Webサービスのつくり方 ~「新しい」を生み出すための33のエッセイ (Software Design plus) 和田 裕介 技術評論社 2012-11-20 |
読みました!書評を書く感じでもなかったので、思い出話を書きます。
ゆーすけべー先輩
ぼくは勝手に「先輩!」って思っているのだけれど、ゆーすけべー先輩の背中を追いかけるようになったのは、もう6年も前のことです。月日は百代の過客すぎますね。
当時、まだ北海道にいて、大学生で、ウェブサイエンスを扱う研究室に所属していて、完全に「Web2.0」な熱気の中にいた自分は、ゆーすけべー先輩のPlaggerとCatalystでCDTVならぬCDTube作ってみた – ゆーすけべー日記を読んで「ふあああああああ!」となりました。これのコンセプトを丸パクりしたような「mixiMusicTube」というユーザスクリプトをついカッとなってつくったりもした。なつかしい。ちょっと恥ずかしくもある。
「大学院を卒業したら、どうすっかな〜」なんて、あんまり真面目に考えてはいなかったのだけれど、それでも漠然と考えずにはいられなかったころ、ゆーすけべー先輩は、ぼくのロールモデルであった。もうちょっと具体的にいうと「ひとりでつくれる人になりたい」と思っていたのだ。
その頃はまだ、各種ウェブアプリケーションフレームワークも未成熟で、ふりかえってみて驚くけれど PaaS という概念もなくて、思い付いたものをつくって公開するのが、2012年現在の5倍から10倍くらい大変だったと思う。ちょっとしたものでも「週末にひとりでウェブサービスをつくりました」ってだけで話題になった。誠 Biz.ID:田口元の「ひとりで作るネットサービス」探訪なんてシリーズもなつかしい。
そんな中で、ゆーすけべー先輩は輝いて見えていた。企画から設計、実装、運用までをひとりでこなせるなんて、すごい。そうやって生きていけるなんて、かっこいい。ぼくは、ゆーすけべー先輩みたいになりたかった。
ただの思い出話になっちゃうけれど「Plagger」がすごく流行っていた。「それ、ソニープラザで買えるよ!」を略して「ソニプラ」って言ったりもしていた。余談だ。
上京してから
どういう流れでそうなったのか覚えていないのだけれど、ゆーすけべーさんたちと一緒に富士山に登った。
この写真は B’z っぽくて、すごく気に入っています。
山頂で食べたチップスターはおいしかった。
本書を読んで
きっとぼくが、この6年間のゆーすけべー先輩の活動をちょくちょくウォッチしていたからでしょう、知らないことは、ほとんど書いていなかった。技術的なことに関しても、読んでいて「わからない」箇所はなかった。
6年前のぼくが憧れていた姿は、たぶんもうここにはなくて、先輩は「まだ本には書かれていない」場所にたどりついていて、もしぼくが目指すとしたらそっちなのだなぁ、という気持ちになりました。
というわけで、ぐだぐだ言っていないで、今からコードを書こうと思います。1981の忘年会、楽しそう。
(追記) コードを書こうと思ったけれど、1981の忘年会に行くことになった。
@june29 渋谷来いよ!!
— Yusuke Wada (@yusukebe) December 8, 2012