2014年2月の前半は、多方面でいくつか大きな動きがあって、気が付いたら過ぎ去っていた、と感じてしまうほどに、それなりに慌ただしかった。いろいろが無事に落ち着いて、ようやっと一息つけるな、と思ったころには、2月の終わりがすぐそこまで来ている。花の命と2月は短い。
2月最終週となる今週は、穏やかな気持ちで過ごせていて、うれしい。先週までは見えていなかったものが、今週は見えている感じ。ちょっと立ち止まって、辺りを眺めてみると、視界には様々なものが映る。
ふと、視界とはなんだろう、と思う。同じ空間にいても、人の気持ちの微細な変化に気付く人もいれば、気付かない人もいる。街の変化だって、社会の変化だって、そう。視界の広がり方は、人それぞれ。
「情報化社会」という言葉が日本で最初に用いられたのは、1960年代のことだそうだ。じゃあ、2014年にぼくは何を考えようか。1960年代の日本人は、まさか、東京にいる30歳男性が、以前に住んでいた札幌の友人が放つ渾身のダジャレまでもを、情報として受け取っているとは、想像できなかったんじゃないかなぁ。
2014年。「フォロー」のボタンを押す。「購読」のボタンを押す。「友達申請」を送る。なにかしらの「アプリ」をインストールして、プッシュ通知を有効にする。そんな、ほとんど身体性を伴わないアクションで、ぼくらの視界は広がったりも、狭まったりも、深くなったりも浅くなったりも、する。ましてや、自分ひとりの選択ではなく、自分が日々の中で関わっている人たちの選択すら、自分の視界に影響を与える。
自分にとって都合のいい情報だけを取り入れて、都合の悪い情報には目も耳も鼻も疑念も向けないと、偏食になってしまうだろう。だけれども、これだけたくさんの情報に手が届いてしまう環境だ、ある程度は、自分が「好き」と思う対象に絞って視界を広げてもいいと思う。テンションが下がる情報をがんばって受け入れ続けたところで、日々がよい方向に進んでいくとは、思えないのだなぁ。
今日も、ぼくの視界の中では、たくさんの人たちがアレやコレやと会話を繰り広げていて、今週みたいに気持ちに余裕のあるときは、ちょっと意識を向けてみるんだ。こうして眺めてみると、自分にもお手伝いできそうなことってのはいろんなところにあって、人との関わりの中で、感謝の気持ちでつながりながら生きていく道は、まだまだ模索してみる価値があるように思った。
困っている誰かを見かけたとき、それを解決するために自分の技能を活用したくなるのは、自然なことなんじゃないかな。また、つくりたいアプリケーションの案が貯まってきて、わくわくしている。