何かよく分からないものでも,目の前にいる誰かが楽しそうにしていたら,自分もそれを使ってみたくなるじゃないか.参加してみたくなるじゃないか.真似してみたくなるじゃないか.
今日,ボクの後輩である id:junzou がエントリにて言及してくれた.
先日、id:june29さんと寝食をともにしていて、id:june29さんがそれこそtwitterやらTumblrを楽しそうにいじってるのをみて「オレはこいつらの楽しいところがわかるとこまで使い込んでないんじゃないか?」と思った。たとえば、twitterはモバトゥイッターがなきゃネットつながらないときは使えない(楽しめない)し、Tumblrもポストだけしてた。それじゃおもろくないなぁ。
気ままに渡来 – 3日坊主 ※ 一部,都合により改変
確かに junzou は,ここ3日くらい急にアクティブに twitter を使い出して気味が悪いくらいだ.そんなボクも,twitter も tumblr も登録だけして放置していた期間がけっこうある.楽しく使い始めるようになったキッカケは,誰かがブログなどで「楽しい!」と言っていたのを見て,だろうな.
正直,twitter も tumblr も分かりにくい.外から見たときに,何が楽しいのか想像が付きにくい.これらの新鋭的なサービスを抵抗なく使いこなして楽しんでいる人たちは,相当に想像力の豊かな人たちだ.リテラシーがどうのこうのとかは,あまり関係ないと思う.twitter も tumblr も follow する人の数が5人と50人とではまったく見え方が変わるものなのだけれど,50人のときの世界は50人を follow してみないことには分からないから困ったものだ.
mixi がここまで広い層にリーチした理由のひとつとして「模倣のしやすさ」が挙げられるだろう.ここで id:kei-s さんの言葉も借りると,「自分を招待してくれた友達の日記にたくさんのコメントが付いている」状態がよく見える位置にある,これが大事だということ.インタフェースも全ユーザで統一だしね.「自分も日記を書いたらコメントいっぱい付くんじゃね?」が想像しやすいってことだ.
だから,広く多くの人に受け入れられるような何かを提案しようと思ったら,それに触れる人がとびきり楽しくなっちゃうような仕掛けが必要だ.そしてそれを広げる第1歩は,自分自身がそれをめちゃくちゃ楽しそうに愛することなんだろう.