#june29jp

転校生マインド

2012-12-12

ぼくは小学校中学校時代に転校を繰り返していたので、コンテキストなんてものは「たまたま」の産物であることを体験として知っている。自分が「自分のキャラだ」と思っているものも、転校というイベントによって、あっという間に覆されることもあるからだ。

あるときの転校では、ぼくと同時期に転校してきた子がいた。仮に、ぼくをJ組、その子をK組としよう。

ぼくは「J組に受け入れられた」形になった。みんな、優しくしてくれて、不当な扱いを受けることもなく、仲の良い友人が何人もできた。多くの人は、ぼくを「くん」付けで呼んだ。

一方で、K組の転校生は、別にイジメだとか言って騒ぐほどのものでもないのだけれど、いじられキャラが定着し、名字の呼び捨てで叫ばれるような、K組の中でそんなポジションになっていた。

これは「たまたま」だと思った。転校先のクラスが違っていれば、ぼくのポジションも、彼のポジションも、ぜんぜん違うものになっていたとしてもおかしくはない。ぼくのJ組の友人の幼馴染が、K組にいた。その子もぼくをずいぶんと慕ってくれたけれど、ぼくの転校先がK組だったら、この関係はなかったかもしれない、なんて冷静に思うときもあった。

人の評価やポジションなんて、相対的なものだ。コンテキストが変われば、そこに乗っかるコンテンツの意味も変わる。

だからぼくは、少しだけれど、コンテキストを疑う癖みたいなものがあって、ある集団の中でたまたまおいしいポジションに落ち着いたとしても、それが「自分の力によってそうなっている」とは、あんまり思えないのだ。ヌッケにされてボッチになった経験もあるしね。

また、現状がよくない感じになってしまったら、そのコンテキストが存在しない場所に移ってしまえばいい、なんて楽観的な考えも持っている。

ときに、コンテキストをひとつしか持っていないんじゃないかな?という人を見ると、心配になることがある。試しにコンテキストを変えてみると、もっと別の考え方に気付けたりもするから、ふたつ以上のコンテキストの上に身を置くことをおすすめしたい。

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