能動的消費,積極的選択が多い領域においては,需要は細分化する.「もっとこういうのがほしい」って声が絶えない.
例えば Firefox を使っていて,Greasemonkey も常用しているようなユーザのほとんどは,積極的にカスタマイズに精を出す人だと思うけど,こういう人たちに「絶対これがいい」という共通のものはなかなかない.人それぞれ,求めるものが少しずつ違ってくる.
一方,標準状態の IE を特に不満に感じることもなく使うユーザにとっては,とりあえずの機能が揃っていればそれでいいわけだ.
両者の需要の内情ってのは全く異なっていて,それに合わせて,供給の仕組みも違うのが面白い.Firefox,Greasemonkey に関しては,拡張機能・ユーザスクリプトという作成から供給までを担う仕組みがよく整備されている.これはソフトウェアのようにコピー,伝搬,模倣可能な性質を持つから,こうなるんだな.需要の細分化に伴って,供給も細分化される.最小単位では,自分自身の需要に,自分自身の供給で応えることができる.
ハードウェアまで絡んじゃうと,簡単に俺々カスタマイズってわけにもいかない.設備だったり材料だったりといったリソースが必要になるから,どうしても細かい需要までは満たされない.
先述のブラウザ以外の例では,音楽や映像コンテンツも同じだろうか.「大衆向けのTVはつまらないから見ないけど,ニコニコ動画にアップされた動画は面白い」なんて声はよく聞こえてくる.やはりこれも,製作ツールのコモディティ化,流通経路の整備,などの点で Firefox と似た状況と言える.
繰り返しになるが,リソースが必要なものに関しては,企業のようにパワーを持ったところが一括で供給を担うしかないのが現状だと思う.
友達のために歌を作ってみんなで歌う,恋人のために絵を描く.そんなアーティスティックな行為と同様に,もっともっと多くの分野のあらゆるものが,カジュアルに生み出されるものになっていけばいいな.友達が感じているちょっとした不便を解決するためのプログラムは,書いていて楽しいものだ.人の手で創られるものすべてが,世界シェアの No.1 を目指すとか,そんな高い目標を持たなくたっていい.
大きな需要を満たすように,万人受けするように作られているものは,自分のために作られている感じがしないし,作り手の顔が想像できないから,ついつい「使えねーな」とか,キツイ言葉を吐いてしまいがちになる.作る側も,使う側の顔が想像できないから,きっと,完成図をイメージするのが難しいと思うんだ.これは悲しいこと.
今の Web のように,作る人と使う人がほどよい距離感にあって,小さい需要も小さい供給で満たされていくような,そんな仕組みが整った世界を夢見ている.