2019 年 10 月 2 日 (水) に読み始めて、10 月 8 日 (火) に読み終えました。とてもおもしろかったです。読書メモを残します。
なぜ読もうと思ったか
令和になってようやく、ぼくも「人口減少社会としての日本」についてあれこれ考えるようになりました。その中で「人口増加社会と人口減少社会とでは、有効な考え方が変わってくるはずだ」という仮説を立てました。そうすると、これまで人口増加を前提とした考え方をメインにしてやってきた自分は、流れを読み間違えると危ないんじゃないかな、とも思いました。具体的には次のようなことを心配しました。
- お金を稼ぐことについて
- これまで通りの考え方が通用しなくなると、これまでのようには稼げなくなるのでは?
- 「人口増加」「経済成長」を前提とした事業にいつまで関わっていてよいのか?
- いわゆる「持続可能」なビジョンにもとづいた事業について、自分は知識がなさすぎるのでは?
- 人生観や価値観について
- 近年、自分は精神論や根性論を見かけると「昭和かよ」と思ってネガティブな印象を抱く
- 自分も考え方をアップデートしていかないと、人口減少ネイティブ世代から見て「古い考え」になって、老害を撒き散らす老後を過ごすことになるのでは?(ちょー怖い)
職業選択、それから人生設計について。状況はもう変わってしまった、自分はいつ変わるんだっけ、と考える日々を過ごしていました。長期的な自分の選択肢は下記 3 種に大別できるかと思います。
- 日本を舞台に
- これまでと変わらずにやっていく (ある種の「逃げ切る」戦略)
- 考え方をアップデートして人口減少社会に合わせて生きていく
- 世界を舞台に
- 考え方は変えずに、もうしばらくは人口増加が続く世界を舞台にやっていく
今すぐにどうこうってわけではないものの、たとえば 50 歳とか 60 歳になると考え方を大きく変えるのは難しくなりそうと想像しているし、環境を大きく変えるとなったときの負荷も今より高くなってしまいそうだから、早め早めにちゃんと判断して決断していった方がよいだろう、と考えています。
そういった自分の危機意識についてヒントを与えてくれそうな情報を、と期待して本書を手に取りました。
実は、ちょっとしたシリーズ記事
- (2019-08-11) 北海道で3週間ほど過ごした2019年の夏 - #june29jp
- (2019-09-24) 書籍「クリエイティブ都市論」を読みました - #june29jp
- (2019-10-13) 書籍「福岡市を経営する」を読みました - #june29jp
北海道は釧路市と札幌市に滞在してこの夏を過ごし。「どこに住むか、をどう選ぶか」をあらためて考え始め。具体例としての福岡市の魅力について学んでみたりして。書籍「人口減少社会のデザイン」においても「都市集中型 or 地方分散型」は大きなテーマとして扱われています。
さて、数年後のぼくはどこでなにをしているのだろう?
まとめ
(読書メモが長くなるので、先にまとめを置いておきます)
最初から最後まで「おもしろ〜」と思って読みまして、発見に満ちた読書体験となりました。これだけ新たな発見があって刺激的だったということは、本書で語られるような分野についてぼくがこれまであまり勉強してこなかったということでもありましょう。
フルタイムの労働者を 10 年ちょっとやってきて、ベンチャーやスタートアップも経験して、「拡大!」「成長!」「目標達成!」ってのをよしとしてやってきたものの、ちょっと立ち止まってゆっくり考えてみたくなったのが最近なのかもしれません。ここらで一息つくタイミングなのかな。
思えば、最初に持続可能性っぽいことを考えるきっかけになったのは、書籍『NASAより宇宙に近い町工場 植松努』だった気がします。ある日、差出人不明でぼくの自宅に届いたので読んだ本。感情を大きく揺さぶられたのを覚えています。たぶん読んだのは 2011 年か 2012 年くらいだと思います。
2018 年に書籍『ティール組織』を読んだのも、潜在的にポスト資本主義的な価値観に興味があったからでしょう。今ならそう解釈できます。この文章を書いている途中にはアプリの売上目標を立てるのをやめました - 週休7日で働きたいという記事を読んで共感しました。今のぼくには持続可能性のお話に読めました。
また、WEB特集 アメリカの若者に広がる ソーシャリズム なぜいま社会主義? | NHKニュースをたまたま見かけたので読みました。アメリカも格差が広がっていると聞きますから、読後のぼくであればこういったムーブメントが起こるのも理解できます。理解できるようになりました。
先月読んだ LayerXが賭ける「次の10年」|yoshinori fukushima|note にも影響を受けました。「いちばん大きな流れを読む、その流れに乗る」のがめちゃくちゃ大事と考えるようになりました。そして今、人口減少社会としての日本はどういった流れの中にあるのかを見定めようとしているわけです。
最初に読んだときにはあまり理解できなかった、落合渉悟さんのインタビュー記事 圧倒的正しさが故に難しい、ブロックチェーンと向き合う面白さ | 仮想通貨・ブロックチェーン業界特化の求人メディア withB にある「土地を全て国有地化して、土地のレンタル代として税金を国に払う。通貨はエリアごとに地域通貨を発行し、発行量は理論に基づきコントロールを行う。そういった仕組みにしていくことで、税金もうまく集まり経済もよくまわるようになるのではと考えています」という言説も、今はウンウンと頷きながら読めるようになりました。
最後にタイムリーな話題として、台風 19 号のときの避難所のホームレス受け入れ拒否のお話を少し。「公助・共助・自助」でいうところの、自助を志向する人ってのがそれなりにいるのだな、と思いました。いわゆる自己責任論というやつですかね。ぼく個人は「あれもこれも自助ってことにする」というトリガーは怖くて引けずにいます。ちょっとした思考実験で、「年収◯◯円以上の人だけが入れる避難所」を、民間企業ではなく公的機関が運用するシナリオを想像してみたとき、いつどんな理由で自分や身近な人が社会からペッと排除されるかわからない状況は怖すぎると思いました。あの暴風雨の中、屋外に投げ出されることを考えるとゾッとする気持ちです。と同時に、受け入れ拒否という事象について強く反発して丁寧な文章を書く人々もそれなりにいて、どこか安心したりもしました。
福岡市長の高島さんの書籍を読んだこともあり、幸いにしてテンションは上がり気味です。「あれ、なぜか拡大・成長がうまくいかなくなってきた、どうしよ〜」とならないように、むしろチャンスだと思ってこの時代を楽しく生き抜いていきたいです。日本の立ち回りが世界各国から注目されているわけですから、「これいいじゃん、うちも取り入れよう」と思ってもらえるような事例をつくっていけたらいいな。ぼくはぼくで、人口減少社会を生きる自分の人生をデザインしていくのだ。
というわけで、興味を持った方は読んでみてください。
人口減少社会のデザイン | 広井 良典 |本 | 通販 | Amazon
読書メモ
私たちの研究の出発点にあったのは、現在の日本社会は「持続可能性」という点において〝危機的〟と言わざるをえない状況にあるという問題意識である。
「西暦 2050 年に、日本は持続可能か?」という問いに対する、著者たちの研究チームの危機感。
端的に言えば、かつて「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とまで言われた〝成功体験〟に由来する、「経済成長がすべての問題を解決してくれる」という思考様式である。本書のテーマである「人口減少社会のデザイン」において重要なのは、まさにこうした「拡大・成長」型の思考、あるいは〝短期的な損得〟のみにとらわれ長期的な持続可能性を後回しにする発想の枠組みから抜け出していくことにある。
そういうお話が読みたくて本書をめくっているので、イントロダクションにこの文があるのはありがたい。
以上、3つの論点にそくして述べたが、こうした事実に示されるように、現在の日本は持続可能性という点において相当深刻な状況にある。そして、「2050年、日本は持続可能か」という問いをテーマとして設定した場合、現在のような政策や対応を続けていれば、日本は「持続可能シナリオ」よりも「破局シナリオ」に至る蓋然性が高いのではないか。
やや煽る文体ではあるが、論じられていることの筋は通っていると感じた。冷静に受け止めていきたい。
具体的には、以上のような関心から、日本社会の現状そして今後において重要と考えられる149個の社会的要因を抽出するとともにそれらからなる因果連関モデルを作成し、それを基にしてAIを活用したシミュレーションによって2018年から2052年までの35年間の期間にわたる約2万通りの未来シナリオ予測を行い、それらをまず23のシナリオ・グループに分類した上で、最終的に6つの代表的なシナリオ・グループに分類した。
ここから、書籍の表紙にある「AI が導き出した未来シナリオ」ってやつを引用多めにして紹介する。
(1)2050年に向けた未来シナリオとして主に「都市集中型」と「地方分散型」のグループがあり、その概要は以下のようになる。
(a)都市集中型シナリオ
主に都市の企業が主導する技術革新によって、人口の都市への一極集中が進行し、地方は衰退する。出生率の低下と格差の拡大がさらに進行し、個人の健康寿命や幸福感は低下する一方で、政府支出の都市への集中によって政府の財政は持ち直す。
(b)地方分散型シナリオ
地方へ人口分散が起こり、出生率が持ち直して格差が縮小し、個人の健康寿命や幸福感も増大する。ただし、次項以降に述べるように、地方分散シナリオは、政府の財政あるいは環境(CO2排出量など)を悪化させる可能性を含むため、このシナリオを真に持続可能なものとするには、細心の注意が必要となる。
ここで、日本が 2050 年にも破綻せずに存続するには「都市集中型 or 地方分散型」の 2 つの道がある、というお話になる。
以下、ぼくが読んでいて気になった箇所を章ごとにまとめる。ぼくのコメントは june29:
に続けて書く。
イントロダクション
- ドイツには、人口約 50 万人のハノーファーなど、人口 10 万人規模でも活気があって盛り上がっている都市がいくつもある
- 都市の中心部には自動車が入れないようになっていて、歩行者だけが歩いて楽しめるコミュニティ空間になっている
- 経済の効率性だけではなく、地域の自立性や持続可能性、そこに暮らす人々の幸福も重要視する設計方針
- 日本で同じくらいの人口規模の地方都市が空洞化するのは、アメリカを主なモデルとした都市デザインの問題
- 人口 10 万人でも活発な都市、というのは成立するのでそういったデザインにしていくのも手
- 戦後の政策が「成功した」結果として、今の地方都市の姿がある
- 「地方分散型」にすればすべてがうまくいく、というお話ではない
第 1 章 : 人口減少社会の意味
- イギリスの経済誌『Economist』の日本特集「The Japan Syndrome」
- 世界が注目する日本の「高齢化」と「人口減少」
- 江戸時代はほぼ横這いだった人口が明治以降にバーンと増えているのは、世界資本主義に巻き込まれてのことと言えそう
- 明治から続いた急激な人口増加は「集団で一本の道を登る時代」だった、という解釈
- 多様であるよりも画一であることが重視され、同調圧力も強まっていった
- june29: 力をあわせることの危険性。 | 植松努のブログ に通ずるものがある
元号の変わり目と結びつけて考えれば、昭和が人口増加とともに「限りない拡大・成長」を志向した時代であり、平成がバブル崩壊や人口減少社会への移行を含めてそこからの変容の時代だったとすれば、「令和」は本格化する人口減少に向かい合いつつ、そこに様々なポジティブな可能性を拓き、成熟社会の真の豊かさを実現していく時代としてとらえるべきではないだろうか。
- 世界的に見ても、様々な分野で「幸福」についての研究が進んでいる
- 幸福度のようなものを国をこえてまともに比較できるのか、という議論をいったん置いておくと、そういったランキングでは日本はだいたい順位が低くなる
- 国として GDP のようなひとつの指標に向かって一丸となってやっていくのではなく、個々の幸福に着目していく時代へ
- 最近は地元志向の若者が増えてきている
- 高度経済成長期は、日本住宅公団 (現在の UR 都市機構) が首都圏に公的住宅をたくさん用意して上京を促した
- それの逆バージョンがあったらいいんじゃないの、というお話
- 「結婚」というものの社会における意味が変容してきた
- 結婚しない人が増えて、少子化が進み、高齢化率が高くなっている
- 日本の都道府県では、東京都の出生率が最も低い
- このまま東京に人が集まり続けると少子化はますます進む説
- 東京、経済や効率性を求めるなら素晴らしい場所だが、少子化はめちゃ進んでいて、人が増えないと結局は経済にとってもマイナスになる
- 短期的にはよくても長期的にはよくない、持続可能性は大丈夫か?
第 2 章 : コミュニティとまちづくり・地域再生
- 近代社会の基本的な理念
- 個人という概念が尊重される
- 個人は市場において自由にふるまい、競争し、自身の利益の最大化を図ることがよしとされる
- そこで生じた格差や環境の問題は「政府」という公的部門が対処にあたる
- 「個人と社会」「私と公」「市場と政府」
- これまでの二元論ではカバーできないことが増えてきて、間に「共」とでも呼ぶべき共同体が存在感を増している
- 「私・共・公」という 3 区分
- 農村型コミュニティと都市型コミュニティ
- 日本では農村型コミュニティに傾倒しがち、という著者の考え
- ウチとソト、同調と排除
- 稲作を続けてきた歴史によるもの
- 見知らぬ人とも気軽に声をかけあえるような社会をどのように実現していったらよいか
- アンケートを取ってみると、人口減少社会の課題と一口に言っても地域によって抱えている課題の大小はさまざま
- 大都市圏では「つながりの希薄化、孤独」
- 中規模都市では「中心市街地の衰退」
- 小規模市町村では「人口減少、若者の流出」
- 統計を見ると、若者を中心とする地方からの人口流出が圧倒的に大きかったのは 1960 年代前後
- そのときに移住してきた人々が今、首都圏で高齢者となっている
- その高齢者を介護するために人手が必要であり、さらに若者を呼び寄せてしまう
- 高度経済成長期の出来事がタイムラグを経て課題を生んでいる状況
- 「居場所」というテーマ
- 上京してきて「会社」しか居場所がないと定年退職と同時に居場所がなくなる
- 街の中に居場所があるとよい
- イントロダクションにあったドイツの街の例などが参考になる
- 経済効率とは別のものも大事にした都市デザイン
- 香川県高松市、高松丸亀町商店街の事例
- 高齢化に対応した福祉都市
- 高齢化と車社会は相性がよくない
- 歩行者中心のまちづくりには可能性がありそう
- 一極集中から多極集中へ
- 東京以外にも、各地の都市に人々を集めてコミュニティも含めた都市デザインをやっていく
- 岐阜県石徹白地区の事例
- NPO「地域再生機構」
- 小水力発電による電力完全自給
- 岐阜県石徹白集落に暮らす270人の「持続可能な農村」へ向けた挑戦 | greenz.jp グリーンズ
- 食糧、資源、エネルギーといった「グローバルな課題」とされるものと、ローカルな活動を通して向き合っていく
- 映画おだやかな革命|全国劇場でロードショー!
- 埼玉県越谷市、久伊豆神社の太陽光発電の事例
- 宮崎県高原町、小水力発電の事例
- 「工業」の時代には中央集約型がマッチする、情報化が高度に進んだ社会は分散型に親和性がある
- 「手段的合理性 instrumental」と「現在充足性 consummatory」
- june29: この言葉は、ぼくは 平成30年度東京大学卒業式 総長告辞 で見たな
第三はconsummatoryであることです。見田先生は、これはとても良い言葉だが適切な日本語に置き換え難いと断りを入れたうえで、instrumental すなわち「手段的」「道具的」といった認識とは反対の境地だと論じています。それは、私達が行う現在の活動について、未来の目的のための手段として捉えるのではなく、活動それ自体を楽しみ、心を躍らせるためのものと捉えるということです。語源を探っていくと、con-は「ともに」という意味であり、summateは「足し合わせる」という意味ですから、ただ一人だけで楽しむということではありません。
From 平成30年度東京大学卒業式 総長告辞
第 3 章 : 人類史の中の人口減少・ポスト成長社会
- 人類史でいうと、現代は「3 回目の人口定常期の入口」と見ることができる
- 人口や経済が「拡大・成長」から「成熟・定常化」に移行する過渡期においては、人間の精神や文化における革命的な変化が生じる
- カール・ヤスパースさんのいう「枢軸時代」、伊東俊太郎さんのいう「精神革命」
- 「物質的生産の量的拡大」が立ち行かなくなって「精神的・文化的な価値の創造や発展」への移行が起きた説
- 考古学や人類学で「心のビッグバン」「文化のビッグバン」と呼ばれるもの
- 日本でいうと縄文土器が代表的
- 実用性、有用性、利便性を追い求めない形の進化
- 人口減少の時代に差し掛かった我々は、文化的に進化するときを迎えているのではないか?
- 資本主義 = 市場経済 + 限りない拡大・成長への志向 (著者の解釈)
経済のパイ全体が増えるのであれば、しかも私利の追求によって社会全体の生産や消費が拡大してパイが増えるのであれば、個人が自分の利益を追求することはそのまま他者のプラスにもなりうるわけで、その結果、私利の追求は肯定的にとらえられることになる。
つまり言い換えれば、 規範や倫理というものは、時代を通じて一律なのではなく、その時代の社会経済の状況に依存して生成するということである。そして特に、経済的ないし資源的なパイが「拡大・成長」を続けることが可能な状況か否かという点が、規範や倫理の内容にとってもっとも重要な意味をもつということである。
(中略)
基本的な認識に関わることだが、人間の倫理や価値あるいは科学のパラダイムといったものは、歴史的な文脈の中で、その時代の社会経済状況と深く関わりながら生成する。もう少し踏み込んで言うと、およそ人間の観念、思想、倫理、価値原理といったものは、最初から天下り的に存在するのではなくて、究極的にはある時代状況における人間の「生存」を保障するための〝手段〟として生まれるのではないか。
- 「第 4 の拡大・成長」あるか?
- 著者が考える可能性は「人工光合成」「宇宙進出」「シンギュラリティ」
- 拡大・成長のことも、定常期の文化的創造性のことも、どっちも考えていくのが大事
- ちなみに、定常型社会というのは変化の止まった退屈な社会のことではない
- たとえば京都市の人口は 1968 年くらいからあまり変わっていない
- 量的な拡大をしていないだけで、新しいものはどんどん生まれている
第 4 章 : 社会保障と資本主義の進化
- 「富の生産」から「富の分配」へ
- 著者の考えでは「日本人は分配を考えるのが苦手」で、その結果としての国債 1,000 兆円、先延ばし
- その場にいない人 (将来世代) に押し付けた結果である、という捉え方
- 「経済成長でなんとかなるはず」「将来の自分たち、あるいは次の世代がなんとかしてくれるはず」
- june29: ツケ払いで破産する若者とあんまり変わらない状態に思えた
- 社会保障の国際比較「公助」「共助」「自助」
- 公助 : 北欧によく見られる、税金がたくさんあって国が全員を守る
- 共助 : ドイツやフランスなど、財源は社会保険料が中心、年金等の給付
- 自助 : アメリカ、最低限の公的介入、民間の保険会社を使いたい人が使う
- 一口に「資本主義」といっても、政府や公的部門がどれくらい介入するかの度合いは国によってけっこう異なる
- アメリカ : 強い成長志向 + 小さな政府
- ヨーロッパ : 環境志向 + 相対的に大きな政府
- 日本 : どうしていく???
以上に述べたアメリカとヨーロッパの対照という点について、やや冗談めかして言えば、かなり以前に漫才で「欧米か!」というフレーズがはやったことがあったが、私は通常、「欧米」という表現は使わないようにしている。なぜならアメリカとヨーロッパは、社会システムのあり方から人々の価値観、行動様式等々を含めて、全く異なる社会のあり方を示していて、一括りにすることはミスリーディングであるからだ。
突然のタカトシじゃん。
- 資本主義の歴史的進化
- 格差是正などのために、社会主義的な要素を取り入れつつやってきた
- 事後的な救済から、より事前的な救済へのシフト
- 楽園のパラドックス
- 生産性が最高度に上がった社会では、ほとんどの人が失業する
- ベーシックインカム
- 資本主義と社会主義のクロスオーバー
- フロー (収入) の格差とストック (貯蓄、住宅、土地など) の格差
- 日本では、土地は「私的所有するもの」という意識が強い
- 結果、土地は家族を超えて継承するのが難しいものになっている
- ヨーロッパは相対的に「土地の公有」が進んでいる
第 5 章 : 医療への新たな視点
- 持続可能な医療
- 2016 年度の日本の医療費は 42.1 兆円、そのうち 65 歳以上の高齢者にあてられるのは約 6 割という状況
- 1980 年代頃から、アメリカ連邦政府の予算に占める医療費の割合は増加している
- 現在は、国防を除く研究開発予算の半分くらいが医療費となっている
- 対 GDP 比で見ても高い割合である
- しかし、医療費をかけまくっているアメリカだけれども平均寿命は日本、フランス、スウェーデンなどより低い
- アメリカは肥満が大きな問題となっている
- 医療にたくさんお金をかけても、生活習慣が健康的でなければ健康は実現しない
- 経済発展のある段階までは、経済発展に伴って寿命が延びていく傾向がある
- ある段階を過ぎると、アメリカの例のように経済発展以外の要素が健康に大きく影響を与えるようになる
- 「持続可能な医療」は「持続可能な社会」と不可分
- 医療や健康の問題は、消費や生産、労働のありようやライフスタイル、コミュニティのあり方、などなどと絡めて考えることが重要
- 複雑系としての病
- 日本の長野県に見る「長野モデル」
- 日本の中でも平均寿命が長い県
- 同時に、県民ひとり当たりの後期高齢者医療費は低い方から 4 番目
- 健康のコストパフォーマンスがよい
- 持続可能な医療のモデルとなり得る
- こういった要因について長野県が挙げていること
- 1. 高齢者の就業率が全国 1 位 (生きがいを持って生活できる)
- 2. 野菜摂取量が全国 1 位
- 3. 健康ボランティアや専門職による保健予防活動がある
- 「ハイテク〜」とか「最先端の医療施設が〜」ではなく、心身ともに素朴に健康的な生活を送っている
- 第 2 章で語られた「歩いて楽しめる空間」「自分の居場所」等が医療においても大事、あわせて考えるとよい
第 6 章 : 死生観の再構築
ぼくは、ごく身近な人を失ったことがないからなのか、どうにも「死」についての感覚が養われていない気がする…。というわけで最もピンとこなかったのがこの章。
- 「看取る」ことがもっと身近になる
- 著者は、各自にとっての「たましいの還っていく場所」を見出すことが重要という考え
- ホスピス
- 死にゆく人が安らかに死を迎えられることに配慮した施設・サービス
- テクノロジによって「死」をどんどん遠ざけようとする動きもある
- 生命科学や医療の領域では、再生医療のような「身体の不死」を目指したものがある
- 情報科学の領域では、意識をコンピュータに移植して「精神の不死」を目指すものがある
- 映画『マトリックス』『インセプション』のような世界
第 7 章 : 持続可能な福祉社会
- イギリスの EU 離脱
- 「グローバル化の始まり」を先導したイギリスが「グローバル化の終わり」を始めた
- ドイツや北欧は「ローカルな地域経済から出発し、ナショナル、グローバルと積み上げていく」という社会の姿が志向されている
- 「グローバル化の先」のふたつの姿
- 拡大、成長、利潤極大化、排外主義
- ローカルな経済循環やコミュニティから出発し、持続可能な福祉社会を目指す
- 持続可能な福祉社会とは?
- 個人の生活保障や分配の公正が実現されつつ、それが環境・資源制約とも調和しながら長期にわたって存続できるような社会
- 日本の可能性
- 現時点では、持続可能な福祉社会とは程遠い
- 人々の間の「社会的孤立」度が高く、社会保障など「家族を越えた支え合い」には消極的で、かつ高度成長期の成功体験から「すべての問題は経済成長が解決してくれる」という意識がなお強く、格差は大きく環境へのパフォーマンスは低い
- 渋沢栄一さんの『論語と算盤』の中での言葉
- 「正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ。ここにおいて論語と算盤という懸け離れたものを一致せしめることが、今日の緊要の務めと自分は考えているのである」
- june29: 真実から出た『誠の行動』は決して滅びはしない
- 自己実現と世界実現
- 戦後の日本は「経済成長」に心の拠り所を求め、なかばそれを「宗教」として崇めてしまったという解釈
- 著者はこの時期を「福祉思想の空洞化」と呼ぶ
- ローカル、グローバル、ユニバーサル
- 本来の「グローバル」というのは、世界を画一化・均質化させていくという意味ではないはず
- ローカルの風土や文化の多様性を積極的に評価しつつ、ヒトの種としてのユニバーサルな普遍性の中で文化の多様性が生成する全体構造を俯瞰的に把握するのがグローバルということ