年明け早々に話題になっているのを見かけ、ちょっと気になっていました。興味のある人は、Amazon の書籍ページなどの書籍紹介にも載っている簡単なクイズに挑戦してみるといいんじゃないでしょうか。ぼくは、このクイズに挑んでまんまと「おお〜」と思わされてしまったのと、目次を見て第 1 章のタイトルが「分断本能」だということがわかった時点で「読もう」と思って買いました。
FACTFULNESS(ファクトフルネス)10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣
読んでよかったな〜と思います。おもしろかった。2019 年 1 月 8 日に購入して、19 日くらいに読み終えたくらいの読書ペースでした。
ふと思い出した、ぼくにとってのファクトフルネスとの出会い
書籍を半分くらいまで読み進めたときに、ふと唐突に思い出したのが、大学生の頃にそれっぽいエピソードがあったよな〜ということでした。もう 10 年以上も前のことで明確な記録も残っていないのですが、ぼくは大学生のときに下記の記事を読んで「事実確認はめっちゃ大事だな」と思ったはずなのです。
なぜ人々は「少年による凶悪犯罪が増えている」という間違った情報を鵜呑みにしているのか? - Munchener Brucke
もしかしたらこの記事じゃなくて似ている別の記事かもしれないけれど、なんとなくグラフに見覚えもあるし、たぶんコレ。それで、ある日、同級生とふたりでランチしているときに同級生が世間話としてなにげなく言った「最近は物騒な事件も増えているしね〜」的な発言に「それ、本当に増えているの?」みたいな反応をして、微妙な空気になったような覚えがあるのです。
ザ・ファクトフルネスって感じのエピソードですね。
読書メモ
何も知らないというより、みんなが同じ勘違いをしているといったほうが近いかもしれない。世界について本当に何も知らなければ、クイズの正解率は、当てずっぽうに答えた場合と近くなるはず。しかし実際の正解率は、それよりずっと低い。 仮に、このクイズを動物園のチンパンジーに出したとしよう。まず、A・B・Cのいずれかが書かれた大量のバナナを用意し、囲いの中に放り込む。わたしは囲いの外からクイズの問題文を大声で読み上げる。チンパンジーが最初に選んだバナナの文字が答えというわけだ。 もちろん実際にはやらないが、想像してみてほしい。チンパンジーの正解率は 33%に近くなる。つまり 12 問中、だいたい4問正解する。先ほど書いた通り、人間の平均点は 12 問中2問正解だった。チンパンジーは適当にバナナを拾うだけで、高学歴の人たちに勝てる。
書籍の中でずっと活躍してくれるチンパンジーたち。チンパンジーのおかげで読み口がコミカルになっていて雰囲気がよい。
ここに書かれている通り、ぼくたちは先入観や偏見や古い認識のせいで「何も知らない」よりも悪い状態にあるのだ、ということを繰り返し突き付けられるところから読書は始まっていく。「私、今のままじゃマズそう」と思わされて刺激的ですね。
自分の殻に閉じこもるよりも、正しくありたいと思う人へ。世界の見方を変える準備ができた人へ。感情的な考え方をやめ、論理的な考え方を身につけたいと思う人へ。謙虚で好奇心旺盛な人へ。驚きを求めている人へ。ぜひとも、ページをめくってみてほしい。
口車に乗せられてページをどんどんめくっていくことになりました。
そして現在、「子供から大人になる人の数」は、再び一定になった。しかし、昔とは事情がまったく違う。親は子供を平均2人つくり、2人とも大人になることができる。すばらしいことだ。人類史上初めて、人は自然と調和しながら生きられるようになった。
ここも認識に対するカウンターパンチっぽくておもしろかったです。自然との調和に関するひとつの味方。たしか「サピエンス全史」には、人間は自然をひたすら破壊しながら今日まできていて、調和して暮らしていた時期なんかない、っぽいことが書いてあった気がする。
いまでもアジアを旅すると、祖父のグスタフのような頑固オヤジに出会う。たとえば、韓国や日本では妻が夫の両親を世話するのがあたりまえだし、子供の世話も1から 10 まで母親がするものとされている。そんな習慣を「アジア男児の流儀」だと言って、堂々と自慢する男性もたくさんいる。
書籍を頭からお尻まで読んだ中で、いちばん「ファクトーーー!!!」となったのがこの箇所でした。少なくとも 2019 年のぼくはこれを「ファクトだ」と言い張るのは難しいな、という感触です。ハンス・ロスリングさんには、アジアもますます変わってきているよ、と伝えていきたいところです。
まとめ
ファクトフルネスを題に掲げている書籍だけあって、ファクト (事実) に対する言及は一貫して慎重な立ち位置でいるところがおもしろいな〜と感じました。雰囲気でしゃべっている箇所が見当たらない、というか。一方で、物事の「よさ」「わるさ」については前提の説明もなく断定調なのが特徴的だな〜とも感じました。客観的なデータをふんだんに示しつつ、そうして「世界はよくなっている」と語るときの「よさ」は極めて主観的なように思えます。ぼくはというと、善し悪しについてすら慎重で、著者よりも一歩か二歩かさらに引いているような視点なのかもな、と自覚しました。よい世界ってなんだろう、と考えたときに、ハンス・ロスリングさんたちには明確なヴィジョンがあって、ぼくにはそれがないということなのかもしれません。
目次にも並んでいる 10 の本能がもたらす先入観や偏見は、とても怖いと思います。また同時に、チャンスだとも思いました。多くの人々がふつうに歩いていたら落ちる落とし穴があるとしても、穴があると気付いた人々には回避するチャンスが与えられるわけですもんね。不安や恐怖に必要以上に惑わされずに済むように、ファクトを見出す目を養っていきたいものです。
自分向けへのメモとしては、ずばり訳者あとがきにある通り「自分自身を批判的に見る力を養うこと」「過ちに気付いたらそれを認めて許せる雰囲気をつくること」に尽きます。これは家族と過ごす時間においても、お仕事の時間においても、自分自身と向き合うときにも助けになってくれる視点だと思うからです。