Simon Sinek: How great leaders inspire action | Video on TED.com<
このトークがとっても刺激的で面白かったので、これを聴いて感じたことをメモしておきます。
(日本語の字幕付きです)
「Why」「How」「What」
彼は、物事を説明するときに「What、How、Why」の順番 (上の図でいうと、外側から内側へ) でお話するのはよくない、と論じています。大事なのは中心にある「Why」である、と。「これは、私の意見ではなく、生物学がそう言っている。心理学でもなく、生物学が」と強調しているのがとても面白かった。どういうことなの、と思った方はトークを聴いてみてください。具体例もあって、分かりやすい内容です。
この「Why、How、What」の3層構造のお話と、例となるエピソードを聴いて。自分は、あることを思い返していました。それは、ある町の駅前通りに掲げられた「暴力追放」の文字です。人の目につく、大きな看板に、大きな文字で、その4文字が書いてありました。
自分は、それを見て、なんだか悲しい気持ちになったのですね。こんな平和な町の、駅前の、人がよく通る場所に、「暴力」だなんていう、平和を遠去けるような意味の、平和を脅かしてしまいそうな字面の言葉が、どうして掲げられなきゃいけないんだ。いやいや、後ろに「追放」と続いているのは知っていますよ。その、忌むべき対象を「追放」するための運動だってこと、頭では理解できていますよ。
そうそう、これはきっと「What」を全面に押し出した看板なのでしょう。「なにをするのか」に対して「暴力を追放する」を示した看板なのでしょう。だけれども、Simon Sinek の主張に共感して言うのならば、ここには「Why」が掲げられるべきです。住人のみんなは「暴力を追放したい」のではなくて「平和に暮らしたい」のではないでしょうか。もし「あなたは暴力を追放したいですか」なんてアンケートがあったとしたら、そいつはもはや暴力的だと思います。
本当に「暴力」をなくしたいのならば、その2文字を一切つかわずにやるべきことを話し合う、というワークショップでもやってみたらどうかしら。
明文化しやすいのは「What」
これもトークの中で言われていることで、明文化しやすいのは「What」です。「Why」に比べると圧倒的に明文化しやすい。
ぼくは、いくつかのコミュニティの運営に関わっているのですが、いわゆる「開催ノウハウ」的なものを明文化するのには、少し反対しています。反対しているというか、懸念があって、あまり積極的に取り組めずにいます。
なぜかというと、開催ノウハウみたいなものを書くとき、油断すると「What」ばかり書いてしまうのですよね。「これをやりました」「これもやりました」「それもやりました」と書くのは、簡単です。やったことは、列挙しやすいです。一方で「Why」を書くのは、とてもとても大変です。どんなことを考えて「How」や「What」に落としていったのか。想いを巡らせている時間は長く、思考は行ったりきたりするし、自分が考えていたことを順番に思い出すことさえ、ままなりません。それを人に伝えられる形で書くなんて、想像もつかないくらい大変な作業だと感じます。
そうして「What」だけを書き出してしまうと、肝心な「Why」が抜けるんですよね。まるで「これをやれば必ずうまくいく」みたいな「What」のリストに見えてしまったとしても、それは大きな誤解です。問題なきところに、解決策なし。
今のところの考えとして、自分が「Why」を誰かに伝えるには、短くない時間を一緒に過ごし、同じ問題と向き合い、一緒に考えていくしかないんじゃないかなぁと、思っています。少なくとも「文章だけ」で伝えるのは不可能だと感じていて、大事なお話のときほど、文章ではないモノを通じて、伝えるようにします。これも、Simon Sinek のトークの内容と矛盾しません。
余談
こういうかっこいい「トーク」を見ていると、自分も「プレゼンテーション」じゃなくて「トーク」をしたいなって思ってしまいます。身体の外に用意してきたものをお披露目するのではなく、自分の内にあるものを伝えるために、話す。発表資料とか呼ばれるものは、内にあるものを伝える補助装置として活用するに留める。
これもきっと、トークの中に出てきた生物学のお話で説明できるんじゃないかな。
来週末も、ありがたい登壇の機会があるので、自分のトークをできるように、がんばってみようと思います。意気込みジューブン!
まとめ
Simon Sinek の How great leaders inspire action を聴きました。生物学の観点から、物事について話すときは「Why、How、What」の順番がよい、という主張に共感しました。身のまわりの例を持ってきて、その主張をどう捉えるべきか、考えてみました。自分が誰かに何かを伝えるときに、ちゃんと「Why」を伝えられているだろうかって、あらためて考えました。
彼の主張の体現になっている「彼のトーク」はとてもかっこいいので、自分もあんなふうにトークしてみたいなって思いました。