#june29jp

通知ゲートウェイ Takanawa の試運転と、そこで得た「なめらかな通知」という着想

2019-06-01

はじめに

今すぐ使いたいぜ〜というテンションで通知ゲートウェイの Takanawa というツールを作りました。現在、所属している家庭と企業で試運転しながら便利を獲得しています。

https://github.com/june29/takanawa

モチベーション

家庭や勤務先のペパボなど、いくつかの組織で Scrapbox を活用しています。ペパボでの活用の様子についてはいくつか記事があります。

ぼくが Scrapbox を活用している現場では、同時に Slack も活用していることが多いです。となると、Scrapbox 上のコンテンツの変化を Slack への通知で知りたくなるのが人情というもの。

Slackに更新を通知する - Scrapbox ヘルプ の通り、Scrapbox には Slack への通知機能があり、Slack 側で発行した Incoming Webhook の URL を設定しておくと、その Incoming Webhook で指定したチャンネルで更新情報を受信できるようになります。

さて、ペパボは複数のプロダクトを有する組織で、ほとんどの場合、プロダクトごとにその開発チームが存在し、Slack のチャンネルも Git のリポジトリもプロダクトごとに用意されています。開発を進めやすくしようと思ったら、自然とそうなりますよね。

「じゃあ Scrapbox も、プロダクトごとにプロジェクトを用意するか?」となるわけですが、ことは Slack のチャンネルや Git のリポジトリの場合ほど単純ではありません。まず、ぼく個人は、誰でも参加できる scrapbox.io/hub というものをつくって個人用の scrapbox.io/june29 から移行するほど、Scrapbox はあれこれをごちゃまぜにして使うほど価値が出るものだ、と考えています。Scrapbox の大きな魅力である「ドキュメント同士がつながる」を最大限に引き出そうと思ったら、なるべくプロジェクトは分けない方がいいはずです。同じように考える人は社内に何人もいました。

しかし、プロジェクトをひとつにすると、通知先の Slack チャンネルはひとつになってしまいます。困りましたね。そこで Takanawa をつくった、というわけです。

Takanawa の概要

2019 年 6 月 1 日現在の Takanawa は「Scrapbox の通知の HTTP リクエストを受け取って、その中身を確認し、条件に合わせて Slack のチャンネルに振り分けるアプリケーション」です。詳細は https://github.com/june29/takanawa をご覧ください。

これによって、Scrapbox ではひとつのプロジェクトにすべてのドキュメントをまとめつつ、トピックごとに通知先チャンネルを切り替えられるようになりました。プロダクト A に関することはプロダクト A のチャンネルへ、プロダクト B に関することはプロダクト B のチャンネルへ、両方に関わることは両方のチャンネルへ、という具合です。

「なめらかな通知」という着想

これが本記事のメインの話。いくつかの組織で Takanawa を試運転してみて、なかなかおもしろい洞察が得られたので書いていきます。

Takanawa を使うと「この通知は、あっちのチャンネルにもこっちのチャンネルにも投稿される」ってことが起きるんですよ。それが新鮮でおもしろくて。通知が Taxonomy 的なものから Folksonomy 的なものに変容していく感じ。これを体験して、Slack などの「チームの場を形成するツール」への通知は、もっともっとなめらかになり得るな〜と感じました。ここでいう「なめらか」というのはもちろん、書籍「なめらかな社会とその敵」から借りています。

関連 : 書籍「なめらかな社会とその敵」を読みました - #june29jp

これまでぼくは「GitHub のリポジトリの更新情報を Slack で受け取れるの便利、ワーイ!」と無邪気によろこんできたわけですが、基本的な連携は「リポジトリとチャンネルを 1 対 1 の関係で紐付ける」ので、図示すると以下のような状態になります。通知設定を多重に施せば「1 対 n」にできることは承知していますが、本筋から逸れるのでここでは置いておきます。

さて、情報の通り道がこのようにパキッと分断されていると、そこで活動するチームの構造も下記のような形状であることが強化されていくでしょう。チーム A の人からチーム B の情報が見えにくくなればなるほど、関心を寄せることが難しくなり、ますます分断が進みます。

これがもし、間に Takanawa のような仕組みを挟むことで「これはチーム A の話題だけれどチーム B のみんなにとっても有益だよ、だからチャンネル B にも通知しておくね」が実現されるとしたら、チームの境界は曖昧になり、チームとチームの間に重なりが生じていくのではないかと考えます。

もう何年も便利に活用してきた「GitHub と Slack の連携機能」ひとつをとってみても、これがぼくらの組織にとって理想的なカタチをした機能なんだっけ?と考えてみると発見がありました。用意されている機能をそのまま使うだけじゃなく、自分たちが考える「これがベター」というカタチにアレンジして使ってみると、今とは違った景色が見えてくるのかもしれません!

おわりに

最初は「とりあえず、これがないと困るから」と思って Takanawa をつくりました。それは「Scrapbox と Slack の間に置く通知ゲートウェイ」として生まれました。

Takanawa を試運転してみると当初の期待はすぐに満たされ、さらに発展的な展望があると気がつきました。今のところは Scrapbox と Slack をつなぐ機能しかなく、文字列の完全一致による振り分け条件しか設定できないので、なめらかなシステムと呼ぶにはずいぶんお粗末です。それでも、よりよい未来に向かうためのプロトタイプとしては十分な働きをしてくれました。

自分としては、思わぬ形で新しいおもちゃが見つかったな〜という感覚です。なめらかな通知システムというソフトウェアからのアプローチで、組織を望ましい方向に変化させられるかもしれないのだから、ワクワクしてしまいます。しばらくは「なめらかな通知」というテーマについてあれこれと考え、Takanawa を育てていくか、あるいはまた別のものをつくるかして、遊んでいくつもりです。

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キャッチーな言葉は人々の認識をあるところまで一気に引き上げるし、そこに留めもする

2019-06-01

大洪水のような情報の波の中を生きる我々の目や耳には、今日もキャッチーなフレーズが際限なく飛び込んできます。そういった、ある種の魅惑を持った言葉というのは、人々の認識レベルを一気に引き上げてくれる力を備えていると思えます。

たとえば、このサイトでも何度か言及している「心理的安全性」なんかはわかりやすいですね。「成功を目指すチームにおいて、心理的安全性は極めて重要」のようなキャッチーな文は、多くの人々に気付きを与えてきたことでしょう。

しかし、この一文だけを読んで満足してしまうと、その奥にあるものを見落としてしまいます。独自の解釈や誤解をもとに行動を起こしてしまっては、望まぬ結果にもつながりかねないでしょう。わかった気になって、実はちゃんとはわかっていないというのは、わかっていないと自認しているわかっていない状態より悪い結果をもたらすこともあります。

そういやある時期に、高速道路と大渋滞のメタファがあったな〜と思い出しまして、検索してみると、下記の記事がすぐに見つかります。2004 年の記事です。

インターネットの普及がもたらした学習の高速道路と大渋滞:梅田望夫・英語で読むITトレンド - CNET Japan

将棋の羽生善治さんの言葉として、次の一節が引用されていました。

「将棋が強くなるための高速道路が一気に敷かれたということだと思います。でも、その高速道路を走り切ったところで大渋滞が起きています」

キャッチーなフレーズについても同じことが言えそうだな、と思いました。ぼくらはふつうに暮らしていると、わかった気になりまくってしまって、ちょろっと誰かと世間話をする上では役立つんでしょうけれど、がっつり議論をしようと思ったり、実のある取り組みにつなげていこうと思ったら、ひとつひとつの言葉や概念をしっかりと学んで、じっくりと向き合ってことになるでしょう。そうでなければ、わかった気になった人々の大渋滞に巻き込まれてしまいそうです。

「あ、いま自分は雰囲気でしゃべったな」と自覚するタイミングはちょいちょいあるので、自戒のために書きました。わかった気になってそこに留まるのではなく、わかった気になったところを始点として学べる人生にしていきたいです。

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M5Stack の世界に入門して簡易な天気予報ガジェットをつくりました

2019-05-12

今年は 大和田家スマート化計画 2019 というのを進めていて、そんなに大それたことは実施していないものの、堅実に少しずつ生活の中のちょっとした困りごとを技術で解決しながら過ごしています。既製品を導入して便利にする、ってのは一段落したので、次はガジェットの自作に取り組んでみようかな〜と思って M5Stack を買ってみました。

ぼくが「買うぞ〜」となった 2019 年 4 月 21 日には スイッチサイエンスM5Stack Basic の在庫が切れていたので、Aliexpress で購入しました。

M5Stack を選んだのには同僚たちの影響もあり、特に 技術書典6 にて販売された M5Stack入門01 という入門書があったのは大きかったです。こちらを購入して中身をざっと見て概要を把握し、M5Stack でどんなことができるかイメージがついたので購入に踏み切れたと思います。あとは 10 連休の存在も大きかったですね。新しいことを始めるにはうってつけでした。

やったこと

  • otenki-kun という簡易な天気予報ガジェットをつくった
  • otenki-kun を自宅のトイレにデプロイした

トイレにデプロイというと脱糞を想起させますね!

なぜこれをつくろうと思ったか

  • M5Stack の習作として「ウェブ上のどこかから情報を取ってきて表示する」というガジェットをつくってみたかった
  • 天気予報はちゃんと見た方がいいな〜と思いつつなかなか見なくて、そのせいで服選びに失敗することがあるので、生活導線上に天気予報を表示させてみたらどうか?と考えていた

ぼくは最初はお着替えをするお部屋にある姿見のところに設置するとよさそう、と考えていたのですが、奥さんと相談した結果、トイレに設置するのがよさそうと思い直しました。起床してトイレに行かない日はまずないのと、ぼくは座ション派ってこともあり、便座に着席したときに見やすい位置に情報が表示されていたら確実に見るのでは〜!と思ったのですね。

かくして我が家にも Internet of Toilet の流れがやってきました。

実装について

環境構築の手順なんかは、丁寧に解説している他の文献がたくさんあるので省略します。それこそ M5Stack入門01 をおすすめしておきますね。

  • 最初は Arduino で Hello, World! を動かしてワイワイしていた
  • 想像していたよりもライブラリが洗練されていて簡単に Hello, World! できたので、このまま Arduino で開発を進めていくか〜と思った
  • HTTP リクエストを発行したりそのレスポンスを JSON でパースしたりしようとすると、途端に面倒になって MicroPython 環境に乗り換えようと決める
  • m5stack-20180516-v0.4.0.bin というファームウェアを入れる
  • Wi-Fi のアクセスポイントに接続する処理が思うようにいかなくてハマりまくった
  • M5Cloud のファームウェアだと Wi-Fi 接続はいい感じにやってくれるっぽいと気付いて、そっちに乗り換えようと決める
  • m5cloud-20180516-v0.4.0.bin というファームウェアを入れる
  • Python の文法自体はすぐに馴染んだものの、不慣れな MicroPython で HTML のスクレイピングをやるのはなかなか大変と気付く
  • 「コードを書く、M5Stack に反映させる、動かす、なにが起きているか確認する」というサイクルを素早くまわす方法がわからん、という気持ちになる
  • JSON を受け取って M5Stack の画面に表示する、ってのはできそうな手応えがつかめてきたので、必要な情報を揃えるところはどこか別の場所でやろうと決心する
  • AWS Lambda で Ruby 2.5 の環境を使って必要な情報を揃えて JSON にして返すエンドポイントをシュッとつくる
  • 天気予報 JSON を受け取って画面の表示をつくるところを淡々とこなす
  • 一定時間ごとに画面が最新の情報に更新される仕組みをつくる

こんな感じでした!ふだんと違う環境での開発で、思わぬところでハマりまくったりしながらも、楽しく取り組めてよかったな〜という感想です。

よくわかっていないこと

  • M5Stack でなにかをつくるとき、みなさんはどのようにデバッグされているんですか…?
    • 効率のよい開発方法を知りたい
    • エラーログとか見たい
    • 今の自分のやり方だと複雑なものはぜんぜんつくれなさそう
  • 何時間も動かしているとたまに勝手に再起動しているっぽいんだけど、これをどう捉えたらいい…?
    • 「毎秒、現在時刻を画面に表示する」って処理を入れたときは約 3 分ごとに再起動する状態になってとても困った
  • 今の実装だと HTTP リクエストを発行してエラーになったときに処理全体が止まりそう

まずは同僚の M5Stack の常連さんたちにこのあたりを相談してみようかな、と思っています。今は知見がぜんぜんなくて、このままだと初級者を抜け出せなさそう。

こうしたガジェットについて考えたこと

スマートフォンが登場して「好きなアプリをインストールして使う」という行動体系が定着した昨今、スマートフォンがあれば済む、って状況はどんどん強まってきました。たとえばぼくの日常でいうと、ふらっと自宅近くのコンビニ行くときは iPhone だけ持って出発すればいいわけですね。それで玄関の施錠もできるし、決済もできるから、物理的な鍵やお財布を持ち物として管理しなくて済むようになりました。

その観点でいうと、今回の「天気予報ガジェット」って逆行しているわけじゃないですか。天気予報を見るだけだったらスマートフォンでできちゃうし、実際ぼくのふだん使いの iPhone にもお天気情報関連のアプリはインストールされています。それなのに。

お天気情報アプリはインストールされていても、テレビの電源を ON にすればなにかしらの番組がお天気情報を伝えてくれるにしても、スマートスピーカーに尋ねればお天気情報を読み上げてくれるにしても。結局それらは、ぼくたち夫婦の生活導線上には乗っていなくて。それで今回、トイレの壁に小さなディスプレイを貼り付けるに至ったわけで。

これはなかなかおもしろいことだな〜と思っています。今後 M5Stack が「アプリのプラットフォーム」のような場所を提供し、価格も今より安価になるとして。たとえば 500 円くらいで、今回ぼくが作ったような天気予報ガジェットを誰もが簡単に買えるような状況になり、自宅の住所を設定したらその地域のお天気情報を表示できるようになったら。スマートフォンでの利用が適したアプリはそのまま活用され、必ずしもそうではないアプリは独立したガジェットに切り出されていく。そんな未来もあるんじゃないかな〜と感じました。

これはだいぶ前からいろんなところで言われていたことではあるものの、より強く自身の実感を伴って感じられる未来になったので、このタイミングであらためて自分の言葉で書き残しておくことにしました。

まとめ

M5Stack の世界に入門し、簡易な天気予報ガジェットをつくりました。今回やったこと、苦労したこと、これから知りたいこと、こうしたガジェットについて考えたことなどを書きました。

M5Stack の基本的なことはわかったので、これからも継続的に、自分たちの生活を豊かに便利におもしろくしてくれるようなガジェットをカジュアルにつくっていきたいと思います。

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書籍「なめらかな社会とその敵」を読みました

2019-05-02

なめらかな社会とその敵 | 鈴木 健 |本 | 通販 | Amazon

以前から気になってはいたものの Kindle 版がないという理由で購入に踏み切れずにいました。Kindle でハイライトしながら読むことに慣れすぎていて、紙の書籍をうまく読み進められないんですよね。それでも、2019 年のゴールデンウィークは 10 連休ということでいい機会なのでエイヤッと読むことにしました。ゆっくり読めてよかった。おもしろかったです。

ぼくの読書メモは丸ごと scrapbox.io/hub に置いてあるので、興味のある人は見てみてください。

なめらかな社会とその敵 - hub

修士のときに複雑系工学を専攻していた自分にとっては、かなり好みな部類のお話が多く含まれていました。2013 年 1 月 28 日の発売なので、もう 6 年以上前に書かれたものですか。2001 年発売の NAM生成 に鈴木健さんが書かれた「第四章 ネットコミュニティ通貨の玉手箱」というのがあるらしく、ぼくは読んでいないのですが、2000 年に書かれたものだそうです。そこで本書の話題の大部分は出尽くしているそうな。となると、今から約 19 年前から考えられてきたことなんですね。

その内容は令和時代に読んでも色褪せていないどころか、より一層の臨場感をもって読めるものばかりでした。長期的な目線で描かれるその世界観に度肝を抜かれました。自分があと何年生きてもこの領域に到達できる気がしないなあ…!

過去の研究を紹介する形で、文中には本当に幅広い分野の人物が登場します。人物名のあとに括弧書きでその人の専攻のようなものが記されていて、試しにいくつか列挙してみると「神経科学」「生物学」「心理学」「ロボット工学」「哲学」「経済学」「社会学」「計算機科学」などの学問領域がずらっと並ぶばかりでなく、中には「発明家」「デザイナー」のような肩書もありました。非常に広範な話題を扱っているとわかります。そういう意味で、この書籍自体がなめらかというか、特定の狭い領域に閉じていないのが印象的です。膜によって閉じておらず、話題が網になっています。

書籍「サピエンス全史」の下巻を読んだでも少し触れましたが、1 年くらい前の自分は、まず「個人があって」それから「国家がある」と捉えていました。それを、サピエンス全史を読んで思い直したわけですね。本書においては

国家と個人の蜜月関係の構築こそが近代化の歴史だった

と表現されていて、なるほど、やっぱり自分が抱いていた「まず、個人がある」という幻想はここでも真っ向から否定されるわけです。国家という概念を確固たるものにするために個人という概念が広められていったのだ、と、今はそう認識するようになりました。

続いて自分の価値観の輪郭を探るにおいては、自分は「全体主義よりは個人主義」であると書きました。これは今でも変わっていないものの、本書を読んで「自分は個人という概念に囚われすぎていたな」と感じるに至りました。そんなに肩肘を張らずに、もっと気楽に個人としての矛盾を楽しんでいけたらいいな、と思えるようになりました。これが大収穫だったな〜と思います。

「伝播投資貨幣 PICSY」も「分人民主主義 Divicracy」も「構成的社会契約論」もかなりおもしろくて、引き込まれる感覚を抱きながら読みました。もし 2019 年に書かれるとしたら、どれもブロックチェーンと絡めて言及されそうですね。契約の自動実行や CyberLang のお話は、最近の概念でいうと Crypto Law そのものだと思います。

ところで、自分は 2012 年に ウェブと云う國というエッセイを書いていたことを思い出しました。当然、鈴木健さんのようにパキッとした世界観を描けていたわけではないものの、ひとりの人間として社会や国家に属していて感じる「しっくりこない」感覚はそれなりにうまく言語化できているように思います。分人民主主義や構成的社会契約が実現した世界があるとしたら、ぼくは自分の生活に直接的に関わってくるようなウェブのあれこれについて積極的に投票を行い、そのステークホルダーとしてふるまうことでしょう。そっちの方がしっくりくるだろうな、と想像します。

ここからは「あとがき」の中で特に気に入った箇所を引用してまとめに向かいます。

みなさんの協力がなければ、本書はこうしたかたちで生まれることはなかったであろう。にもかかわらず本書の責任は著者の私にあるというのがよくある表現なのだが、どうも納得がいかない。ここで名前を挙げたみなさんも、挙げられなかった方々にも、本書の内容には少しずつ責任を持っていただこうと思う。

これも「なめらかな社会」的な考え方でクスッと笑ってしまいました。

きっと上記の方々や読者を含む世界のあらゆる存在が、私というインターフェイスを通して本書を書き上げたのではなかろうか。そう考えれば多少は納得がいく。とすれば、謝辞というよりも著者一覧なのかもしれない。

スタンスが徹底していますね。個人という概念を超越していくと、著者という概念も離散的ではなくなっていくのだなあ。その方が「納得がいく」と感じるのならば、きっとそっちの方が実態をよく表しているということなのでしょう。

さて、本書の中で丁寧に描かれる「なめらかな社会」と比べてしまうと、2019 年現在の国家や社会や組織や個人は、ずいぶんと「なめらかではない」「静的」「硬直化している」と気付いてしまいます。これにはいくらかの落胆もつきまといました。その一方で、自分をとりまく環境は少しずつなめらかになってきている手応えもあって。

たとえば自分は、特定の組織に強く依存しないように人生を組み立てています。お仕事を通じて学んだこと・気付いたことは、一手間かけて抽象化・一般化した上でここ june29.jp に書いて公開することで誰にも奪うことができない自分自身のものにしています。また、いくつものコミュニティに関わり、自分が興味を持てる議題については意見を表明し、意思決定に関わることができています。そうした活動は自分に対する評価を暗黙的に形成もしているでしょう。これって、ずいぶんなめらかですよね。きっと無意識に、なめらかな社会を望み、そうなるように歩を進めてきたのでしょう。

世界は生成するものであり、あなたは世界に参加しているのである。

という一文であとがきは締められていて、なんだか背中を押されたような気分になりました。

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コードレビュー・ネイティブ世代

2019-04-20

会社員になってお仕事としてソフトウェア開発を始めたころ、ぼくにとってコードレビューは当たり前のものではありませんでした。幸いなことに、なにかのタイミングで当時ぼくが属していたチームのリーダーが「コードレビューをやりましょう」と提案してくれて、それで、会議スペースに液晶ディスプレイを設置して、ソースコードを画面に映して、チームメンバーで集まってあれこれと言い合う時間を過ごせました。これがきっと、ぼくとコードレビューの出会いです。おかげでぼくは「コードレビューって、ありがたいものなんだな」「コードレビューがあることで回避される悪いシナリオがたくさんあるな」と思えるようになりました。

気付けばあれから 10 年以上が経っていて、ぼくらの業界におけるコードレビューの認知度はどんどん上がり、実践している現場もどんどん増えてきたように感じています。今では「ふつう、やるよね?」と捉えている人も多いかと思います。そんな時代にソフトウェアエンジニアになった人々をここでは「コードレビュー・ネイティブ世代」と呼んでみることにしましょう。もちろん「デジタル・ネイティブ世代」になぞらえて。

コードレビューのない世界

会社員になって、研修の段階でコードレビューを教わった真面目な人々は、コードレビューがない状態でのソフトウェア開発の経験がほとんどなかったりします。

以前、ソフトウェアエンジニアの研修の様子を眺めていたとき、彼ら彼女らのふりかえりで「コードレビューに多大な時間を要してしまった」という内容が Problem として挙がっているのを目撃しました。そこでぼくは「じゃあ、コードレビューをやめてみたら?それで解決するんじゃない?」と提案してみました。そうすると「えっ…?」といった反応で、コードレビューをしないという選択肢に驚いたようでした。研修の過程で「コードレビューは、必ずするもの」と認識したのでしょう。勝手に省いてはいけないとも思ったのかもしれません。

コードレビューにせよ、バージョン管理にせよ

コードレビュー、やる場合とやらない場合のそれぞれのメリットとデメリットを整理して、自分たちにとってお得な方を選んだらいいですよね。判断すればいいはず。まともに判断するためには天秤の皿に乗せるものたちのことをよく知っておく必要がありますから、やる場合、やらない場合、双方を経験しておくとよいでしょう。

すでにお気付きの通り、コードレビューをすべて「バージョン管理」に置き換えてもこの文章の論旨は変わりません。自動化テストでも、継続的インテグレーションでも、継続的デリバリーでも、アジャイルでもスクラムでもいいかもしれません。なにかしらの道具を使うときは、使わない場合と比較してなにがどう違うのか、メリットとデメリットはどんな感じなのか、理解しておくに越したことはありません。

道具にふりまわされずに、道具をうまく活用していきたいものですね。

試しに捨ててみる

立場上、さまざまなチームの人々から「いま、チームにおいて◯◯がうまくまわっていなくて…」と相談を受けます。コードレビューの運用についての相談もよく受けます。

そんなとき、一度は「じゃあ、一度やめてみたらどうですか?」と進言します。もしやめることに強い抵抗感を覚えるとしたら、なぜそう感じるのかを言語化してみると気付きがあります。「そっか、やめていいのか」とあっさり思えるのなら、やめてみましょう。そうして 1 週間 2 週間と過ごすと、やはり気付きがあります。失ってみて初めて気付く、というやつですね。そこで拾える気付きが、あなたを、チームを、ひとつ強くしてくれるはずです。

道具に対する自分の感覚を持つ

ぼくの身近なところにはぼくが心配しなきゃいけないような若手はほとんどいないので、杞憂ではあるものの。あえて心配事を挙げるとしたら、それは「よく採用されている手法から外れる」ことではなくて「自分の頭で考えられなくなる」ことです。後者に比べれば前者は微々たるものです。

誰かに与えられた道具を使っているとしたら、それがなんなのか、なんのために存在するのか、ぜひ考えてみてください。あなたにとって役立つものなのかどうか、どのように役立つものなのか、ぜひ言語化してみてください。

あわせて読みたい

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こういう「ごめんなさい」をしたくない、こういうやりとりをしたい

2019-04-14

悪いことをしてしまったときにはちゃんと「ごめんなさい」できる人間でありたいな、そうならなくちゃな、と思いながら生きている @june29 です。今回はとあるツイートを紹介するところから。

これ、なるほどなぁと思いまして。じゃあその「本質」とはなんだろう、と考えてみて、ぼくは「自分の行いを正しく理解すること、その結果を受け止めること」なんじゃないかな〜と思いました。

このツイートを見てぼくが想像したのは、音楽に合わせて指定されたタイミングで指定された操作を行う、いわゆる「音ゲー」と呼ばれる類のやつです。音符が流れてきたときにボタンを押せないとミスになるのはもちろんのこと、音符が流れてきていないときにボタンを押してしまってもミスになりますよね。だからボタンを連打すればハイスコアになるわけじゃない。そんな簡単にはできていないってことです。「ごめんなさい」についても同様のことが言えるんじゃないでしょうか。連発すりゃあいいってもんじゃないところが同じ。

そんな着想を得ましたので、ぼくがこれまでに発してきた数々の「ごめんなさい」を思い出しながら、言ったあとで「あんまりいいごめんなさいじゃなかったな〜」と反省したもの、今の自分としては「これはナシ」としているものを整理してまとめてみました。

対話から逃げるための謝罪

  • これって、どうしてこうしたんですか?
  • すみません…

質問されているのにも関わらず、回答を放棄して謝罪で済まそうとしちゃうやつです。相手が期待する情報を返せていない点がよくないと言えます。

自分のための勝手な謝罪

  • じゃあ 5 日後までにお願いしますね
  • はい、わかりました!(3 日以内に提出するぞ)

からの、4 日後に

  • 遅くなっちゃってすみません…!

ってやつです。相手は 5 日後でよいと言っているのに、自分の内心の 3 日以内という目標を達成できなかったことに罪悪感を抱いて勝手に謝罪してしまうパターン。相手の気持ちを置き去りにして、自分の感情を成仏させるために独りよがりな態度になっているところがよくないと考えます。

どうするつもりもない謝罪

わかりやすい例が思い付かなかったので、ぼくが発したものじゃないのですが実体験から紹介します。

先日、お弁当屋さんに行きまして。そしたら店員さんが「順番が前後してしまい大変申し訳ございません」と頻繁に言っていて不思議に感じました。注文した順番と、料理ができあがってくる順番が一致しない場合があって、それで謝罪の言葉を述べているわけですね。ただこれ、メニューによって調理時間はちがうわけで、調理に時間を要するやつを頼んだら完成が遅くなるのは仕方のないことです。

もし心から「注文順に提供すべき」と考えているなら、ひとつ注文を受けるたびにその料理を提供し終えるまで次の注文を受けない、ってするはずなんですよね。でもお弁当屋さんはそれを選択していません。客全体のトータルの待ち時間を最小にするために、注文を受けたものから調理を開始して、完成したものから順に提供する、という方法を選んでいると思うんですよ。だったら胸を張っていてほしいな〜と思いました。謝罪の言葉を述べたところで仕組みを変えるつもりもないんだから、ポーズだけ取っても仕方ないと思ってしまって。

こうして整理してみると

こうして整理して 3 つのパターンを書き出してみて、ぼくは「悪い意味で雑に謝罪という手段を乱発するのが好きじゃない」のだろうな〜と気付きました。先の音ゲーの比喩でいうと、ボタンの連打ですね。もっと、本質を捉えた誠実なやりとりにしていかないと、謝罪を安売りすることになってイヤなんだろう、と思います。本当に謝罪しなきゃいけないときに言葉が薄っぺらくなってしまわないように。

とりあえず低姿勢にしておけ、という気持ちはわからなくはない

先のお弁当屋さんのエピソードに関しては、気持ちを察する面もあって。おそらく過去に、提供順番についてイチャモンをつけてきた客がいたのでしょう。「わたしの方が先に注文したのに、先に提供されないとは何事だ!!!」みたいなことがあったのでしょう。それで、そういった面倒な事態を未然に防ぐために「とりあえずあやまっておく」「悪いと思っていないし方針を変えるつもりもないけれどあやまっておく」というマニュアル対応に落ち着いたのだと想像します。あくまで想像ですが。トラブルに巻き込まれたい人なんていませんよね。

それでも。ぼく個人の意見としては、そういうモンスターカスタマーに対しては「じゃあうちを利用すんなよ」で充分だと思います。

一部の「自分はえらい」と勘違いしているんだかなんなんだかわからない人間を基準として、それに合わせた謝罪のラインを引いてしまうと、全体としては過剰な謝罪社会になってしまうでしょう。ぼくは「自分は悪くないと思ってもとりあえずすぐに謝罪しておけ」という息苦しい社会は望んでいません。

自分の身近な人々との間ではどうしていきたいか

とある偉人はこんなふうに言っていましたね!

『HUNTER×HUNTER』の 32 巻より。

ぼくはプロのハンターではないので、ジン・フリークスさんほど厳しいルールを課したいとは思いません。とはいえ参考になるなぁと思います。「次はどうするか」を考えるのはとても有益ですよね。それを考えることで、なにがよくなかったのか現実と向き合うことになりますし、今後同じようなことでごめんなさいしなくて済むように思慮を巡らすことにもなります。

逆に考えてみると、次はどうするか具体的な約束が浮かばないようなシーンでは、安易に謝罪すべきではないとも言えるでしょう。

まとめ

ぼくは、下記に分類されるような「ごめんなさい」を快く思わないので、そうならないように、よい形で「ごめんなさい」していきたいと思っています。

  • 対話から逃げるための謝罪
  • 自分のための勝手な謝罪
  • どうするつもりもない謝罪

『HUNTER×HUNTER』のジン・フリークスさんが言うように「次はどうするか」を一度でも考えることで、よい形での「ごめんなさい」を実践できそうです。

悪いことをしてしまったときにちゃんと「ごめんなさい」できるようにありたいし、同時に、雑に「ごめんなさい」を乱発して息苦しい社会づくりに加担したくもないな〜と思います。ひとつひとつの「ごめんなさい」が、きっと誠実なものでありますように。

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自分の考えを持つこと、相手の考えを尊重すること、それらを磨き続けること

2019-04-06

多数派と排他

この 4 月から働き始めた人もたくさんいることと思います。ぼくは 2008 年 4 月から働き始めてこの 4 月を迎えているので、なんとびっくり、フルタイムの労働者としての 12 年目に突入してしまいました。もう 11 年間も働き続けているのだなあ。なかなかえらいですね。引き続きえらい感じでやっていこうと思います。

さて、そんなシーズンですから、3 月の下旬から「やっていく」ことについて書かれた文章がいくつも流れてきて、ぼくもフムフムと読みました。たとえば 受験生のみなさんへ - 内田樹の研究室 という文章があり、実はこれは 2018 年の 3 月に公開されたものなのですが、ぼくはこの春にたまたま見つけてたいへん興味深く拝読しました。特に、この一節です。

学校で子どもたちが身につけたのは、自分と価値観も行動規範もそっくりな同類たちと限られた資源を奪い合うゼロサムゲームを戦うこと、労せずしてコミュニケーションできる「身内」と自分たちだけに通じるジャルゴンで話し、意思疎通が面倒な人間は仲間から排除すること、それを学校は(勧奨したとは言わないまでも)黙許してきました。

これにはなんだかドキッとしてしまいました。今から 11 年前の、小学校・中学校・高専・大学・大学院と「学校」に通い続けて、ようやく「学校の次へ行くぞ」と意気込んでいた就業直前の 3 月の自分が読んだら、薄暗い気持ちにもなりそうな内容です。件の記事の全文を読んでみると、端々に著者である内田樹さんの悔しさや申し訳なさのような感情を読み取ることができます。

ぼくがドキッとするのは「自分に心当たりがあるから」に他ならないでしょう。

「日本の学校は」「日本の教育制度は」から始まるような文章はぼくには書けそうにないので、ひとりの個人としての体験をベースにして書きましょう。ぼくが児童・生徒・学生だったときに感じていた学校の空気というのは、35 歳の会社員として過ごす今と比べると、とても閉鎖的で、同調圧力が強く、排他的であったように思います。そして、自分もその空気に少なからず加担していたような感覚が残っており、思い出すことで少し胸が痛くなるのです。ぼく自身は、激しいいじめにあっていたわけでもなく、いつでも友だちには恵まれている幸運な学校時代を過ごしましたが、だとしても、あの独特の空気は今になって思い返すと少なからずゾッとしてしまいます。

たまたまぼくが身を置いていた環境がそうだったのでしょうか?他のみなさんの学校体験はどのような言葉で修飾されるようなものでしたか?

ぼくは特に「排他的」な雰囲気がきつかったなぁと思い返しています。少数派に対して寛容じゃないというか、多数派の輪に入りそびれると居心地が悪くなってしまうというか。なんでしょうね、確固たる自我がない未熟な個体が群れをなすと、多数派という安心のための領域をつくって自己を守ろうとする習性でもあるんですかね、このあたりに詳しい人がいたら教えてください。

さらには、そうして多数派の中心に近い場所にいる人ほど「うまくやっている人」というポジティブな見られ方をされていたようにも思います。たとえその人が、自分と考えや趣味やノリがあわない人を排除しようとしていたとしても、です。それが、再度引用しますが、

労せずしてコミュニケーションできる「身内」と自分たちだけに通じるジャルゴンで話し、意思疎通が面倒な人間は仲間から排除すること、それを学校は(勧奨したとは言わないまでも)黙許してきました。

に書かれていることかな、と、自身の体験と記憶を紐解きながら解釈しました。

価値を追い求めるとしたら

アフリカの諺にこんなものがあるらしいです。

If you want to go quickly, go alone. If you want to go far, go together.

日本語にすると「早く行きたいなら一人で行け、遠くへ行きたいならみんなで行け」といったところでしょう。

丸 11 年間ほどの労働者生活を経験してきたぼくにはグッとくる成分のある諺です。より価値のあるお仕事をしようと思ったら、いろんな技能を持った人たちが必要になるのはもちろんのこと、いろんな考えを持った人たちで協同することになるでしょう。自分ひとりでやれることの範囲はたかが知れていますし、よく似た考えの人たちが集まって行う議論はなかなか深まりません。

価値を追い求めようとすると、議論やディベートやレビューなどのコラボレーティブな活動の質を高めることの重要性に気付きます。それは囲碁や将棋の上達のプロセスを思い起こさせます。定石を学ぶ個人の学習時間も大事でしょうが、それだけではなく、他者との対局を経て思考力を高めていくことになるでしょう。深い思考と深い思考をぶつけあうことで、さらなる深みを目指すのです。

心理的安全性の誤解

Google re:Work - ガイド: 「効果的なチームとは何か」を知る より。

Google のリサーチチームが発見した、チームの効果性が高いチームに固有の 5 つの力学のうち、圧倒的に重要なのが心理的安全性です。リサーチ結果によると、心理的安全性の高いチームのメンバーは、Google からの離職率が低く、他のチームメンバーが発案した多様なアイデアをうまく利用することができ、収益性が高く、「効果的に働く」とマネージャーから評価される機会が 2 倍多い、という特徴がありました。

Google のリサーチ結果の発表を受けて、日本語圏においてはたしか 2017 年の 8 月頃から「心理的安全性が大事」と繰り返し語られるようになったと認識しています。それから 1 年半ほどが経った最近は「これ、雰囲気で心理的安全性という言葉が使われているな?」とお見受けするシーンをちょいちょい見かけるようになりました。

ぼくが怖いなぁと思うのは、心理的安全性に関する誤解が冒頭で述べた「多数派と排他」と悪魔合体してしまうことです。仮に「生まれてから 22 年間、多数派の中心に近いところでうまくやってきた」という人がいて、心理的安全性が大事、という言葉だけを耳に入れられて表層だけを捉えると、

  • 場の空気を読むこと
  • 輪を乱さないこと
  • それが「みんなとなかよくすること」であり、心理的安全性につながる

と誤認してしまうケースもあるんじゃないかな、と。こういうのはただただコンフォートゾーンを出ていないだけで、もし「輪を乱したら排除されちゃう…」と思いながらやっていたら、心理的安全性がないってことなんですよね。ここは捉え方を気をつけていかなきゃいけないと強く思います。

あらためてがんばっていきたいこと

それじゃあぼくはどういう行動をしていこうか、とあらためて考えてみると。先にもリンクした Google re:Work - ガイド: 「効果的なチームとは何か」を知る にアドバイスまで書いてありますね。便便便利。

エドモンソン氏は、TEDx Talks でのスピーチの中で、チームの心理的安全性を高めるために個人にできる簡単な取り組みとして、次の 3 点を挙げています。

  1. 仕事を実行の機会ではなく学習の機会と捉える。
  2. 自分が間違うということを認める。
  3. 好奇心を形にし、積極的に質問する。

どれもマインドセットに関わるお話なので、これと真逆の考えで長く過ごしてきた人にとっては実践がむつかしいかもしれませんね。ぼくは自身がこれらを体現していくとともに、4 月に入社してきてくれた新メンバーズともこの観点を共有していきたいです。そういう狙いもあってこうしてここに書いています。

2019 年 3 月のこちら 平成30年度卒業式総長告辞 | 東京大学 もたいへんよくて。東京大学とはまったくの無縁のぼくですが、五神真さんの言葉は身に締みました。引用したい箇所はたくさんあるのですが、ここではひとつだけ。

さらに、そのような問いかけを、自分のみならず、他の人にも投げかけ、ここでいうconsummatoryな感覚を分かちあってほしいと思います。自分も他者もそれぞれに、ともに心躍らせている、そのような質の高い「共感」こそが、新しい社会を望ましい方向に向かわせる推進力になると私は考えます。全員が一つの幸福に向かうのではなく、多様な幸福が共存し、緩やかに結合する。そうした社会のあり方を、まさにともに心躍らせる活動として模索してください。それが「多様性を活力とした協働」なのです。私はみなさんに、そのような活動を牽引する、新たな時代のリーダーになっていただきたいと願っています。

これもね、ちょうどぼくが考えていてここまで書いてきたこととリンクしているように感じられて、身震いしてしまいました。多様性を活力とした協働、目指していきたい。

みんなでがんばっていきたいこと

チームや組織でパフォーマンスの高い状態を目指したい、そのために心理的安全性の高い状態に到達したい、多様性を活力とした協働を実現したい、と願うのなら。

  • 自分の考えを言葉にして表明する
  • 相手の考えに耳を傾ける、尊重する
  • さまざまな考えをぶつけあうことを楽しむ

をとにかく繰り返していくしかないように思います。「どんなことを言っても非難されませんよ、大丈夫ですよ」と 100 回も言って聞かされるよりも、自分の考えを表明してちゃんと聞いてもらえた、というのを 1 回でも 2 回でも体験してもらう方が効果的でしょう。

ぼくは、家族や同僚と積極的にこういう取り組みを重ねていくことで、最高の状態を目指したいです。

まとめ

今年も新しい春を迎え、フルタイム労働生活の 12 年目に突入したところで、最近考えていたことを書きました。これまでよりもいいお仕事をしたいし、楽しく充実した日々を送りたいので、所信表明のようなつもりで書いています。

また、この記事自体が「自分の考えを言葉にして表明する」のインスタンスになっています。これ、歳を重ねるごとに「大事だなあ」と痛感するようになってきていて、かつ、言葉にするのは本当にむつかしいな〜とも感じています。だからこそ、練習のために数をこなしていきたい。がんばるぞ。

関連情報

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ぼくから見た世界は「平」に「成」ったのか

2019-03-31

ぼくは昭和 58 年の生まれです。いきなり生年を明かしましたが、何月何日生まれかは秘密です。どうも @june29 です。

昭和生まれといえど 5 歳のときに平成を迎えているので、ここまでの人生の記憶のほとんどは平成の間に積み重ねてきたものです。言ってみれば「昭和生まれ平成育ち」ですね。

ぼくの人生において「新元号発表前夜」を過ごすのは今回が最初で最後でしょうから、あふれるエモさを受け止めて、散文を書いてみようと思います。新元号を知ってしまうとまた新たな刺激になってしまいそうなので、今のうちに。

日本の元号、機能で見ると不便ですよね。ぼくはふだんは西暦しか扱いません。その不便さを押し付けられないのであれば、こうやって節目をもたらしくてくれる元号は楽しいものだと思います。

平和

この約 30 年の間に、ぼくから見える世界は平和になったでしょうか。

正直なところ、あまり大きな変化は感じていません。とてもありがたいことに、ぼくの身近なところは幼少期からずっと平和だったように思います。戦争を経験した世代の、人生の大先輩たちにとっては、平成というのは「平和を成した」時代に見えているのでしょうか?そういった声があれば、ぜひ教えてほしいです。

平 (たいら)

この約 30 年の間に、ぼくから見える世界は平になったでしょうか。

これについてはもう、インターネットとウェブのことを話さないわけにはいきません。ぼくの幼少期は「マスメディアの時代」でしたから、そこから「ソーシャルメディアの時代」に突入していったのが平成と言えましょう。多くの人が多くの情報にアクセスできるようになった、多くの人が情報を自由に発信できるようになった、情報の民主化が進んだ、という意味では、ぼくから見える世界はずいぶんと平になってきたように思えます。

情報に対する権利という意味ではフラット化が進んできたものの、その一方で、権利があれば情報を自在に操れるというわけでもなく、いわゆる情報リテラシみたいなお話で、デジタル・ディバイドという別の形での勾配は発生していそうです。

「結局、世界はよくなっているの?」と問われると簡単には回答できないな〜という感じですが、少なくとも、ぼくは今の状況の方が好きです。

認知の歪みからの脱却

先述の平のお話とは少し違う角度で、ぼくが世界をどれだけ偏見なく先入観なく歪みなく見れるようになってきたか、という観点です。

少しずつ少しずつ、バイアスに気付いては捨て気付いては捨て、を繰り返してこれたと思います。小中学生のころは少年漫画にてしばしば描かれる「正義 vs 悪」という構図を疑いもしませんでしたが、今では、世の中における衝突の多くは「とある正義 vs また別の正義」であると捉えるようになりました。

偏見やバイアスに気付くタイミングというのは決まって、フラットな気持ちで新たな知識や視点を獲得できたときです。人々との対話や読書を続けることで認知の歪みに気付きやすくなります。まだせいせい 35 歳ですが、いくつになっても認知に関する発見は尽きないもので、ネガティブに捉えれば「今も自分は認知の歪みをたくさん抱えているだろう」と思いますし、ポジティブに捉えれば「これからも少しずつ歪みを取り除いていけるだろう」と思えます。

しばしば人は、世界を自分が見たいように見てしまいます。それは平成という短い期間で矯正できるようなものではないようです。平成の次の元号を迎えても、引き続き「平に成っていく」姿勢を忘れたくないものです。

その他、思いつくことを

平成の間に、ぼくから見て「大きく変わったな〜」と感じるものを列挙してみます。

  • 性別というものの捉え方
  • ハラスメントというものに対する意識
  • 煙草や喫煙に対する印象
  • 労働のありかた
  • 家族のありかた (専業主婦、家事や育児の協力体制など)
  • メディアのありかた (テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、書籍、ウェブ、…)
  • 娯楽のありかた (音楽、映画、アニメ、オタク、…)

こうして並べてみると、平成初期には過剰に一極集中していたものが、平成末期に向けて分散してなだらかになっていったような全体感を得ました。「昭和が特殊だった」という捉え方もあるのでしょうね。

まとめ

ぼくから見た世界は、おおいに「平」に「成」ってきたと言えそうでした。

予定通りにいけば、明日には新元号が発表されて、そこから 1 ヶ月も経てばいよいよ新元号の時代に突入します。

平成という元号、こうしてみるととてもよい命名だったように思います。次の元号も楽しみです。平成の次の次の元号を迎えるころ、ぼくはブログを書いているでしょうか。情報を発信しているでしょうか。できれば、この散文を読み返しながら、平成の次の時代がどんな時代だったかふりかえっていてほしいな〜と思います。

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ソフトウェアエンジニアがヒゲ脱毛を体験してみた

2019-03-20

先日、湘南美容クリニックさんに行って、カウンセリングを受けて、全 6 回のレーザー脱毛を契約し、そのまま 1 回目の施術を受けてきました。ぼくはまったくの素人だったので今回はじめて知ったのですが、レーザーを一度打ったらそれで終わりってわけじゃないんですね。あと 5 回くらいは通うことになります。まずは現時点でのレポートです。

Before/After の画像はひとつも載せません。そういうのを見たい人は YouTuber がアップしている動画とかを観るとよさそうです!

どうしてヒゲ脱毛しようと思ったか

結婚して奥さんといっしょに暮らすようになって、独身時代と比べると、生活の質を上げたいというモチベーションが強くなりました。お金をじゃぶじゃぶ使って生活水準を上げたい的なお話ではなく、とにかく無理をせずにストレスなく毎日を楽しんでいきたいという気持ちです。

繰り返し発生する家事などの雑事はとにかくコストを下げていきたくて、そんなことを考えながら少しずつ少しずつ家庭をベターにしてきたつもりです。夫婦そろって、あんまり気張らずに生きていけるようになってきました。

「じゃあ、次はなにを楽にしようか、効率化しようか」と考えてみると、毎朝のヒゲ剃りがけっこう面倒だよな〜と自覚的になりました。そうですね、遅くとも 20 歳のときには「毎朝剃らないと目につく」くらいにはヒゲが生えてくる体になっていたので、かれこれ 15 年以上も、ヒゲを剃ることに自分の時間を費やしていることになります。もったいないですね。

まず、奥さんに話してみた

「ヒゲを永久脱毛しようと思う」

と話したぼくに対する奥さんの反応が「不可逆だけど、いいの?」だったので、数年に及ぶぼくとの会話ですっかり毒されていてかわいそうだなぁと思いました。あなたは「不可逆」とか言うような人じゃなかった。ちょっと笑ってしまった。その通り、ぼくは不可逆な操作を可能な限り回避するので、日頃から「不可逆な操作は慎重にやりたい」と言っています。よくわかっている奥さんだなあ。

奥さんに話す前からぼくも考えてはいて、たとえば 5 年後に「ヒゲを生やしたい」となったらどうするんだろう、って仮定してみたりしました。でも、この 15 年の間に「伸びてきたからなんとなく生やしている」という時期はあっても、積極的にヒゲをどうこうしようと思ったことはありませんでした。生えてこなかったら、特になにも気にせずに過ごすだけだと想像します。

施術の前日まで

「よーし、脱毛しよう」となったので、電話をかけて自宅から行きやすそうなクリニックを選んで予約を取りました。初回はカウンセリングと施術で 90 分くらいを要するだろう、ということを聞けたので、それくらいの時間を確保して臨むことにしました。

通話を終えた 10 秒後くらいには SMS が届いて、おおっ、と感じました。予約受付システムがしっかりしているのだな〜という印象を受けました。電話での応対が丁寧だったこともあり、この時点でかなり安心を感じていました。ありがたいことです。

ここに記載されている URL にアクセスして、事前に問診票に必要事項を記入できます。そうしておくと、当日に現地でやることが減って時間を節約できることになります。とてもよい仕組みだと思います。

施術当日 : 受付とカウンセリング

ちょっと緊張してドキドキしながらクリニックに向かいました。

着いてみると、とてもきれいなところでした。施設内は撮影禁止。ぼくは「受付番号 22 番」の紙を受け取り、この日は共有スペースではずっと「22 番」と呼ばれていました。プライバシーへの配慮だそうです。カウンセリングを受ける個室でのみ、名前で呼ばれました。「29」という数字に体が反応してしまういつもの癖はこの日も発症し「29 番さん」との呼び掛けに「はーい」とお返事しそうになるもグッとこらえ、お行儀よく過ごしていました。

カウンセリングを担当してくれた方に「おヒゲの脱毛をしようと思ったキッカケは?」と聞かれて回答しようとしたあたりで、どうやらこのクリニックには「美」を求めて来院するケースが多数派なのではないか、と感じるようになりました。全体的に清潔感があるし、そこにいる人々もシュッとしており、壁に貼ってあるポスターたちは美容整形の成果を雄弁に語ってくれています。なるほど、美容クリニックなんだからそりゃそうか。ちょっと考えればわかりそうなものですが、ぼくはあまりなにも考えずに突入してしまったため、クリニックに入ったあとで気がつくことになりました。やや控えめに「毎日を効率化したくて、それでヒゲを…」と回答しておきました。

施術当日 : 施術前の説明

Wi-Fi への接続情報と QR コードが印刷された紙を渡されて「この動画を見てください」と案内されました。なるほど。スマートフォンを持っている人であれば、これだけ渡しておけば施術に関する事前案内が済んでしまうわけですね。仕組みがしっかりしている。

動画はこちらです。YouTube にアップされているので誰でも見ることができます。便利。

スマートフォンを所持していない人はどうするんだろうな、とは思いました。貸し出し用のタブレットでも用意しているんですかね〜。

動画を見終わると、再びカウンセリング担当さんとのお話があります。動画で説明されたのとほとんど同じ内容が印刷されている紙の資料をいっしょに見ながら「こういった方は施術できませんが、大丈夫でしょうか?」「はい、大丈夫です」とやりとりを重ねていきます。このときぼくは「動画と口頭でのやりとりで、重複した情報を扱っているな、無駄では?」と思いました。背景として想像したのは、

  • 医療施術を行うわけだから、確実に確認を行うためにダブルチェックにしている
  • 約 9 分間の動画をちゃんと見ない人への対策として、対面でのチェックも組み込んでいる

ってあたりです。実際のところは、どうなのでしょうね。

施術当日 : 契約とお支払い

ヒゲ脱毛の施術がどういった内容なのか、全容がわかったところで、料金表を見ながら契約内容を詰めていきます。冒頭にも書いた通り、ぼくは全 6 回のコースを選びました。通勤定期券の「1 ヶ月より 3 ヶ月、3 ヶ月より 6 ヶ月の方がお得」とよく似た形式の価格テーブルで、全 3 回のコースを受けて「やっぱりもうちょっとやった方がいいな」と後追いで 3 回を追加するよりは、最初から 6 回のコースにしておくと支払い額は小さくなります。

ここで、保湿クリームや日焼け止め等の説明がありました。施術後は、施術箇所のケアがとても大事とのことで、クリニックがおすすめするケア用品をご紹介いただきました。しかし、ぼくはこれまで保湿クリームや日焼け止め等を一度も使用したことがなく、もちろん購入したこともなかったので、価格の相場がまったくわかりません。「今の自分にまともな判断はできないと思うので、保留にさせてください」と言ってオプションの購入は見送りました。

かくして、脱毛の施術のみの契約を交わしました。

施術当日 : いざ施術

ぼくが想像するレーザー脱毛のイメージは、完全にこの動画によって形成されています。これしか情報がない。

ちなみにぼくは「麻酔ナシ」での施術を選択し、やってみて我慢できないくらい痛かったらその時点で麻酔してもらおう、と話していました。男性のヒゲ脱毛における麻酔のアリ・ナシは、だいたい半々くらいだそうです。「だいたい半々くらいなんですけど、いかがいたしますか?」と問われたときは内心「決め手がないじゃん」と思いました。

ヒゲ脱毛、想像していたよりは痛かったです!静電気の強烈なやつを 5 分間くらいは口のまわりに浴び続けるって感じでしょうか。家庭の事情で生まれた時から強力な電気を浴びていたような人なら、まったく問題ないでしょう。

術後

施術から 2 日半ほどが経過した現在、特に変化を感じるようなことはありません!きのうも今日もふつうにヒゲを剃って暮らしています。1 週間か 2 週間くらい経ったら変化を感じるかしら。そのときを楽しみに待ちたいと思います。

すべての施術が終わったら、またレポートを書きたいな〜と思っています。ヒゲを剃らなくてよくなったらぼくの生活がどんなふうに変わるか、早く体験してみたいです。

ヒゲ脱毛に興味を持った人へ

湘南美容クリニックには 紹介制度もある (動画による説明) みたいなので、興味があったら適当に声をかけてください!

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アンチボッチと呼ばれる取り組みについて

2019-03-18

最近、TokyoGirls.rb Meetup vol.1 というイベントが開催されました。このイベントのことは @jnchito さんの発信する情報によって知っていました。勤務先であるペパボはスポンサーとして関わらせてもらいましたし、その関係で弊社からイベントに参加したガールズもいます。

イベントについての詳細は下記のリンクたちから。

そこで見かけたアンチボッチ

開催後のイベントレポートをいくつか見ていると、そこに「アンチボッチ」という文字列が登場することに気付きました。

アンチボッチというのは、ぼくが RubyKaigi2011 の実行委員をやっていたときに、ランチタイムや懇親会における「望まぬ孤立」を減らすための一連の取り組みに運営チームでつけたラベルです。ためしにツイートを検索してみると、最古の言及ツイートは RubyKaigi2011 の運営委員長の @kakutani さんによるこちらでした。

大井町には当時のぼくの勤務先があって、RubyKaigi2011 の実行委員で集まる場所としてもちょいちょい活用していました。軽く調べてみた限りにおいては、アンチボッチという文字列を最初に使い始めたのはぼくら、ということで間違いなさそうです。

これより前から言っている人がいたよ、その記録はこれだよ、ってのがあればぜひ教えてください!

アンチボッチへの想い

RubyKaigiという体験を経て - #june29jp

ぼくが 2011 年に書いた上記のエントリの「コミュニケーションデザインの成果」のセクションに、当時どういった想いでアンチボッチ系の取り組みをやっていたのか、そこそこ詳細に書き記してあります。記録は便利。当時の自分がちゃんと文章にしていてえらいと思いました。

2019 年の自分が担当すると「アンチボッチ」というラベルにはならないような気はしますが、そのコンセプトというか、問題意識というか、そこにかける想いについては今の自分から見ても共感できる内容です。あのときの自分はきっと「アンチボッチランチ」の語感がよかったから採用したんだろうなあ。今となっては、実際にどうだったかはわかりませんね。

オフラインイベントにおける他者との交流

最近の技術系カンファレンスだと、登壇資料が公開されることは珍しくありません。登壇の様子を記録した動画が YouTube にアップされることも多いです。こういった現況において、現地参加する人は多かれ少なかれ「その場でしか得られないもの」を求めているのではないでしょうか。その主たるものが「他者との交流」にあると言えるでしょう。

アンチボッチは、当時の記事の中でも明確に「望まぬ」と添えています。

「アンチボッチランチ」とは、誰かと一緒にランチに行きたい気持ちはあるけれど、相手が見つかっていない、という人たちのグループづくりをお手伝いして、望まぬ「ボッチ飯」の撲滅を目指す企画です。

ボッチ、つまりひとりで過ごす時間そのものを否定しているわけではありません。イベントに参加して、心の中に「会期中にあの人とお話してみたいな…」「ライブラリの作者さんに一言でもお礼を言いたいな…」「気の合う人と懇親できたらいいな…」のような声がほんの少しでもあるのなら、それを後押しできたらいいな〜と思って設計していました。

アンチボッチは時空をこえて

そんなアンチボッチ的な取り組みが、2019 年にもぼくのぜんぜん知らないところで企画されていたのだなぁと気付き、うれしかったのでこうして筆をとっています。

これからも技術系カンファレンスや他の分野のオフラインイベントはたくさん開催されていくことと思いますが、さまざまな場で、参加者の期待が叶いやすくなるような工夫があるといいなぁと思います。ぼくはこんな人間なので、もし会場で見かけるようなことがあれば気軽に話しかけてください!

レッツ・アンチボッチ!

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