小学生の頃に読んだ少年漫画は、「世界は白と黒にわかれている」と教えてくれていたように思う。明確な「正義」と「悪」の区別があって、それぞれに象徴的な存在がいて、フリーザは一貫して「読者のみなさん、私は悪者です」と言わんばかりの振る舞いを続けてくれる。
小学生の頃、学校の先生が「最近、◯◯公園に不審者が出るそうなので、近付かないようにしましょう」と話していたとき、やっぱりそこにも「世界の白と黒」の区別があったように思う。「私たちは白、不審者は黒です、相容れません」と言わんばかりの物言いだったように思う。
しかし30歳を過ぎたぼくには、世界は白と黒が混ざり合った灰色に見えている。白と黒の間に明確な境界線なんてなくて、光の当たり具合によっても影の濃淡が変化するような、曖昧さが地平線まで続いているような、そんな世界に見えている。
おそらく、子どもの頃のぼくが「自分は、白だ」と無意識にでも思っていられたのは、両親をはじめとするまわりの人たちから一方的に与えられる、安心のある環境に身を置いていたからだろう。
今こうして、自分の生活を自分でやりくりするようになって、様々な選択肢を通り抜けてきて、細い細い平均台の上をぎりぎりで進んでいるような感覚を持つ。なんのきっかけで、今の状況を失うかなんてわからない。今日と同じ幸せが、明日も続くかどうかなんてわからない。ただただ、続いていってほしいと願ってがんばることくらいしかできない。
なにかしらの要因で、険しく苦しい状況に陥ってしまったら、生き延びるためにこの身を黒に染めてしまうのかもしれない。どんな状況になっても白でいられる、なんて言い切ることはできそうにもない。
白と黒が混じった境界の曖昧な世界、あるいは。正義と悪ではなくて、それぞれの正義がぶつかり合う、何色もの正義がぶつかって光を放つカラフルな世界。ぼくらの住む、カラフルな灰色の世界で、祈り続けることしかできない。
だからせめて、カラースターをください。