効率のよい開発方法を知りたい
    • エラーログとか見たい
    • 今の自分のやり方だと複雑なものはぜんぜんつくれなさそう
  • 何時間も動かしているとたまに勝手に再起動しているっぽいんだけど、これをどう捉えたらいい…?
    • 「毎秒、現在時刻を画面に表示する」って処理を入れたときは約 3 分ごとに再起動する状態になってとても困った
  • 今の実装だと HTTP リクエストを発行してエラーになったときに処理全体が止まりそう

まずは同僚の M5Stack の常連さんたちにこのあたりを相談してみようかな、と思っています。今は知見がぜんぜんなくて、このままだと初級者を抜け出せなさそう。

こうしたガジェットについて考えたこと

スマートフォンが登場して「好きなアプリをインストールして使う」という行動体系が定着した昨今、スマートフォンがあれば済む、って状況はどんどん強まってきました。たとえばぼくの日常でいうと、ふらっと自宅近くのコンビニ行くときは iPhone だけ持って出発すればいいわけですね。それで玄関の施錠もできるし、決済もできるから、物理的な鍵やお財布を持ち物として管理しなくて済むようになりました。

その観点でいうと、今回の「天気予報ガジェット」って逆行しているわけじゃないですか。天気予報を見るだけだったらスマートフォンでできちゃうし、実際ぼくのふだん使いの iPhone にもお天気情報関連のアプリはインストールされています。それなのに。

お天気情報アプリはインストールされていても、テレビの電源を ON にすればなにかしらの番組がお天気情報を伝えてくれるにしても、スマートスピーカーに尋ねればお天気情報を読み上げてくれるにしても。結局それらは、ぼくたち夫婦の生活導線上には乗っていなくて。それで今回、トイレの壁に小さなディスプレイを貼り付けるに至ったわけで。

これはなかなかおもしろいことだな〜と思っています。今後 M5Stack が「アプリのプラットフォーム」のような場所を提供し、価格も今より安価になるとして。たとえば 500 円くらいで、今回ぼくが作ったような天気予報ガジェットを誰もが簡単に買えるような状況になり、自宅の住所を設定したらその地域のお天気情報を表示できるようになったら。スマートフォンでの利用が適したアプリはそのまま活用され、必ずしもそうではないアプリは独立したガジェットに切り出されていく。そんな未来もあるんじゃないかな〜と感じました。

これはだいぶ前からいろんなところで言われていたことではあるものの、より強く自身の実感を伴って感じられる未来になったので、このタイミングであらためて自分の言葉で書き残しておくことにしました。

まとめ

M5Stack の世界に入門し、簡易な天気予報ガジェットをつくりました。今回やったこと、苦労したこと、これから知りたいこと、こうしたガジェットについて考えたことなどを書きました。

M5Stack の基本的なことはわかったので、これからも継続的に、自分たちの生活を豊かに便利におもしろくしてくれるようなガジェットをカジュアルにつくっていきたいと思います。

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書籍「なめらかな社会とその敵」を読みました

2019-05-02

なめらかな社会とその敵 | 鈴木 健 |本 | 通販 | Amazon

以前から気になってはいたものの Kindle 版がないという理由で購入に踏み切れずにいました。Kindle でハイライトしながら読むことに慣れすぎていて、紙の書籍をうまく読み進められないんですよね。それでも、2019 年のゴールデンウィークは 10 連休ということでいい機会なのでエイヤッと読むことにしました。ゆっくり読めてよかった。おもしろかったです。

ぼくの読書メモは丸ごと scrapbox.io/hub に置いてあるので、興味のある人は見てみてください。

なめらかな社会とその敵 - hub

修士のときに複雑系工学を専攻していた自分にとっては、かなり好みな部類のお話が多く含まれていました。2013 年 1 月 28 日の発売なので、もう 6 年以上前に書かれたものですか。2001 年発売の NAM生成 に鈴木健さんが書かれた「第四章 ネットコミュニティ通貨の玉手箱」というのがあるらしく、ぼくは読んでいないのですが、2000 年に書かれたものだそうです。そこで本書の話題の大部分は出尽くしているそうな。となると、今から約 19 年前から考えられてきたことなんですね。

その内容は令和時代に読んでも色褪せていないどころか、より一層の臨場感をもって読めるものばかりでした。長期的な目線で描かれるその世界観に度肝を抜かれました。自分があと何年生きてもこの領域に到達できる気がしないなあ…!

過去の研究を紹介する形で、文中には本当に幅広い分野の人物が登場します。人物名のあとに括弧書きでその人の専攻のようなものが記されていて、試しにいくつか列挙してみると「神経科学」「生物学」「心理学」「ロボット工学」「哲学」「経済学」「社会学」「計算機科学」などの学問領域がずらっと並ぶばかりでなく、中には「発明家」「デザイナー」のような肩書もありました。非常に広範な話題を扱っているとわかります。そういう意味で、この書籍自体がなめらかというか、特定の狭い領域に閉じていないのが印象的です。膜によって閉じておらず、話題が網になっています。

書籍「サピエンス全史」の下巻を読んだでも少し触れましたが、1 年くらい前の自分は、まず「個人があって」それから「国家がある」と捉えていました。それを、サピエンス全史を読んで思い直したわけですね。本書においては

国家と個人の蜜月関係の構築こそが近代化の歴史だった

と表現されていて、なるほど、やっぱり自分が抱いていた「まず、個人がある」という幻想はここでも真っ向から否定されるわけです。国家という概念を確固たるものにするために個人という概念が広められていったのだ、と、今はそう認識するようになりました。

続いて自分の価値観の輪郭を探るにおいては、自分は「全体主義よりは個人主義」であると書きました。これは今でも変わっていないものの、本書を読んで「自分は個人という概念に囚われすぎていたな」と感じるに至りました。そんなに肩肘を張らずに、もっと気楽に個人としての矛盾を楽しんでいけたらいいな、と思えるようになりました。これが大収穫だったな〜と思います。

「伝播投資貨幣 PICSY」も「分人民主主義 Divicracy」も「構成的社会契約論」もかなりおもしろくて、引き込まれる感覚を抱きながら読みました。もし 2019 年に書かれるとしたら、どれもブロックチェーンと絡めて言及されそうですね。契約の自動実行や CyberLang のお話は、最近の概念でいうと Crypto Law そのものだと思います。

ところで、自分は 2012 年に ウェブと云う國というエッセイを書いていたことを思い出しました。当然、鈴木健さんのようにパキッとした世界観を描けていたわけではないものの、ひとりの人間として社会や国家に属していて感じる「しっくりこない」感覚はそれなりにうまく言語化できているように思います。分人民主主義や構成的社会契約が実現した世界があるとしたら、ぼくは自分の生活に直接的に関わってくるようなウェブのあれこれについて積極的に投票を行い、そのステークホルダーとしてふるまうことでしょう。そっちの方がしっくりくるだろうな、と想像します。

ここからは「あとがき」の中で特に気に入った箇所を引用してまとめに向かいます。

みなさんの協力がなければ、本書はこうしたかたちで生まれることはなかったであろう。にもかかわらず本書の責任は著者の私にあるというのがよくある表現なのだが、どうも納得がいかない。ここで名前を挙げたみなさんも、挙げられなかった方々にも、本書の内容には少しずつ責任を持っていただこうと思う。

これも「なめらかな社会」的な考え方でクスッと笑ってしまいました。

きっと上記の方々や読者を含む世界のあらゆる存在が、私というインターフェイスを通して本書を書き上げたのではなかろうか。そう考えれば多少は納得がいく。とすれば、謝辞というよりも著者一覧なのかもしれない。

スタンスが徹底していますね。個人という概念を超越していくと、著者という概念も離散的ではなくなっていくのだなあ。その方が「納得がいく」と感じるのならば、きっとそっちの方が実態をよく表しているということなのでしょう。

さて、本書の中で丁寧に描かれる「なめらかな社会」と比べてしまうと、2019 年現在の国家や社会や組織や個人は、ずいぶんと「なめらかではない」「静的」「硬直化している」と気付いてしまいます。これにはいくらかの落胆もつきまといました。その一方で、自分をとりまく環境は少しずつなめらかになってきている手応えもあって。

たとえば自分は、特定の組織に強く依存しないように人生を組み立てています。お仕事を通じて学んだこと・気付いたことは、一手間かけて抽象化・一般化した上でここ june29.jp に書いて公開することで誰にも奪うことができない自分自身のものにしています。また、いくつものコミュニティに関わり、自分が興味を持てる議題については意見を表明し、意思決定に関わることができています。そうした活動は自分に対する評価を暗黙的に形成もしているでしょう。これって、ずいぶんなめらかですよね。きっと無意識に、なめらかな社会を望み、そうなるように歩を進めてきたのでしょう。

世界は生成するものであり、あなたは世界に参加しているのである。

という一文であとがきは締められていて、なんだか背中を押されたような気分になりました。

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コードレビュー・ネイティブ世代

2019-04-20

会社員になってお仕事としてソフトウェア開発を始めたころ、ぼくにとってコードレビューは当たり前のものではありませんでした。幸いなことに、なにかのタイミングで当時ぼくが属していたチームのリーダーが「コードレビューをやりましょう」と提案してくれて、それで、会議スペースに液晶ディスプレイを設置して、ソースコードを画面に映して、チームメンバーで集まってあれこれと言い合う時間を過ごせました。これがきっと、ぼくとコードレビューの出会いです。おかげでぼくは「コードレビューって、ありがたいものなんだな」「コードレビューがあることで回避される悪いシナリオがたくさんあるな」と思えるようになりました。

気付けばあれから 10 年以上が経っていて、ぼくらの業界におけるコードレビューの認知度はどんどん上がり、実践している現場もどんどん増えてきたように感じています。今では「ふつう、やるよね?」と捉えている人も多いかと思います。そんな時代にソフトウェアエンジニアになった人々をここでは「コードレビュー・ネイティブ世代」と呼んでみることにしましょう。もちろん「デジタル・ネイティブ世代」になぞらえて。

コードレビューのない世界

会社員になって、研修の段階でコードレビューを教わった真面目な人々は、コードレビューがない状態でのソフトウェア開発の経験がほとんどなかったりします。

以前、ソフトウェアエンジニアの研修の様子を眺めていたとき、彼ら彼女らのふりかえりで「コードレビューに多大な時間を要してしまった」という内容が Problem として挙がっているのを目撃しました。そこでぼくは「じゃあ、コードレビューをやめてみたら?それで解決するんじゃない?」と提案してみました。そうすると「えっ…?」といった反応で、コードレビューをしないという選択肢に驚いたようでした。研修の過程で「コードレビューは、必ずするもの」と認識したのでしょう。勝手に省いてはいけないとも思ったのかもしれません。

コードレビューにせよ、バージョン管理にせよ

コードレビュー、やる場合とやらない場合のそれぞれのメリットとデメリットを整理して、自分たちにとってお得な方を選んだらいいですよね。判断すればいいはず。まともに判断するためには天秤の皿に乗せるものたちのことをよく知っておく必要がありますから、やる場合、やらない場合、双方を経験しておくとよいでしょう。

すでにお気付きの通り、コードレビューをすべて「バージョン管理」に置き換えてもこの文章の論旨は変わりません。自動化テストでも、継続的インテグレーションでも、継続的デリバリーでも、アジャイルでもスクラムでもいいかもしれません。なにかしらの道具を使うときは、使わない場合と比較してなにがどう違うのか、メリットとデメリットはどんな感じなのか、理解しておくに越したことはありません。

道具にふりまわされずに、道具をうまく活用していきたいものですね。

試しに捨ててみる

立場上、さまざまなチームの人々から「いま、チームにおいて◯◯がうまくまわっていなくて…」と相談を受けます。コードレビューの運用についての相談もよく受けます。

そんなとき、一度は「じゃあ、一度やめてみたらどうですか?」と進言します。もしやめることに強い抵抗感を覚えるとしたら、なぜそう感じるのかを言語化してみると気付きがあります。「そっか、やめていいのか」とあっさり思えるのなら、やめてみましょう。そうして 1 週間 2 週間と過ごすと、やはり気付きがあります。失ってみて初めて気付く、というやつですね。そこで拾える気付きが、あなたを、チームを、ひとつ強くしてくれるはずです。

道具に対する自分の感覚を持つ

ぼくの身近なところにはぼくが心配しなきゃいけないような若手はほとんどいないので、杞憂ではあるものの。あえて心配事を挙げるとしたら、それは「よく採用されている手法から外れる」ことではなくて「自分の頭で考えられなくなる」ことです。後者に比べれば前者は微々たるものです。

誰かに与えられた道具を使っているとしたら、それがなんなのか、なんのために存在するのか、ぜひ考えてみてください。あなたにとって役立つものなのかどうか、どのように役立つものなのか、ぜひ言語化してみてください。

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こういう「ごめんなさい」をしたくない、こういうやりとりをしたい

2019-04-14

悪いことをしてしまったときにはちゃんと「ごめんなさい」できる人間でありたいな、そうならなくちゃな、と思いながら生きている @june29 です。今回はとあるツイートを紹介するところから。

これ、なるほどなぁと思いまして。じゃあその「本質」とはなんだろう、と考えてみて、ぼくは「自分の行いを正しく理解すること、その結果を受け止めること」なんじゃないかな〜と思いました。

このツイートを見てぼくが想像したのは、音楽に合わせて指定されたタイミングで指定された操作を行う、いわゆる「音ゲー」と呼ばれる類のやつです。音符が流れてきたときにボタンを押せないとミスになるのはもちろんのこと、音符が流れてきていないときにボタンを押してしまってもミスになりますよね。だからボタンを連打すればハイスコアになるわけじゃない。そんな簡単にはできていないってことです。「ごめんなさい」についても同様のことが言えるんじゃないでしょうか。連発すりゃあいいってもんじゃないところが同じ。

そんな着想を得ましたので、ぼくがこれまでに発してきた数々の「ごめんなさい」を思い出しながら、言ったあとで「あんまりいいごめんなさいじゃなかったな〜」と反省したもの、今の自分としては「これはナシ」としているものを整理してまとめてみました。

対話から逃げるための謝罪

  • これって、どうしてこうしたんですか?
  • すみません…

質問されているのにも関わらず、回答を放棄して謝罪で済まそうとしちゃうやつです。相手が期待する情報を返せていない点がよくないと言えます。

自分のための勝手な謝罪

  • じゃあ 5 日後までにお願いしますね
  • はい、わかりました!(3 日以内に提出するぞ)

からの、4 日後に

  • 遅くなっちゃってすみません…!

ってやつです。相手は 5 日後でよいと言っているのに、自分の内心の 3 日以内という目標を達成できなかったことに罪悪感を抱いて勝手に謝罪してしまうパターン。相手の気持ちを置き去りにして、自分の感情を成仏させるために独りよがりな態度になっているところがよくないと考えます。

どうするつもりもない謝罪

わかりやすい例が思い付かなかったので、ぼくが発したものじゃないのですが実体験から紹介します。

先日、お弁当屋さんに行きまして。そしたら店員さんが「順番が前後してしまい大変申し訳ございません」と頻繁に言っていて不思議に感じました。注文した順番と、料理ができあがってくる順番が一致しない場合があって、それで謝罪の言葉を述べているわけですね。ただこれ、メニューによって調理時間はちがうわけで、調理に時間を要するやつを頼んだら完成が遅くなるのは仕方のないことです。

もし心から「注文順に提供すべき」と考えているなら、ひとつ注文を受けるたびにその料理を提供し終えるまで次の注文を受けない、ってするはずなんですよね。でもお弁当屋さんはそれを選択していません。客全体のトータルの待ち時間を最小にするために、注文を受けたものから調理を開始して、完成したものから順に提供する、という方法を選んでいると思うんですよ。だったら胸を張っていてほしいな〜と思いました。謝罪の言葉を述べたところで仕組みを変えるつもりもないんだから、ポーズだけ取っても仕方ないと思ってしまって。

こうして整理してみると

こうして整理して 3 つのパターンを書き出してみて、ぼくは「悪い意味で雑に謝罪という手段を乱発するのが好きじゃない」のだろうな〜と気付きました。先の音ゲーの比喩でいうと、ボタンの連打ですね。もっと、本質を捉えた誠実なやりとりにしていかないと、謝罪を安売りすることになってイヤなんだろう、と思います。本当に謝罪しなきゃいけないときに言葉が薄っぺらくなってしまわないように。

とりあえず低姿勢にしておけ、という気持ちはわからなくはない

先のお弁当屋さんのエピソードに関しては、気持ちを察する面もあって。おそらく過去に、提供順番についてイチャモンをつけてきた客がいたのでしょう。「わたしの方が先に注文したのに、先に提供されないとは何事だ!!!」みたいなことがあったのでしょう。それで、そういった面倒な事態を未然に防ぐために「とりあえずあやまっておく」「悪いと思っていないし方針を変えるつもりもないけれどあやまっておく」というマニュアル対応に落ち着いたのだと想像します。あくまで想像ですが。トラブルに巻き込まれたい人なんていませんよね。

それでも。ぼく個人の意見としては、そういうモンスターカスタマーに対しては「じゃあうちを利用すんなよ」で充分だと思います。

一部の「自分はえらい」と勘違いしているんだかなんなんだかわからない人間を基準として、それに合わせた謝罪のラインを引いてしまうと、全体としては過剰な謝罪社会になってしまうでしょう。ぼくは「自分は悪くないと思ってもとりあえずすぐに謝罪しておけ」という息苦しい社会は望んでいません。

自分の身近な人々との間ではどうしていきたいか

とある偉人はこんなふうに言っていましたね!

『HUNTER×HUNTER』の 32 巻より。

ぼくはプロのハンターではないので、ジン・フリークスさんほど厳しいルールを課したいとは思いません。とはいえ参考になるなぁと思います。「次はどうするか」を考えるのはとても有益ですよね。それを考えることで、なにがよくなかったのか現実と向き合うことになりますし、今後同じようなことでごめんなさいしなくて済むように思慮を巡らすことにもなります。

逆に考えてみると、次はどうするか具体的な約束が浮かばないようなシーンでは、安易に謝罪すべきではないとも言えるでしょう。

まとめ

ぼくは、下記に分類されるような「ごめんなさい」を快く思わないので、そうならないように、よい形で「ごめんなさい」していきたいと思っています。

  • 対話から逃げるための謝罪
  • 自分のための勝手な謝罪
  • どうするつもりもない謝罪

『HUNTER×HUNTER』のジン・フリークスさんが言うように「次はどうするか」を一度でも考えることで、よい形での「ごめんなさい」を実践できそうです。

悪いことをしてしまったときにちゃんと「ごめんなさい」できるようにありたいし、同時に、雑に「ごめんなさい」を乱発して息苦しい社会づくりに加担したくもないな〜と思います。ひとつひとつの「ごめんなさい」が、きっと誠実なものでありますように。

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自分の考えを持つこと、相手の考えを尊重すること、それらを磨き続けること

2019-04-06

多数派と排他

この 4 月から働き始めた人もたくさんいることと思います。ぼくは 2008 年 4 月から働き始めてこの 4 月を迎えているので、なんとびっくり、フルタイムの労働者としての 12 年目に突入してしまいました。もう 11 年間も働き続けているのだなあ。なかなかえらいですね。引き続きえらい感じでやっていこうと思います。

さて、そんなシーズンですから、3 月の下旬から「やっていく」ことについて書かれた文章がいくつも流れてきて、ぼくもフムフムと読みました。たとえば 受験生のみなさんへ - 内田樹の研究室 という文章があり、実はこれは 2018 年の 3 月に公開されたものなのですが、ぼくはこの春にたまたま見つけてたいへん興味深く拝読しました。特に、この一節です。

学校で子どもたちが身につけたのは、自分と価値観も行動規範もそっくりな同類たちと限られた資源を奪い合うゼロサムゲームを戦うこと、労せずしてコミュニケーションできる「身内」と自分たちだけに通じるジャルゴンで話し、意思疎通が面倒な人間は仲間から排除すること、それを学校は(勧奨したとは言わないまでも)黙許してきました。

これにはなんだかドキッとしてしまいました。今から 11 年前の、小学校・中学校・高専・大学・大学院と「学校」に通い続けて、ようやく「学校の次へ行くぞ」と意気込んでいた就業直前の 3 月の自分が読んだら、薄暗い気持ちにもなりそうな内容です。件の記事の全文を読んでみると、端々に著者である内田樹さんの悔しさや申し訳なさのような感情を読み取ることができます。

ぼくがドキッとするのは「自分に心当たりがあるから」に他ならないでしょう。

「日本の学校は」「日本の教育制度は」から始まるような文章はぼくには書けそうにないので、ひとりの個人としての体験をベースにして書きましょう。ぼくが児童・生徒・学生だったときに感じていた学校の空気というのは、35 歳の会社員として過ごす今と比べると、とても閉鎖的で、同調圧力が強く、排他的であったように思います。そして、自分もその空気に少なからず加担していたような感覚が残っており、思い出すことで少し胸が痛くなるのです。ぼく自身は、激しいいじめにあっていたわけでもなく、いつでも友だちには恵まれている幸運な学校時代を過ごしましたが、だとしても、あの独特の空気は今になって思い返すと少なからずゾッとしてしまいます。

たまたまぼくが身を置いていた環境がそうだったのでしょうか?他のみなさんの学校体験はどのような言葉で修飾されるようなものでしたか?

ぼくは特に「排他的」な雰囲気がきつかったなぁと思い返しています。少数派に対して寛容じゃないというか、多数派の輪に入りそびれると居心地が悪くなってしまうというか。なんでしょうね、確固たる自我がない未熟な個体が群れをなすと、多数派という安心のための領域をつくって自己を守ろうとする習性でもあるんですかね、このあたりに詳しい人がいたら教えてください。

さらには、そうして多数派の中心に近い場所にいる人ほど「うまくやっている人」というポジティブな見られ方をされていたようにも思います。たとえその人が、自分と考えや趣味やノリがあわない人を排除しようとしていたとしても、です。それが、再度引用しますが、

労せずしてコミュニケーションできる「身内」と自分たちだけに通じるジャルゴンで話し、意思疎通が面倒な人間は仲間から排除すること、それを学校は(勧奨したとは言わないまでも)黙許してきました。

に書かれていることかな、と、自身の体験と記憶を紐解きながら解釈しました。

価値を追い求めるとしたら

アフリカの諺にこんなものがあるらしいです。

If you want to go quickly, go alone. If you want to go far, go together.

日本語にすると「早く行きたいなら一人で行け、遠くへ行きたいならみんなで行け」といったところでしょう。

丸 11 年間ほどの労働者生活を経験してきたぼくにはグッとくる成分のある諺です。より価値のあるお仕事をしようと思ったら、いろんな技能を持った人たちが必要になるのはもちろんのこと、いろんな考えを持った人たちで協同することになるでしょう。自分ひとりでやれることの範囲はたかが知れていますし、よく似た考えの人たちが集まって行う議論はなかなか深まりません。

価値を追い求めようとすると、議論やディベートやレビューなどのコラボレーティブな活動の質を高めることの重要性に気付きます。それは囲碁や将棋の上達のプロセスを思い起こさせます。定石を学ぶ個人の学習時間も大事でしょうが、それだけではなく、他者との対局を経て思考力を高めていくことになるでしょう。深い思考と深い思考をぶつけあうことで、さらなる深みを目指すのです。

心理的安全性の誤解

Google re:Work - ガイド: 「効果的なチームとは何か」を知る より。

Google のリサーチチームが発見した、チームの効果性が高いチームに固有の 5 つの力学のうち、圧倒的に重要なのが心理的安全性です。リサーチ結果によると、心理的安全性の高いチームのメンバーは、Google からの離職率が低く、他のチームメンバーが発案した多様なアイデアをうまく利用することができ、収益性が高く、「効果的に働く」とマネージャーから評価される機会が 2 倍多い、という特徴がありました。

Google のリサーチ結果の発表を受けて、日本語圏においてはたしか 2017 年の 8 月頃から「心理的安全性が大事」と繰り返し語られるようになったと認識しています。それから 1 年半ほどが経った最近は「これ、雰囲気で心理的安全性という言葉が使われているな?」とお見受けするシーンをちょいちょい見かけるようになりました。

ぼくが怖いなぁと思うのは、心理的安全性に関する誤解が冒頭で述べた「多数派と排他」と悪魔合体してしまうことです。仮に「生まれてから 22 年間、多数派の中心に近いところでうまくやってきた」という人がいて、心理的安全性が大事、という言葉だけを耳に入れられて表層だけを捉えると、

  • 場の空気を読むこと
  • 輪を乱さないこと
  • それが「みんなとなかよくすること」であり、心理的安全性につながる

と誤認してしまうケースもあるんじゃないかな、と。こういうのはただただコンフォートゾーンを出ていないだけで、もし「輪を乱したら排除されちゃう…」と思いながらやっていたら、心理的安全性がないってことなんですよね。ここは捉え方を気をつけていかなきゃいけないと強く思います。

あらためてがんばっていきたいこと

それじゃあぼくはどういう行動をしていこうか、とあらためて考えてみると。先にもリンクした Google re:Work - ガイド: 「効果的なチームとは何か」を知る にアドバイスまで書いてありますね。便便便利。

エドモンソン氏は、TEDx Talks でのスピーチの中で、チームの心理的安全性を高めるために個人にできる簡単な取り組みとして、次の 3 点を挙げています。

  1. 仕事を実行の機会ではなく学習の機会と捉える。
  2. 自分が間違うということを認める。
  3. 好奇心を形にし、積極的に質問する。

どれもマインドセットに関わるお話なので、これと真逆の考えで長く過ごしてきた人にとっては実践がむつかしいかもしれませんね。ぼくは自身がこれらを体現していくとともに、4 月に入社してきてくれた新メンバーズともこの観点を共有していきたいです。そういう狙いもあってこうしてここに書いています。

2019 年 3 月のこちら 平成30年度卒業式総長告辞 | 東京大学 もたいへんよくて。東京大学とはまったくの無縁のぼくですが、五神真さんの言葉は身に締みました。引用したい箇所はたくさんあるのですが、ここではひとつだけ。

さらに、そのような問いかけを、自分のみならず、他の人にも投げかけ、ここでいうconsummatoryな感覚を分かちあってほしいと思います。自分も他者もそれぞれに、ともに心躍らせている、そのような質の高い「共感」こそが、新しい社会を望ましい方向に向かわせる推進力になると私は考えます。全員が一つの幸福に向かうのではなく、多様な幸福が共存し、緩やかに結合する。そうした社会のあり方を、まさにともに心躍らせる活動として模索してください。それが「多様性を活力とした協働」なのです。私はみなさんに、そのような活動を牽引する、新たな時代のリーダーになっていただきたいと願っています。

これもね、ちょうどぼくが考えていてここまで書いてきたこととリンクしているように感じられて、身震いしてしまいました。多様性を活力とした協働、目指していきたい。

みんなでがんばっていきたいこと

チームや組織でパフォーマンスの高い状態を目指したい、そのために心理的安全性の高い状態に到達したい、多様性を活力とした協働を実現したい、と願うのなら。

  • 自分の考えを言葉にして表明する
  • 相手の考えに耳を傾ける、尊重する
  • さまざまな考えをぶつけあうことを楽しむ

をとにかく繰り返していくしかないように思います。「どんなことを言っても非難されませんよ、大丈夫ですよ」と 100 回も言って聞かされるよりも、自分の考えを表明してちゃんと聞いてもらえた、というのを 1 回でも 2 回でも体験してもらう方が効果的でしょう。

ぼくは、家族や同僚と積極的にこういう取り組みを重ねていくことで、最高の状態を目指したいです。

まとめ

今年も新しい春を迎え、フルタイム労働生活の 12 年目に突入したところで、最近考えていたことを書きました。これまでよりもいいお仕事をしたいし、楽しく充実した日々を送りたいので、所信表明のようなつもりで書いています。

また、この記事自体が「自分の考えを言葉にして表明する」のインスタンスになっています。これ、歳を重ねるごとに「大事だなあ」と痛感するようになってきていて、かつ、言葉にするのは本当にむつかしいな〜とも感じています。だからこそ、練習のために数をこなしていきたい。がんばるぞ。

関連情報

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ぼくから見た世界は「平」に「成」ったのか

2019-03-31

ぼくは昭和 58 年の生まれです。いきなり生年を明かしましたが、何月何日生まれかは秘密です。どうも @june29 です。

昭和生まれといえど 5 歳のときに平成を迎えているので、ここまでの人生の記憶のほとんどは平成の間に積み重ねてきたものです。言ってみれば「昭和生まれ平成育ち」ですね。

ぼくの人生において「新元号発表前夜」を過ごすのは今回が最初で最後でしょうから、あふれるエモさを受け止めて、散文を書いてみようと思います。新元号を知ってしまうとまた新たな刺激になってしまいそうなので、今のうちに。

日本の元号、機能で見ると不便ですよね。ぼくはふだんは西暦しか扱いません。その不便さを押し付けられないのであれば、こうやって節目をもたらしくてくれる元号は楽しいものだと思います。

平和

この約 30 年の間に、ぼくから見える世界は平和になったでしょうか。

正直なところ、あまり大きな変化は感じていません。とてもありがたいことに、ぼくの身近なところは幼少期からずっと平和だったように思います。戦争を経験した世代の、人生の大先輩たちにとっては、平成というのは「平和を成した」時代に見えているのでしょうか?そういった声があれば、ぜひ教えてほしいです。

平 (たいら)

この約 30 年の間に、ぼくから見える世界は平になったでしょうか。

これについてはもう、インターネットとウェブのことを話さないわけにはいきません。ぼくの幼少期は「マスメディアの時代」でしたから、そこから「ソーシャルメディアの時代」に突入していったのが平成と言えましょう。多くの人が多くの情報にアクセスできるようになった、多くの人が情報を自由に発信できるようになった、情報の民主化が進んだ、という意味では、ぼくから見える世界はずいぶんと平になってきたように思えます。

情報に対する権利という意味ではフラット化が進んできたものの、その一方で、権利があれば情報を自在に操れるというわけでもなく、いわゆる情報リテラシみたいなお話で、デジタル・ディバイドという別の形での勾配は発生していそうです。

「結局、世界はよくなっているの?」と問われると簡単には回答できないな〜という感じですが、少なくとも、ぼくは今の状況の方が好きです。

認知の歪みからの脱却

先述の平のお話とは少し違う角度で、ぼくが世界をどれだけ偏見なく先入観なく歪みなく見れるようになってきたか、という観点です。

少しずつ少しずつ、バイアスに気付いては捨て気付いては捨て、を繰り返してこれたと思います。小中学生のころは少年漫画にてしばしば描かれる「正義 vs 悪」という構図を疑いもしませんでしたが、今では、世の中における衝突の多くは「とある正義 vs また別の正義」であると捉えるようになりました。

偏見やバイアスに気付くタイミングというのは決まって、フラットな気持ちで新たな知識や視点を獲得できたときです。人々との対話や読書を続けることで認知の歪みに気付きやすくなります。まだせいせい 35 歳ですが、いくつになっても認知に関する発見は尽きないもので、ネガティブに捉えれば「今も自分は認知の歪みをたくさん抱えているだろう」と思いますし、ポジティブに捉えれば「これからも少しずつ歪みを取り除いていけるだろう」と思えます。

しばしば人は、世界を自分が見たいように見てしまいます。それは平成という短い期間で矯正できるようなものではないようです。平成の次の元号を迎えても、引き続き「平に成っていく」姿勢を忘れたくないものです。

その他、思いつくことを

平成の間に、ぼくから見て「大きく変わったな〜」と感じるものを列挙してみます。

  • 性別というものの捉え方
  • ハラスメントというものに対する意識
  • 煙草や喫煙に対する印象
  • 労働のありかた
  • 家族のありかた (専業主婦、家事や育児の協力体制など)
  • メディアのありかた (テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、書籍、ウェブ、…)
  • 娯楽のありかた (音楽、映画、アニメ、オタク、…)

こうして並べてみると、平成初期には過剰に一極集中していたものが、平成末期に向けて分散してなだらかになっていったような全体感を得ました。「昭和が特殊だった」という捉え方もあるのでしょうね。

まとめ

ぼくから見た世界は、おおいに「平」に「成」ってきたと言えそうでした。

予定通りにいけば、明日には新元号が発表されて、そこから 1 ヶ月も経てばいよいよ新元号の時代に突入します。

平成という元号、こうしてみるととてもよい命名だったように思います。次の元号も楽しみです。平成の次の次の元号を迎えるころ、ぼくはブログを書いているでしょうか。情報を発信しているでしょうか。できれば、この散文を読み返しながら、平成の次の時代がどんな時代だったかふりかえっていてほしいな〜と思います。

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ソフトウェアエンジニアがヒゲ脱毛を体験してみた

2019-03-20

先日、湘南美容クリニックさんに行って、カウンセリングを受けて、全 6 回のレーザー脱毛を契約し、そのまま 1 回目の施術を受けてきました。ぼくはまったくの素人だったので今回はじめて知ったのですが、レーザーを一度打ったらそれで終わりってわけじゃないんですね。あと 5 回くらいは通うことになります。まずは現時点でのレポートです。

Before/After の画像はひとつも載せません。そういうのを見たい人は YouTuber がアップしている動画とかを観るとよさそうです!

どうしてヒゲ脱毛しようと思ったか

結婚して奥さんといっしょに暮らすようになって、独身時代と比べると、生活の質を上げたいというモチベーションが強くなりました。お金をじゃぶじゃぶ使って生活水準を上げたい的なお話ではなく、とにかく無理をせずにストレスなく毎日を楽しんでいきたいという気持ちです。

繰り返し発生する家事などの雑事はとにかくコストを下げていきたくて、そんなことを考えながら少しずつ少しずつ家庭をベターにしてきたつもりです。夫婦そろって、あんまり気張らずに生きていけるようになってきました。

「じゃあ、次はなにを楽にしようか、効率化しようか」と考えてみると、毎朝のヒゲ剃りがけっこう面倒だよな〜と自覚的になりました。そうですね、遅くとも 20 歳のときには「毎朝剃らないと目につく」くらいにはヒゲが生えてくる体になっていたので、かれこれ 15 年以上も、ヒゲを剃ることに自分の時間を費やしていることになります。もったいないですね。

まず、奥さんに話してみた

「ヒゲを永久脱毛しようと思う」

と話したぼくに対する奥さんの反応が「不可逆だけど、いいの?」だったので、数年に及ぶぼくとの会話ですっかり毒されていてかわいそうだなぁと思いました。あなたは「不可逆」とか言うような人じゃなかった。ちょっと笑ってしまった。その通り、ぼくは不可逆な操作を可能な限り回避するので、日頃から「不可逆な操作は慎重にやりたい」と言っています。よくわかっている奥さんだなあ。

奥さんに話す前からぼくも考えてはいて、たとえば 5 年後に「ヒゲを生やしたい」となったらどうするんだろう、って仮定してみたりしました。でも、この 15 年の間に「伸びてきたからなんとなく生やしている」という時期はあっても、積極的にヒゲをどうこうしようと思ったことはありませんでした。生えてこなかったら、特になにも気にせずに過ごすだけだと想像します。

施術の前日まで

「よーし、脱毛しよう」となったので、電話をかけて自宅から行きやすそうなクリニックを選んで予約を取りました。初回はカウンセリングと施術で 90 分くらいを要するだろう、ということを聞けたので、それくらいの時間を確保して臨むことにしました。

通話を終えた 10 秒後くらいには SMS が届いて、おおっ、と感じました。予約受付システムがしっかりしているのだな〜という印象を受けました。電話での応対が丁寧だったこともあり、この時点でかなり安心を感じていました。ありがたいことです。

ここに記載されている URL にアクセスして、事前に問診票に必要事項を記入できます。そうしておくと、当日に現地でやることが減って時間を節約できることになります。とてもよい仕組みだと思います。

施術当日 : 受付とカウンセリング

ちょっと緊張してドキドキしながらクリニックに向かいました。

着いてみると、とてもきれいなところでした。施設内は撮影禁止。ぼくは「受付番号 22 番」の紙を受け取り、この日は共有スペースではずっと「22 番」と呼ばれていました。プライバシーへの配慮だそうです。カウンセリングを受ける個室でのみ、名前で呼ばれました。「29」という数字に体が反応してしまういつもの癖はこの日も発症し「29 番さん」との呼び掛けに「はーい」とお返事しそうになるもグッとこらえ、お行儀よく過ごしていました。

カウンセリングを担当してくれた方に「おヒゲの脱毛をしようと思ったキッカケは?」と聞かれて回答しようとしたあたりで、どうやらこのクリニックには「美」を求めて来院するケースが多数派なのではないか、と感じるようになりました。全体的に清潔感があるし、そこにいる人々もシュッとしており、壁に貼ってあるポスターたちは美容整形の成果を雄弁に語ってくれています。なるほど、美容クリニックなんだからそりゃそうか。ちょっと考えればわかりそうなものですが、ぼくはあまりなにも考えずに突入してしまったため、クリニックに入ったあとで気がつくことになりました。やや控えめに「毎日を効率化したくて、それでヒゲを…」と回答しておきました。

施術当日 : 施術前の説明

Wi-Fi への接続情報と QR コードが印刷された紙を渡されて「この動画を見てください」と案内されました。なるほど。スマートフォンを持っている人であれば、これだけ渡しておけば施術に関する事前案内が済んでしまうわけですね。仕組みがしっかりしている。

動画はこちらです。YouTube にアップされているので誰でも見ることができます。便利。

スマートフォンを所持していない人はどうするんだろうな、とは思いました。貸し出し用のタブレットでも用意しているんですかね〜。

動画を見終わると、再びカウンセリング担当さんとのお話があります。動画で説明されたのとほとんど同じ内容が印刷されている紙の資料をいっしょに見ながら「こういった方は施術できませんが、大丈夫でしょうか?」「はい、大丈夫です」とやりとりを重ねていきます。このときぼくは「動画と口頭でのやりとりで、重複した情報を扱っているな、無駄では?」と思いました。背景として想像したのは、

  • 医療施術を行うわけだから、確実に確認を行うためにダブルチェックにしている
  • 約 9 分間の動画をちゃんと見ない人への対策として、対面でのチェックも組み込んでいる

ってあたりです。実際のところは、どうなのでしょうね。

施術当日 : 契約とお支払い

ヒゲ脱毛の施術がどういった内容なのか、全容がわかったところで、料金表を見ながら契約内容を詰めていきます。冒頭にも書いた通り、ぼくは全 6 回のコースを選びました。通勤定期券の「1 ヶ月より 3 ヶ月、3 ヶ月より 6 ヶ月の方がお得」とよく似た形式の価格テーブルで、全 3 回のコースを受けて「やっぱりもうちょっとやった方がいいな」と後追いで 3 回を追加するよりは、最初から 6 回のコースにしておくと支払い額は小さくなります。

ここで、保湿クリームや日焼け止め等の説明がありました。施術後は、施術箇所のケアがとても大事とのことで、クリニックがおすすめするケア用品をご紹介いただきました。しかし、ぼくはこれまで保湿クリームや日焼け止め等を一度も使用したことがなく、もちろん購入したこともなかったので、価格の相場がまったくわかりません。「今の自分にまともな判断はできないと思うので、保留にさせてください」と言ってオプションの購入は見送りました。

かくして、脱毛の施術のみの契約を交わしました。

施術当日 : いざ施術

ぼくが想像するレーザー脱毛のイメージは、完全にこの動画によって形成されています。これしか情報がない。

ちなみにぼくは「麻酔ナシ」での施術を選択し、やってみて我慢できないくらい痛かったらその時点で麻酔してもらおう、と話していました。男性のヒゲ脱毛における麻酔のアリ・ナシは、だいたい半々くらいだそうです。「だいたい半々くらいなんですけど、いかがいたしますか?」と問われたときは内心「決め手がないじゃん」と思いました。

ヒゲ脱毛、想像していたよりは痛かったです!静電気の強烈なやつを 5 分間くらいは口のまわりに浴び続けるって感じでしょうか。家庭の事情で生まれた時から強力な電気を浴びていたような人なら、まったく問題ないでしょう。

術後

施術から 2 日半ほどが経過した現在、特に変化を感じるようなことはありません!きのうも今日もふつうにヒゲを剃って暮らしています。1 週間か 2 週間くらい経ったら変化を感じるかしら。そのときを楽しみに待ちたいと思います。

すべての施術が終わったら、またレポートを書きたいな〜と思っています。ヒゲを剃らなくてよくなったらぼくの生活がどんなふうに変わるか、早く体験してみたいです。

ヒゲ脱毛に興味を持った人へ

湘南美容クリニックには 紹介制度もある (動画による説明) みたいなので、興味があったら適当に声をかけてください!

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アンチボッチと呼ばれる取り組みについて

2019-03-18

最近、TokyoGirls.rb Meetup vol.1 というイベントが開催されました。このイベントのことは @jnchito さんの発信する情報によって知っていました。勤務先であるペパボはスポンサーとして関わらせてもらいましたし、その関係で弊社からイベントに参加したガールズもいます。

イベントについての詳細は下記のリンクたちから。

そこで見かけたアンチボッチ

開催後のイベントレポートをいくつか見ていると、そこに「アンチボッチ」という文字列が登場することに気付きました。

アンチボッチというのは、ぼくが RubyKaigi2011 の実行委員をやっていたときに、ランチタイムや懇親会における「望まぬ孤立」を減らすための一連の取り組みに運営チームでつけたラベルです。ためしにツイートを検索してみると、最古の言及ツイートは RubyKaigi2011 の運営委員長の @kakutani さんによるこちらでした。

大井町には当時のぼくの勤務先があって、RubyKaigi2011 の実行委員で集まる場所としてもちょいちょい活用していました。軽く調べてみた限りにおいては、アンチボッチという文字列を最初に使い始めたのはぼくら、ということで間違いなさそうです。

これより前から言っている人がいたよ、その記録はこれだよ、ってのがあればぜひ教えてください!

アンチボッチへの想い

RubyKaigiという体験を経て - #june29jp

ぼくが 2011 年に書いた上記のエントリの「コミュニケーションデザインの成果」のセクションに、当時どういった想いでアンチボッチ系の取り組みをやっていたのか、そこそこ詳細に書き記してあります。記録は便利。当時の自分がちゃんと文章にしていてえらいと思いました。

2019 年の自分が担当すると「アンチボッチ」というラベルにはならないような気はしますが、そのコンセプトというか、問題意識というか、そこにかける想いについては今の自分から見ても共感できる内容です。あのときの自分はきっと「アンチボッチランチ」の語感がよかったから採用したんだろうなあ。今となっては、実際にどうだったかはわかりませんね。

オフラインイベントにおける他者との交流

最近の技術系カンファレンスだと、登壇資料が公開されることは珍しくありません。登壇の様子を記録した動画が YouTube にアップされることも多いです。こういった現況において、現地参加する人は多かれ少なかれ「その場でしか得られないもの」を求めているのではないでしょうか。その主たるものが「他者との交流」にあると言えるでしょう。

アンチボッチは、当時の記事の中でも明確に「望まぬ」と添えています。

「アンチボッチランチ」とは、誰かと一緒にランチに行きたい気持ちはあるけれど、相手が見つかっていない、という人たちのグループづくりをお手伝いして、望まぬ「ボッチ飯」の撲滅を目指す企画です。

ボッチ、つまりひとりで過ごす時間そのものを否定しているわけではありません。イベントに参加して、心の中に「会期中にあの人とお話してみたいな…」「ライブラリの作者さんに一言でもお礼を言いたいな…」「気の合う人と懇親できたらいいな…」のような声がほんの少しでもあるのなら、それを後押しできたらいいな〜と思って設計していました。

アンチボッチは時空をこえて

そんなアンチボッチ的な取り組みが、2019 年にもぼくのぜんぜん知らないところで企画されていたのだなぁと気付き、うれしかったのでこうして筆をとっています。

これからも技術系カンファレンスや他の分野のオフラインイベントはたくさん開催されていくことと思いますが、さまざまな場で、参加者の期待が叶いやすくなるような工夫があるといいなぁと思います。ぼくはこんな人間なので、もし会場で見かけるようなことがあれば気軽に話しかけてください!

レッツ・アンチボッチ!

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書籍「データの見えざる手」を読みました

2019-02-17

2014 年 7 月 17 日に単行本として出版された青い表紙の書籍が、2018 年 4 月には文庫版としてピンクの表紙であらためて発売されていたそうで。ぼくは新しいピンクの方を読みました。2018 年に 2 月に書かれた「著者による解説」が追加されているお得なバージョンだったりもします。

文庫 データの見えざる手 ウエアラブルセンサが明かす人間・組織・社会の法則

読書メモ

ここからしばらく自分用のメモを書いていきます。てっとり早く済ませたい人は「まとめ」までスクロールするのがおすすめです。

これまで人類は、科学により宇宙の起源から物質の成り立ちまでを理解してきた。その進歩のきっかけは多くの場合、新たな計測データの取得であった。

序盤からテンションの上がるフレーズがあってうれしい。計測データの取得!

これらの方程式が自然法則の基本であり、それらがすべて保存則、とくに「エネルギーの保存則」から派生する式だとすれば、「エネルギー」の概念こそが、自然現象の科学的な理解の中心にあることは疑いない。

自然法則のお話、からの。

ここで対象に人間を入れると話がややこしくなる。人間には「意思」があり「思い」があり、「情」があり、それが行動に影響を与えているからである。とはいえ自然の変化はエネルギー配分の変化で起きているのに、そのなかで人間だけがそれと無縁の特別な存在でいられる何らかの事情があるのだろうか。

人間の活動だってその範疇のことなんじゃない?という仮説の提示。

このU分布がおもしろいのは、1日の身体運動の分布は動きの総数(あるいは時間あたりの動きの1日を通した平均数)というたった1個の変数でおおよそ決まってしまうことだ。動きの総数を決めると、U分布によって、どの帯域の行動にどれだけ時間が使えるかが決まる。これを我々は「活動予算」と呼んでいる。

なるほど。

活動温度が高めの「熱い人」は、平均して動きが多い。活動温度が低めの「冷たい人」は、平均して動きが少ない。一見、活動温度が高い人の方が活動的で、より多くの仕事ができそうである。しかし、そう単純ではない。

ふむふむ。

活動温度の高い人が、原稿執筆のような比較的低い帯域の活動(動きの少ない活動)をする必要があるとしよう。実は活動温度の高い人は、高い帯域の活動(動きの活発な活動)にいやでも時間を使わざるを得ない。したがって、原稿執筆のような低い帯域の仕事にあまり時間を使うことができないのだ。つまりこのような人は、長時間机に向かって仕事をすることがむずかしくなる。

人間の活動も、ある法則の中にあって、それに抗って行動するのはむずかしいらしい。少なくとも計測データはそれを示している、と。

テクノロジーは、社会を変えてきた。それは経済活動を高め、生活水準を豊かにしてきた。ドラッカーによれば、 20 世紀には、肉体労働の生産性が 50 倍向上したとされる。これには、テクノロジーが大きく寄与している。

そうだね。

とはいえ、テクノロジーは我々を幸せにしているだろうか。これはまったく違う問題だ。

これは、サピエンス全史の下巻の終盤にも同様のお話がありましたね。

まず、「幸せ」は、生まれ持った遺伝的性質に影響されることがわかっている。これは、地道な双子の研究から見出されたことだ。

そうなのか、知らなかったなあ。

このような地道な研究の結果、幸せは、およそ半分は遺伝的に決まっていることが明らかになった。うまれつき幸せになりやすい人と、なりにくい人がいるということである。

それでいうと、ぼくは幸せになりやすい遺伝的性質を持っているんじゃないかなあ、という気はする。

遺伝的に影響を受けない残り半分は、後天的な影響である。半分は、努力や環境変化で変えられる。これは、変えられる部分が意外に大きいとも捉えられるのではないだろうか。

そうだねぇ。「遺伝的性質が半分を占める」と言われると「多い!」という印象にもなるけれど、もう半分は後天的に決まるのだとしたら、そこに注力するのがいいもんね。

この環境要因に含まれるものは広い。人間関係(職場、家庭、恋人他)、お金(現金だけでなく家や持ち物などの幅広い資産を含む広義のもの)、健康(病気の有無、障害の有無など)がすべて含まれる。驚くべきことに、これら環境要因をすべて合わせても、幸せに対する影響は、全体の 10% にすぎないのだ。

なんとなーく「幸せ」に直結していそうと捉えられがちなこれらは、全体の 10% にしかならないとのこと。けっこう意外!

それでは、残りの 40% は何だろう。それは、日々の行動のちょっとした習慣や行動の選択の仕方によるというのだ。特に、自分から積極的に行動を起こしたかどうかが重要なのだ。自ら意図を持って何かを行うことで、人は幸福感を得る。

ですってよ。ぼく個人の体験とは一致するところがあるので納得しやすかったけれど、他のみなさんはどう感じるでしょうか…?もしこれが本当だとすると、幸せになりたかったら自分からどんどん動くとよい、ってことになるね。

さらに重要な発見は、ハピネスと身体活動の総量との関係が強い相関を示しているということ。つまり、人の内面深くにあると思われていたハピネスが、実は、身体的な活動量という外部に見える量として計測されたことになる。したがって、ハピネスは加速度センサによって測れるのである。

な、なんだってー!?

もう一度いおう。幸せは、加速度センサで測れる。

もう一度いっちゃったよ。これはなかなかおもしろい主張ですね。ぼくも加速度センサで自分のハピネスを測りたいな〜!

仕事などの条件が違う人どうしを比べて、動きの量の大小によって、どちらの人が幸せかを論じるのは、意味はない。しかし、より幸せになった人は、より動くようになるのは事実だ。これは幸せが、積極的な行動と強く結びついていることとも整合する。

なるほど。絶対的なスカラー値が出るわけではない、と。

実は、受注は、意外なことと相関していた。それは、休憩所での会話の「活発度」である。休憩時間における会話のとき身体運動が活発な日は受注率が高く、活発でない日は受注率が低いのである。

これはコールセンターで働くみなさんにセンサを身につけてもらって実験したときのお話。休憩所で活発な会話があると業績がよくなるというお話。これおもしろいな〜。

これを認めると、ハピネスとは実は集団現象だということになる。ハピネスは、個人のなかに閉じて生じると捉えるより、むしろ、集団において人と人との間の相互作用のなかに起こる現象と捉えるべきなのだ。そして、集団にハピネスが起きれば、企業の業績・生産性が高まる。

これもおもしろい命題なので、ぼくもよく考えたい。

資本主義の黎明期、 18 世紀スコットランドの道徳哲学の教授であるアダム・スミスは、自由な経済の特徴を「見えざる手」という言葉で表現した。これは、個人が自分の経済的利益を追求することで、富が社会に自律的に分配され、社会全体が豊かになるという考え方だ。

書名からして、きっとこのお話が登場するだろうな〜とは思っていた。

このためには、我々が組織運営の上で当たり前だと思っていたことの見なおしも必要だ。たとえば、我々は組織の上下での連携を行う常識として「ホウレンソウ(報告、連絡、相談)」が重要だと教わった。しかし、今後はこれに加え、「マツタケ(巻き込み、つながり、助け合い)」が必要になるという指摘があった。目指すのは、個と全体とを統合して共通の視点が持てる組織であろうか。

最近も 職場の「ホウレンソウ」は時代遅れ、会社は「ザッソウ」で強くなる(倉貫 義人) という記事がありましたね。植物由来の略語にしなきゃいけない縛りがある。

マツタケもザッソウもけっこう「そうかもな」と思うところはあって、これからの若い世代に「社会人の基本として、まずホウレンソウが〜」とか言うと「古いな〜」って思われるようになっていくのかもしれない。あるいは、すでにそうなっている?

科学技術の発展や進化は、植物の成長に学ぶところが大きい。植物は、遺伝子という設計思想を維持しつつ、一方で、環境と相互作用しながら即興的に具体構造を決めていく。その出発点になるのが「 種」である。「学習する組織」の泰斗ピーター・センゲ氏はいう。「 種 は木が育つのに必要な資源をもっていない。資源は木が育つ場所の周囲──環境にある。だが、種は決定的なものを提供する。木が形成され始める『場』である。水や栄養素を取り入れながら、種は成長を生み出すプロセスを組織化する。」

この話おもしろいな〜。プロダクトもプロジェクトもそうだもんな、周囲を巻き込むことで成長できる。

これを解決したのが、名札型のウエアラブルセンサであり、このための最強のツールと思っている。名札型のセンサには、人との面会、場所、環境の音量、集中度、体の姿勢、温度、照度などの記録をリアルタイムに残す。私はこの詳細な記録をヒントに、毎日翌朝に、昨日、いつどんなことに時間を使ったか記載している。週末には、過去2週間分を俯瞰し、見直すことで、自分の時間の使い方を再検討して組み替えることができる。

本文中に何度も登場する「名札型のウエアラブルセンサ」ってやつ、ぼくも使ってみたいな。あるいはこれと同等の情報を収集できるセンシングデバイスがあれば身につけたい。

AIが置き換えるのは、人の労働ではない。従来我々が頼ってきた「ルール指向」という考え方やそれを支える仕組みを、「アウトカム指向」に置き換えるのである。そのような置き換えが起こるのは、我々が求めるものや需要が、一律の標準化されたモノやサービスから、個別性や多様性が高いものに変わったからである。ルール指向からアウトカム指向への変革は、労働の変化も起こすであろう。しかし、それはAIが起こしたのではない。我々の求めることや需要の変化がもたらしたものである。

この整理にはけっこう納得した。

まとめ

著者の矢野さんはお仕事で論文を書くような立場の人で、そのおかげでこの書籍の文章もぼくにとっては読みやすかったです。ふわっとした物言いをしない、というか、言葉の定義も明確だし、事実と主張はそれぞれそうとわかるように書いてくれるし、学生時代に工学や科学を専攻していた自分としては親しみを持てる書き味でした。

2014 年に世に出たものということで、2019 年に手に取ったぼくはその差分については意識して読むことになりました。たとえば本文の中で AI に対する言及があるけれど、AlphaGo が互先で囲碁のプロに初めて勝ったのは 2015 年のことだから「AlphaGo 以前に書かれた文章だな」と思ったりしながら読みました。しかしそれもある程度は杞憂というか、2018 年に加筆された「著者による解説」において

今回、文庫化にあたり、そのような陳腐化への危惧を持って、本書を読み直してみた。幸いなことに『データの見えざる手』で論じたことは、今もまったく陳腐化していないように見えて安心した。

と明言されていました。少なくとも 2018 年 2 月において、本書に綴られた著者の主張に揺るぎはないと確認できたのはよかったです。

日々を生きていて、経験的に「こうする方がいい」と思っているような事柄について、こうして科学的な裏付けがなされていく様子を観測できるのは痛快です。Google のリサーチチームがいう「心理的安全性」のように、本書においてもそのような主張が存分にあり、たくさんの刺激を受けながら楽しく読みました。

一方で、それらの知見を自分の日々に持ち帰ろうとしたときに、以下の 2 つの「どうしたものか」を感じました。

  • ぼくもそのウエラブルセンサの恩恵を受けたいのだけれど、どうしたらいい?
  • オフラインの対面でのやりとりではなく、GitHub や Slack 等を通じたオンラインのコミュニーケーションが密な場合は、なにをどのように計測したらいい?

前者については、ウェブで軽く調べてみると 価格:Hitachi AI Technology/組織活性化支援サービス:ビッグデータ×AI(人工知能):日立 が見つかりました。最低価格が 500 万円からということで、これは組織向けのソリューションであることが伺えます。しかしぼくは、あとがきで矢野さんが紹介されていたような「センサ技術で自分自身の毎日をよりよいものにしていく」という観点に強い興味があり、組織よりも個人向けにこそ活かしてほしい技術であると期待を持ちました。もちろん、組織全体で導入しないと効果が半減するとか、そういったことは想像がつきますが、個人ユースでも活用できるデータが充分にあるようにお見受けします。個人向けに提供してほしいという要望をここに明記しておきます。

後者については、ぼくの宿題と捉えました。オンラインのコミュニケーションであっても、いつ誰とどんなやりとりをしたか、毎日だいたい何人くらいとやりとりしているか、などなどのデータは取得できますもんね。もし組織の Slack のデータを分析することで「活躍する人物の行動の特徴」を抽出できるとしたら、すぐにでも活かせる展開がありそうです。

データが好きな人、組織を活性化させたい人、テクノロジと人類の未来について考えたい人、あたりは楽しく読めると思います。おすすめの一冊です。

文庫 データの見えざる手 ウエアラブルセンサが明かす人間・組織・社会の法則

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書籍「イスラエルがすごい」を読みました

2019-01-30

イスラエルがすごい―マネーを呼ぶイノベーション大国― - Amazon.co.jp

サイバーセキュリティについて調べていると、ちょくちょくイスラエルの名前を見かけます。「イスラエルって、なんかすごいんだなあ」くらいに捉えていたのですが、どれくらいすごいんだろう、とか、なんでそんなすごいんだろう、とか、もっと具体的に知りたくなったので読んでみました。

ぼくが「イスラエルについて知りたい!勉強するぞ!」と明確に思ったのは 2018 年 12 月で、とりあえず Amazon.co.jp で「イスラエル」と検索したらこちらの書籍が出てきて、発売が 2018 年 11 月だと知って「最新情報じゃん」と思って渡りに船を感じたのでした。

以下、自分用の読書メモです。

どれくらいすごいの?

21 世紀に最も重要な資源は、石油や天然ガスではなく、「知識」と「独創性」だ。多くの日本人は感じていないかもしれないが、世界中で知的資源の争奪戦が始まっている。今年建国から 70 周年を迎えたイスラエルは、知恵を武器として成長する国の代表選手である。

代表選手とまで言われちゃうくらいなんですねぇ。

サイバー・セキュリティは、イスラエルが最も得意とする分野の一つだ。企業をコンピューター・ウイルスなどから守る防壁、つまり「ファイアーウォール」の技術がイスラエルで生まれたことをご存じだろうか。

ファイアーウォールの件、知りませんでした。やっぱりサイバーセキュリティは得意なんですね。これはイメージ通りです。

たとえば、2014年にテルアビブで創業したイリュースィブ・ネットワークスは、チーム8が生んだ4社のベンチャー企業の1つ。同社のテクノロジーがユニークな点は、ハッカーやマルウェアが企業などのITシステムに侵入した場合、直ちにブロックするのではなく、本物そっくりの架空のIT空間に誘い込むことだ。侵入者は、本物のITシステムから「隔離」されたことを気づかずにデータを盗もうとする。イリュースィブ・ネットワークスのエンジニアたちは、その間に侵入者をリアルタイムで分析し、マルウェアなどを送り込んだ人物や組織を、逆探知によって特定しようと試みるのだ。サイバー・セキュリティの専門家の間では、侵入者の「身元」を割り出すために、しばらく泳がせるのが常識となっているので、イリュースィブ・ネットワークスの技術は重宝されているはずだ。

これは便利。すごい。

イスラエル国防軍との緊密な連携を最大限に活用して、ベンチャー企業を世に送り出すチーム8のビジネスモデルは、世界中の大手企業から注目されている。チーム8への投資家の中には、グーグルの元会長エリック・シュミットのベンチャー投資ファンドであるイノベーション・エンデバーズ、米国のベンチャー投資企業ベセマー・ベンチャー・パートナーズ、マイクロソフト、米国の通信企業AT&T、米国のIT企業シスコ、シンガポールの投資会社テマセク、日本の三井物産など、錚々たるファンドや企業が名前を連ねている。

わかりやすく凄みを感じますな。

なんでそんなすごいの?

イスラエルのハイテク企業の創設者の中には、イスラエル国防軍(IDF)で兵役に就いている時に学んだ技能を、民間経済のために利用している人が極めて多い。軍隊がベンチャー起業家の「養成校」になっているというのは、日本やドイツの産業界には全く見られない特性だ。

なるほど、兵役〜!だとしたら定常的に人が育つ仕組みになり得るなあ。

8200部隊のユニークな点は、数々の起業家を生むインキュベーター(孵化器)となっていることだ。米誌「フォーブス」は、8200部隊の出身者が創業したベンチャー企業が約1000社にのぼると推定している。

イスラエル国軍の電子諜報を担当する「8200 部隊」かっこいい。

周囲に敵国が多いイスラエルは、国民皆兵の国である。原則として 18 歳以上の全ての男女に兵役義務がある。男性は3年間、女性は2年間にわたり兵役に就かなくてはならない。

かなしい事情ではあるけれど、納得感はありますな。

他のイスラエルの起業家の間にも、8200部隊の卒業生が多い。ウェブサイト制作用プラットフォームに関するベンチャー企業ウィックスを2006年に創設したアヴィシャイ・アブラハミも、元8200部隊員。敵国のITシステムに侵入して機微なデータを入手する任務を担っていた。

Wix.com もイスラエル発だったのか〜。

軍隊という特殊な環境で知り合い、長期間にわたって苦楽を共にした戦友たちの間には、独特の友情が生まれる。この結びつきは、除隊して社会に戻ってからも維持される。彼らは、お互いの性格や得意、不得意も熟知しているので、起業の際に不可欠な、緊密なチームワークにも長けている。新たな人材やノウハウが必要な時には、軍で築き上げたネットワークが役に立つ。サイバー攻撃に関する技術的な知識だけではなく、人脈などのソフト・ファクターも、8200部隊の卒業生たちが民間経済での起業に成功する理由の1つだ。

「人が育つ」ってだけじゃなくて、「人脈が育つ」という面もあるわけですね。それは強いだろうなあ、と想像しました。

8200部隊に配属された 18 ~ 20 歳前後の若い兵士たちは、上官から極めて難しい課題を与えられる。たとえば、ある若い兵士は「X国のサーバーに入り込んで、データを取って来い」という命令を与えられた。興味深いのは、この時に兵士たちが「自分の頭で考え、知恵を絞る」という姿勢を徹底的に叩き込まれることだ。

よさそう。

こうした姿勢は、英語で「アウト・オブ・ボックス」つまり「箱の外」の発想法と呼ばれる。教授によると、8200部隊に入る上で最も重要な条件は、この発想ができるかどうかである。シュフタン氏は、「8200部隊に入れる若者は、ITの天才だけではない。軍は、若者が従来の常識にとらわれない発想ができるかどうかを、最も重視する。つまり、通常人には見えないような、現象や相関関係を見ることができる人々だ。この要件を満たさないと、8200部隊には入れない」と語る。

発想力みたいな要素を重視するんですね。これもおもしろいなあ。

たとえば戦闘機のパイロットが、ある目標を攻撃するよう命令されたとする。パイロットが目標に近づいて、「この攻撃を実施するのは間違っている」という結論に達した場合、攻撃命令を実行する必要はない。そのかわり、基地に帰投してから、なぜ爆撃しなかったかをきちんと説明しなくてはならない。つまり兵士たちは「上官から与えられた命令だから」という理由で盲目的に服従してはならず、常に自分の頭で判断することを求められる。なぜかというと、上官も誤った判断をしている可能性があるからだ。「すべてのことを疑い、質問せよ」というイスラエル人の大原則がここに生きている。

上意下達の雰囲気が強い軍隊においてもコレなんだから、真に国全体で共有されている大原則という感じなのだろうなあ。文化がそうなんですね。ぼくには魅力的に写りました。

権威を恐れないイスラエル人たちの行動哲学は、子供の時に家庭で育まれる。たとえばシュフタン教授は2人の娘に対し、「君たちは私が父親だからといって、私を尊敬する必要はない。私の振る舞いを見て、『パパは尊敬するに値する人物だ』と思えれば尊敬すればよい」と教えた。そして「常識を鵜吞みにしてはいけない。あらゆることについて疑問を抱き、質問をしなさい。失敗を恐れてはならない。失敗することは学ぶことであり、むしろ喜ぶべきことだ。ただし同じ失敗を犯してはならない。犯すとしたら、違う失敗を犯すべきだ」と娘たちに説いた。

めちゃいいな。ぼくも後輩たちに「尊敬するに値する人物だと思えば尊敬すればよい」というスタンスで接していきたい。

ところで移民国家である米国とイスラエルが、世界有数の起業大国であることは、偶然ではない。移民は、全く新しい環境でゼロから存在基盤を築き上げるので、自分の能力を信じるしかない。常に前向きに考え、楽観的でなくては、住み慣れた環境を捨てて新しい生活にチャレンジすることはできない。このため、移民国家イスラエルには、元々チャレンジ精神が旺盛な人々が多い。

移民国家、なるほどねぇ。筋が通った主張には見えるけれど、それを裏付けるデータとかあるのかしら。

私は、約2000年にわたり歴史の荒波にもまれた経験に基づく楽観主義と不屈の精神、型破りの発想を促す教育法、横柄なまでに権威を恐れない態度、移民国家のダイナミズム、そして失敗を恥と考えずに繰り返しチャレンジする精神も、この小国が世界有数のイノベーション大国になった重要な理由だと考えている。

著者はこう考えている、ってことですね。それならわかります。

その他のメモ

  • ヨーロッパでいうとドイツとの関係が深い
  • 最近は中国もすごい勢いでイスラエル企業に投資しているし、イスラエルは中国の巨大な市場に乗り出そうとしている
  • 日本は、アメリカやドイツや中国と比べると、イスラエルへの進出が遅れている

このへんは、本書を手に取ったときのぼくが直接的に「知りたい」と思っていたトピックではなかったけれど、戦争や政治の話も含めてあれこれと網羅的に概要を知れたのはお得だったな〜と思います。

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おもしろかったら、いいジャン!してね

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