#june29jp

北海道を離れたあの日から3年が経ちました

2011-04-09

おはよう、こんにちわ、こんばんわ。いつ見ているか分からないから、あいさつ全部。じゅーんです!

慌ただしく過ごしている間に、いつの間にか2011年の4月を迎えまして、故郷の北海道を離れて東京で今の生活を始めてから丸3年が経ったことになります。ひとつの節目だな、というタイミングで、この3年をふりかえってみることにしました。

駅のホーム

上京してすぐに撮った、京急の駅のホームの写真。シャッターを切りながら、妙に寂しい気持ちになったのを覚えている。

種を探した1年目

2008年3月31日。24年間の北海道での生活を終え、羽田空港に降り立っていた。まだ住居も決まっていなくて(ガローアに出会うのは、1ヶ月くらい先のお話)、ほんの少しの心細さと、未来への大いなるワクワクを抱いて、東京の土を踏んだ。当時の自分が書いた文章を気に入っていて、たまに読み返すと、今でもそのときの気持ちを思い出したりします。

思い返してみるとね、今、自分の日々の中に当たり前のようにあるものの多くは、このときにはなかったのです。今の自分が自己紹介のときに話すようなことも、このときには持ち合わせていなかった。

最初の1年は、すべてに手を伸ばしていたと思います。このブログを始めたのが2006年のことで、ありがたいことに、定常的に読んでくれている人もいて、上京したと書くとすぐに、何人かから「飲みに行こう」とお誘いをいただきました。ブログを通じた出会いというのは、なんだか特別なことのように思えて、嬉しくて、Web に感謝しながら、色んな人たちに会いに行った。

とても刺激的で、楽しかった。

お仕事をしながらお金を稼いでごはんを食べるようになったのも、このときからです。就職したわけです。といっても「お仕事をしている」という感覚はあまりなくて、研究室時代から変わらず、楽しいことを見つけては遊んでいる、という感覚を持ち続けていました。たとえば、以下のような遊びをしていたのです。

一方で、学生時代とは違う感覚も、少しずつ持ち始めていて。

この1年は、会社の事業としてレコメンデーションシステムの開発と運用にあたっていて、システムの裏側を担当していたので、とにもかくにも「システムを止めずに運用し続ける」ことが大事でした。チームのメンバーや環境に恵まれたおかげで、学生時代に、プログラムを書いては捨てちぎっては投げしていた頃とは違う「動かし続けるシステムづくり」の基礎を学ぶことができました。「運用」は難しいけどとても大事だな、と思ったのでした。それと、スケジュールを守るのための計画づくりについても、一から学ぶことになりました。

ざっとまとめると、このときの自分は「お仕事をする」ということを「約束を守ること」「できない約束はしないこと」「約束を破ることになってしまわないようにリスクと向き合うこと」と捉えていました。

本格的にコミュニティ活動に関わるようになったのも、最初の年でした。今ではすっかり「ずっと昔からある」ように思えてしまう高専カンファレンスの第1回に運良く参加することができて、第2回があって、第3回があって… そのまま今日につながっています。人生で初めての Lightning Talk を経験したのは、第3回の高専カンファレンスにおいて、でした。

june29 san

学生時代のご縁があって、ITmedia に記事を載せてもらうこともできました。これが、はてなブックマークで1,000人以上にブックマークされて、身の丈に合っていない感がすごかった。西尾さん、ありがとう。とても貴重な体験でした。

芽を出した2年目

2009年は,2008年に蒔いたたくさんの小さな種に,水をあげる年にしたいなぁと思っています.人々との「出会い」を「人脈」に,得られた「知識」は「応用」に,この身を巡った「想い」は「感性」に,それぞれ発展させて,日々をますます充実させていきたいです.

2008年を振り返る! – 準二級.jp

…ってことを、2008年の終わりに書いていて。2009年は、あとから見てみると、けっこう、その通りにできていたんじゃないかな。

1年目の @ZoAmichi くんとの出会いから感じることがいっぱいあって、g1983ers の活動をスタートさせた。これも、今日につながる道になりました。ぞあ道。

崇めよ我はTVなり

2008年にはひとりの一般参加者として参加した RubyKaigi に、2009年は当日スタッフとして参加することができました。自分の人生にとって、とても大きな出来事となりました。お誘いの手を差し延べてくださった先人たちには、心から感謝しています。本当によかった。人生が狂い始めました(紛れもなくいい意味で)。

このときから、RubyKaigi のスタッフの皆さんはもちろんですが、Ruby のコミッタの方の何人かとも、接点を持つことができた。自分が「人生が狂う」「かっこいい大人」「悪いことにはならない」という表現をよく使うようになったのは、この頃からです。いわゆる中学2年生くらいのときから「大人は卑怯だ」とか、よく分からない先入観を少なからず持ってしまっていたのだけれど、たとえば9割の大人が本当にそうだったとしても、残り1割のかっこいい大人が身近にいれば、そんなことはどうでもよいと気が付いた。悩むときも、迷うときも、身近にいるかっこいい大人の人を思い浮かべて「あの人だったら、ここでどう動くかな」と想像してみると、いつでも勇気をもらえるようになった。そうして、光を感じられる方向に進んだときに、もちろん、すべてが上手くいくわけではない。だけど、それでも信じられる方向に進んだ先には後悔はないし、どうやったって、悪いことにはならない。

自分にとっての、安心できる場所、正しさを感じられる場所を、探し続けています。

お仕事や普段の生活では、思い悩むことが多かった。2009年4月の自分の言葉は、今でもピリッとします。

どれだけガンバったとしても,ボクは1日の中の働く時間を5倍にすることはできなくて,だったら働き方を変えて生産力を高めていくしかない.ようやくそのことに気付いてからは,少しずつ試行錯誤を繰り返して,少しずつ良いリズムを作れているように思える.「とにかく元気にガンバっていればほめられる」フェーズは終わったんだ.

環境と能力 – 準二級.jp

「今までと同じやり方じゃ上手くいかない」「これまで通りのやり方じゃ満足を得られない」と痛感していて、じゃあ、どうしたらいいだろうって、しばらく考えていました。社会人2年目って感じがします。1年目の終わりから2年目にかけては、思考の断片を吐き出したエントリが多い。

このしんどい時期はなんとか越えることができて、物事を「今よりよくする」ための思考や行動が少し身に付きました。「ふりかえり」という語彙と考え方が身に付いた。今でも自分を助けてくれています。よかった。

空に近付きたかった3年目

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1年目、2年目の延長線上にありつつも、求められる考え方や行動は大きく変わってきた、と感じた3年目でした。

お仕事の場面では、チームの在り方についてものすごく悩んだ時期がありました。個人としての振る舞いについては、1年目と2年目で、基礎的なところはできあがりつつあって、だけど、チームの中で個人がどうあるべきかという点で、大いに悩んでいた。別の要因も色々とあって本気で悩んでいた一時期は、キャリアプランを見直し始めていたし、自分の身をどこに置くべきか、あらためて本気で考える機会となった。チームというのは、本当に難しい。個人の長所を殺してしまうようなチームなら、いっそなくなってしまった方がいい、と思ったりもした。個々が、個々としていきいきとしつつ、個々の総和を越える勢いを維持できるチームづくりについて、今でも考え続けている。その現場での、そのメンバーに合った、チームの形の模索です。

私生活では、記事の執筆やコミュニティの運営、イベントでの発表など、2年目までに自分の名前とともに成果を残してこれたものについて、ありがたいお誘いやご相談をいただく機会がぐっと増えました。本当に感謝しています。

ただ、同時に申し訳なさも感じてしまうのは、すべてのお誘いに応じるには、自分の身体が足りなすぎるということです。これは継続的に解決を目指すべき課題で、もっと上手に物事をこなせるようにならないと、自分のキャパシティが成長を頭打ちにしてしまう気がしてイヤだな、って思っています。少しずつ、ひとつひとつを上手くやれるようにはなってきているので、この調子で基礎体力を向上させたいです。

「やります!」と宣言した作業が終わらなくて、色んなことを我慢して歯を食いしばった休日は、もっと少なくできるはずだ。

3年目の後半には、担当の事業が変わり、また Web にどっぷりな日々が戻ってきました。ここが自分の戦場だ。まだ北海道にいた研究室時代から育ててきた自分のお道具箱が、ようやく日の目を見ることになりました。ここでは負けられない。負けても言い訳ができない勝負です。ここで勝ちたい。

いつからか憧れていた「ユーザを獲得して Web アプリケーションを継続的に運用する」を実現できたのも3年目です。

Notwife を一緒につくった研究室からの同期の @kei_s さんと「やっとここまでこれたね」なんて言葉を交わした。ちゃんと前に進んでこれたね。よかったね。まだまだ問題を抱えているけれど、運用を、楽しくがんばろうね。

RubyKaigi2010 の実行委員になりました。なれました。

物事を前に進めること、問題を解決すること、価値を創出すること、について、多くを学びました。今の自分が手に入れたいと思っているものが、RubyKaigi2010 の実行委員会にはありました。直接は作業の関わりがなかった人たちからも、メールの1通1通から感じられることがあって、勉強になりました。すでに自分の日常に持ち帰って活かせているものもあります。生きているプロジェクトはいいですね。あとは、それぞれができることをやる「持ち寄り」の雰囲気もすごく好きでした。

RubyKaigi2010をひっそりと終えて – 準二級.jp

ここには自分が夢見る「ギルド型社会」のためのヒントがたくさんあって、思想レベルで影響を受けています。

4年目は何を目指そうか

社会人4年生としての生活が、始まっています。4年生… 小学校4年生のときと言えば、新しく担任になった新任の女の先生に対して素直になれず、無闇に反抗して廊下に立たされたりしていた頃です…。今にして思えば、22歳の女の子が相手なんだから、もっと紳士にアプローチしていればよかったのに、と思います。

この3月の終わりに、自身がプロダクトデザインを担当したアプリケーションをなんとかリリースしました、というときに、真っ先にたくさんのフィードバックをくださったのは、この3年間でなにかしら接点があった人たちでした。その人たちのひとりひとりについて、何がキッカケで知り合ったんだっけな、と思い返していると、これまでのことが走馬灯のように駆け巡り(死亡フラグ)、感極まったのでした。

「公私の区別なく生きる」ことについて、賛否は分かれるかもしれませんが、この3年間の自分の日々のすべての積み重ねが、今の自分の活動を支えているのだと実感できたとき、これまでの時間に感謝せずにはいられませんでした。人と人とのつながりにおいては、お仕事だから、とか、お仕事じゃないから、とか、そういったことは関係なく、まるっと全部で自分の人生です、と言える状態を維持したい。そう思いました。

上京当時は「20代は拡げる、30歳になったら絞っていく」となんとなく考えていたのですが、思ったより早いスピードで自分の生活は展開していて、3年目にして、少しずつ的を絞ることを余儀なくされてきました。予定外ではありますが、嬉しいことです。

コミュニティ活動でいうと、大きなものでは「RubyKaigi まわり」「g1983ers まわり」「kosenconf まわり」があるのですが、これが自分にとって良いバランスであると、この文章を書いていて気が付きました。それぞれがちょうど「先輩」「同年代」「後輩」と接する場になっているのですよ。よい形をしています。これらの間を行ったり来たりすることで、色んな人たちと色んなものを交換して、自分の中には蓄積して、成長できている実感があります。

物思いに耽る

一方で、そういえば21歳を過ぎたあたりから恋は負け続きなんですが (恋愛を勝ち負けで語る男の人って…)、やあやあ、それはそれとして、心の平穏を(ギリギリで)保ちつつ、楽しく暮らしています。今年もいい恋をしたいです。

あと、髪型をどうしようかなって考えています。

さて、今年も全力で毎日を楽しんでいきますよー!みんな、一緒に楽しいことしよう!ラービュー!

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