そこらを歩いているとき、たまたま「困っている感じだな」という人を見かけることがあって、自分に余裕のあるときであれば、なるべく手を貸せたらいいなぁと思っている。ぼくの生活圏内で道に迷っている人なら、目的地まで案内できるかもしれない。ふたりの幼いお子さんを連れているお母さんがベビーカーをかついで階段を降りようとしているときであれば、荷物をひとつかふたつ、代わりにぼくが持てるかもしれない。
自分にとってどうってことないものを差し出して、それでほんの少しでも誰かを助けられるのなら、まあ、やってもいいのだろうなと思う。なにも、多大な労力をかけたり、大きなリスクを背負ったり、するわけじゃない。
そういったマイクロヘルプを申し出るにあたって、いつも心配になってしまうのは、いきなりぼくみたいなよくわからない風貌の男から話しかけられたら、無駄に警戒させてしまって、かえって迷惑にならないだろうか、ということだ。
特に「幼い子ども」が絡むときは顕著で、それもそうだよな、愛する我が子に近づいてくる人間がいたら、警戒心を抱かずにはいられないだろう。悪意を持って近づいてくる人が1万人に1人しかいなかったとしても、その1万分の1のケースを想定しながら対処しなければならない。悲しいけれど、完全に無邪気にはいられない世界に、ぼくらは生きているのだろう。悲しい事件は、後を断たないのだから。
ここで話は代わって、とあるリポジトリに Pull Request を送ったときのことを思い出そう。これから Spam Pull Request が大流行して業界問題になったりする未来もあるのかもしれないけれど、基本的には Pull Request に悪意が込められることはない。多くの場合は、善意が込められているだろう。安心して受け取ることができるし、仮に Merge しないという判断に至ったとしても、そんなに悪い気はしないのではないか。もし Pull Request が「悪さをしにくい」「悪いことをしても得がない」そんな設計になっているのだとしたら、ありがたいことだと思う。
善意だけを入れることのできる箱があったらいいなあ。善意だけを通過させてくれる素材があったらいいなあ。「ちょっと手伝ってもいいかも」と思ったときに、それをそのまま素直に表現できる場所があってほしい。そこに身を置きたい。
とびきりきれいなギフトボックスに爆弾を入れることもできてしまう世界で、そんなことを考えた。