#june29jp

書籍「福岡市を経営する」を読みました

2019-10-13

2019 年 9 月 30 日 (月) に読み始めて、翌 10 月 1 日 (火) に読み終わりました。とても読みやすかったですし、最初から最後まで「おもしろい〜!」と思いながら勢いよく読んでしまいました。読書メモを残しておきます。

高島宗一郎さんは 1974 年 11 月 1 日生まれで、この文章を書いている現在は 44 歳。福岡市長になったのは 36 歳のときです。

高島宗一郎 - Wikipedia

ぼくは今年 36 歳になったところなので、高島さんが市長になったときの年齢と同じ。これは感情移入の入口として活用するにはぴったりだな、と思いました。自分や、あるいは同級生が市長になるとしたらどんな感じかなあ、と想像しながら読み始めました。また、ぼくの勤務先であるペパボは福岡市で創業した会社であり、今も福岡市にオフィスがあり、福岡オフィス勤務の同僚たちからは「福岡いいよ〜」とたくさんお話を聞かせてもらっています。福岡に興味を持つのは自然なことでした。

まとめ

(思いの外、読書メモが長くなってしまったので先にまとめを置いておきます)

東京に住んでいると「日本」という単位で物事を考えがちだなあ、と思います。そして、とても残念なことに日本という単位で考えるとぼくはテンションを下げてしまうことが多い最近を過ごしていました。ぼくにとって未知のゾーンとなる「人口減少時代」に差し掛かり、これまで以上にスマートにやっていかなきゃな〜と思ってはいるものの、ハンコを大事にしようとしたりイートイン脱税という新たな地獄を人の手によって生み出したり、なんで意味不明なお仕事が増えるのよ〜〜〜と嘆きたくなるテンションだったんですよ。悲しいですね。

ただまあ、落ち込んでいてもなんにもならんので、意識的に明るいことを考えようと思いまして。福岡市、調子がいいみたいじゃないですか。みんな「福岡いいよ〜」って言うけど、なにがそんなにいいのかしら、って。本屋さんに寄ったときにたまたま見かけたから、福岡市の市長だっていう高島さんの本を読んでみました。

読んでよかった!高島さん、ありがとうございます。明るい未来に向けてがんばっていこうって思えました。人生で初めて「政令指定都市」について真面目に考えたと思います。福岡市以外の政令指定都市についても、その取り組みについて調べてみるつもりです。まずはぼくにとって身近な札幌市を題材にするといいかな。

日本という大きな単位で考えてウームとなるの、プログラマらしからぬ悪い向き合い方で、大きすぎるものはモジュールに分割して向き合ったらよかったですね。都市のレベルまで分解して考えて、ひとつひとつの都市を楽しくしていったら結果的に日本もいい感じになりそうだなって思いました。

「能力」があって「しがらみ」がない。そういうリーダーがいると、そのときそのときの最善に近い手をちゃんと打っていけるんだな。日本中にそんなリーダーが増えていくといいなって願っています。

福岡市を経営する

福岡市を経営する

読書メモ

国際会議の開催件数は、全国の政令指定都市の中で1位。

おっ、2019 年のデータには RubyKaigi 2019 もカウントされることになりそうだな。身近な話題に感じられて便利。

出馬が決まった直後、ある知らない議員に「あいさつに来い」と言われました。激励をしていただけるのかと思いきや、部屋に入るやいなやお金を要求されたのです。「選挙活動費だ」と言います。私は「お金がなくてもボランティアのみなさんと協力してがんばるので大丈夫です」と答えました。すると、その議員は笑いながらこんなことを言うのです。「金をもらわなくて動く議員など、いるわけがないだろう」そして、手を広げながら続けます。「5000万円はいる。自分がうまく配る。まずは家を売ってこい。退職金はいくらなんだ?」これが政治家なのかと唖然としました。そんな議員に応援されるくらいなら自分ひとりで戦いたいと思いました。想像していたとおりの政治の「負」の側面を凝縮したような時間でした。

ここでめちゃ笑ってしまった。どうやったら人間はここまでダサい台詞を言えるようになるのかな〜と思いながら読みました。

「市長になることが目的ではなくて、それを手段として何をやりてえかってところが大事なんであって……それでおめえは、市長になって何がやりてえんだ?」私は「福岡をアジアのリーダー都市にしたいんです」と私が目指す福岡市のビジョンを訴えました。すると麻生先生は、「ほお、おもしれえ。俺はこれまで政治家のハッタリやホラをたくさん聞いてきたが、おめえみてえな大きなホラを聞いたのははじめてだ」そう言って、それまでの厳しい表情から一転して、満面の笑みを見せてくれました。「よし、応援するからがんばれ!」と言って、その後は若い20代や30代の応援スタッフとも気さくに写真撮影をしてくださり、選挙活動が始まると実際に37ヵ所もの街頭で一緒に演説をしてくださいました。

脳内再生余裕な麻生太郎さんの台詞であった。麻生さんのかっこいい一面。

(誤解なきよう明記しますが、麻生先生と先に登場したお金を要求した議員とはまったくの別人です)

この括弧書きの注釈はおもしろすぎるでしょ。ちょっと麻生太郎さんをいじっている感がある。

会合に行けば、みんなの前であえて年齢を聞かれることも頻繁にありました。「市長おいくつですか?」「36です」「え?うちの息子と一緒だ。若いっていうのは一直線でいいですね。はっはっは」と。暗に「私はあなたのことは自分の子どもぐらいにしか思っていないよ」とマウンティングされるわけです。もちろん、不快感を顔に出すわけにはいきません。こちらも笑顔で返しますが、あらゆる祝賀会や式典などで同じような厳しい修行を経験しました。

市長の自伝の中で「マウンティングされる」っていう表現を見ることになるとはなあ。年齢でマウントを取ってくる人は年齢以外に誇れるものがないのだろうか。不思議。

誤解のないように申し上げますが、もちろん一人ひとりの意見は大切です。ただ、ひとり残らず賛成していただくことは、現実的には難しいのです。「全員をよくする」のは極めて難しい。ですから「全員をよくする」というよりは「全体をよくする」ことを考える必要があるのです。

この整理めっちゃいいなあ。合議についてよく考えられていて感心してしまった。

福岡市を考えていくうえで「全体」をよくしていく、ということを考えているのです。市長になって8年が経ちましたが、この「全体をよくする」という大義が私の行動の支えでしたし、常にこの大義を高く心の中に掲げることで、さまざまな意見にいたずらに振り回されず、精神の安定が保たれたと思っています。

これからもぜひ、心身ともに健康にがんばってほしいな。

「誰に時間を使うか」は政治家にとって大変重要な問題です。私が経験豊富な大企業の幹部と会っても、その方の人生が変わるということは、ほぼないでしょう。一方で、リスクをとってチャレンジしている若い人たちには「世の中を変えたい」「なんとかしたい」という、ほとばしる情熱があります。「新しい技術や商品、ビジネスモデルで世の中を変えていくんだ」という熱い思いはあるけれど、経験や実績、販路、資金などは持っていない。社会的な信頼もない。そういう若い人たちに私が時間を使うことが、彼らにとって大きな心の支えになるのではないかと思うのです。もちろん、私自身、若い人たちから学ぶことも多々あります。

大企業の重鎮と会うことに時間を使うより、やっていきのある若者と会うことを優先しているというお話。めっちゃいい。考え方に共感した。

コメント欄を見るポイントは、あくまで、流し見で、薄目で、ふわっと見ること。一つひとつにとらわれるというより、あらかたの雰囲気と真ん中をつかむことが重要です。全体の雰囲気をつかむ、市民や国民がどう考えているかをざっくりつかむというのは、市政を進めていくうえで、大変参考になります。

ニュースメディアのコメント欄に目を通している、というお話。これも「なるほどな〜」と思った。

有事の際に必要なスピード感のある判断には大きな責任がともないます。ですから、一定のご批判も飲み込む覚悟のうえで、責任をとれる政治家が迅速に決断することが不可欠なのです。有事には「トップダウン」のリーダーシップ、そして平時には、関係各所の意見をしっかりうかがって進める「ボトムアップ」といった使い分けが大切なのです。

これも共感。なんだろうな、全体的に「せやな」と共感できることが多くて安心する。共有できそうな価値観がたくさんあるなぁと驚く。逆に言えば、市長のような立場の人と価値観を共有するのを無意識にあきらめていたのかもしれない、と思った。どこかで「どうせあいつらにはわからんよ」と思ってしまっていたのかもしれない…。

もちろん福岡市もふだんから市民サービス向上のために不断の努力はしています。しかし受け身ではなく、既成概念にとらわれずに能動的に動くという点において、福岡市が国家戦略特区に選ばれたことは、意識改革の大きなきっかけになりました。国のせいにできなくなったのです。変えたほうがいい規制ならば、規制緩和の提案をする権利があるのです。

逆に言うと、できない理由を並べ立てるという言い訳が使えなくなった。提案をするというのはとてもクリエイティブです。特区制度は福岡市の職員に「福岡市では、市民のためなら法律などの既成の仕組みをも超えて企画を提案していいんだ」というコペルニクス的マインドセットをもたらしました。特区制度の活用は、職員の意識の変革という点でも、貴重な副産物を生むことになったのです。

おお、これも自分の中に思い込みがあったのをゴメンナサイしたい気持ち…。軽々しく「お役所仕事」と言うべきではないな、と思った。福岡市の職員のみなさんは自分の頭で考えて動いているのだ。そしてきっと、他の多くの自治体にもそういう頼もしい人々がいるのだろう、と想像した。

まず大切なことは、スピーディーかつ積極的に有事対応をすること。そのために災害発生後すぐに災害対策本部を設置して「今は有事で、人を助けるためならできることはなんでもしていい。スピードが大切だから、行政手続きなどでも絶対に平時と同じ対応をしてはならない」という私の方針を幹部職員に明確に指示します。 視覚的にも、職員の意識を切り替えるために防災服に着替えます。

この「平時から有事へ」の対応モードの切り替えはトップにしかできないことですから、全職員に対してモードの切り替えを明確に示すことは絶対に必要です。そうでなければ想定外の事態を目の前にして、一般職員が独自の判断で、場合によっては超法規的に対応することなどできないからです。

ここで熊本地震のときの事例紹介。防災服に着替えるのは「モードの切り替えを明示するため」という明快な理由で。気持ちがいい。「組織のトップの役割はこう!」という確固たる考えをお持ちなのだなあ。読んでいて気持ちがいい。

この Facebook の投稿は、書籍においてもスクリーンショットで紹介されていたやつ。旧大名小学校を支援物資を集める拠点にして、教室ごとに「毛布」とか「タオル」とかを分けて集める。福岡市の職員を各避難所に配置して、現地でニーズを確認し、それを共有して集約する。詳細はぜひ書籍を読んでもらうとして、とにかく「支援物資を届けるシステムをまっとうに設計した」という印象だった。日本中で見習いたいやり方。支援を受ける人と支援をしたい人を上手なシステムでマッチングしてあげれば、支援のミスマッチが起きず、誰も悪者にならずに済むのだなあ。

この支援のお話は 2016 年の事例なのだけれど、ぼくはぜんぜん知らなかったのでこの書籍で知れてよかった。めっちゃいいので第 4 章まで読んでみるのおすすめ。

ちなみに福岡市は、このようなテクノロジーを支えるエンジニアに注目しています。そして2018年に「エンジニアフレンドリーシティ福岡(Engineer Friendly City Fukuoka)」宣言を行ない、優秀なエンジニアが集まり、活躍し、成長できる取り組みを、行政とエンジニアで一緒にスタートしました。優秀なエンジニアがいるからこそ、とがったビジネスを形にすることができます。スタートアップがユニコーンに成長するためにも、世の中を変えて行くような新しいビジネスやサービスを次々に世に送り出すためにも、優秀なエンジニアの存在は極めて重要なのです。

おっ、福岡にいるエンジニア方面からよく聞こえてくるやつ!自分がソフトウェアエンジニアだから、ってのは抜きにしても、テクノロジを大事にする方針は本当に大事だと思う。賛成。

そして市長になって8年が経ちました。あの時の思いはますます強くなっています。世界のメインプレイヤーは「国(Nation)」だけではなく、これからは「都市(City)」の時代が来るという確信すら持っています。それぞれの都市がその地域の資源を最大限に活かしてチャレンジすべく、国と国との「外交」という形にくわえて、ローカル(都市) が直接グローバルにネットワークを構築していく傾向はますます強くなると思うのです。

この書籍を読んでよかったことのひとつ。「都市」という単位でものを考える、という視点。ひとつ前に読んだ『クリエイティブ都市論』にも「都市圏」みたいな単位が出てくるんだけどね、福岡市という具体例を知ったことでやっと「都市」という単位を明確にイメージできるようになってきた。

もちろん安全保障など国家としての機能や国民としての誇りなどは前提ですが、より地域特性を基点としたボトムアップの国づくり、真の意味で基礎自治体優先の原則をまっとうできる環境が整備されてきたと感じています。そして国や県の役割はより最低限のものに 収斂 されていくのではないかと思うのです。もしくは交通網の発達で各地への移動時間が大幅に短縮されたことにより、中途半端なサイズになってしまった県は廃止して、より広い広域行政である道州制への移行も考える時期なのかもしれません。

道州制という概念もぼくは『クリエイティブ都市論』で知った。今なら理解が捗る。

ちなみに福岡市では2012年に「カワイイ区」というインターネット上の仮想行政区をつくり、福岡市民以外の方にも福岡市カワイイ区の住民票を発行したことがあります。関係人口を増やすことで、交流人口増につなげようという広報事業でした。

なんとなく見かけた覚えがある。当時は「奇抜」みたいな印象だった気がするけれど、エストニアの e-Residency をモデルにした制度だったのか〜!?

関連 : 書籍「未来型国家エストニアの挑戦」を読んだ - #june29jp

私がまちづくりの参考にしている場所は、アメリカの西海岸にあるポートランド市です。決してニューヨークのような大都市ではありませんが、アメリカのベストシティランキングや全米でもっとも住みやすい街に選ばれるほどのとても魅力的な街です。

ポートランドにはじめて行ったときに、クラフト感というか、とても手作り感のあるセンスのいい街だなと、とても刺激を受けました。 そして同時に「ちょうどいい」ことの大切さにも気がついたのです。

参考にしている都市があるんですねぇ。ぼくが札幌市を評するときにも「ちょうどいい」という表現を選ぶことがあり、その感覚に近いのかな〜と想像しながら読んだ。

福岡市は、住む人がもっとも幸せになれる街にするために「人と環境と都市活力の調和がとれたアジアのリーダー都市を目指す」ことを街の目標に掲げています。

ポスト資本主義を見据えている感じがする。ぼくは共感する。

リーダー都市とは、単に人口や経済規模が大きい都市という意味ではなく、明確な意志を持って他都市に先駆けて価値観を実践してみせるリーダーとしての自覚を持った都市という意味です。

志が高いな〜〜〜。

私は、今を生きる現役の責任世代です。 リーダーとして、明るい未来を見せて空気を変えていく。その役割を果たしていきたいのです。街の空気を変えたい。国の空気を変えたい。

うぅ、そうだなあ。ぼくも現役なんだよな。やれることからやっていこう。

私たちの世代は、高齢化時代の福祉を支えるためだけに生まれてきたわけではありません。理屈や理論ではなくて、現実に成長・成功する喜びを感じたいのです。アジアをはじめ、世界を見渡すと、責任世代である同世代の人たちが、夢を持ってビジネスを大きく成長させようとしています。そういう成長を我々も夢見たいのです。

マジ卍。

さて、このような新しいチャレンジをする場合に、行政組織としてはどこが主体になれば、もっともスピーディーに成功実例を作れるのでしょうか? 国は、関連する省庁や議員との調整に大変な時間がかかります。また、実際の現場を持っているわけではないので、現場となる市町村からの協力や調整が欠かせません。 県は、権限は持っていても実際の現場を持っていない「中2階」です。一方、市町村は現場を熟知し、その調整能力は持っていても、大きな新しいチャレンジをする場合、権限と予算や人員などのリソースが足りません。 私はこのようなチャレンジを行なううえでは、県並みの「権限」から基礎自治体としての「現場」までを一気通貫に持つ「政令指定都市」がもっともロールモデルを作りやすいと考えています。

ポジショントークな面もありそうだけれど、ロジックとしては納得した。

税金だけを使って問題を解決しようとすることは前時代的だと思っています。

ここのセクションは痛快なので、みなさん第 5 章を読みましょう。

私と同世代の 40 歳代の首長で言えば、千葉市の熊谷俊人市長や三重県の鈴木英敬知事、夕張市の鈴木直道市長やつくば市の五十嵐立青市長、奈良市の 仲川 げん市長や日南市の﨑田恭平市長、別府市の 長野恭紘 市長や武雄市の 小松政 市長、下関市の 前田晋太郎 市長、そして大阪市の吉村洋文市長も覚悟をもって自らリスクをとってすばらしいチャレンジをされています。

熊谷俊人さんと言えば、先日の台風のときに Amazon の wishlist で支援品を集めていた千葉市の取り組みが記憶に新しい。

千葉市、被災者支援でAmazonほしい物リスト活用 → わずか1日で必要数確保 担当者「想定超える反応ありがたい」 - ねとらぼ

どうも高島さんはここに名前を挙げられた若手のリーダーたちに強い仲間意識があるみたいで、本文中にも何度かメンションがありますな。

私たちは明るい未来をあきらめて、少子高齢社会を支える世代として、苦しみ耐え忍ぶ時代を生きなければいけないのでしょうか? 冗談じゃありません。

せやな、ワイもがんばろう!!!

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