Socialtunesの友達のチェックアイテム経由で知って読みました.
著者の神田敏晶さんはビデオジャーナリストという肩書きで活動している方で,独特の視点が面白かったです.YouTubeが既存の仕組みに与える影響をジャーナリストとして論じる一方で,YouTubeの熱狂的なユーザとしての面も見えます.
前半から中盤にかけては,YouTubeのこれまでと現状について書かれていました.特に面白かったのは「第六章 ユーチューブ後の世界」で,これから訪れるであろう世界について書かれています.
他人に教えたくなる映像とは、画質や音質などの品質クオリティではなく、笑いのツボや空気感を伝えているものであるから人を魅了する。そして、見る側もますますレアでニッチな映像を検索するようになるのだ。
P.165 第六章 ユーチューブ後の世界 「所有から共有/消費から再生産へ」
ユーチューブで流行している現象を注意深く観察していると、一つの法則性があることに気付く。それは、小学校の休み時間。ベーゴマ、メンコ、カーケシゴム、こっくりさん等々……。特にテレビで流行っていたりするわけでもない小さな遊びを、誰かがなんとなく始めると、ほかのクラスでも話題になり、やがて学校中の流行になっていくという、あの感じだ。
(中略)
つまり、ユーチューブの世界観は、世界のユーザーが、小学校の一つのクラスに集められたかのように、世界中にネットワークされているところに意味があるのかもしれない。P.167-P.168 第六章 ユーチューブ後の世界 「世界が一つの教室になる日」
コンテンツ提供者側は「競争」から「共創」へシフトするであろうこと,また,ユーザのコンテンツに対する意識は「所有」から「共有」へ,「消費」から「再生産」へ変化するであろうこと,その通りだと思いますし,実際にもう変化は起きているでしょう.そしてこれらの変化は,映像に限ったものではないという実感があります.もっと広い意味でのメディア,コンテンツにも当てはまると思います.
最後にボクが個人的にものすごく気になった部分をピックアップします.
そこで重要になってくるのが「ノイズ(雑音)」である。「ユーチューブ革命」後のマスメディアの生き残る道は、情報の偏食を防ぐためにいろんなノイズを提供し続けることだろう。ユーザーが自分では絶対に選ばない、検索しない、見つけられない情報を大量に提供することにマスメディアの意義が存在する。
P.177 第六章 ユーチューブ後の世界 「個人メディアのロングテール」
ボクは「偶然の発見」がWebについて議論するときに取り上げるべき重要なテーマのひとつだと考えています.先に紹介した小学校の例に便乗するとすれば「学校帰りの寄り道が楽しい」といった心理でしょうか.「ノイズ」と聞くとネガティブなイメージを抱く場合が多いと思いますが,何事においてもある程度のランダムさは残すべきです.自分から積極的に「これ!」と思って選ぶものは間違いなく偏ります.たまには周りの人に合わせて「じゃあ,それ」と選んでみたりすることって,けっこう大事なことでしょう.でもそれが「マスメディアの役割」だっていう発想はなかったな. …ここから先を続けると本当に長くなってしまいそうなので,この話題は新たにエントリをあげてそちらで語ります.