2013年3月16日(土)、大江戸Ruby会議03に参加してきました。
大江戸Ruby会議01に参加してきたと書いたのが、2011年4月のこと。あれから約2年を経ての、今回の03でした。参加できて本当によかった。
終わったあとに、ああ、そうか、これは生活発表会だったんだな、と気が付いて。おふたりのトークは、普段の生活のことを話してくれていたんだな、と思うと、妙にしっくりきました。「今日の発表のために一生懸命に準備してきました!」って構えた感じじゃなく、いつもこういうことを考えているんですよー、という感じで聞けたのがとてもよかった。
01のときにも「これは生活発表会であって、そこがすごくよかった」と書いていて、今回もまったく同じことを思いました。
地続き感
大江戸Ruby会議03に参加した自分の感想を一言で表すならば、「圧倒的な地続き感を得た」になるでしょうか。会期全体を心地良く楽しんだ中でも、特に @a_matsuda さんと @nari3 さんのトークがズバァンときた。
- Asakusa.rb vs. the World // Speaker Deck by @a_matsuda さん
- 桐島、Rubyやめるってよ #odrk03 – I am Cruby! by @nari3 さん
ぼくからすると、おふたりとも「どうやって、あのような偉業を成すのだろう」と漠然とした気持ちを向けてしまう対象なのだけれども、今回のトークを聴いて、自分が立っている場所から彼らが立っている場所まで、同じ大地の上で道はつながっているのだと感じた。
@a_matsuda さんの、Rails への最初のコミットのお話。「Git の使い方がよくわかっていなくて」と話してくれたのは、約5年前のエピソード。「Rails コミッタへと通じた道」とでもいうべき発表の前半のエピソードと、後半の、Asakusa.rb や @a_matsuda さんのスタンスとポジションのお話。最初は小さな一歩だったのだなぁと思い、リアリティを感じて楽しかった。タイトルの「Asakusa.rb vs. the World」は、本当にその通りなのだなぁ。
@nari3 さんの、珍しくコードが出てこないトーク。「なぜコードを書くのか?」という問いを、桐島に乗せて。要所要所に、@nari3 先輩の「こじらせている感じ」が出ていて、最初から最後まで笑いっぱなしで聴いていた。1秒足りとも意識を逸らしたくなくて、気付けば夢中になって @nari3 さんの声と表情を拾っていた。誰かが「GC芸人」という文字列を出力しているのを見かけたけれど、なるほど、アルファベット2文字で笑いを取りにくるのはズルいですね!ぼくも、特殊記号1文字で笑いを取れるくらいになりたいです。
日々、どんな気持ちで、どんなふうにして、プログラミングと向き合いながら「世界」と向き合っているのか。おふたりのトークから、そんな内容を聞き取りました。
そしてどちらのトークも、踏み出すべき次の一歩としては「コードを書こう」と言っていて、あまりにも明確で、具体的で、ありがたかったです。そうだ、コードを書けばいいんだ。もっとコードを書きたいと思った。
生活発表会
いい生活発表会をつくるには、他でもなく、毎日の「生活」を意識的に過ごすしかないのだなあ。
「トークのスキルあるでしょ、なのでトークをお願いします」って頼まれるんじゃなくて、「いつもやっているあれ、おもしろそうだから、みんなにも聞かせてくださいよ」と頼まれるような。
桐島、部活やめるってよ
まず最初に謝罪から。
今回の発表で『桐島』に興味をもってくれた人がけっこう居て、やってよかったなあと思いました。
おまえらタイトル大喜利ばっかやってんじゃなくて、まずは観ろ。
映画を見ていないのにタイトル文字列で遊んだりしていてすみませんでしたッ!(これとか)
@nari3 先輩のトークがあまりにもあまりにもだったので、視聴者プレゼントの DVD をゲットするべく懇親会で突撃した。結果からいうと、じゃんけんに敗れて @makimoto さんの手に渡ったのだけれど、その @makimoto さんから DVD を借りて、帰宅してから観た。
ぼくは自室で DVD を観るとき、同じものを1週間くらいはリピートで再生しまくる習性があって、作業中の BGM (背景動画) として流し続けて、現時点で6桐島を巡ったくらいの世界にいる。
1周目は「学校ってこんなに残酷だったっけか……」という気持ちが溢れてきて、ちょっとつらくなって、ストーリーがあんまり頭に入ってこなかった。高校っていう空間だったり、そこでの主役である高校生たちが形成する集団においては、評価の軸の数ってのが本当に少ないんだろうなぁ。「運動神経」とか「頭の良さ」とか「おもしろさ」とか、評価がそういうところに収束してしまっていて、その他の軸でどれだけ光るモノを持っていたとしても、評価される機会がないというか。
2周目は、1周目よりもだいぶ落ち着いて観ることができて、「あっ、ここの台詞ってこう言っていたのか」ときちんと聞き取れたりもして、ようやく一通りを楽しむことができた。
3周目には、作中のキャラクタたちの、細かい言いまわしや仕草を楽しめるようになった。また、個々のストーリーの絡み合いにも気付くようになり、序盤のシーンを見ていても「終盤のあそこにつながるのか」と感じたりしながら、舞台を立体的に捉えられるようになった。本格的に楽しい。
一度、映像特典ディスクに収録されている「ビジュアルコメンタリー」と「フェイクインタビュー」を観ると、さらに2段階くらい細かいところに目が向くようになり、骨までしゃぶりつくして味わう感じになった。ちなみに、ビジュアルコメンタリーの男子が悪ふざけしまくっている感じは大好物だった。
桐島の感想
もう学校という空間から縁遠くなってしまった今の自分がこれを観ることができて、すごくよかった。ともすれば、在学中には「チェッ、あの人たちはいいな」って短絡的に思っていたかもしれないある種の感情を、掘り起こして見つめ直すキッカケになる。
もう大昔のことだから、当時の自分の感情をはっきりと思い出せるわけではないけれど、視野が狭いばかりに短絡的だったのかな、とか、ある面では残酷だったのかな、とか、それでもやっぱりその世界の中で生きていくために必死だったんだろうな、とか、考えた。
ストーリーの中にも、キャラクタたちに対する評価の軸があって、憧れの対象になる人と蔑みの対象になる人と、それぞれいて。だけれども、彼ら彼女らの教室の中には、ストーリーにいっさい絡んでこない、いわゆる「エキストラ」な人たちもいる。むしろ、そういう人たちの方が多い。そのエキストラの人たちの中からひとりを選んで、その人の目線でストーリーを展開したら、またぜんぜん違うふうに景色が描かれるのだろう。
だから、誰かの中で高く評価されていようと、また別の誰かの中で低く評価されていようと、結局は自分目線で自分の生活を楽しんでいくしかなくて、今もし「もっとコードを書きたい」って感じているのなら、コードを書けばいいんだろうね。
@a_matsuda さんが言っていたように、ここは、多様性が認められ、多様性が求められる世界だ。自分で自分の軸を見つけて、発表するしないに関わらず、生活を続けていこう。
まとめ
@nari3 先輩の策略にハマって、大江戸Ruby会議03のエントリなんだか、桐島のエントリなんだかわからなくなってきたけれど、ぼくにとっては一続きの物語になっていて、どちらともなくおもしろかった。
大江戸Ruby会議03、なんとなしにチケットを買って、当日の朝に起きてふらっと電車に乗って会場に向かって、「よーし、参加するぞー!!!」みたいな前のめりなテンションもなく、ふつうに「楽しみだな〜」くらいの気持ち参加したのだけれど、こんなお気軽に圧倒的に密度の高い日を過ごすことができて、なにかが異常なのでは?と感じた。ここ2年くらいで、Rubyist たちが集まるコミュニティとか、そのイベントとか、どんどん練度が上がっている感じがする。わからない。ぼくが変化することによって、見え方が変わっているだけなのかもしれない。
繰り返し参加していると、親戚の集まり的な面もあって、久しぶりにお会いする人たちとご挨拶できるのも、やっぱりうれしかった。
まつだ先輩の娘さんがいつの間にか4歳になっていてますますかわいすぎてやばい
— ✅ 大和田純 公式アカウント (@june29) March 16, 2013
楽しい時間をくれた、運営チームのみなさん、発表者のみなさん、参加者のみなさん、どうもありがとうございました!