#june29jp

「なんかいいよね」って言いたい

2007-10-10

ある編集者の気になるノート : 本物の作り手になりたいなら、「なんかいいよね」を禁止しよう。

「いいなあ」って思ったときに,そこで思考停止しないで掘り下げて考えてみよう,ってことだろうか.うーん.うーん.モヤモヤしてきた.書き始めては見たものの,自己矛盾で終わりそうだ.

皆さんは,「いいなあ」と思ったときに「なぜ」を考えますか.考えること自体は楽しいのだけれど,その先に何があるのだろうなあ.考えること自体が大事なのか.

この間,Web上で,それはそれは「いいなあ」と思う写真を見つけてしまって,しばらく見とれていました.ステキな写真だったのです.それはあまりにも良かったので,何が良かったのかなんて言葉にならないと思いました.ただただ,良い写真だと思いました.言葉にした瞬間に,その写真が本来持っている良さが失われるような気もします.今,その写真を見せずに皆さんに文章だけでその良さを伝えられるかというと,自信がありません.

件のエントリの話と写真の話じゃ対象が違うかな.「本物の作り手」か.写真を撮る人はここでいう作り手に含まれるかな.

「なぜニコニコ動画は成功したか」「ニコニコ動画の○○がすごい」みたいなエントリがしばしば注目されていますね.これは,ただ「ニコニコおもしれー」って言うだけじゃなくて,なぜ面白いかを考えてみることが有益だってことの表れだろうか.じゃあ,そうやってたくさんの良いものの良さを考えるようにしていったら,自分も良いものが作れるようになるのか.ここが引っかかるところ.

良いものを作りたかったら,とにかく作り続けるしかないんじゃないかな.ボクは開発仲間に「想いは言葉じゃなくて成果物で伝えたいね」って言われたときにハッとした.「この人は純粋な作り手だなあ」と思った.「想いを成果物に込める.想いに沿った設計にする.そうすれば,言葉にしなくても伝わる」力強いメッセージでした.

良いものからは,そこに込められた想いを読み取るようにすればいいのかな.必ずしも言葉にならないものでもいいから,そこに,自分を惹きつける何があるのかを感じ取れるような感性を磨くべきか.

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