#june29jp

自分の考えを持つこと、相手の考えを尊重すること、それらを磨き続けること

2019-04-06

多数派と排他

この 4 月から働き始めた人もたくさんいることと思います。ぼくは 2008 年 4 月から働き始めてこの 4 月を迎えているので、なんとびっくり、フルタイムの労働者としての 12 年目に突入してしまいました。もう 11 年間も働き続けているのだなあ。なかなかえらいですね。引き続きえらい感じでやっていこうと思います。

さて、そんなシーズンですから、3 月の下旬から「やっていく」ことについて書かれた文章がいくつも流れてきて、ぼくもフムフムと読みました。たとえば 受験生のみなさんへ - 内田樹の研究室 という文章があり、実はこれは 2018 年の 3 月に公開されたものなのですが、ぼくはこの春にたまたま見つけてたいへん興味深く拝読しました。特に、この一節です。

学校で子どもたちが身につけたのは、自分と価値観も行動規範もそっくりな同類たちと限られた資源を奪い合うゼロサムゲームを戦うこと、労せずしてコミュニケーションできる「身内」と自分たちだけに通じるジャルゴンで話し、意思疎通が面倒な人間は仲間から排除すること、それを学校は(勧奨したとは言わないまでも)黙許してきました。

これにはなんだかドキッとしてしまいました。今から 11 年前の、小学校・中学校・高専・大学・大学院と「学校」に通い続けて、ようやく「学校の次へ行くぞ」と意気込んでいた就業直前の 3 月の自分が読んだら、薄暗い気持ちにもなりそうな内容です。件の記事の全文を読んでみると、端々に著者である内田樹さんの悔しさや申し訳なさのような感情を読み取ることができます。

ぼくがドキッとするのは「自分に心当たりがあるから」に他ならないでしょう。

「日本の学校は」「日本の教育制度は」から始まるような文章はぼくには書けそうにないので、ひとりの個人としての体験をベースにして書きましょう。ぼくが児童・生徒・学生だったときに感じていた学校の空気というのは、35 歳の会社員として過ごす今と比べると、とても閉鎖的で、同調圧力が強く、排他的であったように思います。そして、自分もその空気に少なからず加担していたような感覚が残っており、思い出すことで少し胸が痛くなるのです。ぼく自身は、激しいいじめにあっていたわけでもなく、いつでも友だちには恵まれている幸運な学校時代を過ごしましたが、だとしても、あの独特の空気は今になって思い返すと少なからずゾッとしてしまいます。

たまたまぼくが身を置いていた環境がそうだったのでしょうか?他のみなさんの学校体験はどのような言葉で修飾されるようなものでしたか?

ぼくは特に「排他的」な雰囲気がきつかったなぁと思い返しています。少数派に対して寛容じゃないというか、多数派の輪に入りそびれると居心地が悪くなってしまうというか。なんでしょうね、確固たる自我がない未熟な個体が群れをなすと、多数派という安心のための領域をつくって自己を守ろうとする習性でもあるんですかね、このあたりに詳しい人がいたら教えてください。

さらには、そうして多数派の中心に近い場所にいる人ほど「うまくやっている人」というポジティブな見られ方をされていたようにも思います。たとえその人が、自分と考えや趣味やノリがあわない人を排除しようとしていたとしても、です。それが、再度引用しますが、

労せずしてコミュニケーションできる「身内」と自分たちだけに通じるジャルゴンで話し、意思疎通が面倒な人間は仲間から排除すること、それを学校は(勧奨したとは言わないまでも)黙許してきました。

に書かれていることかな、と、自身の体験と記憶を紐解きながら解釈しました。

価値を追い求めるとしたら

アフリカの諺にこんなものがあるらしいです。

If you want to go quickly, go alone. If you want to go far, go together.

日本語にすると「早く行きたいなら一人で行け、遠くへ行きたいならみんなで行け」といったところでしょう。

丸 11 年間ほどの労働者生活を経験してきたぼくにはグッとくる成分のある諺です。より価値のあるお仕事をしようと思ったら、いろんな技能を持った人たちが必要になるのはもちろんのこと、いろんな考えを持った人たちで協同することになるでしょう。自分ひとりでやれることの範囲はたかが知れていますし、よく似た考えの人たちが集まって行う議論はなかなか深まりません。

価値を追い求めようとすると、議論やディベートやレビューなどのコラボレーティブな活動の質を高めることの重要性に気付きます。それは囲碁や将棋の上達のプロセスを思い起こさせます。定石を学ぶ個人の学習時間も大事でしょうが、それだけではなく、他者との対局を経て思考力を高めていくことになるでしょう。深い思考と深い思考をぶつけあうことで、さらなる深みを目指すのです。

心理的安全性の誤解

Google re:Work - ガイド: 「効果的なチームとは何か」を知る より。

Google のリサーチチームが発見した、チームの効果性が高いチームに固有の 5 つの力学のうち、圧倒的に重要なのが心理的安全性です。リサーチ結果によると、心理的安全性の高いチームのメンバーは、Google からの離職率が低く、他のチームメンバーが発案した多様なアイデアをうまく利用することができ、収益性が高く、「効果的に働く」とマネージャーから評価される機会が 2 倍多い、という特徴がありました。

Google のリサーチ結果の発表を受けて、日本語圏においてはたしか 2017 年の 8 月頃から「心理的安全性が大事」と繰り返し語られるようになったと認識しています。それから 1 年半ほどが経った最近は「これ、雰囲気で心理的安全性という言葉が使われているな?」とお見受けするシーンをちょいちょい見かけるようになりました。

ぼくが怖いなぁと思うのは、心理的安全性に関する誤解が冒頭で述べた「多数派と排他」と悪魔合体してしまうことです。仮に「生まれてから 22 年間、多数派の中心に近いところでうまくやってきた」という人がいて、心理的安全性が大事、という言葉だけを耳に入れられて表層だけを捉えると、

  • 場の空気を読むこと
  • 輪を乱さないこと
  • それが「みんなとなかよくすること」であり、心理的安全性につながる

と誤認してしまうケースもあるんじゃないかな、と。こういうのはただただコンフォートゾーンを出ていないだけで、もし「輪を乱したら排除されちゃう…」と思いながらやっていたら、心理的安全性がないってことなんですよね。ここは捉え方を気をつけていかなきゃいけないと強く思います。

あらためてがんばっていきたいこと

それじゃあぼくはどういう行動をしていこうか、とあらためて考えてみると。先にもリンクした Google re:Work - ガイド: 「効果的なチームとは何か」を知る にアドバイスまで書いてありますね。便便便利。

エドモンソン氏は、TEDx Talks でのスピーチの中で、チームの心理的安全性を高めるために個人にできる簡単な取り組みとして、次の 3 点を挙げています。

  1. 仕事を実行の機会ではなく学習の機会と捉える。
  2. 自分が間違うということを認める。
  3. 好奇心を形にし、積極的に質問する。

どれもマインドセットに関わるお話なので、これと真逆の考えで長く過ごしてきた人にとっては実践がむつかしいかもしれませんね。ぼくは自身がこれらを体現していくとともに、4 月に入社してきてくれた新メンバーズともこの観点を共有していきたいです。そういう狙いもあってこうしてここに書いています。

2019 年 3 月のこちら 平成30年度卒業式総長告辞 | 東京大学 もたいへんよくて。東京大学とはまったくの無縁のぼくですが、五神真さんの言葉は身に締みました。引用したい箇所はたくさんあるのですが、ここではひとつだけ。

さらに、そのような問いかけを、自分のみならず、他の人にも投げかけ、ここでいうconsummatoryな感覚を分かちあってほしいと思います。自分も他者もそれぞれに、ともに心躍らせている、そのような質の高い「共感」こそが、新しい社会を望ましい方向に向かわせる推進力になると私は考えます。全員が一つの幸福に向かうのではなく、多様な幸福が共存し、緩やかに結合する。そうした社会のあり方を、まさにともに心躍らせる活動として模索してください。それが「多様性を活力とした協働」なのです。私はみなさんに、そのような活動を牽引する、新たな時代のリーダーになっていただきたいと願っています。

これもね、ちょうどぼくが考えていてここまで書いてきたこととリンクしているように感じられて、身震いしてしまいました。多様性を活力とした協働、目指していきたい。

みんなでがんばっていきたいこと

チームや組織でパフォーマンスの高い状態を目指したい、そのために心理的安全性の高い状態に到達したい、多様性を活力とした協働を実現したい、と願うのなら。

  • 自分の考えを言葉にして表明する
  • 相手の考えに耳を傾ける、尊重する
  • さまざまな考えをぶつけあうことを楽しむ

をとにかく繰り返していくしかないように思います。「どんなことを言っても非難されませんよ、大丈夫ですよ」と 100 回も言って聞かされるよりも、自分の考えを表明してちゃんと聞いてもらえた、というのを 1 回でも 2 回でも体験してもらう方が効果的でしょう。

ぼくは、家族や同僚と積極的にこういう取り組みを重ねていくことで、最高の状態を目指したいです。

まとめ

今年も新しい春を迎え、フルタイム労働生活の 12 年目に突入したところで、最近考えていたことを書きました。これまでよりもいいお仕事をしたいし、楽しく充実した日々を送りたいので、所信表明のようなつもりで書いています。

また、この記事自体が「自分の考えを言葉にして表明する」のインスタンスになっています。これ、歳を重ねるごとに「大事だなあ」と痛感するようになってきていて、かつ、言葉にするのは本当にむつかしいな〜とも感じています。だからこそ、練習のために数をこなしていきたい。がんばるぞ。

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