#june29jp

書籍「なめらかな社会とその敵」を読みました

2019-05-02

なめらかな社会とその敵 | 鈴木 健 |本 | 通販 | Amazon

以前から気になってはいたものの Kindle 版がないという理由で購入に踏み切れずにいました。Kindle でハイライトしながら読むことに慣れすぎていて、紙の書籍をうまく読み進められないんですよね。それでも、2019 年のゴールデンウィークは 10 連休ということでいい機会なのでエイヤッと読むことにしました。ゆっくり読めてよかった。おもしろかったです。

ぼくの読書メモは丸ごと scrapbox.io/hub に置いてあるので、興味のある人は見てみてください。

なめらかな社会とその敵 - hub

修士のときに複雑系工学を専攻していた自分にとっては、かなり好みな部類のお話が多く含まれていました。2013 年 1 月 28 日の発売なので、もう 6 年以上前に書かれたものですか。2001 年発売の NAM生成 に鈴木健さんが書かれた「第四章 ネットコミュニティ通貨の玉手箱」というのがあるらしく、ぼくは読んでいないのですが、2000 年に書かれたものだそうです。そこで本書の話題の大部分は出尽くしているそうな。となると、今から約 19 年前から考えられてきたことなんですね。

その内容は令和時代に読んでも色褪せていないどころか、より一層の臨場感をもって読めるものばかりでした。長期的な目線で描かれるその世界観に度肝を抜かれました。自分があと何年生きてもこの領域に到達できる気がしないなあ…!

過去の研究を紹介する形で、文中には本当に幅広い分野の人物が登場します。人物名のあとに括弧書きでその人の専攻のようなものが記されていて、試しにいくつか列挙してみると「神経科学」「生物学」「心理学」「ロボット工学」「哲学」「経済学」「社会学」「計算機科学」などの学問領域がずらっと並ぶばかりでなく、中には「発明家」「デザイナー」のような肩書もありました。非常に広範な話題を扱っているとわかります。そういう意味で、この書籍自体がなめらかというか、特定の狭い領域に閉じていないのが印象的です。膜によって閉じておらず、話題が網になっています。

書籍「サピエンス全史」の下巻を読んだでも少し触れましたが、1 年くらい前の自分は、まず「個人があって」それから「国家がある」と捉えていました。それを、サピエンス全史を読んで思い直したわけですね。本書においては

国家と個人の蜜月関係の構築こそが近代化の歴史だった

と表現されていて、なるほど、やっぱり自分が抱いていた「まず、個人がある」という幻想はここでも真っ向から否定されるわけです。国家という概念を確固たるものにするために個人という概念が広められていったのだ、と、今はそう認識するようになりました。

続いて自分の価値観の輪郭を探るにおいては、自分は「全体主義よりは個人主義」であると書きました。これは今でも変わっていないものの、本書を読んで「自分は個人という概念に囚われすぎていたな」と感じるに至りました。そんなに肩肘を張らずに、もっと気楽に個人としての矛盾を楽しんでいけたらいいな、と思えるようになりました。これが大収穫だったな〜と思います。

「伝播投資貨幣 PICSY」も「分人民主主義 Divicracy」も「構成的社会契約論」もかなりおもしろくて、引き込まれる感覚を抱きながら読みました。もし 2019 年に書かれるとしたら、どれもブロックチェーンと絡めて言及されそうですね。契約の自動実行や CyberLang のお話は、最近の概念でいうと Crypto Law そのものだと思います。

ところで、自分は 2012 年に ウェブと云う國というエッセイを書いていたことを思い出しました。当然、鈴木健さんのようにパキッとした世界観を描けていたわけではないものの、ひとりの人間として社会や国家に属していて感じる「しっくりこない」感覚はそれなりにうまく言語化できているように思います。分人民主主義や構成的社会契約が実現した世界があるとしたら、ぼくは自分の生活に直接的に関わってくるようなウェブのあれこれについて積極的に投票を行い、そのステークホルダーとしてふるまうことでしょう。そっちの方がしっくりくるだろうな、と想像します。

ここからは「あとがき」の中で特に気に入った箇所を引用してまとめに向かいます。

みなさんの協力がなければ、本書はこうしたかたちで生まれることはなかったであろう。にもかかわらず本書の責任は著者の私にあるというのがよくある表現なのだが、どうも納得がいかない。ここで名前を挙げたみなさんも、挙げられなかった方々にも、本書の内容には少しずつ責任を持っていただこうと思う。

これも「なめらかな社会」的な考え方でクスッと笑ってしまいました。

きっと上記の方々や読者を含む世界のあらゆる存在が、私というインターフェイスを通して本書を書き上げたのではなかろうか。そう考えれば多少は納得がいく。とすれば、謝辞というよりも著者一覧なのかもしれない。

スタンスが徹底していますね。個人という概念を超越していくと、著者という概念も離散的ではなくなっていくのだなあ。その方が「納得がいく」と感じるのならば、きっとそっちの方が実態をよく表しているということなのでしょう。

さて、本書の中で丁寧に描かれる「なめらかな社会」と比べてしまうと、2019 年現在の国家や社会や組織や個人は、ずいぶんと「なめらかではない」「静的」「硬直化している」と気付いてしまいます。これにはいくらかの落胆もつきまといました。その一方で、自分をとりまく環境は少しずつなめらかになってきている手応えもあって。

たとえば自分は、特定の組織に強く依存しないように人生を組み立てています。お仕事を通じて学んだこと・気付いたことは、一手間かけて抽象化・一般化した上でここ june29.jp に書いて公開することで誰にも奪うことができない自分自身のものにしています。また、いくつものコミュニティに関わり、自分が興味を持てる議題については意見を表明し、意思決定に関わることができています。そうした活動は自分に対する評価を暗黙的に形成もしているでしょう。これって、ずいぶんなめらかですよね。きっと無意識に、なめらかな社会を望み、そうなるように歩を進めてきたのでしょう。

世界は生成するものであり、あなたは世界に参加しているのである。

という一文であとがきは締められていて、なんだか背中を押されたような気分になりました。

おもしろかったら、いいジャン!してね


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