「FacebookやInstagramは金持ちのためのツール、華やかなものに囲まれている生活水準の高い人たちが写真をアップする場所」
といった内容の主張を耳にした。なるほど、そういう捉え方もあるか、と思って、自分はどう感じているのか整理してみたくなった。
たしかに、友人の結婚式に参加したときに撮る「いかにもキラキラとしたシャンパングラスのタワー」とか、ちょっと特別な日に食べる「圧倒的に豪勢な舟盛り」とか、そういった写真を Instagram にアップして、いつもより多めの Like をもらうケースには覚えがある。
それじゃあ、お金をかければかけるほど Like をたくさん稼げるのかといえば、必ずしもそうではないと思う。「野良猫」や「手描きイラスト」や、「吸い込まれてしまいそうな色の夕焼け」なんかの写真は、ぜんぜんお金はかかっていないけれども、多くの人たちに気に入ってもらえたりする。
写真に宿る豊かさは、被写体の豊かさとイコールではないだろう。被写体に対して、どんな目線とどんな気持ちを向けていたのか、不思議なもので、そういうものも一緒に写り込んで写真を構成するときがある。
自分が Instagram のフィードを上から順番に1枚1枚の写真を見ながら駆けていくとき、ダブルタップしたくなる瞬間にはいくつかの種類があることを知っている。まずは、写真そのものに魅力を感じたとき。次に、その正方形の世界に添えられたキャプションになにかを感じ取ってしまったとき。それから、その写真の向こうにある、その写真が撮られたシチュエーションとストーリーを想像してしまったとき。他にもいくつか… うん、やっぱり、物質的な豊かさとは別のナニカを感じていると思う。
ぼくから見える Instagram のフィードが、視界内の高価なものを競わせ合う場所じゃなくてよかった。