お祭りテレビ - mizuiro_ahiruの日記というエントリがおもしろかった。
うろ覚えの感覚論だから、ぜんぜんアテにはならなそうだけれど、感覚をメモしておく。ぼくから見える Twitter の景色が「変わったなぁ」と感じた時期があって、それがたぶん「テレビの人たちがやってきた」と感じたころだったのだと思う。それからも何度か変化は感じていて、たとえば、日本語ハッシュタグが使えるようになって「#RTしてくれた人が云々」とかいうコミュニケーションが活性化したときにも、これはぼくの知らない Twitter だなぁと、思った。ん、こっちは余談だったね。
さて、ぼくは今でも「ウェブの人」と「テレビの人」といったなんとなくの分類を自分の中に持っているように思う。友だちとの会話の中心近くに「テレビで話題になったもの」があるか「ウェブで話題になったもの」があるかで、それを分類しているような感じ。「ねぇねぇ、きのうのあれ観た?」ってのがテレビの人の会話で、中学生時代のぼくは、まさにわかりやすくテレビの人だった。一方、今のぼくは完全にウェブの人で(なにしろハードウェアとしてのテレビを所持していないので、そもそも観ようと思っても簡単には観ることができない)、その会話には「ああ、ホットエントリに入っていたよね」なんてフレーズが含まれる。
「そこでそこの話をする」というダイナミクスがある。「Twitter の上で Twitter の話をする」「北海道で北海道の話をする」「小学校で小学校の話をする」これは、まだ発展しきっていない場に見られるダイナミクスだ。そこに興味のある人たちだけが集まって、そこについての話をする。言ってみれば「内輪の盛り上がり」の状態だ。
「そこで、そこ以外の話をする」状態になってくると、いよいよ「そこ」は姿を消して、ツールはツールとして、インフラはインフラとして、定着していくことになるだろう。ウェブの上で、テレビの話題がふつうになされ、大きな盛り上がりを見せるようになって、もうすっかりとウェブはふつうのものなんだなぁと、もうすっかりと Twitter はふつうのものなんだなぁと、ぼくは思ったのだった。