ぼくが3歳のときに妹が生まれて、だからぼくは、物心がついたときには「自分は兄である」という自意識が少なからずあったと思う。15歳で実家を出るまで、5人家族(それから1人増えて今は6人)の3人兄弟の長男として、両親と妹弟の間を取り持つようなふるまいが多かった。
中学校を卒業して高等専門学校に入学すると同時に、学生寮に入った。最初は3人部屋、中期は2人部屋、最高学年の5年生になる頃にようやく1人部屋が与えられた。常にたくさんの同年代の男子が近くにいるような生活で、「自分は共同生活者である」という意識の中で、身勝手な行動でまわりに迷惑を掛けないように、と思いながら過ごしていた。
就職のタイミングで上京すると、初の一人暮らしがはじまった。おそらく、この頃のぼくがもっとも「自分は◯◯である」という意識を持たずに生活していて、家の中で一人であることをフル活用して、自由気ままな日々を送った。自由時間の過ごし方は文字通り自由なので、この時期の自分が自分の意思で取り組んでいたことが、ぼくが「やりたいこと」を素直に表わしていたのかもしれない。
この春に、恋人と2人の生活が幕を開けた。ふと客観視してみると、「自分は世帯主である」という意識を強く持とうとしていることに気が付く。本来のぼくは、面倒なことをあとまわしにしがちで、苦手な書類仕事や手続き系をすぐには着手せず、締め切りが近くなってから動きはじめて慌てることが多い。それが今は、自分の怠慢でパートナーに迷惑を掛けたくない、と思い、なるべく早くに片付けるようになってきたのだ。パートナーが上手に急かしてくれるから、というのもあるだろうけれど、この自分の変化には、自分でも驚いている。
このブログには、自身の意識の変化に気付いたときにエッセイを書くことが多い。こうしてみると、生活環境の変化というのは、生活者にわかりやすく変化を与えるものだなぁと思う。生活が変わって、相対的に役割が変わる。役割が変わると、行動が変わる。行動は、意識にも作用する。「自分は今、どんな帽子をかぶっているか」と、たまにでも考えてみると、自分の行動がどこからやってきているものなのかわかったりして、楽しいものだ。