それはきっと、中学校1年生のときだ。「中学校の部活動」というフィールドにおいて、ぼくが初めて「縦社会」を肌で認識した頃のお話。小学校というステージまでは、それほど「先輩 / 後輩」を意識することがなかったけれど、中学校に進んでから急に、そいつは存在感を増してきたように思う。
「あっ、自分は長男なんだな」と思った。部活の中で、先輩にかわいがってもらいやすい子って、ぼくが見た限り、兄や姉のいる子が多かったんだ。ちょっと年上のお兄さんお姉さんへの甘え方を知らずに、ぼくは中学生になるまで育った。一方、赤ん坊の笑わせ方とか、オムツの替え方とか、抱っこの仕方とか、いっしょに遊ぶにはどうすればいいかとか、そういうのは、妹と弟と両親からたくさん学んだ。ぼくは、かわいい妹と弟を持つ長男だったんだ。
「今日は俺がごちそうするよ」と、先輩が言った。ぼくは「いえいえ、そんな、悪いですよ、大丈夫です、自分で払いますから」なんて即答してしまう子だった。そうしないと、失礼に当たると思っていたからだ。同級生は「マジっすか!?ゴチでーす!!!」と元気に言う。ぼくは「えっ、ここは遠慮するでしょ…?」とびっくりしてしまう。
自分に後輩ができてみてわかった。元気にお礼を言ってゴチを受け止める後輩は、かわいいものだ。「ごちそうするよ」と言っているときは、だいたい「かっこつけたい」「いいところを見せたい」ときだから、それが通る方がうれしいのだ。遠慮する以外の応じ方を知らなかった昔のぼくは、後輩の前でいい格好をしたい今のぼくから見て、かわいくなかったなぁと思う。
そんな記憶や経験があったものだから、ぼくはすっかり「自分には長男という気質が染み付いていて、先輩にかわいがってもらうのは下手、逆に、後輩はよく慕ってくれる」と、自分に対する認識を固定化してしまっていたように思う。
30歳になって半年と少しが過ぎた今、そんなこともないと思うようになった。もっと言うと、20代中盤から思うようになっていたのだけれど、今でははっきりとそう思うようになった、という感じ。ぼくに親切丁寧に接してくれている諸先輩方の顔を順番に思い浮かべていくと、ぼくがかわいがってもらえていないなんてことは、まったくないもんな。失礼な認識は改めたい。
この歳になって、自分でなんとかしなきゃいけない状況ってのが増えてきた。その度に思う。「自分は今までずっと、先輩たちに守られてきたのだなぁ」と思う。自分の力で掴んだ成功体験だと思っていたものも、先輩たちのさりげないお膳立ての上に成り立っていたのだなぁ。その「さりげない」というのも、実はぜんぜんそうでもなくて、ただただぼくが自分を過信して、自分の手柄ということにしたくて、見えないフリをしていただけかもしれない。ばっちりお膳立てされていたんだろうな、きっと。
いつの間にかぼくも、先輩たちが活躍するフィールドに飛び込んで、先輩に甘える方法、先輩に甘やかされる役割、先輩に守られる場所を、覚えてきたようだった。
写真は、数年前に弟とふたりでごはんを食べに行ったときのもの。