迫りくる「30歳」という語感の響きに怯えながら、だけれども、ふと、以前の自分と今の自分を比べてみると、ぼくの人生はどんどん楽しい方向に進んでいっているなぁと感じる、29歳のぼくの日々。ぼくは、すっかりプログラマになった。
2013年にこの惑星でプログラマとして生きていることの意味については思うところがあって、そうだ、10年前の、まだ「学業プログラマ」でしかなかった自分に、ちゃんと楽しい未来が待っているってこと、お手紙で伝えておこうと思った。学業の合間にでも、読んでもらえたらうれしい。
10年前の君へ
2003年。君はもうすぐ20歳ですね。高専生活も5年目、悪友たちとの死ぬほどくだらなくてキラキラした日々とも、もうすぐお別れ、なんてことを感じはじめて、少し切ない気持ちで過ごしていることでしょう。そんな切なさを抱えつつ、いつもの講義も、実験も、山ほどのレポートも、ちゃんとこなしていて感心します。今のぼくには、そういう過激なやつは、もう無理かもしれません。
情報工学科の学生として過ごす日々は、楽しいですか?君は、そうですね、Scheme と C と Java の基本的な書き方と動かし方は覚えたはずです。毎週の実験や、定期試験も、充分にこなすことができるくらいに、身についたようですね。その鍛錬に感謝できる日が訪れるので、楽しみにしていてください。
さて。雰囲気から察しているかとは思いますが、世間話と、ちょっとした「誉め」は、これからのお話のためのクッションです。ここからのお話はピンとこないことの方が多くてモヤモヤするかもしれませんが、とにかく、わからなくてもいいから、自分の頭で考えながら、自分の感覚を働かせながら、読み進めてみてください。
では、さっそく質問です。今の君は、なんのためにプログラミングに取り組んでいますか?
…うん、きっと、すらすらとは言葉が出てこないはずです。よい成績を取るため、でしょうか。もうちょっと言うと、よい成績を取って、離れて暮らしている両親を安心させたい、という気持ちもあるかもしれませんね。あとは、これまで成績の近かった同期たちと、ちょっとした競争状態になっていたから、彼ら彼女らに負けたくない、というモチベーションもあるかもしれません。
続いて、次の質問です。今そうして取り組んでいるプログラミングは、卒業後にどんなふうに役立つでしょうか?
…うん、さっきより答えるのがむつかしいでしょうね。ほとんどイメージできていないと思います。この質問に、今は答えられなくても大丈夫です。
もし、君が通っているのが、調理師専門学校だったらどうでしょうか。これから、学業と向き合う中で迷うことがあったら、試しに、技術者を「料理人」に置き換えて考えてみてください。発見があったりしますよ。
単位を取得して卒業するためだけに包丁を握る人がいたら、どう感じますか?ぼくは、良いとも悪いとも思わないけれど、もったいないとは思います。日々の取り組みの中で磨いた料理の腕があれば、身近な人たちをハッピーにするチャンスはたくさんあるはずです。技術というのは、磨けば磨くほど、人生を豊かにできるものです。
2013年の世界では、そうですね、口に運ぶ料理のように、脳に運ぶ情報を取捨選択することを強いられます。今の君が1日に消費する情報の100倍以上の情報が、黙っていても流れ込んでくるような時代です。
たとえば料理人なら、自分の好みや体質に合わせて、毎日の献立を決めることができますよね。栄養バランスの取れた食事を続ける1年と、偏食で過ごす1年とでは、身体の健康状態に差が出ることは想像に難くないでしょう。情報についても同じです。狭い範囲の情報だけを摂取したり、意図的に加工された情報ばかりに翻弄されていては、自身の意思決定が望まぬ方に向かいます。その点、情報技術者というのは、この時代を実に優雅に泳ぎ抜けることができるでしょう。君が数年後に出会うことになる Ruby という素敵な言語を活用すると、本当に柔軟に情報を操ることができるようになります。楽しみにしていてくださいね。
最後に、道の選び方のお話をします。「できること」と「やりたいこと」との付き合い方のお話をしながら、このお手紙のおしまいに向かいましょう。
今の、ヒヨッコ技術者の君には「できること」もあまりなければ、「やりたいこと」も明確になっていませんね。これから少しずつ「できること」は増えて、ふとしたきっかけで「やりたいこと」が見つかったとき、できることの幅は一気に広がっていきます。まるで世界が拓けていくように感じられて、興奮状態にもなるでしょう。また、実は「できること」というのには2種類あって、ひとつは「Ability」に起因して、もうひとつは「Capacity」に依ると気付いていきます。能力的にはできるのだけれど、時間がなくてできない、なんてことが増えていきます。
「できること」と「やりたいこと」を意識の中に捉えられるようになってきたら、とにかく「やりたいこと」を優先するようにしてほしいと願います。できることが増えると、無意識のうちにできることをやろうとするときがありますが、それはやりたいことなのか、立ち止まって考えるようにしてみてください。やりたいことをやっているときこそ、日々が鮮やかになります。やりたいことをやっているときに、できることは活きてきます。そうして自然にできることが増えてくると、やりたいこともどんどん変わっていきます。高速で流れる景色を、心から楽しんでほしいと思います。
今の君は、友だちと過ごす時間を本当に大切にしていますね。とてもよいことです。これからも変わらずに大切にしてください。「やりたいこと」を見つけていくに当たって、自身の黄金体験が肝になります。楽しい時間を過ごせば過ごすほど、未来の楽しい時間を想像するのが上手になります。今の君が大切にしているその時間は、将来のものづくりをしっかりと支えています。胸を張って、大切にしてください。
それじゃあ、ぼくは先に行きますね。今日もぼくは、自分をハッピーにするためのコードを書きます。身につけた技術を豊かさに転換していくのが、技術者としての、ひとつの誠実な生き方だと思っています。