高専カンファレンスが終わって帰宅して,「高専いいなぁ」という気持ちでいっぱいになっているときに,Twitter のタイムラインで ZoAmichi さんが 明日は Last of 札幌高専祭か… と言っているのを見かけた.そうかぁ,校舎は残って札幌市立大学になるとは言え,高専としての役目は終えてしまうのだな.
時間に余裕があったので,足を運んでみることにした.テーマは「home」
何度か訪れたことはあるんだけど,何度見ても面白い形をした校舎だなぁと思う.入り口の写真.
これももうすぐ見納めか.
入ってすぐのところにあった展示物.
ボクにはデザイナーになりたいと思っていた時期があって,でも,どこかのタイミングで自分にはセンスがないと思って,けっこう簡単にあきらめてしまった.だから実は,こういったクリエイティブな空間にいると,ちょっと複雑な気持ちになる.なんだか胸がチクチクする感じ.
何かのリハーサルをしていた.
その上,「学校」という空間もボクの中の何かを強烈に刺激する.会場に入ってからものの数分で目眩を覚えた.
そうか… ここには「今の自分にないもの」が詰まっているんだ.デザイナーになりたかった自分とか,もう学校に戻ることのできない社会人になった自分.眩しすぎる光の中で,自分という存在が消えてゆく感覚に近い.矢沢あい先生の描く世界観に憧れるのも,自分が持っていないものがたくさんあるからなんだろうな.
理由はよく分からないけど,中庭とか,他には屋上とか螺旋階段にも憧れがある.なんなんだろうなー.自分でもよく分からない.
「高専を卒業して〜〜〜」な下りを見ると,勝手ながら「この人の話を聞いてみたい!」と思ってしまう.この人はどんな高専時代を過ごし,今,当時を振り返って何を思うのだろう.
高専に限らず,マイノリティの側に立つってことは,少なからず「理由を求められること」なのかもしれない.あんまり「普通高校を卒業して思うこと」って表現は見かけない.日本に生まれて「日本を出る!」って大きな声で言う人はいるけれど,「日本を出ない!」って宣言する人は珍しい.だとすれば,その理由が,なぜ敢えてマイノリティ側に立つのかという理由が,人の興味をそそるんじゃないかな.ボクは明確な意志があって高専への進学を選んだわけじゃないけれど,卒業した今となっては,高専を選んでどうだったかについて,考える機会は多い.
うわぁ,本当になくなってしまうんだなぁ.全然関係のないボクまで,少し悲しくなってしまった.卒業生の皆さんは,今どんな気持ちでいるのだろう.もう後輩と呼べる人たちが現れないってのは,どんな感覚なんだろう.
気が付いたら
とっても暗いエントリになっていた…!そんなつもりはまったくありませんでした><
校内に展示されたたくさんの作品を見て,いい刺激をいっぱいもらいました.自分を知る機会にもなりました.現役生の皆さん,最後の最後まで高専生活を満喫してください!1人の高専 OB として応援させていただきます.
ボクももっとクリエイティブな活動をするぞー.
これ本当にいい話だなー