2014 年 7 月 17 日に単行本として出版された青い表紙の書籍が、2018 年 4 月には文庫版としてピンクの表紙であらためて発売されていたそうで。ぼくは新しいピンクの方を読みました。2018 年に 2 月に書かれた「著者による解説」が追加されているお得なバージョンだったりもします。
文庫 データの見えざる手 ウエアラブルセンサが明かす人間・組織・社会の法則
読書メモ
ここからしばらく自分用のメモを書いていきます。てっとり早く済ませたい人は「まとめ」までスクロールするのがおすすめです。
これまで人類は、科学により宇宙の起源から物質の成り立ちまでを理解してきた。その進歩のきっかけは多くの場合、新たな計測データの取得であった。
序盤からテンションの上がるフレーズがあってうれしい。計測データの取得!
これらの方程式が自然法則の基本であり、それらがすべて保存則、とくに「エネルギーの保存則」から派生する式だとすれば、「エネルギー」の概念こそが、自然現象の科学的な理解の中心にあることは疑いない。
自然法則のお話、からの。
ここで対象に人間を入れると話がややこしくなる。人間には「意思」があり「思い」があり、「情」があり、それが行動に影響を与えているからである。とはいえ自然の変化はエネルギー配分の変化で起きているのに、そのなかで人間だけがそれと無縁の特別な存在でいられる何らかの事情があるのだろうか。
人間の活動だってその範疇のことなんじゃない?という仮説の提示。
このU分布がおもしろいのは、1日の身体運動の分布は動きの総数(あるいは時間あたりの動きの1日を通した平均数)というたった1個の変数でおおよそ決まってしまうことだ。動きの総数を決めると、U分布によって、どの帯域の行動にどれだけ時間が使えるかが決まる。これを我々は「活動予算」と呼んでいる。
なるほど。
活動温度が高めの「熱い人」は、平均して動きが多い。活動温度が低めの「冷たい人」は、平均して動きが少ない。一見、活動温度が高い人の方が活動的で、より多くの仕事ができそうである。しかし、そう単純ではない。
ふむふむ。
活動温度の高い人が、原稿執筆のような比較的低い帯域の活動(動きの少ない活動)をする必要があるとしよう。実は活動温度の高い人は、高い帯域の活動(動きの活発な活動)にいやでも時間を使わざるを得ない。したがって、原稿執筆のような低い帯域の仕事にあまり時間を使うことができないのだ。つまりこのような人は、長時間机に向かって仕事をすることがむずかしくなる。
人間の活動も、ある法則の中にあって、それに抗って行動するのはむずかしいらしい。少なくとも計測データはそれを示している、と。
テクノロジーは、社会を変えてきた。それは経済活動を高め、生活水準を豊かにしてきた。ドラッカーによれば、 20 世紀には、肉体労働の生産性が 50 倍向上したとされる。これには、テクノロジーが大きく寄与している。
そうだね。
とはいえ、テクノロジーは我々を幸せにしているだろうか。これはまったく違う問題だ。
これは、サピエンス全史の下巻の終盤にも同様のお話がありましたね。
まず、「幸せ」は、生まれ持った遺伝的性質に影響されることがわかっている。これは、地道な双子の研究から見出されたことだ。
そうなのか、知らなかったなあ。
このような地道な研究の結果、幸せは、およそ半分は遺伝的に決まっていることが明らかになった。うまれつき幸せになりやすい人と、なりにくい人がいるということである。
それでいうと、ぼくは幸せになりやすい遺伝的性質を持っているんじゃないかなあ、という気はする。
遺伝的に影響を受けない残り半分は、後天的な影響である。半分は、努力や環境変化で変えられる。これは、変えられる部分が意外に大きいとも捉えられるのではないだろうか。
そうだねぇ。「遺伝的性質が半分を占める」と言われると「多い!」という印象にもなるけれど、もう半分は後天的に決まるのだとしたら、そこに注力するのがいいもんね。
この環境要因に含まれるものは広い。人間関係(職場、家庭、恋人他)、お金(現金だけでなく家や持ち物などの幅広い資産を含む広義のもの)、健康(病気の有無、障害の有無など)がすべて含まれる。驚くべきことに、これら環境要因をすべて合わせても、幸せに対する影響は、全体の 10% にすぎないのだ。
なんとなーく「幸せ」に直結していそうと捉えられがちなこれらは、全体の 10% にしかならないとのこと。けっこう意外!
それでは、残りの 40% は何だろう。それは、日々の行動のちょっとした習慣や行動の選択の仕方によるというのだ。特に、自分から積極的に行動を起こしたかどうかが重要なのだ。自ら意図を持って何かを行うことで、人は幸福感を得る。
ですってよ。ぼく個人の体験とは一致するところがあるので納得しやすかったけれど、他のみなさんはどう感じるでしょうか…?もしこれが本当だとすると、幸せになりたかったら自分からどんどん動くとよい、ってことになるね。
さらに重要な発見は、ハピネスと身体活動の総量との関係が強い相関を示しているということ。つまり、人の内面深くにあると思われていたハピネスが、実は、身体的な活動量という外部に見える量として計測されたことになる。したがって、ハピネスは加速度センサによって測れるのである。
な、なんだってー!?
もう一度いおう。幸せは、加速度センサで測れる。
もう一度いっちゃったよ。これはなかなかおもしろい主張ですね。ぼくも加速度センサで自分のハピネスを測りたいな〜!
仕事などの条件が違う人どうしを比べて、動きの量の大小によって、どちらの人が幸せかを論じるのは、意味はない。しかし、より幸せになった人は、より動くようになるのは事実だ。これは幸せが、積極的な行動と強く結びついていることとも整合する。
なるほど。絶対的なスカラー値が出るわけではない、と。
実は、受注は、意外なことと相関していた。それは、休憩所での会話の「活発度」である。休憩時間における会話のとき身体運動が活発な日は受注率が高く、活発でない日は受注率が低いのである。
これはコールセンターで働くみなさんにセンサを身につけてもらって実験したときのお話。休憩所で活発な会話があると業績がよくなるというお話。これおもしろいな〜。
これを認めると、ハピネスとは実は集団現象だということになる。ハピネスは、個人のなかに閉じて生じると捉えるより、むしろ、集団において人と人との間の相互作用のなかに起こる現象と捉えるべきなのだ。そして、集団にハピネスが起きれば、企業の業績・生産性が高まる。
これもおもしろい命題なので、ぼくもよく考えたい。
資本主義の黎明期、 18 世紀スコットランドの道徳哲学の教授であるアダム・スミスは、自由な経済の特徴を「見えざる手」という言葉で表現した。これは、個人が自分の経済的利益を追求することで、富が社会に自律的に分配され、社会全体が豊かになるという考え方だ。
書名からして、きっとこのお話が登場するだろうな〜とは思っていた。
このためには、我々が組織運営の上で当たり前だと思っていたことの見なおしも必要だ。たとえば、我々は組織の上下での連携を行う常識として「ホウレンソウ(報告、連絡、相談)」が重要だと教わった。しかし、今後はこれに加え、「マツタケ(巻き込み、つながり、助け合い)」が必要になるという指摘があった。目指すのは、個と全体とを統合して共通の視点が持てる組織であろうか。
最近も 職場の「ホウレンソウ」は時代遅れ、会社は「ザッソウ」で強くなる(倉貫 義人) という記事がありましたね。植物由来の略語にしなきゃいけない縛りがある。
マツタケもザッソウもけっこう「そうかもな」と思うところはあって、これからの若い世代に「社会人の基本として、まずホウレンソウが〜」とか言うと「古いな〜」って思われるようになっていくのかもしれない。あるいは、すでにそうなっている?
科学技術の発展や進化は、植物の成長に学ぶところが大きい。植物は、遺伝子という設計思想を維持しつつ、一方で、環境と相互作用しながら即興的に具体構造を決めていく。その出発点になるのが「 種」である。「学習する組織」の泰斗ピーター・センゲ氏はいう。「 種 は木が育つのに必要な資源をもっていない。資源は木が育つ場所の周囲──環境にある。だが、種は決定的なものを提供する。木が形成され始める『場』である。水や栄養素を取り入れながら、種は成長を生み出すプロセスを組織化する。」
この話おもしろいな〜。プロダクトもプロジェクトもそうだもんな、周囲を巻き込むことで成長できる。
これを解決したのが、名札型のウエアラブルセンサであり、このための最強のツールと思っている。名札型のセンサには、人との面会、場所、環境の音量、集中度、体の姿勢、温度、照度などの記録をリアルタイムに残す。私はこの詳細な記録をヒントに、毎日翌朝に、昨日、いつどんなことに時間を使ったか記載している。週末には、過去2週間分を俯瞰し、見直すことで、自分の時間の使い方を再検討して組み替えることができる。
本文中に何度も登場する「名札型のウエアラブルセンサ」ってやつ、ぼくも使ってみたいな。あるいはこれと同等の情報を収集できるセンシングデバイスがあれば身につけたい。
AIが置き換えるのは、人の労働ではない。従来我々が頼ってきた「ルール指向」という考え方やそれを支える仕組みを、「アウトカム指向」に置き換えるのである。そのような置き換えが起こるのは、我々が求めるものや需要が、一律の標準化されたモノやサービスから、個別性や多様性が高いものに変わったからである。ルール指向からアウトカム指向への変革は、労働の変化も起こすであろう。しかし、それはAIが起こしたのではない。我々の求めることや需要の変化がもたらしたものである。
この整理にはけっこう納得した。
まとめ
著者の矢野さんはお仕事で論文を書くような立場の人で、そのおかげでこの書籍の文章もぼくにとっては読みやすかったです。ふわっとした物言いをしない、というか、言葉の定義も明確だし、事実と主張はそれぞれそうとわかるように書いてくれるし、学生時代に工学や科学を専攻していた自分としては親しみを持てる書き味でした。
2014 年に世に出たものということで、2019 年に手に取ったぼくはその差分については意識して読むことになりました。たとえば本文の中で AI に対する言及があるけれど、AlphaGo が互先で囲碁のプロに初めて勝ったのは 2015 年のことだから「AlphaGo 以前に書かれた文章だな」と思ったりしながら読みました。しかしそれもある程度は杞憂というか、2018 年に加筆された「著者による解説」において
今回、文庫化にあたり、そのような陳腐化への危惧を持って、本書を読み直してみた。幸いなことに『データの見えざる手』で論じたことは、今もまったく陳腐化していないように見えて安心した。
と明言されていました。少なくとも 2018 年 2 月において、本書に綴られた著者の主張に揺るぎはないと確認できたのはよかったです。
日々を生きていて、経験的に「こうする方がいい」と思っているような事柄について、こうして科学的な裏付けがなされていく様子を観測できるのは痛快です。Google のリサーチチームがいう「心理的安全性」のように、本書においてもそのような主張が存分にあり、たくさんの刺激を受けながら楽しく読みました。
一方で、それらの知見を自分の日々に持ち帰ろうとしたときに、以下の 2 つの「どうしたものか」を感じました。
- ぼくもそのウエラブルセンサの恩恵を受けたいのだけれど、どうしたらいい?
- オフラインの対面でのやりとりではなく、GitHub や Slack 等を通じたオンラインのコミュニーケーションが密な場合は、なにをどのように計測したらいい?
前者については、ウェブで軽く調べてみると 価格:Hitachi AI Technology/組織活性化支援サービス:ビッグデータ×AI(人工知能):日立 が見つかりました。最低価格が 500 万円からということで、これは組織向けのソリューションであることが伺えます。しかしぼくは、あとがきで矢野さんが紹介されていたような「センサ技術で自分自身の毎日をよりよいものにしていく」という観点に強い興味があり、組織よりも個人向けにこそ活かしてほしい技術であると期待を持ちました。もちろん、組織全体で導入しないと効果が半減するとか、そういったことは想像がつきますが、個人ユースでも活用できるデータが充分にあるようにお見受けします。個人向けに提供してほしいという要望をここに明記しておきます。
後者については、ぼくの宿題と捉えました。オンラインのコミュニケーションであっても、いつ誰とどんなやりとりをしたか、毎日だいたい何人くらいとやりとりしているか、などなどのデータは取得できますもんね。もし組織の Slack のデータを分析することで「活躍する人物の行動の特徴」を抽出できるとしたら、すぐにでも活かせる展開がありそうです。
データが好きな人、組織を活性化させたい人、テクノロジと人類の未来について考えたい人、あたりは楽しく読めると思います。おすすめの一冊です。