2014年上半期のふりかえりの機会を持った。っていうかなに、2014年さん、もう半分が過ぎたっていうの…?マジなんなの!(おこ)
ふりかえりからの気付き
この半年間の「よかったこと」や「よくなかったこと」を書き出してみて、それらをざっと眺めているうちに浮かんできたキーワードは「愛着」であった。もともと好きな言葉ではあるものの、ここまで「あっ、大事なのは愛着だ」と力強く感じたのは初めてのことだ。愛着させ持てていれば、だいたいのことはうまくいく。逆に、愛着をうまく育てられずにいるときは、注意してみた方がよさそう。
もうすぐ買って10年になるシャツ、ところどころ、糸がほつれてきていたりもするのだけれど、積年の愛着がありすぎて、ついつい着ちゃう。好きってそういうこと。
— 大和田純 公式アカウント (@june29) January 3, 2012
愛着さえ持てたなら世界はカラフル
— 大和田純 公式アカウント (@june29) June 9, 2012
「愛着」っていい言葉だな、着床の代わりに使ってもよさそう (ロマンチック)
— 大和田純 公式アカウント (@june29) November 22, 2012
いま、ポッケの中にパチンコの玉が入っているから、歩きながらポッケの中で転がしているのだけれど、これ2週間くらい前に拾ったやつだし、モノを拾って愛着を育てちゃう癖、幼少の頃から変わっていないと気がついた、これお母さんに見つかって「捨ててきなさい」って怒られるパティーンだ
— 大和田純 公式アカウント (@june29) February 19, 2013
愛着がなくなったら生きていけなさそう
— 大和田純 公式アカウント (@june29) February 19, 2013
毎朝を迎える部屋、住んでいるマンション、生活している地域、習慣になっている行動、取り組んでいること、よく通る道、よく見上げる空、よく行っているお店、大事にしている人、などなど。それらとの間に、愛着を育てられたら最高にハッピー。
名前を呼ぶ
愛着を育てるための第一歩は、名前を呼ぶことだと思う。ぼくは、たとえばそれが、ふらっと立ち寄ったコンビニの店員さんとの刹那のやりとりであっても、可能な限り気持ちのよいやりとりにしたいと願う気持ちがあって、横暴な態度をとりたくないのはもちろんのこと、ちらっとでも名札に目をやって、名前を把握しようと努める癖みたいなものがある。レジでの会計が済んだあと、心の中で「ありがとう、◯◯さん」と名前を呼べたなら、自分としては万々歳なのだ。
以前に住んでいた「ガローア」というマンションであったり、渋谷駅近くの青果店「フレッシュ大和田」であったり、しつこいくらいに名前を呼んで、まわりの人にも認知してもらって、いっしょに愛着を育てられたものもある。やはり名前は、とりわけ固有名詞は、愛着を育てるのに一役買ってくれるものだ。
How can I say '愛着' in English?
「愛着」っていうのはとても感覚的な概念だなぁと思い、はて、日本語の「愛着」に相当する英単語ってのはあるのだろうか、と疑問に思った。「愛着」についてもっと理解したいと思って、脳が働きはじめたのだろう。
とある辞書を引くと、愛着は「attachment」と訳された。ほむ。なんだか「添付ファイル」系のイメージが強くて、ぼくが期待したような素敵な言葉とは出会えなかった。今度は「attachment」を辞書で調べてみると、とある辞書は「愛情を持つこと、愛着、愛情、コミット」と答えてくれた。なんと、コミットとな。
「commitment」については、「貢献」といったようなややお固い意味で捉えていたので、愛着から手繰り寄せた糸の先にこういった言葉が出てくるとは思っていなかった。しかし、なかなかどうして、「愛着とは、コミットである」というのは、妙にしっくりきてしまったのだ。
気後れ
恋人との共同生活がはじまる前は、お互いの家におじゃましたりしながら日々を過ごしていた。ぼくが恋人の家に遊びに行っていたときのことを思い出してみると、相手の「自分の家だと思ってね」という気遣いも手伝って、特に不自由なく時間を過ごせていたように思う。だけれども、今にして思えばという意味では、やっぱりそこは恋人の家であって、ぼくの家ではなかったのだ。
ぼくより長く住んでいて、勝手をよくわかっているのは恋人の方だ。家に関してなにかが起こったとき、正面から対応するのは契約者である恋人の方だ。
──そんな意識がほんの少しでもあって、ぼくは、なんやかんやで気後れしていたのだと思う。愛着があったことは確かだ。でも、もっと上手に愛着を育てられていたら、もっともっと「お部屋のここを、こう変えよう」とか、自分からも踏み込んでいけたような気がする。
自分にとって、愛着とコミットは、かなり深い関係にあるのだろう。
そんな背景があって、今のお部屋に恋人とふたりで住み始めたときには、とにかく最初が肝心!といったテンションで、小さくてもとにかくコミットしていく姿勢を維持した。とにかく接点をつくってしまえば、どんどん自分事になっていく。愛着の種が芽を出す。芽を愛でようとして、またコミットが続く。もう、気後れなんてしない。気後れは愛着を遠去けてしまうのだ、と。
ふりかえりが終わったら、今度は前を見よう
「愛着」という言葉がイメージの中心に浮かんだことで、それを大事に育てていくための行動や、それを失わせてしまう状態などに対して、いくらか自覚的になれたように思う。この知見は、未来に持っていきたい。
2014年の後半も、愛着を育てる日々を過ごしたい。