下記2件から、共通する難しさを感じたので自分用メモ。
- プレゼントについて決まった事など|ゴールデンボンバー 鬼龍院翔オフィシャルブログ「キリショー☆ブログ」Powered by Ameba (2011年5月16日頃)
- 被災者の「千羽鶴はいらない」に激怒する人達 - Togetterまとめ (2016年4月26日頃)
非対称な関係
アーティストとファン、支援する人と支援される人、というのは非対称な関係である。アーティストからすると「10,000人のファン」が見えているかもしれないし、ファンからすると「1人の絶対的なアーティスト」が見えているかもしれない。
一般人には「自分のことを応援してくれる10,000人のファンがいる」っていう状況を想像するのは、なかなか難しいことだと思う。そんな状況に身を置いたことのある人は、そう多くはいないだろう。また逆に、特定のアーティストを応援することを生き甲斐として日々を過ごしている人がいるというのも、そういった体験をしたことがない人にとっては、やっぱり想像が難しいのだと思う。
Twitter で1,000人をフォローしている人と10人しかフォローしていない人では、見ている景色が違う。連投する人が1人いたとして、1,000人をフォローしている人には気にならないことかもしれないけれど、10人しかフォローしていない人にとっては、タイムラインを埋めつくす迷惑な存在になるかもしれない。
量の変化が質の変化に
さらに厄介なことには、劇的な量の変化は質の変化につながってしまう。
週に1回くらい食べるシュークリームは、とても甘くておいしいものだけれど。毎日100個のシュークリームが家に届いて、それが3年続くことをちょっとだけ想像してみる。最初はおいしいシュークリーム。数日も経てば、飽きてくるかもしれない。1ヶ月も食べ続ければ、それは肥満の原因になるだろう。半年も食べ続けたら、不健康の要因にもなるかもしれない。「もう食べたくない…」と思ってしまったら、それ以降に届くシュークリームは、すべてゴミとして処分しなければならない対象になってしまう。
ファンからアーティストへのプレゼントにも、被災地への支援物資にも、同じことが言えてしまうと思う。
まとまらないまとめ
アーティストにプレゼントを贈る人も、被災地へ千羽鶴を送る人も、誰も「迷惑をかけたい」と思っている人はいないはず。そこは信じたい。できることなら、やりとりされるものが、相手の役に立ったり勇気づけるものであったりしてほしいなぁと思う。
ミスマッチはお互いにとって不幸だなあ。もっと上手に上手にマッチングを成立させられる社会にしていきたい。そのためには、各自がもっと知識をつける必要があるかもしれないし、お互いに自分とは違う立場を想像できるようになった方がいいかもしれないし、誤った行動を取ってしまったときにそれと向き合う覚悟が必要かもしれないし、教育カリキュラムを充実させていくことも大事かもしれない。